お知らせ
第59回商東戦が開催されました
「第59回一橋大学・東京大学対校競漕大会」が、4月30日晴れ渡る青空の下、戸田オリンピックボートコースを会場に開催されました。選手は日頃のトレーニング成果を発揮できるよう全力でレースに挑んでいました。大会は伝統の一戦とあって、学生、教職員等大学関係者、OBの皆さんやご家族、地域の皆さんら大勢が応援に駆け付け、会場は熱気に溢れました。また、両校応援部による応援合戦も見応えのあるものでした。結果は、次のとおりです。
オープン女子シングルスカル(2000M) | 一橋大学 | 10分16秒00 | 1位 |
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オープン男子舵手付きフォア(2000M) | 一橋大学 | 7分35秒82 | 1位 |
オープン男子ジュニアエイト(2000M) | 一橋大学A | 6分38秒12 | 1位 |
一橋大学B | 6分51秒85 | 3位 | |
対校女子舵手付クォドルプル(2000M) | 東京大学 | 7分48秒43 | 1位 |
一橋大学 | 7分59秒66 | 2位 | |
対校男子シングルスカル(2000M) | 東京大学 | 8分00秒57 | 1位 |
一橋大学 | 8分18秒59 | 2位 | |
対校男子舵手付フォア(2000M) | 東京大学 | 7分17秒54 | 1位 |
一橋大学 | 7分21秒67 | 2位 | |
対校男子エイト(2000M) | 東京大学 | 6分32秒91 | 1位 |
一橋大学 | 6分39秒45 | 2位 |
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本大会の由来(大会プログラムより抜粋)
本大会の由来は、わが国のボートが揺籃時代であった明治20年代の第一高等学校対東京高等商業学校の対校戦にまで遡る。当時の模様は、「東京帝国大学五十年史」並びに「一橋大学ボート百年の歩み」に明らかである。明治20年(1887)4月、帝大の第一回競漕大会の招待レースとして開催されて以来、熱狂的対立意識が時とともに激化し、ついに4回にして中止されるに至った。時は下って明治29年、この一高・高商戦は復活したものの1回にして再度中止された。その後明治32年、新たに競漕規約が成り、巳亥連合競漕大会という名称の下に競漕が行われることになったが、高商の再三に及ぶ挑戦にもかかわらず一高はこれに応じず実現には至らなかった。大正9年、インターカレッジ競漕が開始されて以来、東大、商大共に向島に相隣して艇庫を持ち、常にインターカレッジに覇を競いつつも、この30年間、対校戦が期待されながらもついに実現されることはなく歳月を経て終戦を迎えた。そして昭和24年、わが国のボート界も次第に息を吹き返してきた中、両校の対校戦復活の機運が熟し、第1回の対校競漕大会が行われることとなったのである。
思えば半世紀の昔、一高・高商戦として相戦った両者は、高商は東京商大となり学制改革にともない一橋大学と校名も改められ、一高もまた新学制において東大の一環として新発足することになった。この時にあたり全く新しく東大と一橋の定期戦が開始されたのは時宜を得たものというべきであろう。こうして東大一橋対校競漕大会は古き歴史の底流の中から新しき伝統を築くべく始まったのである。 対校競漕大会の会場として両大学の艇庫のある、同時に学生漕艇の中心として隅田川が選ばれ、4哩1/4(6840m)という川の長距離レースとして競われた。しかしながら隅田川の船舶の輻輳、汚濁等が年々進みまた新たに護岸工事も始まり、第14回大会以降、本競漕大会は戸田コース(2000m)へ会場を移すことになり今日に至っている。
両校はスポーツマンシップの上にたって、一段とこの対校競漕大会を発展させ、ひいてはわが国ボート界の向上のためにわずかたりとも貢献することを望むものである。