福田徳三人物紹介


福田徳三とは

福田徳三は経済学を中心に、一橋大学の学問史、日本の社会科学形成史において重要な役割を果たした学者です。「一橋経済学のあらゆる源流が福田徳三博士に求められる」(美濃口武雄)、さらには「アダム・スミスが世界の経済思想史において巨峯であり、そこから出発してもよいと同じ意味で一橋で、いな日本では福田徳三から出発することにしてもよいかと思うのです」(赤松要)といわれています。研究者としてだけでなく、教育者・社会活動家としても活躍し、黎明会を創設した大正デモクラシーの指導者としても知られています。

略年譜

1874(明治7)年12月2日 東京神田区元柳原に生まれる。
1889(明治22)年7月 商工徒弟講習所補充科2年に入学。
1890(明治23)年 高等商業学校(現一橋大学)予科に入学。
1894(明治27)年7月 高等商業学校を卒業。
1894(明治27)年9月 兵庫県立神戸商業学校教諭に関一と共に任命される.
1895(明治28)年9月 神戸商業学校を辞職し東京に帰る。高等商業学校研究科入学。
1896(明治29)年 高商研究科を卒業
1898(明治31)年 ドイツ留学、ブレンターノの下で学ぶ
1898(明治32)年6月 国際商業教育会議(於ヴェネチア)に出席する。
1900(明治33)年 高等商業学校教授に任名される。この年 Die gesellschaftliche und wirtschaftliche Entwickelung in Japan(『日本における社会的・経済的発展』)を出版。
1901(明治34)年2月 ヨーロッパ留学中の高等商業学校教員7名とともに、ベルリンにて「商科大学設立ノ必要」(ベルリン宣言)を起草する。
1901(明治34)年9月 4年間の留学より帰国。11月から講義を行う。
1904(明治37)年 休職
1905(明治38)年5月 法学博士.
1905(明治38)年10月 慶應義塾教員となる
1919(大正8)年 吉野作造らと「黎明会」を創設する。
1919(大正8)年5月 高等商業学校教授に復任される
1923(大正12)年1月 内務省社会局参与に任命される。11月関東大震災後の失業調査を実施
1925(大正14)年3月 『経済学全集』刊行開始
1925(大正14)年9月 ロシア学士院200年祭(於レニングラード)に出席。ケインズとともに、モスクワでの講演を依頼される。
1930(昭和5)5月8日 慶應病院にて逝去


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