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一橋大学の文化資源――商品資料を通した一橋大学の商業教育史の構築に向けて

  • 言語社会研究科教授小泉 順也

2020年9月30日 掲載

キャンパスを歩いていると人とすれ違い、教室から授業のマイクの音が漏れてくる。当たり前のように思われていた大学の風景は2020年春に一変した。1か月遅れの5月から始まった一橋大学の授業はオンラインに切り替わり、本稿を執筆している時点で学生はほとんど通っていない。いつもより長い梅雨の時期に草木は繁茂し、アオサギや鴨が悠然とキャンパス内を歩く姿をよく見かけた。放置された乗り主のいない自転車は、少しずつ雑草の中に埋もれていくようであった。再び大学に人が集まる時、そこにどのような風景が広がっているのだろうか。
一橋大学の国立キャンパスは大学通りを挟んで東西に分かれ、周りには佐野書院、中和寮、運動場などが点在している。それらをすべて合わせた敷地面積は、東京ドームに換算すると7個弱に相当するらしい。しかし、在学中や在職中に実際に訪れるのは、その一部でしかない。たとえば、東キャンパスの門を抜けた左手には、1929年に竣工し、2000年に国の登録有形文化財に登録された東本館が建っているが、回廊型に設計された内部に足を踏み入れた人は少ないだろう。その1階に商品陳列室・商品標本室と呼ばれる部屋があり、現在でも数千点に及ぶ商品資料が所蔵されている。
商品陳列室と商品標本室の歴史は、明治中期に設置された商品陳列所にさかのぼり、コレクションを始めて数年後には資料数が早くも10,000点を超えたという記録が残されている。これらは商品学と呼ばれる授業や関連科目の中で活用されてきた。その後、東京商科大学時代の関東大震災の被災により、ほぼすべての資料は焼失したと考えられている。国立に移転してからも規模を縮小しながら20世紀末まで収集を続けていたが、近年はわずかな関係者の立ち入りを除けば、基本的に非公開のまま時を刻んできた。

東本館

[東本館]

商品陳列室(左手前)と商品標本室(左奥)

[商品陳列室(左手前)と商品標本室(左奥)]

私が言語社会研究科に着任したのは2012年4月で、博物館実習の授業で活用できる材料を探す中で、この場所の存在を知った。商品標本室の床はコンクリートで補強されていたが、商品陳列室の木製の床は湿気を含んで劣化し、歩くとたわむような感触があった。数年後には床が抜ける危険を感じるようになり、一切の立ち入りを禁じた。何かしらの措置を講じたいという思いはあったが、一人の教員で対応できる問題ではなかった。
そのような中で、商品学を専門とする名誉教授の片岡寬先生を2014年11月にお招きしてゲスト講義を開くなど、これらの場所に光を当てる活動を細々と続けてきた。その結果として、学芸員資格科目を開講する言語社会研究科と商品資料を所蔵する商学研究科(現・経営管理研究科)の協働プロジェクトとして、2017年度から両室の環境整備と資料整理が始まることになった。当初は商品標本室に限定した3年間のプロジェクトであったが、途中で1年の延長が認められ、商品陳列室の整備にも着手したのである。
2018年11月に言社研レクチャー「開かずの扉がひらくとき:一橋大学商品陳列室・商品標本室の歴史と現況」を開催し、2019年7月には、HQウェブマガジンに「一橋大学の文化資源――商品陳列室と商品標本室の歴史と展望」という中間報告を掲載した。その前後から徐々に学外の研究者との交流が生まれ、2019年8月には自然科学系アーカイブズ研究会に招かれて、国立科学博物館筑波地区で研究発表をする機会も頂戴した。

2018年11月の言社研レクチャーの報告は、以下をご覧ください。

こうした一連の流れを受けて、2019年11月には、商品資料館を有する山口大学経済学部の成富敬先生と櫻庭総先生、大阪市立東洋陶磁美術館学芸員の宮川智美先生をお招きし、シンポジウム「商品学と工芸史のはざま:一橋大学と山口大学の所蔵資料から考える商業教育史」を開催した。そのときの様子は『商品資料館便り』第22号(2020年3月31日発行)に詳しい報告が掲載されている。明治時代以降、日本各地に高等商業学校が設置され、そこでは商品陳列館や商品館などが整備されたが、まとまった形で資料が残されているのは、調べた範囲では一橋大学と山口大学だけとなっている。

これらのイベントは学内外の研究者とのネットワークの構築を目指したもので、今後につながる学術成果をもたらした。それと同時に、プロジェクトの根幹を成すのは商品資料の整理と部屋の環境整備である。今回はその内容を具体的に説明する初めての機会となる。しかし、商品資料といっても全貌を説明するのは難しく、「商品とは何か」という根源的な問題につながっている。大量消費社会が始まる以前であれば、限られた商品の生産と流通の中で人々は暮らしていた。しかし、近代以降の急速な工業化の中で商品の多様化と差別化が進み、体系的な収集を継続するのが困難となった。それでも、商品学という学問の枠組みの中で、商品を揃えようとしていた形跡は認められる。20世紀前半の日本には、商品学に関する標本や模型を製造販売する会社が存在し、目録を作成していた。その代表例が京都から世界的メーカーに成長した島津製作所である。ちなみに、こうした歴史の一端は、京都市役所のそばにある島津製作所 創業記念資料館で展示されている。
話を一橋大学に戻すと、現在の商品標本室には、鉱物や金属、羊毛や繭玉など、無機質と有機質にまたがる原材料の標本や見本に加えて、農産物、繊維製品、金属製品、プラスチック製品、各種の容器などが並んでいる。一部では金属加工、ガラス製造、窯業といった製造のプロセスを説明する工夫も施されている。大きなものでは、両手で抱えられないほどの漆黒の石炭の塊、「113キロ」という重量が記された褐色の棹銅、あるいは「ソ連製鋼用銑鉄」と書かれた金属の塊などが置かれている。ほかには、1976年に三越から購入したという記録が残るマネキン人形は一風変わった品物かもしれない。当時は弾力性のあるポリ塩化ビニルの素材が珍しかったのだと思われ、それを裏付ける資料として、「石油化学製品のフローチャート」と題されたパネルが残されている。

ソ連製鋼用銑鉄と書かれている

[ソ連製鋼用銑鉄と書かれている]

ガラス瓶に入った羊毛

[ガラス瓶に入った羊毛]

三越から購入したマネキン人形

[三越から購入したマネキン人形]

石油化学製品のフローチャート

[石油化学製品のフローチャート]

一方で商品陳列室には、脱穀機などの農具に加えて、蓄音機、電話、テレビ、エンジンなどを含んだ機械類、各種の理化学器械などの多種多様な資料が所蔵されており、小さなところでは、「写ルンです」に代表されるレンズ付きフィルムも含まれている。とはいえ、入手経緯がわからないものも多く、たとえば19世紀前半にロンドンで創業した化学会社の名前が入った空っぽの棚は、当初は何かしらの製品と一緒に海を渡ってきたのだと思われる。あるいは、カール・ツァイス製の大型の幻灯機も残されているが、これが修理して使えるようになれば、近代の視覚文化史を体験できる貴重な機会になるかもしれない。
重量感のあるものとしては、「飛行機用発動機 260馬力 昭和6年 陸軍航空本部所沢支部より保管転換」というキャプションの付いたエンジンがある。初めてこれを私が見た時、零式艦上戦闘機(以下、零戦)のエンジンであると学内の関係者に教えてもらった。その後、所沢航空発祥記念館に調査を依頼したが、零戦ではなくトラックなどの車両のエンジンと思われるとの回答を得た。よく考えれば、昭和6年は西暦1931年で零戦は製造されていない。しかし、零戦の部品であれば現在でも大切にされるが、戦前のトラックのエンジンとなると保管数が少なく、かえって貴重であるという見解も伺った。このように、素人が資料の歴史的価値を判断するのは大変難しいのである。

農具や大型の機械を収めた棚

[農具や大型の機械を収めた棚]

音響関連の機器類

[通信関連の機器類]

ブラウン管テレビなど

[ブラウン管テレビなど]

レンズ付きフィルム

[レンズ付きフィルム]

ロンドンの化学会社の名前が入った棚

[ロンドンの化学会社の名前が入った棚]

カール・ツァイス製の幻灯機

[カール・ツァイス製の幻灯機]

戦前に陸軍から譲渡されたエンジン

[戦前に陸軍から譲渡されたエンジン]

エンジンのキャプション

[エンジンのキャプション]

語り継がれてきた証言や資料に付されたラベルであっても、それらが事実であるとは限らず、実際のところ資料を特定する地道な作業が膨大に残されている。しかし、台帳や文書資料のほぼすべては失われており、基本的な資料調査は進んでいないのが現状である。正直なところ現在までのプロジェクトでは、雑多なものが詰め込まれた商品標本室を整理し、商品陳列室の改修工事を行うだけで精一杯であった。
これらの二つの部屋は隣接している。2019年度に行った作業を簡単にまとめてみると、①資料を片付けた商品標本室に商品陳列室の資料を移動、②何もなくなった商品陳列室の床や壁を改修、③そこに棚を新設、④隣に移動した資料を棚に新たに配架、となる。これらを文字で説明すると数行で足りるが、そこには多くの困難があった。学内での協議と専門業者との打ち合わせを繰り返す中で、ようやく実現するに至ったのである。この機会に関係者のご協力に改めて御礼申し上げたい。

【商品陳列室の改修工事】

2019年7月

[2019年7月]

2019年8月

[2019年8月]

2019年9月

[2019年9月]

2020年2月

[2020年2月]

2020年2月

[2020年2月]

2020年3月

[2020年3月]

目の前に何かしらのものが置かれた時、それに対する反応は千差万別である。手に取って何であるかを確かめる人もいれば、一瞥もせず素通りする人もいる。あるいは、気がつかないふりをする人もいるだろう。私の専門分野はフランス美術史であり、本来であればこのような商品資料とは無縁の生活を送っていた。しかし、一橋大学に着任した直後に見つけた商品陳列室・商品標本室に関わる中で、それなりの時間を費やしてきた。当初は積極的な関与は控え、傍観者のつもりでいた。それがいつからか、自分がやれる範囲で取り組めば良いと気持ちを切り替えた時に、物事の歯車が動き始めたように思う。数千の単位で資料が学内にある以上、組織としての何らかの対応が求められる。今回のプロジェクトを通して、資料に安全にアクセスできる環境を整備できた。ただし、これは最初の一歩に過ぎないとも言える。

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まもなく150周年を迎えようとする一橋大学の歴史の一端が、これらの商品資料に刻まれているというのは過言だろうか。もう少し時間をかけて資料調査を積み重ねるなかで、商品を通した商業教育史の実態を明らかにする必要があるだろう。たとえば、戦前における日本の商品学は植民地経営と結びついており、資料の一部は中国、台湾、朝鮮半島、南洋などから運ばれている。
しかし、新型コロナウイルスの感染拡大の影響もあり、残念ながら、本格的な資料調査に着手する前に今回のプロジェクトは終了を迎えるかもしれない。そして、現時点では資料を公開する体制が整えられていないことも大きな課題である。問題は山積しているが、数年前には立ち入りも制限されていた状況と比べると、この場所は驚くほどの変貌を遂げた。今回のプロジェクトを足掛かりにしながら、一橋大学の歴史に新たな一頁を加える可能性はあると考えている。後から振り返って、本稿もまた中間報告であったと言えるように、関係者のさらなるご協力とご支援をお願いする次第である。

未来に遺される商品には社会の発展に寄与した"ストーリー"がある

言語社会研究科長|尾方一郎

美術・工芸品以外のモノを収集し保存するという文化はヨーロッパでは深く根付いていて、たとえば私が文学や文化史などの研究対象としているドイツでも、世界的な観光名所となっている巨大な博物館が各地に存在します。ミュンヘンにある『ドイツ博物館』の敷地面積は、東京ドームとほぼ同じです。ライト兄弟が発明した有人動力飛行機をはじめ、館内には約1万7千点もの品々が展示されています。また、ニュルンベルクにある『ドイツ鉄道(DB)博物館』の歴史は古く、1899年設立の『バイエルン王立鉄道博物館』が前身です。鉄道発祥の地であるイギリスで19世紀前半に使用されていた石炭車から近代的な機関車まで数多くが保存されています。ドイツという国にとってモノを文化遺産として遺すことは、自国の高い技術力を世界に誇るばかりでなく、モノの面から見た世界の発展の歴史を未来に継承することであるといえるでしょう。
もちろんほとんどのモノは古くなれば廃棄されますが、時が経つとともに価値が上がるモノもあります。たとえば、私が長年愛読している"時刻表"です。大量に発行されてほとんどが捨てられるモノですが、東海道新幹線の開業時のものなどは今では大きく価値が上がっています。他にも主要幹線の電化・複線化など、歴史的に大きなダイヤ改正が行われた月の時刻表は復刻版が発行されるほど、ファンにとっては羨望の的なのです。こうした現象は、実に多くの商品に当てはまります。画期的な進化を遂げた最初の商品や、人々の記憶に強く残る商品などは、遺っていれば当時の価値とは比べものになりません。
しかし、大量に流通する商業品となると、美術・工芸品などとはまた別の意味で、遺すべき価値があるのか否かの判断が困難を極めます。商品陳列室と商品標本室の資料整理の際にも、残すためには"目利き"が必要です。通常、商品の価値は、時間の経過によって次第に下がっていきます。そして、価値が最下点に達してほとんど現存品がなくなったとき、再び上昇に転じる商品と、そのまま廃棄される商品に分かれます(M. Thompson)。この煉獄(れんごく)(カトリックの教義で、天国と地獄の間で天国に入るための浄めを受ける場所)から、目利きによって商品を救い出す役目を担っているのが一連の改修プロジェクトであり、その意味でも商品陳列室と商品標本室の環境整備と資料整理は評価に値します。救い出す基準としては、それらの商品が"社会の発展に寄与した"という視点が重要です。背景には、前述したドイツや商品価値の事例にも表れているように、時代を物語る"ストーリー"があると思います。
商品学の痕跡が残る、商品陳列室と商品標本室の改修作業を一橋大学内で行えていることに大きな意味があると思います。中心的な役割を果たしてきたのが、言語社会研究科で学芸員養成を行う小泉順也教授と関係者の方々です。今後は、同室が一橋大学ならではの個性的なミュージアムに発展してくれることを願っています。