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一橋大学の文化資源――商品陳列室と商品標本室の歴史と展望

2019年7月1日 掲載

写真:東本館の外観

【東本館外観】

一橋大学の国立キャンパスは、大学通りをはさんで、西キャンパスと東キャンパスに分かれている。東キャンパスのなかでも、古色蒼然とした趣をたたえている建物が東本館である。この建造物は1929(昭和4)年に竣工し、現在では国の登録有形文化財に指定されている。外観を眺めることはあっても、1階の奥にある商品陳列室、商品標本室と名付けられた部屋の存在を知っている人は、学内の関係者でも少ないだろう。まして、これらの部屋のなかに入ったことのある人は、ほとんどいないはずである。
しかしながら、人の気配の感じられなかった状況は近年いくらか変化している。具体的には2017年度から、言語社会研究科と商学研究科(現・経営管理研究科)が協働して、商品標本室の環境整備と資料整理に着手した。このプロジェクトは2019年度まで続く計画となっている。2018年11月2日には、言社研レクチャー「開かずの扉が開くとき――一橋大学 商品陳列室・商品標本室の歴史と現況」を開催し、中間報告を行った。同時に見学会を実施し、おそらく一橋大学の歴史としては初めて一般公開の機会を設けた。

言社研レクチャーの報告の様子1

【片岡寬先生】

言社研レクチャーの報告の様子1

【見学会の様子】

言社研レクチャーの報告は、言語社会研究科の関連サイトをご覧ください。
「開かずの扉がひらくとき:一橋大学 商品陳列室・商品標本室の歴史と現況」【報告】

写真:1909年の商品陳列所

【商品陳列所】
出典:1909(明治42)年卒業アルバム
一橋大学附属図書館蔵

プロジェクトの内容を説明する前に、まずは歴史を概観しておきたい。商品陳列室は商品標本室に比べて歴史は古く、起源は明治中期にさかのぼる。一橋大学が高等商業学校と呼ばれていた1888(明治21)年、商品見本陳列所として開設されたのが最初であった。これらの商品見本は、「商品」「商品地理」などの授業を通して活用された。当初から精力的な収集を行い、1893(明治26)年には、所蔵する資料点数が10,000点を超えたという記録が残っている。商品学は商業教育の根幹を支える科目のひとつであり、神田一ツ橋(現・千代田キャンパス)にある学校の敷地にはかなりのスペースを割いて商品陳列所が設けられていた。

1920(大正9)年から1921(大正10)年にかけての『東京高等商業学校一覧』を確認すると、商品陳列所について以下のような説明がなされている。「本学学生ヲシテ常ニ商品ノ実物ニ接シ研究スルノ便ヲ得セシムルヲ以テ目的トシ標本ハ広ク内外各国ヨリ之ヲ収集シ品質ノ良否産地ノ異同製造ノ順序価格等ヲ鑑定識別セシメンコトヲ期ス」(271-272頁、註:旧字体は新字体に改めた)。これを読むと、商品陳列所は商品の実物に接して研究するための場所であったことがわかる。さらに、そこでは日本や海外の各国から集められた標本を使って、品質の良し悪し、産地における違い、製品になるまでのプロセス、価格などを見極められる人材の育成が期待されていた。

しかしながら、東京商科大学に昇格した直後の1923(大正12)年の関東大震災によって大きく罹災し、建物と大半の資料は焼失した。その後、キャンパスが国立に移転すると、商品学を担当する奈佐忠行先生を中心に再興が図られた。最初は西キャンパスの別館に資料が収められ、何度かの移転の末に、東本館1階に商品陳列室が設けられた。

現在、商品陳列室で確認できる資料は理化学機器や機械類が中心となっている。というのも、ある時期から同時代の商品を体系的に集めるというより、電話、ラジオ、テレビといった機械の原理や構造を学び、簡易的な商品検査の手法を身に付けることに主眼が置かれるようになったからである。資料収集は1990年代まで続けられたが、2000年以降は授業で活用する機会も失われた。さらに木製の床の状態が悪化し、人の出入りが制限される状況が続いてきた。しかし、2019年度には、床を含めた部屋の改修工事が行われる計画となっている。この工事が無事に終了したときには、資料をきちんと見てもらえる環境が整うはずである。

写真:商品陳列室1

【商品陳列室1(2019年5月)】

写真:現在の商品陳列室2

【商品陳列室2(2019年5月)】

一方の商品標本室は昭和の時代に入ってから整備が始まった。東京商科大学が国立に移転した後、被災を免れた一部の標本と資料は移送されたものの、未整理のまま放置されたものもあった。これらを整理するために新たに商品標本室が設けられ、原材料から製品までのプロセスを示すことに重点を置いた教材の開発が行われた。その過程において、商品学を担当する北原三郎先生、岩城良次郎先生、井出野栄吉先生、片岡寬先生などが継続的に資料の収集と整理を行ってきた。いくつかの例を挙げると、鉄や銅などの金属製品、各種の石油製品、米やタピオカなどの農産物、綿花や繭などの繊維素材といった、幅広い原材料と商品が並んでいた。
商品標本室も2000年以降は手付かずの状態にあったが、2012年度に私が言語社会研究科に着任すると、学芸員資格科目の授業の一環で見学会を実施するようになり、2014年11月28日には、片岡寬先生をお招きしてゲスト講義を開催した。そのような実績を重ねるなかで、学内の認知や理解が深まっていった。2017年度からは言語社会研究科と商学研究科(現・経営管理研究科)の2つの研究科が協働するかたちで、「一橋大学商品陳列室・商品標本室の環境整備と資料整理」のプロジェクトが始動した。そして、2019年春には、商品標本室の資料整理がほぼ終了する段階を迎えたのである。

写真:資料整理前の商品標本室1

【資料整理前の商品標本室1(2018年4月)】

写真:資料整理後の商品標本室1

【資料整理後の商品標本室1(2019年5月)】

写真:資料整理前の商品標本室2

【資料整理前の商品標本室2(2018年4月)】

写真:資料整理後の商品標本室2

【資料整理後の商品標本室2(2019年5月)】

研究補助員の手塚惠美子さんが実際の資料整理にあたり、長年にわたって商品学の先生方を支えてきた経営管理研究科助手の片岡康子さん、さらに私の3人が連携を取りながら計画を立て、学内での協議の場を設けるかたちでプロジェクトを進めてきた。もちろん、これまでの成果は関係する教職員の方々の理解と協力の賜物でもある。また、国立科学博物館の前島正裕先生、大阪経済法科大学の永平幸雄先生、岩手大学の小野寺英輝先生など、この分野の専門家にご来訪いただき、貴重なアドバイスを頂戴した。そして、各種の専門業者の担当者と話し合いを繰り返すなかで、具体的な環境整備が進んでいった。現状に至るまでには多くの方々のご協力があった。ここに記して、心から御礼申し上げたい。
この先、予期せぬ事態が起こるかもしれず、プロジェクトの行方は予断を許さない。しかしながら、この場所の歴史と現状が学内外に少しずつ知られるなかで、関心を寄せる人々が集って知恵を出し合い、新たな展開が生まれていくに違いない。2020年度以降については現時点で白紙となっている。今後、これまでの流れを踏襲するかたちで中長期的な計画の立案につながることを、関係者の一人として期待している。

言語社会研究科准教授 小泉順也

日本の産業・貿易振興に対する
一橋大学ならではの関わりを知る手がかり

写真:片岡康子

経営管理研究科助手 片岡康子

商品陳列室・商品標本室の前身である「商品見本陳列所」が開所したのは1888年。一橋大学が高等商業学校と呼ばれていた時代です。当時は商品の見本が大量に収集・展示され、「商品学」という授業で活用されていました。
現在、大学で商品を学ぶことはマーケティング的側面が強いですが、当時は商品の品質を判断する化学・鑑定学などの側面が強かったと聞いています。戦前に全国高等専門学校商品科協議会が発足し、その後日本商品学会へと名称を変更、戦後になって新たに日本商品学会が発足、ここに一橋大学に関連する先生方が関わっていくことになったようです。商品教育のあり方について議論を重ねながら、学生に産業技術・科学技術という切り口で商品を教えていました。実際、一橋大学の旧・商品学エリアは、先生も助手も化学出身者が多かったのです。私自身も化学の出身で、1988年に着任しました。

開所当初のことは分かりませんが、私が着任した頃、商品を資料として選択・購入する際のキーワードは、「生活に密着しながら技術の変遷がわかるような商品」「時代の先端を行く機能性の高い商品」「 商品の多様化と個別対応性」 などでした。『日経MJ』や『日経トレンディ』、『日経産業新聞』などの記事を参考にしながら、限られた予算の中で購入申請をしていました。

個人的にはパーソナル型商品の「たまごっち」や新素材商品の「ドライ&ファイン」、高機能型繊維商品の「形状記憶シャツ」などが印象に残っています。「ミノルタα-7000」も、「プロ仕様がより改良されて一般消費者の手にも届くようになった商品」の象徴として、購入した記憶があります。

残念ながら、商品が授業の教材として使われることはなくなりました。例えば、実習(グループワーク)を交えながら商品評価の方法と目的を学んだかつての「商品評価論」では、基本的に食品サンプルを都度購入していました。

現在、商品陳列室・商品標本室には、その食品サンプルから戦前に製造されたエンジンまで、多種多様な商品が置かれています。言語社会研究科と経営管理研究科の共同プロジェクトで、これらの商品の整理・調査研究が始まり、改めて日の目をみるようになってきました。過去100年以上に及ぶ日本の産業・貿易振興に、どのような一橋大学ならではの関わりがあったのか。これから分かってくるはずです。

そして、単に「ここにある」というだけではなく、展示などの形を通して社会との接点が生まれ、新しい意味を持つようになれば、歴代の教授陣もきっと喜んでくださるのではないでしょうか。

将来はデジタル・アーカイヴ化などによって
所蔵品の再評価につなげたい

写真:手塚恵美子

一橋大学研究補助員 手塚惠美子

私が着任したのは2018年4月ですが、その時点での目標は『2017年度からの3ヶ年で商品標本室にある商品を整理・調査し、部屋を清潔な環境にすること』でした。小泉先生と片岡さんと検討を重ねながら、現時点で資料整理と環境改善は、ほぼ終えることができました。このような状況のなかで、2019年度に新たな予算が付いて、今度は隣の商品陳列室にある実験機器や機械類をいったん標本室に移し、状態が悪化していた陳列室の床を補修することになりました。
整理が終了した商品標本は、2019年4月の段階で約5,500点。劣化などによる廃棄品を除き、箱詰めした標本類は約250箱分にのぼります。これから徐々に調査・研究が本格化していく予定です。

所蔵品を調べていると、近現代の日本が産業や貿易に何を必要としていたのかが見えてきます。開室当時の主力商品のひとつであった美術工芸品は、残念ながら関東大震災で焼失してしまいました。その後ジャポニスムも下火になります。でも次の主力となる貿易品が何かを探っていたことも、商品学と商品地理を担当された奈佐忠行教授の収集品を見ると伝わってくるのです。日本が領土拡張を続けていたアジア地域で収集したもの、西欧からの見本品、農産物...など。後任の先生方も、奈佐教授の仕事に敬意を払っていたのでしょう。『奈佐先生による収集品』というタグがつけられた所蔵品がいくつもありましたから。

私はもともと日本近代美術史を研究しているのですが、分野は異なっても、こうして一つひとつの商品標本にふれていると、愛着がわきます。商品を収集した先生方とその時代背景。商品を製造し、流通させた当時の人たち。その商品について学び、グローバルなビジネスの世界に羽ばたいていった一橋大学の卒業生――様々なことが想像されます。扱っているのはモノですが、その向こうに人間の営みと日本の産業の発展史が見えてくることも、この仕事の醍醐味です。

将来的には、一橋大学の歴史を物語るような資料室に発展させていけるといいですね。資料の解説をつけたデジタル・アーカイヴによって、所蔵品の価値が再発見されることを願っています。2018年の夏、言語社会研究科の小泉准教授が担当する経営管理研究科の集中講義「ホスピタリティ実習」をお手伝いしたときのことです。この授業では文化財の活用や展示の仕方などが論じられ、商品標本室の資料も教材として活用されました。社会人学生が参加したのですが、一人ひとり、興味を持つ対象や視点が違うことに気づきました。人によって所蔵品の価値のありどころも変わってくるようですから、一人でも多くの人に見てもらうことが再評価のために重要だと考えています。