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建設的不満足

  • 経営管理研究科教授山下 裕子
  • 経営管理研究科教授鷲田 祐一

2021年12月17日 掲載

2003年夏に広報誌として創刊された『HQ』。2号目からスタートし、長寿連載となったシリーズでしたが、60回目の今回をもって、最終回となります。一橋大学を卒業後、様々な分野で活躍する女性たちの生き方・考え方を紹介することで、男女を問わず、様々な世代・立場の読者の皆さんのインスピレーションになることを願って続けてきた連載ですが、今回は、創刊時の企画から関わってきた経営管理研究科の山下裕子教授に、『HQ』の現編集長を務める経営管理研究科の鷲田祐一教授が話を伺います。

女性のキャリアのリアルな記録に

鷲田 祐一氏

鷲田:「一橋の女性たち」の最終回は、山下先生ご自身に話を聞かせていただきたいと思います。
1980年代まで、一橋大学は男子校のイメージが強く、女子学生はかなりマイノリティな存在でした。そうした中で1986年に男女雇用機会均等法が施行され、総合職として社会デビューしたOGたちが組織社会の中でどのようにキャリアを重ねてきたのか、実態を探ろうという意図があったと聞いています。

山下:企画を立ち上げたときの方針は三つありました。
第一が、男性たちも共感できる内容にしよう、ということでした。日本の企業社会の大きな転換期の中、ライフワークバランスという制約下でタフな選択を迫られつつも、多面的に新しい人生を切り拓いてきた女性たちの生き方は、男性にとっても参考になることもあるのでは、と考えていました。
第二に、鷲田先生が指摘して下さった男女雇用機会均等法後の女性の働き方のリアルな記録になればよいな、ということ。そのため、表面的ではなく、困難や課題についてもできるだけ掘り下げて話を聞かせてもらうことにしました。
第三は、功成り名を遂げた「お偉いさん」の「私の若い頃は」という話ではなく、"私たちのような人"の今の話を聞くこと。もちろん、凄い皆さんに話を聞かせていただくわけなのですが、困難にどう立ち向かったか、現在の肉声を伺うことに心がけました。実際、皆さん、「これであがり」ということは全然なく、どんどん未来に向かって歩んでおられるので、とても刺激を受けました。

仕事を続けているのは"GJP"ばかり

山下 裕子氏

鷲田:第1回目は日本アイ・ビー・エムでマーケティングのディレクターを務めていた鷺谷万里さんをお迎えしましたね。

山下:彼女は学部時代の同期で出世頭としてご登場をお願いしました。入社当時ビックブルーと言われ女性には難しいとされていた営業部門で頭角を現し、ニューヨーク本社勤務のチャンスを掴まれ、90年代にIBMで巻き起こっていたダイバーシティ改革を経験されていました。この変革が日本にも起こっていくんだろうな、それに伴走できたらいいなと、期待を膨らませたスタートとなりました。

鷲田:2回目以降も錚々たる顔ぶれが続きましたね。
(参照:https://www.hit-u.ac.jp/hq-mag/hitotsubashi_woman/

山下:ええ。卒業生の皆さんは本当に面白くて、どなたに登場いただいてもユニークなドラマがあるので、枯れない泉のように次から次へとお話を聞きたい方がいらっしゃるんです。
(参照:https://www.hit-u.ac.jp/hq-mag/hitotsubashi_woman/286_20180309/
しかし、その一方で、あることに気が付きました。日本企業の中で長くキャリアを積まれる方が極端に少ないという事実です。女性の卒業生が3割を超えるようになりましたが、マネジメント職までキャリアを積む女性がほとんどいない。連載をスタートした当時の想定とは全く違う展開でした。
じゃあ、女性たちは、働いていないかというとそうではなくて、日本企業から「エグジット」している。海部美知さんの命名なるところの"GJP"現象が生じていた。Gaishi(外資)、Jiei(自営業)、Professional(弁護士などのプロフェッショナル)として独自のキャリアを作り上げていました。

鷲田 祐一氏

鷲田:典型的な日本の大企業で出世したというケースはそれほど少ないのですね。

山下:家庭との両立がやはり難しいというご意見が多かったように思います。しかし、GJPであれば両立可能なのですから、これは、女性の問題ではなくて、日本企業の問題なのではないか。このような問題意識を共有する有志の声から卒業生のネットワーク、『一橋エルメス会』が生まれました。

"レイバーレンズ"と"マネジメントレンズ"

鷲田:一橋大学では、1990年代に女子学生比率が増えていきましたが、その比率が、マネジメント職での比率に連動していないということですね。

山下 裕子氏

山下:はい。これは、一橋大学の男女卒業生のキャリアトラッキング調査を行ってみてはっきりしました。総合職で採用した女性から管理職が出ないということは、日本企業は女性を「レイバーレンズ」で見ていても、「マネジメントレンズ」では見ていないということです。
「レイバーレンズ」とは、ジェンダーの格差の問題を、労働という視点から見てみようというマルクス主義系の社会学の用語です。人権での平等が達成されても、「レイバー」に焦点を当てるとあちこちに格差があることが見えるようになる。賃金格差はあるし、家事労働は無償です。女性全体で考えると、レイバーレンズの重要性は疑う余地はないのですが、レイバーレンズだけでは管理職におけるジェンダー平等の問題を解けないのではないかと考えるようになりました。「マネジメントレンズ」で見るとは「マネジメント」能力の形成過程でのジェンダー格差がどのように生じるかを見ることです。20代前半では女性の方が意欲があるのに、20代後半では男女逆転してしまうのです。日本の企業では、マネジメント能力やスキルに汎用性がなさすぎ、経験を積むのに時間がかかる。結婚相手の転勤を機に転職しようとしても、人材市場で評価されにくい。5年も一生懸命働いて培ってきた経験は価値がないと宣告されると意欲を喪失しますよね。業務知識はマネジメントスキル以前の問題ではありますが、そこからマドルスルーが始まるわけです。

鷲田:少なくとも入社した時はやる気があったわけだから、それが続かないのは組織にも問題があるのは確かでしょうね。

山下:ややこしいのが、このような問題に対しては、インクルーシブな文化の構築のみで対処する傾向にあるように見えることです。単に文化の問題ではないことが問題だと思います。転職についてインタビューをすると、皆さん一同に職場の上司や同僚についてはフェアによく育ててもらったと感謝をされているんです。上司に問題があるわけではなくて、マネジメントの在り方そのものの問題。それを根本から変えることができなければ去るしかない。「円満退社」となるわけですから、会社にはなぜ辞めたかのフィードバックが届かない。現場の個々の努力は十分になされていたとしても組織が変わらない。ここがもっとも深刻な部分で、だからこそ一橋の女性が"GJP"に集中するのだと思うんです。マネジメントスキルがトランスファー可能な外資系か、自営やプロフェッショナルとして自分の働き方は自分でつくるしかない、というわけです。

鷲田:そういう帰結になりますね。

山下:60回を迎えて、そういったことがよく見えました。個人としていかにモチベーションを高く保つ努力をするかといったことは十分伝えられたと思います。やれることはやったという清々しさはありますね。

大事なのは「これ、変だ!」

鷲田 祐一氏

鷲田:山下先生ご自身のキャリアにおいても、何か感じることもあったのではないですか?

山下:日本の男性社会では、建前規範が強いことですかね。カジュアルな場で話して共感してもらったことをオフィシャルな場で言うとシーンとしてしまう。非常に傷ついた経験があります。「えーっ!」と。学者のいいところは、これを個人の問題ではなく、規範の問題として捉えられることです。
学者を目指そうと思ったのは、組織の中で仮面を被って生きるのは通勤電車とともに苦手だと感じたことがあります。大学は、事実と議論の下にフェアネスがあり、率直にものを言うことが許される場所だと考えました。教員になって初めて学会に参加したとき、率直な物言いをしたら大問題になってしまったのですが、その時ようやく、一橋のリベラルな伝統の中で育ててもらったと気づいたのです。

山下 裕子氏

鷲田:今後としては、一橋大学も女子が増え、それまでの男子校的な文化ではなくなってきている中、どういったアプローチで問題を捉えていけばいいと考えていますか?

山下:"Constructive dissatisfaction"という言葉を大切にしたいと思っています。クロード・シャノンの言葉です。問題解決をするのにさまざまなテクニックを組み合わせたりしますが、実は一番大事なのは「これ、変だ!」と違和感を感じること。それがなければ、あらゆる問題は解決できないというわけです。そして建設的に取り組む。「一橋の女性たち」のライフ&キャリアは、建設的不満足の軌跡ともいえるでしょう。しかし、個人の問題解決はできても、女性全体としてのキャリアの問題は改善されていません。女性管理職比率を30%にするという政府の目標は17年前と同じです。そんな中で、「一橋の女性たち」は、個々人の問題を掘り下げながら、「これ変だ」と全体として何が問題なのかをセンスするところまではやれたのかな、と思います。第二部としては、個々の経験を集合知に変えて社会を変えることですね。「女性たち」に留まる問題ではないことは明らかです。建設的な不満足を抱きつつ前向きに取り組み続けたいです。

青天を繋げ

対談を控えた夏のある日、鷲田先生とキャンパスですれ違ったら、「お着物楽しみにしています」とのこと。ゲストのお付き合いならともかく、自分の回に着ていいものか。自国の衣装を着るのに躊躇してしまうのは、公はスーツ=男性、私は和装=女性という明治の服装規範が今なお存在しているからだろう。着物を着ると、どうして仕事の場所にしゃしゃりでてきたんだ、と咎められているような気がしてしまうのだ。

上田辰之助先生によれば、戦前の中国大陸で、日本人男子は例外なく洋服を着ていた。「洋服を纏う瞬間、大概の日本人は鞍をつけた馬のように仕事意識に満たされる・・そして大陸開発は実にこの『仕事、仕事、仕事』の最新のそして偉大なる段階となるのであろう」仕事にはスーツを着てがむしゃらに働く。女は着物とともに前近代に置いて行かれたのだ。

大河ドラマの『青天を衝け』。最初にタイトルを聞いたとき、また、『坂の上の雲』の明治か、と思ったら、さすが、我らがヒーロー、シブサワの物語、一味も二味も違っていた。一橋家に仕官する前の若き日、信州の紺屋を訪ねる道中に読んだ「内山峡」という漢詩から取られた一節で、着物の袖をまくり上げた手で青天を衝きながら山を登る様子が読まれたものだ。近代日本という共同幻想に向かって突き進んだ明治人というイメージとは違って、「内山峡」の舞台は、険しい岩山であり、道なき道を行く。ゴールすら見えずにもがく、「マドルスルー」なのである。

興味深いことに、渋沢翁は晩年若き日々を反省し、後悔していたらしい。後世からみると、渋沢の人生は、若き日の「マドルスルー」あってこそだと思う。尊王攘夷の志に向かって動きだすことなければ一橋家への仕官はなく、仕官しなければ渡仏の機会はなかった。フランス滞在中に株式市場や銀行の仕組みの革新に気が付くこともなかっただろう。

「一橋の女性たち」に登場いただいた皆さんのキャリアの軌跡を改めて振り返ってみると、それぞれの「内山峡」があった。明治の坂の上の雲とは違って、共通のゴールというのも持ちにくく、個々の青天の衝き方は多様だ。晩年の渋沢翁と同様、回り道をしなければもっと活躍できたはずだ、と思われる部分もあるのかもしれない。

でも、現代の「シブサワ」達のマドルスルーがあったからこそ繋がる青天があるのではないか。たとえば、一橋の女性たちが築いてきたGJP大陸は、社外取締役人材の宝庫だ。「これ変だ!」と企業からエグジットし、マドルスルーしながら得たユニークな知識が、今度は、企業に還流してくる。女性の活躍推進に向けた取り組みは今こそ大事な局面ではあるが、だからこそ、個々の女性の物語ではなくて、ジェンダーを越え、個を超えた挑戦の物語として捉えていく必要があるだろう。

スーツか、着物か、と悩んでいるうちに、着物のみならずスーツすら風化していきつつある。さまざまな文化資産や規範を咀嚼しつつ、自分の衣装哲学を自力で切り拓く時代である。激動の中で多様な役を務めてきた女性たちには、バラエティに富む個性的なワードローブがあるということだ。衣装哲学をブリコラージュするには素材は多い方がいい。

青淵栄一、そして、登場して下さった「女性たち」、支えて下さった読者、そして編集の皆さまへのオマージュを込め、ブルーの着物を着ました。江戸時代の茶屋辻の古裂、ビンテージの越後上布を吉岡幸雄先生に天然藍で甕覗に染めていただいたものです。鷲田編集長がブルーのタイを繋げて下さって嬉し。そして何と編集チームからブルーの万年筆をいただきました。「ずっと書き続けてください。」というメッセージを添えて。まだ続けていいのかな。何よりも嬉しかったです。長い間ありがとうございました。

マドルスルー仲間の皆さん、苦い蓼から、美しいブルーを取り出してやろうじゃありませんか。

一橋大学エルメス会 Website https://teamhermes.wixsite.com/hermes-2

卒業生アンケートや国際会議等の活動アーカイブがあります。