一橋教員の本
掠奪の法観念史:中・近世ヨーロッパの人・戦争・法 [増補新装版]
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山内進著 |
著者コメント
出版社共同復刊「書物復権」の一冊として、新たに「補論」として「人の掠奪とルソー・ポルタリス原則」を加えた著作である。いまから30年ほど前の本で、1989年11月のベルリンの壁崩壊と1991年11月のソ連の消滅があった直後の1993年3月に出版されている。第一章にあたる部分を論文で最初に発表したのは1987年3月のことなので、その時点ではベルリンの壁はまだ屹立していた。論文の最後の章が出されたのは1991年の12月だった。冷戦が終わり、自由主義の勝利による「歴史の終わり」がひとつの認識として語られた時代でもあった。大変動の時代だったが、冷戦が終わり、少なくとも大きな戦争はなくなるだろうという明るい雰囲気に包まれていたともいえる。本書は、中・近世ヨーロッパの戦争の法理について戦時掠奪を手がかりとして探ろうとするもので、その意味では時代の雰囲気にそぐわないかに思えるものだった。しかし、不思議なことによく読まれ、学術書としては珍しくわりとすぐに増刷が出されるほどであった。いま思うと、そのような時代だから、かえって戦争と兵士たちの振る舞いをめぐる、古い時代の古い法観念に純粋に知的な興味が持たれたのかもしれない。逆に、それでもなにか漠然とした「不安」が感じとられていたのかもしれない。30年たったいまを見ると、それは必ずしも杞憂ではなかったようである。「不安」は大きくなりこそすれ、無くなるどころではないからである。しかも、最近の戦争では、「近代」の戦争とは異なる、「掠奪の法観念」を想起させる新中世的行動様式とでも表現できそうな、兵士だけではなく市民全体を敵とするかのような行為、民間人に対する直接的攻撃や掠奪がしばしば公然と行われている。本書は、もともと法制史の新しい分野を切り開こうとした著作で、中・近世ヨーロッパという時代と地域の特性を当時の「掠奪の法観念」のうちに探り、明らかにするのを目的としていた。この目的はかなり果たされたと思うし、それは今回も変わらない。今回変わったものがあるとすれば、世界の将来に対するわれわれの「不安」が前よりもはるかに大きく、はるかに現実的になっている、ということであろう。これに向き合うには「長期の観点」が大切ではないか。私はそう考えているが、どうであろうか。