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パキスタンの幼児発育不全問題に取り組む

  • 経済研究所教授黒崎 卓

2023年12月27日 掲載

筆者は1980年代半ばにインドやバングラデシュ、パキスタンといった南アジア諸国の経済発展に関する研究を始めた。教育の研究プロジェクトをいくつか手掛けた際に何度も感じたのは、小学校に通う子どものかなり多くが、とても背が低いということだった。

現在、国際社会の共通目標となっている「持続可能な開発目標」(Sustainable Development Goals:SDGs)の目標3は、「すべての人に健康と福祉を」であるが、その中の子どもに関する個別ターゲットについては多くの途上国において実現されていない。とりわけ、南アジア諸国で深刻なのが、長期的な低栄養によって身長が標準を顕著に下回ってしまう、幼児の「発育不全」(スタンティング、stunting)の問題である。幼児期の発育不全は、就学後の学習に深刻な影響を及ぼし、成人になっても認知能力の低さや低位の体格につながる。言い換えると、南アジア諸国において長期的な貧困の悪循環を生み出す要因のひとつが幼児の発育不全である。

パキスタンは、この指標において南アジア諸国で最悪の状況にあり、5歳未満の発育不全児の比率は、政府統計によると男子で38.2%、女子で37.1%にも達する。医学や栄養学の知見からは、どのような栄養をどのように与えれば発育不全が防げるかがすでに明らかになっており、所得水準が絶対的貧困ラインを下回る人たち、すなわち貧困層の割合が高いとはいえパキスタンの食料価格は安く、貧困層であっても子どもに十分な栄養を与えることが可能な場合が多い。知識や医薬品に関しては、パキスタンにおいても政府の女性保健師(Lady Health Worker:LHW)が母親に保健指導を行う制度が存在し、母親が医薬品を入手し子どもの健康診断をしてもらうための政府の一次保健所(Basic Health Unit:BHU)が農村地域にまで設置されている。しかし、LHWは臨時職員であって、地域の母親に頻繁に接触する誘因を持たないと言われ、BHUは、医師や看護師の頻繁な欠勤や医薬品ストック切れなどのために機能不全に陥っている。

この状況を改善するために筆者を含む国際研究者グループが取り組んでいる政策介入が、「子どもの成長の在宅観察」(Home-Based Growth Monitoring:HBGM)である。HBGMの重要な構成要素は、政府のLHWではなく非政府組織(Non-Governmental Organization:NGO)が地域内で雇用したコミュニティ保健師(Community Health Worker:CHW)が毎月母子の自宅を訪問すること、CHWと母親が一緒に幼児の体重と身長を測定すること、その場でCHWが母親に栄養改善のアドバイスをすること、CHWと母親が一緒に測定結果をポスターに記入し、全家族がつねに当該児の発育状況を確認できるようにすることなどである。

HBGMが有効かどうかを試すために我々は、パキスタン南部の港湾都市、同国の最大都市であるカラチのスラム地区において、約1200世帯を対象に、2018年から2020年にかけて社会実験を実施した。社会実験を行った地区は、高級住宅地の隣に位置し、カラチ港も近い。住民の多くがパキスタン北部・中部からの移民で、子どもの父親の多くは港湾での日雇い労働などに従事している。成人女性の多くがベールをかぶっているような保守的な住居区である(写真1参照)。フォーカス・グループ・ミーティングを何度も行い、貧しいとはいえ子どもにポテトチップスなどのジャンク・フードを与えるくらいの余裕はあること、しかし同じ金額で卵や牛乳といった子どもに大切な食べ物が買えることに考えが回らない母親がほとんどであることなどが判明した。

画像:写真1
〈写真1 カラチの社会実験実施地域〉

どのようなメカニズムでHBGMが作用するかを分析するために、毎月のCHWによる母子訪問と体位測定、栄養改善アドバイスのみを行う介入と、それにポスターを加えた介入、ポスターに加えてさらに母親に卵20個くらいに相当する金券を毎月配布する介入の3種類を、ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial:RCT)として実施した。ポスターには、成長曲線と健康な子どものイメージ、栄養のある食品の図などが描かれ、毎月の体位測定後に母親とCHWが一緒に子どもの身長をプロットし、子どもが発育不全にある場合(ポスターでは成長曲線の下側、濃いピンクに塗られた領域)には注意しようというデザインである(写真2参照)。子どもの身長の伸び具合に介入による違いが出るには時間がかかるため、介入を6か月間継続し、それが終了してから6か月後に最終データを集めるというのが当初の調査設計だった。しかし介入がほぼ終わろうとしていた2020年3月、パキスタンでも新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)が蔓延し始め、ロックダウンも行われた。そのため最終調査は本来の予定よりも1月半ほど遅れての実施となった。最終調査では、3タイプの介入群に加えて、介入を全く受けなかった子どもとその母親の詳細なデータも収集した。

画像:写真2
〈写真2 カラチの介入で用いたポスター〉

月齢3~21か月(介入開始時点)の幼児の最終調査時の身長を解析したところ、3つの介入タイプを区別せずに、介入なしの子どもと比較すると、0.42標準偏差分だけHBGMが身長を改善させたこと、発育不全の比率で見ても10パーセンテージポイント減少していることが判明した。新型コロナの混乱にもかかわらず、統計的にも有意で、公衆衛生学的にも顕著な改善であった。他方、ポスターを追加すること、金券を追加することのさらなるプラス効果は平均では検出されなかった。低所得地域であるのに金券の追加効果がなかったことは予想外だったが、より詳細にデータを分析したころ、金券が男児に対してプラスの追加効果を生んでいた半面、女児に対してはマイナスの追加効果となっていたことがわかった。パキスタン社会に根強い男児選好という社会規範が、金銭的誘因を伴った時に強く表れたのだと、我々は解釈している。つまり、女児よりも男児にお金を優先的に使うのが当たり前だと考えられている社会で、それほど大きくない額の追加のお金が手に入ると、それを男児に回すだけでなく、もう少しまとまった額にするために女児に回るお金が減ってしまったのではないかと、我々は考えている。3つの介入ともに同様のプラス効果があったのは、モチベーションの高いCHWが母親に頻繁に接触したことで、母親が真に必要とする情報が適切に伝わったからだというのがカラチの社会実験の結論である。

カラチでの介入結果とそのメカニズムについて、詳しくは英文論文Shonchoy et al.(2023)を参照されたい。この研究結果が掲載されたジャーナルは、インパクトファクターが11.576と非常に高かったこともあり、HBGMの有効性を他の地域でも、あるいはHBGMの構成要素を変えた場合での有効性も試験してほしいというリクエストを多く受けた。そこで、カラチでのHBGMに近いタイプと、より簡易化した介入の有効性について試験する研究プロポーザルを2022年に作成したことで、国際NGOからの研究支援が決まった。

簡易版介入の有効性についての社会実験は、同じパキスタンであるが、幼児の発育不全がカラチよりも深刻なシンド州農村部において、現在進行中である。同州のほぼ中央に位置するタンドー・ムハンマド・ハーン県の農村部を研究対象に選択し、120村、約1800世帯を対象に、2022年10~11月にベースライン調査を行い、2023年6月にRCTを開始した。介入においては、カラチとほぼ同様に設計されたHBGMの再試験とともに、自動音声応答(Interactive Voice Response:IVR)システムを用いてリマインダ電話コールと栄養アドバイスを行い、それによりCHWの訪問頻度を減らす簡易版介入の有効性について試験している。

画像:写真3
〈写真3 シンド州農村部での子どもの身長測定〉

カラチの社会実験において、ポスターの追加効果が検出されなかった理由の一つは、成長曲線を母親が理解できなかったためであると思われた。日本人であれば、母子手帳を通じて幼児の成長曲線という概念に十分なじんでいるであろう。しかし調査地の母親の多くは全く学校に行ったことがない非識字者である。抽象的な概念を示すものであるグラフは、当地の母親には多少ハードルが高かったようだ。そこでシンド州農村部での社会実験では、ラミネート加工を施した子どもの原寸大ポスターを新たにデザインして、介入両タイプの全母親に配布した(写真3参照)。このポスターには、カラチで使ったポスター同様に栄養ある食べ物の情報なども描かれている。子どもの月齢に応じて、標準身長からの乖離が、より分かりやすく伝わるよう配慮した。どのような最終結果が得られるか、ワクワクしながらフィールドのモニタリングを続けている。

カラチの社会実験では、新型コロナという予期せぬ厄災に見舞われた。シンド州農村部の社会実験でも、2022年秋に未曽有の洪水に襲われて研究のスタートがやや遅れ、介入を始めると今度はIVRが予想以上の応答拒否にあってしまい、それを解決するための対応に追われた。途上国での調査研究に予期せぬ出来事はつきものである。この研究を進めている国際研究者グループの中で突出した年長者である筆者は、幸か不幸かそのような経験を多く積んできた。それらに基づいて何とか乗り切っていきたいと考えている。

【参考文献】

Abu S. Shonchoy, Agha A. Akram, Mahrukh Khan, Hina Khalid, Sidra Mazhar, Akib Khan, and Takashi Kurosaki. "A Community Health Worker-Based Intervention on Anthropometric Outcomes of Children Aged 3 to 21 Months in Urban Pakistan, 2019-2021", American Journal of Public Health, January 2023, 113(1): 105-114.
https://doi.org/10.2105/AJPH.2022.307111