国家と企業の境界が絡み合うグローバル貿易の変
- 経済学研究科教授冨浦 英一
2016年春号vol.50 掲載
情報通信技術(ICT)の高度化・普及の中で、国境だけでなく企業の境界も越えるアウトソーシングが広がり、グローバル貿易は大きく変貌を遂げています。また、今世紀に入って、経済学の中で、国際貿易の研究は、歴史的な変革を経験しました。そこで、昨年に日経・経済図書文化賞と毎日新聞社・エコノミスト賞をいただいた自著『アウトソーシングの国際経済学―グローバル貿易の変貌と日本企業のミクロ・データ分析―』(2014年、日本評論社)に基づいて、関連する私の研究についてご紹介します。
変貌するグローバル貿易
第二次世界大戦後の歴史的趨勢を振り返りますと、世界の貿易は、リーマン・ショック直後の貿易大崩壊の年を除いて、国内経済成長率を上回る拡大をほぼ一貫して持続してきました。こうした中で、ICTの発達普及や発展途上国の貿易自由化もあって、従来は一国で完結することが普通だった生産工程を、国境をまたいで多数の国々に分割して立地(フラグメンテーション)する生産方式が電子機器などで近年活発に行われるようになったため、世界貿易において最終製品よりも部品や素材などの中間財の比重が高まりました。毎月の貿易収支を伝えるテレビのニュース映像の背景は、今でも車が船積みされる光景であることが多いですが、我が国から輸出されるモノの中心は、対米乗用車からアジア域内中間財へとすでに変容しています。このようにモノの貿易の様相が変わっただけでなく、サービス貿易においても、世紀の変わり目にいわゆる「2000年問題」を契機として、米国からインドへのソフトウェア・プログラミングのアウトソーシングが本格化し、従来は日本語の壁に守られていた(妨げられていた)日本企業でも、手書き文書入力等社内業務を中国等の海外にアウトソーシングする動きが出ました。
このように国境をまたいで展開される生産活動は、巨大な多国籍企業の中でもっぱら完結しているものではありません。海外直接投資(FDI)によって設立された子会社だけでなく、独立した別会社から契約により中間財や業務サービスを調達するアウトソーシングが広がっているからです。その結果、グローバル経済活動は、国家だけでなく企業の境界をもまたいで複雑に展開されるように変貌しています。
国際経済学の歴史的変革
アカデミックな世界でも、今世紀に入ってから国際経済学、中でもリアルな実物経済活動を分析する国際貿易論に歴史的な変革が到来しました。経済学における貿易の研究を歴史的に振り返りますと、アダム・スミスと同じ古典派に属するリカードによる比較生産費説、ケインズと同時代のオリーンと彼の師ヘクシャーによる生産要素賦存比率理論、ノーベル賞を受賞したクルグマンらによる規模の経済性と製品差別化に着目した新貿易理論が特に有名ですが、今世紀に入って、メリッツ、アントラら一群の経済学者が独立してほぼ同時に「新・新貿易理論」を提示しました。この新理論の中心となる仮説は、生産性水準によって企業は異なるグローバル化の仕方を選択する、即ち、最も生産性の高い企業はFDIを選ぶが、最も低い企業は国内にとどまり、中間帯の企業はFDIを行って海外に自社の生産拠点や調達拠点を運営するには至らないが、国内で生産した自社製品を海外に直接輸出したり、中間財を海外の他社からアウトソーシングにより調達したりするはずであるとするものです。筆者は2007年に、理論の予測通りの生産性序列が実際の企業で観察されることを検証しました。輸出やFDIについては欧米のデータですでに確認されていたところですが、この論文は、日本だけでなくどの国でもデータが限られる海外アウトソーシングを含めても、企業は生産性によって輪切りソーティングされていることを世界でもいち早く実際に確認した研究として多くの理論家の方々に引用していただきました。
新・新貿易理論は、一世代前の貿易理論が今でも(もはや永遠に)新貿易理論と呼ばれるため、「新」を重ねる妙な名を授かりましたが、その注目する分析対象から、企業異質性貿易理論とも呼ばれます。これまで貿易論の分析単位は、集計された財・産業であったところを、個別企業の選択に視点を変えた点で画期的であったと評価されます。同じ産業に属するといっても、企業により、実際に生産性は著しく異なります。企業に焦点が当たった結果として、また特に海外アウトソーシングが分析テーマとして取り上げられたことから、国境に着目する国際貿易論に企業の境界が重要なテーマとして浮上してきました。こうした貿易理論の歴史的変革に伴って、貿易論においてはミクロ・データを駆使した実証研究の比重が高まりました。日本企業のミクロ・データを用いた実証研究を長く続けてきた私も一橋大学の一員に昨年加えていただいたところですが、高度に洗練された純粋理論モデルと実際の詳細なデータによる計量的検証が手を取り合って深め合う望ましいバランスが、経済学の他分野と同様に国際貿易論にも訪れたということでしょうか。世紀の変わり目から早15年も経過し新・新貿易理論もすでに標準化の域に達した感が出てきて、今後は、企業のグローバル化に伴う生産性格差の背後にある要因を探るもう一段深い研究への発展段階にあります。研究開発、人材、組織、法制度と貿易の関係についての研究が活発になっているのはこうした文脈からと理解できます。
日本企業にとってのインプリケーション
図1:国内企業と様々な指標で異なる海外アウトソーシング企業
グローバル展開を行っている企業は、図1にも示したように、生産性だけでなく企業規模や資本集約度等多くの指標において、国内にとどまる大多数の企業と明らかに異なっています。こうした種々の尺度に加えて、日本企業にとって興味深い比較として、日本の製造業企業による海外へのアウトソーシングについて、アウトソーシング先企業を、①自社の海外子会社、②自社以外の日本企業が海外に保有する子会社、③外国企業の3つに細分した筆者らの別の研究を、ここでご紹介しましょう。第三類型の「外国企業」には、現地企業だけでなく、欧米の多国籍企業の海外子会社も含まれますが、日本の親会社が過半を所有する日系企業でないことは確かです。この研究結果によると、海外と言っても日系企業が海外に保有する子会社にアウトソーシングしている企業に比べて、日系でない外国企業に海外アウトソーシングしている企業は、従業員数に占める国際部門の割合が特に高い傾向があります。これだけでは因果関係の方向性を厳密に特定できませんが、この統計的な違いは、日本企業は、国境を越える遠隔地と取引する障壁よりも、日本語あるいは日本語に代表されるような日本企業に暗黙に共有されている日本的なビジネス慣行を超える負担を重く感じているということを示唆していると思います。計量分析結果からは少し飛躍しますが、あえて日本企業へのインプリケーション(示唆)を探るとすれば、日本企業がもう一段進んだグローバル化に踏み込む際の課題がこの辺りに潜んでいるということでしょうか。
世界の輸出大国となった中国においても、その産業が集積する沿海地方では賃金高騰・人手不足が深刻化してきました。しかし、低賃金労働力を求めて、企業の生産基地は、ミャンマー、バングラデシュ、はてはアフリカへとグローバルに転々とし続けますので、我が国に生産コスト競争力が本格的・永続的に戻ることは、最近のように貿易収支が赤字に転落しようとも、労働力人口の大幅かつ持続的な減少の中で、期待できないでしょう。人工知能(AI)の活用で工場の無人化が進んでも、そうした機械化された生産基地が日本に立地するとは限りません。このように、我が国が生産コスト切り詰め競争に勝つ見込みは薄いと言わざるを得ませんが、今日のグローバル経済活動は、アウトソーシングにより国家だけでなく企業の境界をもまたぐ複雑さを有しているため、国ごとに異なる法制度、さらには法の実際の運用や裁判所の機能といった契約環境が経済活動に影響を与えます。最近の国際経済学では、「法の支配」の概念が貫徹して知的財産権が十分に保護されているなど法制度が整備された国のほうが複雑な取引を伴う産業に比較優位を持つことが明らかにされています。その点で、コーポレート・ガバナンスの強化等により我が国企業の多様な業務の透明性を高めるとともに、腐敗・不正・恣意的運用から縁遠い我が国の法制度の信頼感と安定感を高く保つことが、日本国内における経済活動に国際的な優位性をもたらすことにつながるでしょう。先に紹介したような生産性の比較を超えたさらに詳細なミクロ・データ計量分析と新しい国際貿易理論が緊密に統合された研究によって、グローバル貿易の構造や企業のグローバル化に関する理解が今後一層深まっていくものと信じます。今回受賞した拙著が、研究論文の要約にとどまらず、ビジネスの現場で活躍されておられる皆様にも、アウトソーシングという切り口を通じて国際経済学の変化の一端を鳥瞰図的に少しでも伝えられたら喜びとするところです。
参考文献
冨浦 英一『アウトソーシングの国際経済学─グローバル貿易の変貌と日本企業のミクロ・データ分析─』日本評論社、2014年
第58回「日経・経済図書文化賞」受賞
(2016年4月 掲載)