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一橋大学附属図書館ブックトーク ヨーロッパ時空の交差点 ─場所に学ぶ、書物に学ぶ、その作法─

  • 経済学研究科教授大月 康弘

2016年秋号vol.52掲載

2016年6月24日、一橋大学附属図書館で著者が自著を語るイベント「ブックトーク」が開催された。100人近い聴衆が集まり、会場の空気は開始前から熱気に包まれていた。講演者は大月康弘経済学研究科教授。数々の美しい写真を添え、著書『ヨーロッパ 時空の交差点』の内容をふまえた講演が行われた。折しも当日は、イギリスのEU離脱の是非を問う国民投票の開票日。西洋史・経済社会構造分析の専門家による熱の籠った語りは、聴衆に「ヨーロッパとは何か」を問い直すものであった。『HQ』では、当日の講演内容をその「熱」とともにお届けしたい。

【ブックトーク】

ブックトークとは、あるテーマに沿って講師が自著を紹介し、「読んでみよう」という意欲を引き出すイベントです。一橋大学附属図書館では、読書推進活動の一環として、"著者が語るだけでなく、著者と参加者との交流の場をつくり、著作への深い理解とコミュニケーションを生み出すこと"を目的としてブックトークを開催しています。

英国での国民投票の日に

ノートルダム・ド・パリと広場のシャルルマーニュ騎馬像

ノートルダム・ド・パリと広場のシャルルマーニュ騎馬像。ここから「旅」が始まる

ブックトーク当日は、英国がEUから離脱するか否かの国民投票の結果が判明する日でした。結果は、僅差で「離脱」派の勝利。聴衆の皆さんも、アクチュアルなヨーロッパ情勢に強い関心を寄せておられたようでした。私は、ヨーロッパにおける現在進行形の種々の動きに言及しながら、拙著がお伝えしたい目論見についてお話ししました。それは、英国のEU離脱で派生するだろうスコットランドほかの「分裂」とその含意(この時点では動きはまだ顕在化していなかった)、EUという超国家的装置を志向した歴史の水脈、等々、いわば「ヨーロッパ世界の見方」に関わることでした。

ヨーロッパ文明への関心

当日参集くださった皆さんからは、事前に多くの質問が寄せられました。たとえばこうです。「ポール・ヴァレリーは、評論『精神の危機』において、ヨーロッパの特別な価値を強調しました─ヨーロッパは、人間的見地から見て、ほかとは根本的に区別される一地域だ。ヨーロッパ人、ヨーロッパの精神こそ驚異的な人類の夢の実現の立役者だ─。ヴァレリーのヨーロッパ観は正しいのでしょう。しかしながら、ヴァレリーは、ヨーロッパの光を支えた地域と人々の歴史を配慮していないように思われます。ヨーロッパ人による世界各地の征服、殺戮、収奪、人間狩りなど。それらの多くは今も修復されていないし、深刻な矛盾としてヨーロッパを襲い続けるのではないでしょうか。」折しも、シリア地域からの難民も多く発生しています。昨年一一月一三日にはパリで凄惨なテロ事件も発生しました(「金曜日の大虐殺」)。
私の「旅」は、パリからイタリア、バルカンを通ってコンスタンティノープル、小アジア、シリア、パレスティナへと至るものでしたが、今やこの街道を、多くの難民が西進したのです。ヨーロッパ世界が非ヨーロッパ圏に遺した負の影響(サイクス=ピコ協定、フサイン=マクマホン協定、バルフォア宣言の矛盾、等)。そのリフレクションが顕在化している、と観る識者も少なくありません。対応に苦慮するアクチュアルなヨーロッパ事情にも関わり、ヨーロッパ文明の本質を衝く質問にもお答えできるよう、小著の内容をふまえながらお話ししました(難民は、もとよりシリアからだけではありません。サブサハラから北アフリカを北上して南欧に入る人たちも多くいることに注意が必要です)。

ノートルダム・ド・パリのガーゴイルと眼下に広がるホテル・デュー

ノートルダム・ド・パリのガーゴイルと
眼下に広がるホテル・デュー(病院)の威容

ハギア・ソフィア聖堂(イスタンブル)

「旅」の寄港地、ハギア・ソフィア聖堂(イスタンブル)

本書の性格と構成について

ドームの高さは55mを超える。ソフィア聖堂内陣・ハ

この本は、研究書ではありません。いわば「旅」の途上での随想をまとめたエッセイ集です。といって、一般に想起される旅の思い出、印象記の類でもありません。歴史や古典籍にまつわることどもを、簡潔に(一定字数で)語るスタイルを取っています。というのも、本書は、法律・法制史・政治学・経済学など社会科学系の専門書を刊行する学術出版社の月刊(現在は季刊)PRに書いた巻頭掲載コラムを集成したものだからです。この雑誌が想定する読者は、専門書・学術書を書く「ヨーロッパや中国の古典籍に通暁する人」です。つまり、学問世界の玄人に、普段の研究作業から離れて(専門領域から離れて)、いっとき「旅」をしてもらうための読み物として書かれました。
古典や歴史事情に通じた読者を想定した本書ですが、他方で、古典や学問への誘いをも兼ねているつもりです。著者が歩んできた旅先には限りがありますので、結局のところ、ヨーロッパから地中海のほとりを巡り、訪れた土地での随想をまとめたものとなっています。広大な空間を経巡る「旅」は、まだ途上なのです。
著者の専門は「西洋史」、また「ヨーロッパ」をベースにした経済社会構造分析です。この立脚点から、六四編の文章を収録しました。「ヨーロッパとは何か」「ビザンツとは何か」といった解説は一切していません。ある人に言わせると、エッセイというよりポエムに近い、とのこと。......そうかもしれません(笑)。ビザンツ(=東地中海世界)関連の地名、人名が多く登場します。その限りで、西北ヨーロッパ中心で「ヨーロッパ」を理解することに慣れた皆さんは、この「旅」に困難を覚えるかもしれません。ただ、各文に写真を添えて、イメージ喚起に努めました。巻末に詳細な地名・人名索引、六枚の地図も備えましたから、理解は容易に得られるでしょう。

ヨーロッパ論─その視点の取り方

ハギア・ソフィア聖堂のモザイク画

ハギア・ソフィア聖堂には多くのモザイク画が残る。
右:帝都を捧げるコンスタンティヌス帝
左:ハギア・ソフィア聖堂を捧げるユスティニアヌス帝

ヘリコン山麓、オシオス・ルカス聖堂への道

大地の相貌①ヘリコン山麓、オシオス・ルカス聖堂への道(ギリシャ共和国ヴィオティア県)

アギオス・ニコラオス聖堂

大地の相貌②アギオス・ニコラオス聖堂
(ギリシャ共和国キクラデス県ナクソス島サグリ)

ビザンツ研究者の著書だけに、一つひとつの文章がモザイク画を構成する一片の石(テッセラ)のようになれば、と願いました。それぞれの文章で紹介される「知識」はわずかなものです。いずれも歴史の断片にすぎません。ただ、各文で伝えたいことは、相互に絡み合っています。皆さんの頭の中で総合してもらえれば、相応の専門的知識とともに、お伝えしたい知的座標軸を共有していただけるはずです。狙いは、これまで「ヨーロッパ史」の文脈で看過され気味だったビザンツに観察視点を置いて、同じ舞台(ヨーロッパ史)の役者や背景に、新しい角度から光を当ててみる。その「異化作用」Verfremdung を期待しました。
皆さんが本書を手に取り、アトランダムであれ各文を読んでくだされば、読後には、また違った「ヨーロッパ観」をお持ちになれることでしょう。「あとがき」で「学ぶとは自分のなかで何かが変わること」という上原専禄先生(一八九九─一九七五)の言を引きました。まさに私自身が、この一橋大学で得させてもらった経験です。本書が、そういった経験の一助にもなれば望外のことと思います。

「ヨーロッパ」の捉え方

旅先写真

リヨンもまた学ぶべき場所の一つ。16世紀に花開いたルネサンスは、イタリア人とギリシャ文化の息吹が及んだ最前線だった

ヨーロッパ世界の版図をどう考えるか。ヨーロッパを「ヨーロッパ」たらしめる本質とは何か。この難問に取り組み、近代ヨーロッパが到達した普遍的価値としての道徳哲学、政治学、経済学、等々の公準(人文・社会科学系の学問)を学ぶ。それは、一橋大学における勉学の大きな目標です。私たちの「ヨーロッパ理解」は、非ヨーロッパ世界へのそれら公準の適用に当たっても重要な知的作業となるでしょう(たとえば開発支援のあり方)。非ヨーロッパ世界各地の文化(価値観、行動原則、等)を深く理解するとともに、「近代ヨーロッパ」それ自体への歴史的考察が求められているのです。

私たちは、近代ヨーロッパで育まれた人文・社会科学の歴史的性格について理解しなければなりません。そのために、①「前近代ヨーロッパ」の経済社会構造、また②非ヨーロッパ世界各地の「伝統社会」分析が要請されています。三浦新七先生(一八七七─一九四七)以来の「文明史」講義、また上原専禄先生が構想された社会学部の学科編成は、まさにこのような見取り図を示すものでした。ホッブス『リヴァイアサン』を改めて手に取りましょう。近代国家が「リヴァイアサン」であることはもちろん、「前近代」における「リヴァイアサン」として「キリスト教会」が想定されています。避けがたいリヴァイアサン(国家)の有り様を見極めようとする古典の傍らで、私たちは、「前近代」(=教会国家)から「近代」(=世俗国家)への転回過程とは何だったか、と問うてみることも必要でしょう。それは、近代的価値である「自由」Libertas、「平等」Egalitas、「博愛」Fraternitas の起源を考える「旅」となるはずです。これも、また本書のテーマでした。

ナクソス島のアポロン神殿址

神々の宿り① ナクソス島のアポロン神殿址

メテオラの修道院

神々の宿り② メテオラの修道院
(ギリシャ共和国テッサリア地方)

「社会科学」の作法とその歴史性

一橋大学地中海研究会メンバー集合写真

一橋大学地中海研究会メンバーとは「旅」を重ねた。加藤博(アラブ近代史)、臼杵陽(中東現代史)、栗原尚子(スペイン地域研究)、三沢伸生(オスマン史)、堀井優(中東・ヨーロッパ関係史)、亀長洋子(イタリア中世史)、岩崎えり奈(北アフリカ地域研究)、澤井一彰(オスマン史)ほか国内外メンバーらと(メテオラの修道院脇にて、2016年3月)[他の研究会メンバーに、齊藤寛海(イタリア中世史)、立石博高(スペイン近現代史)、長沢栄治(アラブ思想)の各氏らがいる]

私は、本学で、多くの先生方から「近代社会科学」の方法と分析の実際について教えてもらいました。それは、①「近代社会」の構成とその歴史的来歴、②「市民社会」の性格とその起源、③「資本主義」の仕組みとその原理的淵源、を考える「旅」でした。各科ともに深化された方法論を備え、時にしんどい勉強でしたが、全体として「近代の作法」を見極める術を伝授いただいた、と感謝しています。
私が現在「経済史」の専門家としてあるのは、一連の勉学とともに、歴史学の諸先生から、「時間」、及び時間軸に沿って考えること、の重要性を教えていただいたからでした。特に、経済や社会の構造を見通すうえで有効な「時間の三層構造」というものには、目を見開かされました。F・ブローデル(一九〇二─八五)の『地中海』La Méditerranée et le mondeméditerranéen à l'époque de PhilippeII. 2 tomes. Paris, 1949.(藤原書店刊、二〇〇四年)なども、覚束ないフランス語力のまま繙ひもときました。

アルジェリアで「地中海」に出合い、歴史学の方法を刷新したブローデル。一九世紀ドイツ型の政治史がなお主流だった時代。第二次世界大戦の捕虜となるなかで、H・ピレンヌ(一八六二─一九三五)『ヨーロッパ世界の誕生』(創文社刊、一九六〇年)の衣鉢を継ぎ、構想した『地中海』。
彼は、従来の政治史を「出来事」événementsの歴史と呼んで、経済社会を分析する視角として、「長期持続」conjoncture/la longue durée、また「構造」structureという概念を提出しました。いわゆる構造主義structuralisme に連なる系譜ですが、歴史学、経済学、社会学に多大な影響を与えたことは、今やよく知られているでしょう。
こうして私の経済史研究は、今述べた「時間」の三層構造の上に立って、「長期持続」としての経済システム論を志向しました。しかも、システムの転換期における生成論(古代から中世へ)を選好したのでした(『帝国と慈善ビザンツ』〈創文社刊、二〇〇五年〉)。

チュニジア南部サハラ砂漠

チュニジア南部サハラ砂漠の縁で

一橋大学地中海研究会お交流の様子

友人ヴァイオス夫妻と娘マリアに連れられ、メテオラ大主教、カランバカ市長(右)と一橋大学地中海研究会が交流した(2016年3月)

経済社会分析の方法態度

先達との交流の様子

先達との交流。辻佐保子先生(1930-2011)からはデカルト街に落ち着かれた頃の夫妻の写真が届いた(cf.「共鳴する魂」)

祈りと学びの場・モスク(ジャーミー)

モスク(ジャーミー)は、祈りと学びの場であり、
附属施設として学校や病院を備えていた

「EUの歴史」を語る時、ヨーロッパの学者たちは、石炭鉄鋼共同体からではなく、キリスト教を紐帯として一体化してからの歴史、つまり一六〇〇年間の歴史を語ろうとします(ex.クシシトフ・ポミアン『ヨーロッパとは何か』〈平凡社刊、二〇〇二年〉)。

6世紀制作の「熊の敷石(モザイク)」

さまざまな出会いがあった。発掘現場(ゲミレル島第3聖堂)から出土した6世紀制作の「熊の敷石(モザイク)」(トルコ共和国ムーラ県)

彼らは、①「歴史的現在」の組成を見抜くべきことを説きます。確かに、国民国家は歴史的産物であり、EUの国家原理は、「近代」を超えるものかもしれません。その論調は、②「国家」の多様性、歴史性を知る契機となるでしょう。難民受け入れの賛否を巡り、国民国家の限界が露呈する昨今、新しい価値の創造(カール・ポパー〈一九〇二─九四〉や山田雄三先生〈一九〇二─九六〉が説いた「社会的自由」)が希求される所以です。ブローデルやポミアンの提言は、③「地域」概念の射程を考察することの重要性を説いてもいます。確かに各地域は、「帝国」(神聖ローマ)、「国民国家」、「EU」等、国家形態の変遷を通貫して存在しています。この点では、わが国の先達、本学の増田四郎先生(一九〇八─九七)が、「地域」に視座を置いて政治社会を見ることの重要性を、すでに提起していたことが思い出されます(『地域の思想』筑摩書房刊、一九八〇年 等)。スコットランドの今後の動きも、この視座から理解できるでしょう。

彼らは、現象を、④「人間の経済」の原理(ポランニーの言う「互酬」「交換」「再分配」)とそのコンビネーションにおいて促えるべき、との認識で一致しています。市場原理を核としながら、政府による再分配は不可欠です。しかし、等身大のわれわれの日々の営みは、互酬的でもあり続けるでしょう。

共存する空間ヨーロッパ

多様な文化を共存させたヨーロッパ。
この文明世界は、キリスト教化されたローマ帝国で醸成され、その後の国家に受け継がれました。四世紀以来、帝都コンスタンティノープル=イスタンブルに遠路到来した人びとは、そこで他よ所その文化に触れ、「世界」を知ったのです。
他者の文化(言語、価値観等) を知り、各々の存在を互いに承認する。異邦の人びとを抱擁する街の作法は、小著の「旅」の出発地パリに今も息づいています。
こうして私の「旅」は、ヨーロッパから地中海を経巡る「探究の旅」となりました。各地で出会った歴史上のエピソードは、ささやかな逸話にすぎません。が、いずれも「文明の作法」に触れる、歴史的含意に満ちた出来事だったかと思っています。
「旅」はなお続けます。幸いにして優秀な職員各位、学生たちと本学で過ごす時間は、かけがえのない旅の縁よすがです。このキャンパスで、多くの優れた先達の息吹を感じながら、お互い研鑽に励もうではありませんか。まさに、場所に学ぶべし、でしょうか。

『ヨーロッパ 時空の交差点』書影

大月 康弘『ヨーロッパ 時空の交差点』創文社、2015年

補足
拙著については、以下の書評があります。評言を寄せられた各位に感謝します。

  1. 『読売新聞』2016年2月14日朝刊、納富信留氏(慶應義塾大学教授〈当時〉・古代ギリシャ哲学)
  2. 『毎日新聞』2016年5月8日朝刊、本村凌二氏(東京大学名誉教授・古代ローマ史)
  3. 『如水会々報』2016年8・9月合併号、山内進氏(一橋大学前学長・西洋法制史)
  4. 季刊『創文』22号(2016年7月)、坂口ふみ氏(東北大学名誉教授・ヨーロッパ思想)
  5. 『社会経済史学』近号、源河達史氏(東京大学教授・西洋法制史)

(2016年10月 掲載)