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ジェネラル・パーパス・テクノロジーを巡るスピンアウトとイノベーション

  • イノベーション研究センター教授清水 洋

2017年夏号vol.55 掲載

ジェネラル・パーパス・テクノロジーとは

幹の太い技術を生み出すためには何が必要なのでしょう。幹の太い技術から多くの果実を得るためにはどのような仕組みが必要になるでしょう。
ここでの「幹の太い技術」というのは、経済学でジェネラル・パーパス・テクノロジー(GeneralPurpose Technology)と呼ばれているものです。ジェネラル・パーパス・テクノロジーとは、極めて汎用性の高い技術のことです。「果実」というのは、その技術が実際に使われる製品やサービスのことを示しています。
ジェネラル・パーパス・テクノロジーの代表例は、蒸気機関です。蒸気機関はイギリスの産業革命の中で生み出された技術の中で最も大きな変化を生んだものです。蒸気機関の登場により、帆船は蒸気船に代わり、馬車鉄道が蒸気機関車に代わっていきました。蒸気機関は、この他にも鉱山の揚水用の動力や、製粉工場や綿工場での動力源など広範に用いられるようになり、世界を大きく変えていったのです。
電気も極めて汎用性の高い技術であると言われています。電気は白熱電灯などの照明以外にも、電信や電気モーター、アルミニウム等の金属の溶解など多くの用途で広範に用いられています。汎用性の高い技術はさまざまな領域で用いられるため、社会や経済に与える影響はとても大きくなります。
最近の例で言えば、人工知能も高い汎用性を持っていると言われています。カスタマー・センターの受け答えや自動運転、医療、広告、金融、法曹界などさまざまな領域への応用が期待されており、既存のプロセスの生産性を大きく引き上げることが期待されています。人工知能に対する注目が大きくなっていることもあり、ジェネラル・パーパス・テクノロジーへの関心も少しずつ高まってきています。

幹の太い技術へと育てることと多くの果実を得ること

イメージ画像-太い幹

ジェネラル・パーパス・テクノロジーという観点からすれば、できるだけ幹の太い技術を生み出し、そこから多くの果実を得ることが望ましいということになります。つまり、「幹の太い技術へと育てること」と「多くの果実を得る」ことが大切になるのです。しかし、これらはそれぞれ簡単なことではありません。
そもそも、生み出された当初から「太い幹」になっている技術はありません。たとえば、蒸気を動力に使おうというアイディアは、17世紀中頃にすでにありました。1670年代にはフランスの物理学者のドゥニ・パパンが蒸気機関のモデルを作成していたのです。しかし、パパンのモデルは実用化には結びつきませんでした。最初の実用的な蒸気機関は、1712年にトーマス・ニューコメンが鉱山の排水用として開発したものでした。このニューコメンの蒸気機関はイギリスのコーンウォール地方で使われたものの、大きな波及効果を持つものではありませんでした。さらなる改良が必要だったのです。ジェイムズ・ワットは、ニューコメンの蒸気機関に改良を加え、熱効率を向上させました。しかし、ワットの特許が切れた1800年になっても大きなインパクトを持っていたわけではなかったのです。その原因はいろいろありますが、その一つは効率の悪さです。たとえば、その熱効率は5%以下であり、かなり低かったのです。また、そのパワーは15馬力程度であり、風車や水車と大きな差はありませんでした。そのうえ、蒸気機関は重く、故障も多かったのです。蒸気機関がさまざまな用途で広範に用いられるようになるには、多くの追加的で累積的な改良が必要でした。そのため、より軽く、より強い金属の開発や、精密な工具の発展や熱力学知識の深化などにより、高圧の蒸気機関が開発されていったのです。
累積的な改良の結果、蒸気機関の効率性とパワーも大きく向上していきました。これらの累積的な改良は、非常に小さい技術開発の蓄積の結果であり、多くの場合目立つようなものではありません。また、そのような蓄積を積み重ねるには時間もかかります。累積的なイノベーションは、既存の仕組みを創造的に破壊するようなイノベーションと比べると、その重要性を過小評価しがちです。しかしながらこれらの累積的な改良がなければ、技術が太い幹へと育つことはありません。

幹を太く育てさえすれば、そこから自然に多くの果実が実るわけではありません。ここに難しさがあります。追加的で累積的な改良を積み重ねていくと、そこから得られる成果は徐々に低減してきます。この収穫の低減が、技術の成熟化です。成熟化してきた場合には、新しい用途を開拓していくことが大切になります。
しかし、この新しい用途の開拓(多くの果実を実らせること)を促進する条件と、太い幹へと技術を育てることを進める条件の間にはトレードオフがあるのです。つまり、ある条件では幹が太い技術は育つものの、なかなか果実が実らないということが起こるのです。あるいは、枝葉の先に果実は実っているが、その幹は細いということが起こるのです。この「幹の太い技術を育てること」と「多くの果実を得る」ことの関係を、スピンアウトのイノベーションへの影響という観点から見ていったものが去年出版した『ジェネラル・パーパス・テクノロジーのイノベーション:半導体レーザーの技術進化の日米比較』です。

スピンアウトとイノベーション

イメージ画像-テクノロジー

スピンアウトは、イノベーションの源泉だと考えられています。スピンアウトとは、簡単に言えば、既存企業や大学などの研究機関で働いていた人材が、その組織を離れ、新しくスタートアップを立ち上げたり、スタートアップに参加したりすることです。
イノベーションの源泉と考えられているのは、それが知識の波及効果を介して、サブマーケットの開拓を促進するからです。それまで働いていた組織で培った知識を活かして、新しい市場を開拓したり、新しいプロセスで製品やサービスを提供したりするのです。
既存企業や大学などでは追求することが難しいビジネス・チャンスも存在しています。そもそも大学ではビジネス・チャンスを見つけたとしても、スピンアウトしなければそれを追求することはできません。自社の競争力を破壊するようなイノベーションに投資をすることは既存企業にとっては難しい意思決定になります。また、企業の規模が大きくなればなるほど、ビジネス・チャンスがあったとしても、市場の規模が小さければどうしてもそれをターゲットにするのは難しくなります。スピンアウトは、大企業や大学といった既存の組織では追求することが難しいビジネス・チャンスを開拓するからこそ、イノベーションの担い手と考えられているのです。高度な知識やスキルを持った人材のスピンアウトは、知識集約的な産業では特に重要になります。
このようなスピンアウトは、シリコンバレーなどでよく見られます。ベル研究所からカリフォルニア工科大学を経て、スピンアウトしたウィリアム・ショックレーは良い例です。彼は、ショックレー半導体研究所をつくり、その研究所からフェアチャイルド・セミコンダクターが生まれ、さらに、そこからスピンアウトしたロバート・ノイスとゴードン・ムーアらがインテルをつくっています。インテルからも多くのスピンアウトが生まれています。シリコンバレーでは、スピンアウトして有望な新しい事業を企図する企業家に対して、ベンチャー・キャピタルが資金を提供し、企業家はその柔軟な労働市場から優秀な人材を集めてきます。
生産性の伸びが期待できる領域に経営資源が動員される仕組みを社会的に構築することは大切です。そのため、現在、多くの国や地域でシリコンバレーをモデルとした施策がとられています。たとえば、ベンチャー・キャピタルのための制度を整備し、リスク・マネーの供給を増やしたり、新興企業向けの資本市場を整備したり、労働市場の流動性を高めたり、知識のハブとなるような大学をつくろうとしたりしています。
中でも、資本市場や労働市場の流動性は大切です。これらの流動性が高ければ、既存企業から独立して新しい市場を開拓するスピンアウトも多くなります。スピンアウトを企図する研究者やエンジニア、あるいは企業家にとっては、必要な資本提供が受けられるかどうかと、もしも、失敗したとしても満足いくような次の職場が見つかるかどうか(リエンプロイメント・コンディション)は大切な要因だからです。

技術が育つ条件と果実が実る条件

しかし、資本市場や労働市場の流動性を高めて、スピンアウトを促進すれば、本当にイノベーションにつながるのでしょうか。『ジェネラル・パーパス・テクノロジーのイノベーション:半導体レーザーの技術進化の日米比較』では、資本市場や労働市場の流動性が高い場合には、そうでない場合に比べて、既存の累積的な技術開発の水準が低減する可能性があることを指摘しました。ここでは簡単にその論理を見ていきましょう。
スピンアウトを促進する制度が整備されると、既存の累積的な技術開発の水準が低減する理由は、サブマーケットを開拓する競争が前倒しされる点にあります。サブマーケットとは、既存の市場で蓄積された知識などの一部を応用して開拓できる市場のことです。技術の汎用性が高ければ高いほど、それを応用して開拓しうるサブマーケットの数も当然多くなります。しかし、それらのサブマーケットは期待される規模や利益率、不確実性などはさまざまです。そのため、既存の技術の領域で研究開発を進めていた研究者の間で、リスク・マネーの供給や労働市場の流動性が高い場合には、いち早くスピンアウトし、より魅力的なサブマーケットへ先に参入する出し抜き競争が生まれやすくなります。実際、レーザーやAIなどでは優秀な人材がスピンアウトし、サブマーケットの開拓に向かっている事例が見られていました。
この競争は、既存企業の既存の研究開発プロジェクトの生産性を低下させてしまいます。既存企業の研究開発プロジェクトから人材が抜ければ、当然、その生産性は低下します。さらに、研究開発プロジェクトが高度なものであり、抜ける人材が優秀な人材であればあるほど、すぐに労働市場から代わりの人材を調達することは難しいわけです。そのため、優秀な人材がスピンアウトのタイミングを前倒しすればするほど、既存の技術の累積的な研究開発への負の影響は大きくなります。その結果、それまでの技術の軌道の上の研究開発の成果は小さくなり、軌道自体が収束していきます。
その代わり、サブマーケットにおいてイノベーションが生み出されるようになります。つまり、流動性が高い社会においては、イノベーションが生み出される領域が、累積的なものから、その軌道の外部へと移っていきます。反対に、日本のようにスピンアウトを促進する制度が整備されていない社会では、研究者は同じ領域で長期間競争しやすくなるため、サブマーケットの開拓は進みませんが、累積的なイノベーションは多くなります。

スピンアウトのタイミングと技術進化

これを技術のS字カーブを使って図示してみると次のようになります。スピンアウトを促進する制度が乏しい社会では、研究開発の経営資源が集中的に投入されるために、その軌道上で多くの成果が生み出されます。技術が成熟するtの時点までは上手く機能します。しかし、研究開発への投入資源から得られる成果が低減してきた時(t+1)には、この技術をサブマーケットへと逃がすことが企業の競争力と汎用性の高い技術の活用には重要になります。技術的な成果が低減してきているところでの激しい競争は価格競争へとつながるからです。その場合には、スピンアウトを促進するような制度の役割が重要になります。しかし、スピンアウトを促進する社会制度が存在している場合には、より魅力的なサブマーケットを巡るスピンアウト競争が起こりやすくなります。サブマーケットを巡るスピンアウトの競争を研究者が予期することによって、出し抜き競争が起こり、スピンアウトするタイミングが⑴の矢印が示すようにtからt-1へと前倒しされていきます。その結果、⑵の矢印が示すように、既存の技術進化の軌道は、図の点線のように、スピンアウトが起こりにくい場合と比べると、早い段階で収束してしまいます。

サブマーケットを巡ってスピンアウトする研究者らにはジレンマが存在しています。早い段階でスピンアウトすると、ライバルの研究者にさきがけてより魅力的なサブマーケットに早く参入できます。しかし、サブマーケットに活用する基礎となる技術が未成熟なため、その技術をサブマーケットに活かすための自らが行わなくてはならない追加的な投資が大きくなります。だからこそ、追加的な投資がそれほど必要にならないようなサブマーケットを開拓することになります。手近な果実(ロー・ハンギング・フルーツ)がターゲットにされやすいのです。もちろん、そのようなサブマーケットの中から大きく成長するものもあるでしょう。
しかし、サブマーケットが成長する段階で、さらにそこからスピンアウトする競争が始まるため、そこで用いられている技術の累積的な改良も早くに低減してしまう可能性があるのです。このように、これまでイノベーションを促進すると一般的に考えられていたスピンアウトや、それを促すベンチャー・キャピタルのための制度や新興企業のための資本市場の整備、あるいは労働市場の流動化などが常にイノベーションを促進するとは限りません。AIなども早い段階で技術的に収束してしまう可能性もあります。イノベーションにおいてどのようなトレードオフが存在しているかを考えずに、安易に制度を模倣すると、日本企業が得意としていた累積的なイノベーションの能力が毀損される可能性があるのです。

技術的な成熟とイノベーション

太い幹の技術が育たなかったとしても、果実さえとれれば問題ないと考えることもできます。人々は、より良い製品やサービスがほしいわけで、より高水準な技術がほしいわけではありません。
もちろん、医薬やエレクトロニクスなどのいわゆる「サイエンス型」産業では、当然、新しい技術や新しい科学的な発見は、イノベーションにとって極めて重要な要素になります。しかし、そのような領域を除くと(あるいはそのような領域ですら)、技術的に洗練されていなくても、競争戦略やマーケティングの工夫によって、経済的な価値を生み出す余地は大いにあります。技術の水準が高かったとしても、全然儲からないという現象はいろいろなところで(特に日本企業で)見られます。
もし、技術的な水準の高さが、経済的な価値を生み出すことに直接つながらないとすれば、スピンアウトを考える企業家にとってはわざわざ技術が成熟するのを待つ必要性は低くなります。そのため、魅力的なサブマーケットにおいて先行者優位性を確立するために、スピンアウトはますます前倒しされることになるでしょう。スピンアウトが前倒しされていくとすれば、累積的な技術開発に投入される資源量は社会的にはますます小さいものとなります。その結果、基盤的な技術の累積的な改良の程度はさらに逓ていげん減することが考えられます。
ここで真剣に考えなくてはならないのは、技術的な水準が高いからこそ実現できるイノベーションとはどのようなものだろうかというポイントでしょう。あるいは、これまで経済史での研究の蓄積から、大きな経済成長をもたらすのは、ジェネラル・パーパス・テクノロジーと呼ばれる汎用性の高い技術とそれについての累積的な改良であるということが明らかになってきています。もしも、手近な果実の組み合わせばかりを追い求めるような傾向があるとすれば、それでは達成できないイノベーションが失われていっている可能性があります。ジェネラル・パーパス・テクノロジーにとって必要な累積的な改良の程度を十分に上げるためにはどのようにすれば良いのかを考えていく必要もあるでしょう。

『ジェネラル・パーパス・テクノロジーのイノベーション:半導体レーザーの技術進化の日米比較』書影

参考文献
清水 洋『ジェネラル・パーパス・テクノロジーのイノベーション:半導体レーザーの技術進化の日米比較』有斐閣、2016年

第59回「日経・経済図書文化賞」、第33回「組織学会 高宮賞」受賞

(2017年7月 掲載)