hq44_main_img.jpg

日本社会の消滅とどう向き合うか

  • 経済学研究科/国際・公共政策大学院 准教授山重 慎二

2014年秋号vol.44 掲載

日本社会の消滅

図1:日本の人口の推移

図1:日本の人口の推移
出所:『家族と社会の経済分析』(図 1.1)

1973年、『日本沈没』という小説が出版され、映画化された。地殻変動により、日本の陸地のほとんどが沈没してしまい、日本が消滅してしまうという物語である。
もちろん実際には、これほどの地殻変動が近い将来に起こることは、予想されていない。しかし、首都直下地震や南海トラフ地震が発生し、日本経済の中枢地域が津波などで浸水・崩壊し、多大な被害を受ける可能性はある。いずれの地震も、今後30年の間に発生する確率は70〜80%ほどと予想されている。また、地球温暖化により、海面上昇が始まり、国土の一部が沈没する可能性もある。
しかし、本稿で取り上げたいのは、そのような国土の消滅ではない。人口減少による日本社会の消滅の問題である。日本人の総人口は、2010年の約1億2806万人をピークとして減少を続け、2014年には約1億2643万人になった。今後さらに速いスピードで減少し、最新の人口推計(中位推計)では、2082年に人口は半減し、約6400万人になると予想されている(図1)。そのまま人口減少が続けば、3300年頃、日本の人口はやがてゼロになると考えられている。
日本の人口が完全に消滅するまでには、おそらく1300年ほどかかる。しかし、地方の集落や自治体の消滅は、すでに始まっている。若者の流出が続き、高齢者が5割を超える「限界集落」は全国に数多くある。さらに、あるアンケート調査によると、回答した1243市町村のうち289市町村で、人口がゼロとなった「消滅集落」があった(ウィキペディア「消滅集落」)。
日本社会は、着実に消滅に向かっている。このような危機は、なぜ発生したのだろうか。日本社会は、この消滅の危機にどのように向き合ってきたのか。そして、どのように対応していこうとしているのだろうか。
このような問題意識を持ちながら、これまで行ってきた研究の成果を『家族と社会の経済分析―日本社会の変容と政策的対応』という本にまとめ、昨年、武山基金(一橋大学後援会の出版助成金)の助成を得て出版した。幸い、その本は、2013年度の日経・経済図書文化賞を受賞した。本稿では、その内容を簡単に紹介しながら、これからの日本社会のあり方について考えてみたい。

戦後の日本社会の変容

図2:婚姻・離婚・出産

図2:婚姻・離婚・出産
出所:『家族と社会の経済分析』(図 1.5)

『日本沈没』が出版された1973年を最後に、日本の合計特殊出生率は、人口置換水準を下回ることになった。「合計特殊出生率」(以下、出生率と言う)とは、1人の女性が一生に産む子どもの数の平均値である。男性は子どもを産めないので、人口が減少しないためには、出生率は2以上でなければならない。「人口置換水準」とは、人口が一定に保たれる出生率水準で、現在、約2.08である。
1974年以降、現在に至るまでの40年間、出生率は人口置換水準を下回り続けた。そして、ついに2010年から人口減少が始まった。出生率低下の理由と言われることが多い婚姻率の低下も、1973年頃から始まっている(図2)
この時期に起こったことを理解するために、ここで少し、人が結婚し子どもを持つ理由について考えてみたい。
まず、子どもは親に直接的な喜びをもたらす。子どもはかわいい。さらに、子どもは、長い目で見ると投資的な便益をもたらしてくれる可能性がある。自分が病気になったり働けなくなったりした時に、生活を支えてもらえるという便益である。
結婚にも、配偶者がもたらしてくれる直接的な喜びがある。子どもを持つこともその一つである。そして、困難に直面した時に、配偶者が助けてくれるという投資的な便益も期待される。

イメージ図-地球

1950年代頃までの日本のように、多くの人々が貧しく、十分な資産を持てない状況では、結婚し、子どもを持つことは、人生のリスクに備える、ほぼ唯一の方法であった。長生きを願う人々は、当然のように結婚し、子どもを持った。
しかし、経済発展とともに、資産の蓄積が進み、市場で何でも買えるようになると、将来のリスクに市場で備えられるようになる。無理に結婚したり子どもを持ったりする必要はない。人々の考え方がそう変化してきた。
親の扶養についても、「子どもが親の面倒を見る」という規範に縛られて、親の面倒を見るより、よい仕事を見つけて蓄えを増やしたい。そう考えて、若者は、親を残し、高い所得が得られる都市に移り住み、親に対して十分な扶養を行えなくなった。

福祉国家への歩み

図3:市場・共同体・政府

図3:市場・共同体・政府

1960年頃になると、子どもという資産を失った地方に住む高齢者は、政府に生活保障を求めるようになる。経済成長にともない、豊富な税収が生まれる中で、政治家は、そのような高齢者の要望に応えた。日本では、1961年に、皆保険と皆年金が実現する。
そして、政府は、1973年を「福祉元年」と宣言し、社会保障制度の大幅な拡充を図った。これが、さらなる家族の弱体化を引き起こした。十分な資産を持つことが難しく、老後の生活を家族に頼らざるをえないと思っていた人々についても、政府が保障してくれることになったからである。
結婚や出産の意欲は急速に低下した。家族が弱体化を続ける中で、高齢者が貧困に陥るリスクは高まり、社会保障の拡大が続いた。婚姻率や出生率は、1973年を境に、継続的に低下していった。前記のような弱体化のプロセスは、家族のみならず地域共同体にも起こった。一般に、共同体は、家族や地域共同体のように、市場では十分に提供されない財・サービスを構成員が提供し合う「相互扶助」を通じてつながっている。
しかし、市場経済が発達し、政府が市場の失敗を緩和するような役割を拡大させると、人々の共同体への依存度は低下していく。日本でも地域共同体の弱体化が進み、伝統的な共同体内での相互扶助は行われなくなってきた。この結果さらに政府の役割が拡大し、それがまた共同体を弱体化させた。
このような(家族を含む)共同体、市場、政府の相互依存関係は、図3の概念図で整理される。そこでは、(1)経済成長と市場経済の浸透が共同体の弱体化をもたらし、(2)政府の拡大が求められ、政府が実際に役割を拡大させると、(3)それがさらに共同体の弱体化をもたらすという構造が描かれている。
それは、政府の拡大による共同体の弱体化が、さらなる政府の拡大を求め、政治家がそれに応える結果、政府の雪だるま式拡大が起こる可能性も示唆している。

日本の未来予想図

イメージ図-日本地図と時計

このような日本の共同体の弱体化と政府支出の拡大は、さまざまな問題を引き起こしている。まず、支出の多くを、税ではなく公債で賄ってきたため、1千兆円を超える公債が累積してしまった。
最近、政府の財政制度等審議会は、それが50年後には8千兆円を超える可能性があるとの試算を提示した。急速な人口減少は、この巨額の公的債務を、少ない勤労者で担っていかなければならないことを意味する。50年後には、日本の生産年齢人口(15歳〜64歳人口)は、現在の約半分になると予想されている。日本人は、公債を返済できるだろうか。
さらに家族内での助け合いの低下により、貧困に陥る可能性も高まった。特に、高齢者のひとり暮らしが増え、生活保護を受ける高齢者が急増した。
そして、地方では過疎化が急速に進展し、持続可能な社会の条件が崩れ、消滅する集落も見られるようになってきた。東京圏への人口移動が続く中で、地域社会の消滅は、日本各地で起こっていくだろう。巨額の政府債務の累積、人口減少・少子高齢化、貧困の拡大、地方の過疎化。これらの問題は、いずれも、日本の家族や共同体の弱体化と政府支出の雪だるま式拡大の過程(図3)で発生している問題と考えられる。
日本では、このプロセスが今後とも続き、人口は減少し続け、公的債務は発散し、貧困が拡大し、地域社会は消滅していく。これが、日本政府の人口推計が示唆する日本社会の消滅のプロセスである。

政策的対応〜子育て支援

このような日本社会の消滅の危機に、私たちはどのように向き合ったらよいのだろうか。まず、現在のさまざまな問題が、共同体の弱体化と政府支出の拡大の循環的なプロセスによって起こったのであれば、この循環を逆転させることで、問題を解決するという対応策が考えられる。政府が福祉の役割を大幅に縮小すれば、多くの人が高齢期には自らの子どもに頼らざるをえなくなる。出生率が向上し、3世代同居も元の水準に戻り、貧困の問題も緩和され、親が子どもを地元に引き止めることで、過疎化の問題も緩和される可能性がある。政府規模の縮小により財政問題も緩和されるだろう。
公債残高が限界に達し、福祉支出を切り詰めざるをえなくなり、結果的に前記のような逆戻りが起こる可能性はある。しかし、子どもに頼らないと生活を営めなくなるほどの社会保障の切り詰めは、数多くの貧困そして悲劇を生むことになるだろう。そのような選択が、政治的に高齢化していく日本で行われるようには思えない。また、若い人たちが、そのような社会を望むとも思われない。
とすれば、残された選択肢は、政府の拡大が、家族や共同体を弱体化させるという副作用を持ってきたことを明確に意識し、副作用を緩和する政策をとりながら、新しい定常状態を目指すという対応策である。実は、これが多くの先進国がとっている政策でもある。
国家が静かな死に至る最大の原因は、少子化である。多くの福祉国家は、子育てをする家族を、強力に支援し始めた。高齢者を社会的に扶養するのであれば、少子化が進行する。そのような副作用を緩和するためには、子育て世帯を支援することが必要になるのである。

図4:子育て支援と出生率

図4:子育て支援と出生率
出所:『家族と社会の経済分析』(図 8.3)

図4は、OECD諸国では、「高齢者向け社会支出(高齢者1人当たり)」に対する「子どもおよび家族向け社会支出(子ども1人当たり)」の比率が高い国ほど、出生率が高い傾向があることを示している。日本の少子化は、政府が高齢者向けの福祉を大幅に拡大させる一方で、その副作用を認識せずに、子育て支援の支出を拡大させなかったために起こった「政策の失敗」の結果である。
実は、出生率が人口置換水準近くまで上昇した国では、子育て世帯への公的支出は、GDP(国内総生産)の約3%に達している。日本では、現在でも、GDPの約1%に留まっている。これが、日本の子育て支援の実態である。出生率が人口置換水準に達するためには、単純計算であるが、おそらく子育て世帯への公的支出を約10兆円引き上げる必要がある。一方、消費税率の引き上げで、政府が増やす子育て支援のための支出は約1兆円である。この程度の支出拡大では、日本消滅の危機は変わらない。ところで、子育て支援のための支出に関しては、児童手当のような現金給付が良いのか、それとも保育サービスなどの現物給付が良いのかという疑問もある。いずれも、子どもを持ちやすくするという点では、同じ効果がある。しかし、それらは異なる派生効果を持つ。特に、労働と財政に与える影響が異なる。児童手当は、子どもを持つことで、働かなくても所得が増える。したがって、その充実は、労働供給を減らす効果を持つ。移民などの労働力に依存し、女性の労働参加を促す必要がない国では、現金給付が活用さすい。特に、子どものれや数が増えど1人当たりの手当が増えるほていく仕組みを作ることで、多くの子どもをみ育てる誘因を与え、高い出生率産を実現している国は少なくない。
しかし、日本のように、移民の増加に根強い抵抗感がある国では、女性の労働参加の増加が期待されている。家族だけでなく、社会のためにも貢献したいと考える女性も多い。そのような国では、保育サービスの拡大を通じて、子育てと仕事の両立を可能にする政策が効果的となる。
ただし、保育所を充実させても、長時間労働が強いられるならば、仕事と子育ての両立は難しい。育児休業や短時間労働などの制度を、同時に充実させることが必要になる。さらに、政策のみならず、職場の雰囲気も重要となる。社会全体で、子育て支援に取り組むことが求められる。
保育所拡充策のメリットは、子育てをしながら働く女性が増えることで、税収や社会保険料が増加することにもある。児童手当は、短期的には被扶養者を増やすだけで、効果が発生するのは遠い将来である。しかし、保育サービスの拡充は、労働不足の問題や財政の問題に対して、短期的にも良い効果を持つ。

政策的対応〜予防的・投資的政策

子育て支援の一つとして、教育費の負担を軽減し、豊かな教育の機会を提供することは、国民一人ひとりの生産性を高めるのみならず、貧困問題への最も効果的な予防策にもなる。このような予防的・投資的性格の高い社会政策の充実が、これからの日本に最も求められている。
これまでの日本の社会政策は、救済的・消費的性格が強く、それがかえって問題を深刻にするという副作用を持つことが多かった。たとえば、貧困に陥った人に高い水準の所得保障を行うという救済的・消費的政策の下では、人々が貧困から抜け出す努力や貧困に陥らない努力を怠るという副作用が発生する。実際、生活保護に依存する人は増え続けている。実は、過疎化の問題も、日本の政策の救済的・消費的性格によって、かえって深刻になってしまった問題の一つである。日本では、高度成長期に若者が都市に流出したが、それは、地方自治体が貴重な財源を失うことも意味した。
特に、福祉の役割が基礎自治体に求められたため、過疎地では財源不足が深刻であった。それを救っていたのが、必要な歳出をどの自治体でも賄えるようにするための地方交付税交付金制度であった。そのような救済制度があるなら、自治体としても、若者の流出を食い止める努力を行う必要はない。過疎化もまた、政府の救済的・消費的政策の結果、深刻化したと考えられる。この問題に対して有効と考えられるのは、交付金が最低限ですむように、基礎自治体には、税収に応じた役割を担ってもらうという仕組みへの転換である。特に、社会保障の役割を、国が担うことで、交付金の必要性は大幅に減る。
実は、それが地方の持続的な再生のきっかけにもなる。現在の制度では、社会保障の財源確保を基礎自治体も担わなければならないため、高齢者の存在は大きな負担となる。しかし、社会保障の費用をすべて国が負担するならば、高齢者の存在は、地域の所得そして雇用を生む宝となる。豊かな自然を活かして、都市部の高齢者にも移り住んでもらえるような環境づくりを積極的に行えば、若者の雇用の機会も生まれる。
それは、少子化問題にも良い効果を持つ。都市部の出生率は極めて低い一方で、地方の出生率は比較的高いからである。豊かな自然は、高齢者に優しいのみならず、子育て世帯にも優しい。働く機会が存在するならば、地方に住み続けたいと考える若い人たちは少なくない。地価や物価が安い地方ならば、低い所得でも貧困に陥らなくてすむ。
現在の財政・社会保障制度が、地方の持続的再生を阻み、少子化問題や貧困問題を悪化させていると考えることもできるのである。

変わる社会、変える未来

小説『日本沈没』の中では、国土の沈没という危機に直面して、政府は、自然科学者を招聘し、意見を求めた。心配する必要はないと政府に進言する著名な科学者もいた。しかし、問題に真剣に向き合った科学者の結論は、日本は短期間のうちに沈没するというものであった。
崩壊していく国土を見ながら、可能な限り多くの日本人を外国に脱出させるという政策のみが残されているという結論に至る。しかし、実は、もう一つ対応策が考えられた。予想される大混乱を回避するために、政府としては何もしないという対応策である。慌てふためくことなく国土とともに沈んでいくことが、日本人にとっては一番幸せなことかもしれないとの囁きもあった。しかし、時の首相は、行動することを選択した。
日本政府の人口推計によれば、今後、日本の人口は減り続けていく。人口減少のスピードは、最初は緩やかであるが、今後加速し、20年後には毎年100万人近い日本人が消えていくスピードに達する。このまま日本が消滅していくことを受け入れて生きていくという選択も確かにありえる。
このような日本の静かな消滅の原因と対応を探る上で、私たち社会科学者が担うべき責任・役割は大きい。日本社会の消滅は、社会の変容と政策的対応の失敗の結果として起こっていると考えられるからである。
そのような責任も感じながら、研究の成果を前述のような政策提案とともに一冊の本にまとめた。言うまでもなく、一冊の研究書が政府を動かすほどの影響力を持つはずもない。本稿で紹介した問題が深刻さを増し、いつものように政府が場当たり的対応を行うようになるのは、今後10年ほどの間であろう。さまざまなサービスを必要とする高齢者が増え続け、労働者が減り続ける中で、労働力不足の問題が明確になってくるだろう。労働力不足が経済成長の足かせになることが問題となった時に、即効性がある政策は、外国人労働者の受け入れを増やすことである。これは、多くの先進国の経験が示唆するところでもある。外国人の受け入れ準備を十分に行わない中で、外国人労働者を大量に受け入れると、多くの日本人が心配する社会問題が実際に発生する可能性が高まる。外国人労働者を受け入れるシステムを整えながら、少しずつ受け入れを増やしていくことができれば、大きな社会問題が起こるリスクを減らせる。移民を受け入れることで成長して来たカナダやオーストラリアなどの移民国家の歴史が、示唆するところである。
実は、私自身は、日本人がゼロになる日が来るとは考えていない。その前に、国外からの人々の「流入」があるだろうと考えている。外国人がいつ頃、どれほど、どのような形で入ってくるのかは、日本政府の対応次第である。しかし、子育て支援に本気で取り組もうとしているように見えない日本の現状を考えると、結果的に、かなりの数の外国人を受け入れることになるだろう。「日本社会の消滅」は、人口減少への対応の遅れにより、私たちが慣れ親しんできた「日本社会」が消えていくという形で進んでいくと考えられる。
伝統的な日本社会は、消え行く運命にあるとしても、私たちが心地よいと感じる新しい「日本社会」を作っていくことはできる。私たちの身の回りでも、日本を好きになってくれる外国人、そして、さまざまな才能を持つ2世、3世の人たちに出会う。外国から来る人たちは、歴史的にも、日本の社会や文化を豊かにしてくれる人々であった。日本の大学に学びに来てくれる留学生は、日本社会の未来にとって、大きな財産であると感じる。積極的な子育て支援とともに、教育や社会保障や政治の仕組みを見直し、外国人を受け入れやすい社会を作り上げていくことも、持続可能な新しい「日本社会」を作っていくために必要なことであると思われる。
変容を続ける私たちの社会の未来は、私たちの選択によって変わる。日本社会の消滅の危機に私たちはどう向き合い、どのような選択を行っていくのか。今後とも考察を深め、発信していきたい。

『家族と社会の経済分析─日本社会の変容と政策的対応』書影

『家族と社会の経済分析─日本社会の変容と政策的対応』

山重慎二著
東京大学出版会刊
定価:4,104円(税込)
2013年3月発行

(2014年10月 掲載)