【一橋大学創立150周年記念シンポジウム】「総合知が求められるいま、人文学は何を担うのか」
2025年12月22日 掲載
2025年10月4日(土)、一橋大学創立150周年記念シンポジウム「総合知が求められるいま、人文学は何を担うのか」が、国立東キャンパス東2号館にて開催された。分野連携や総合知の創出といった学術の新たな局面に際し、一橋大学唯一の人文学分野の研究組織である言語社会研究科が「未来に向けて人文学が担うもの」という課題と真摯に向き合う機会として位置づけられたこのシンポジウムは、中野聡学長の開会挨拶から始まり、人文学分野のアクチュアルな課題解決を先導する研究者によるラウンドテーブル、講演と続き、午後には各研究者による個別セッションが行われた。

池森 義文氏
日本政策金融公庫(一橋大学商学部卒)

坂井 建雄氏
順天堂大学医学部医史学研究室客員教授、同大学院医学研究科解剖学・生体構造科学名誉教授

松葉 隼氏
早稲田大学台湾研究所次席研究員

小田部 胤久氏
放送大学客員教授・東京大学名誉教授

宮田 眞治氏
東京大学大学院人文社会系研究科ドイツ語ドイツ文学講座教授

青池 亨氏
国立国会図書館次世代システム開発研究室

中野 聡
一橋大学長

大月 康弘
一橋大学理事・副学長

中井 亜佐子
一橋大学大学院言語社会研究科長・教授

小岩 信治
一橋大学大学院言語社会研究科教授

安西 なつめ
一橋大学大学院言語社会研究科講師

有賀 暢迪
一橋大学大学院言語社会研究科准教授

吉田 真悟
一橋大学大学院言語社会研究科講師

松永 正義
一橋大学名誉教授

八幡 さくら
一橋大学大学院言語社会研究科講師

大久保 友博
一橋大学大学院言語社会研究科講師

生貝 直人
一橋大学大学院法学研究科教授
趣旨説明
中井 亜佐子 一橋大学大学院言語社会研究科長・教授
中井教授は冒頭で「総合知」について触れ、総合知の「多様な知が集い、新たな価値を創出する【知の活力】を生む」という定義は、人文学そのものの定義でもあると言及。続けて、本シンポジウムでは医学史、台湾研究、ドイツ近代哲学、デジタル人文学の4分野のセッションが行われることを紹介し、これらは人文学という領域の多様性を示すだけでなく、古来学問というものが持っていたさまざまな知の領域を新旧問わず貪欲に取り込んでいく力の体現であると述べ、異なる領域間での対話を生み出すことが人文学の可能性をさらに拡張すると語った。
ラウンドテーブル
午後からの個別セッションを担当する4名の講師が、それぞれのセッションの趣旨と「総合知」との関係について説明を行った。
※以下、 一橋大学言語社会研究科「新着イベント情報」ページ より引用。
セッション1「医学史・医史学の手法と領域」
安西 なつめ 一橋大学大学院言語社会研究科講師
専門領域/医史学:西洋医学、解剖学の歴史
【趣旨】医学・医療の歴史を探究する医学史・医史学は、本来的に「総合知」が求められる複合領域であり、人文・社会科学、自然科学の多様な背景をもつ研究者によって取り組まれている。古代から現在の先端技術まで、そして100年先につながる医学の在り様を見通すために、人文学の可能性を言葉による知識伝達などの観点から模索する。
セッション2「一橋台湾研究」
吉田 真悟 一橋大学大学院言語社会研究科講師
専門領域/社会言語学・台湾語研究
【趣旨】一橋大学で台湾を研究するということはどのような経験である/あったのか。言語社会研究科にゆかりの深い台湾研究者の講演を通じて、学際的領域である「地域研究」の観点から、「人文学と総合知」について考える糸口を探る。
セッション3「構想力の限界と拡張」
八幡 さくら 一橋大学大学院言語社会研究科講師
専門領域/哲学者F・W・J・シェリングを中心とした、ドイツ観念論や初期ロマン主義
【趣旨】「構想力」は人間の能力の限界と拡張を示す。「構想力」に、認識のみならず創作活動における重要な役割を担わせたカントと初期ロマン主義の議論を今一度問い直すことで、人文学の知の営みをたどり、これからの哲学・美学研究の方向を見定める。
セッション4「デジタル人文学の創発を支える技術と法制」
大久保 友博 一橋大学大学院言語社会研究科講師
専門領域/翻訳研究(翻訳論・翻訳史)および近世英国の翻訳文芸(ギリシア=ラテン古典から英語へ)
【趣旨】昨今、国内外で研究の高まりを見せるデジタル人文学。それを裏側で支える新しい技術と法律の存在について言及する。現在も開発が進むさまざまな研究支援ツールや、新技術促進のための各方面の法整備について、最前線で活躍する識者に講じていただき、フロアも交えて幅広く議論を行う。
講演:「現在の《武蔵野深き》と⼭⽥耕筰の《武蔵野深き》:2つの《一つ橋の歌》」
池森 義文氏 日本政策金融公庫(一橋大学商学部卒)
小岩 信治 一橋大学大学院言語社会研究科教授
1950年に誕生し、愛着とともに歌い継がれてきた一橋大学の校歌「武蔵野深き」。池森氏・小岩教授は、作曲者である山田耕筰氏が書いた楽譜やスケッチを通して、作曲の情景や変遷を読み解き、歌唱音声と楽譜を照合しながら演奏技術を検証。さまざまな演奏形態をとる中で、山田自身が作成したものと異なるピアノ演奏譜が伝播・演奏されている事実に触れた。さらに、文献資料をもとに作成したオリジナルのピアノ譜を会場で展示、曲生誕から75周年を迎える2025年に改めて考察する意義を投げかけた。
セッション1 医学史・医史学の手法と領域
司会:安西 なつめ講師
講演:「原典を読み解いて医史学の世界を紡ぐ」
坂井 建雄氏 順天堂大学医学部医史学研究室客員教授、同大学院医学研究科解剖学・生体構造科学名誉教授
坂井名誉教授は冒頭で「医学は理系か文系か、科学か技芸か」という命題を提示し、古代ギリシアのヒポクラテスから始まる歴代の医学者の膨大な原典をもとに、西洋古典医学から西洋伝統医学、近代医学、さらに現代の精密医学まで、西洋医学の歴史を精緻かつダイナミックに解説。時代ごとの病気の概念の変容や、医学教育の変遷などが詳らかにされた。そのうえで、医学の使命は本来的に病気を癒し健康を回復する「技芸」であると結論づけ、18世紀までの医学は文書を扱う人文科学が中心であったが、現代においては解剖学・基礎医学などの自然科学が追加されていったと注釈を重ねた。
問題提起「人とヒト、身体と人体と ―歴史でつなぐ人文学と医学― 」
提起者:安西 なつめ講師
安西講師は、医学分野での医史学の立ち位置や、自らが経験した分野横断で学ぶことの難しさに触れ、①医史学はどこでどのように取り組まれているのか、②医史学はどこで学ぶことができるのか、といった命題を掲げた。
パネルディスカッション
その後のパネルディスカッションでは、坂井名誉教授と有賀暢迪准教授(言語社会研究科)、安西講師が意見交換を行った。科学史を研究する有賀准教授は、科学史も医学史と同様に人文学的アプローチが存在すると語り、坂井氏は医学の技巧と自然科学分野での語彙が異なる難しさを挙げた。そして、医学は患者のために誠実に対応し信頼をいただく人間関係があってはじめて成立し得るものであり、その特性において他と一線を画す特異性があるという指摘がなされた。会場からは、国が定めた疾病名の理由や、医学史が持つ意味、医学史関係の展示規制などについて質問が上がった。
セッション2 一橋台湾研究
司会:吉田 真悟講師
吉田講師は各講演者へ話をつなぐ前提として、一橋大学における豊かな台湾研究の蓄積に言及し、現在もジャンルが異なる3名の研究者が在籍し、台湾に関する充実した教育体制が整っていることを述べた。
講演①:「台湾と一橋の150年:『地域研究』的手法から」
松葉 隼氏 早稲田大学台湾研究所次席研究員
松葉次席研究員は日本の台湾研究の歴史を世代別に考察し、台湾が直面してきた歴史的な多様性についての研究を積み重ねていく面白さ・難しさを語った。続いて、自らが一橋大学で学んだ経験として、台湾語の習得、多種類のゼミ、留学生との交流、文献の豊富さなどから有意義な研究が進められたことを振り返った。さらに、一橋大学の台湾留学生の動向についても解説し、一橋大学で生まれた人的なつながりが、戦前から今日に至るまでの日本と台湾の経済的な関係の構築に大きな役割を果たしていることを述べた。
講演②:「台湾の形成と台湾研究」
松永 正義 一橋大学名誉教授
台湾研究の第一世代である松永名誉教授は、まず「台湾は台湾に"なった"、歴史からつくられた国である」と述べ、台湾の歴史とそれに伴う台湾研究の変遷について、専門分野である文学的なアプローチを交えながら、清朝時代から現政権にわたるまで細微にわたって解説した。結論として、歴史や住民構造の複雑さから、台湾は非常に複合的かつ多元的な社会であるため、台湾研究は学際研究にならざるを得ず、広く知識を得ることが大事であり、多様な研究が交錯する言語社会研究科は絶好の研究場所であると締めくくった。
その後に行われた全体討論では、満州国時代の留学生の動向、一橋大学における台湾関連科目の誕生秘話、台湾の飲酒事情など、多彩な質問に対して講演者が回答した。
セッション3 構想力の限界と拡張
司会:八幡 さくら講師
八幡講師は、「構想力」という言葉が、近代ドイツのカント哲学の中で特別な意味を与えられた経緯に触れ、多様なものを一つに結びつける力、あるいはそれを調和的に相互する力が「構想力」の根源であり、シンポジウムのテーマである「総合知」を考える動きにもつながると語り、セッションを進めた。
講演①:「カント『判断力批判』と「構想力」」
小田部 胤久氏 放送大学客員教授・東京大学名誉教授
小田部名誉教授は、カントの著書で述べられた感性、悟性、そして「構想力」の関係性を説明。カントは「構想力」に自発的作用を認めることで、「構想力」と悟性、あるいは「構想力」と理性との動的な協働に即して美的判断の構造を解明したと語った。中でも「崇高なもの」に対する美的判断は、「構想力」を限界にまで緊張させるが、同時に「構想力」に自らの最大値を拡張するように迫る対象でもあり、「美しいもの」についての美的判断とは異なる特徴が認められると述べた。そして、その解明は、認識判断の構造の解明によって明らかとなった「構想力」と悟性との間の機能連関とは異なる洞察を可能にするものであり、ここにカントの著書『判断力批判』における構想力論の独自の意義があると評した。
講演②:「〈構想力〉と〈ファンタジー〉のあいだで――初期ロマン主義の想像力論について――」
宮田 眞治氏 東京大学大学院人文社会系研究科ドイツ語ドイツ文学講座教授
ドイツロマン主義の「総合」を担う構想力を明確に体現する詩人・哲学者ノヴァーリスを題材に掲げ、その生涯と時代背景やさまざまな文献を元に、基幹的能力としての構想力(フィヒテの継承)、拡張力としてのファンタジー(空想・想像力)、発動の場へのまなざし(実践・思考・書くこと)の3つをテーマに展開。ノヴァーリスを読み解くキーワードを提示した後、構想力を巡るノヴァーリスの思考が、思考の力と言語の力の関わりに向けられていたことは確かであると述べた。
講演を受けた意見交換の場で、八幡講師は構想力について、認識の場面と美的もしくは芸術で働いている場面とでは同時に2つに分かれており、その関連をどう議論するかは、カントとノヴァーリスでは問題の解き方が違うのではないかと提起した。それに対して小田部名誉教授と宮田教授がそれぞれ回答し、そこから、カント、フィヒテ、ノヴァーリス、シェリング等の思想や、人間の知的能力などにまつわる幅広く闊達な議論に発展した。
セッション4 デジタル人文学の創発を支える技術と法制
司会:大久保 友博講師
大久保講師は挨拶の中で、自らが携わるデジタルアーカイブ「青空文庫」での電子化活動を紹介し、電子情報化による文化資源の「共有」のメリットとデメリットを挙げ、人類は知的財産をどう扱うべきかという論点を提示した。
講演①:「デジタル人文学と図書館資源を用いた研究ツールの開発」
青池 亨氏 国立国会図書館次世代システム開発研究室
青池氏は、国立国会図書館のデジタルシフトの一環として、デジタル化資料を検索・閲覧できるサービス「国立国会図書館デジタルコレクション」を紹介。テキスト化するために使用されるOCR(光学文字認識)の技術開発で実現した数々の成果を挙げ、MLA(Museum,Library,Archives)機関がOCR開発をする意義を説いた。また、「NDL古典籍OCR」「NDL NgramViewer」など実験的なサービスについても紹介し、青池氏は、AI技術や情報技術を駆使することで、図書館サービスはより面白くなると結んだ。
講演②:「デジタル人文学と法制度 〜デジタル知識法という問題設定〜」
生貝 直人 一橋大学大学院法学研究科教授
生貝教授は、国内外のデジタルアーカイブ戦略や、現在の法制化の動向を述べる中で、現状のデジタルアーカイブに関する法制では主に機関が保有する文系資料へのアクセス拡大に焦点が当たっているが、そこから抜け落ちている理系の科学を含む研究、あるいは教育を含む「総合知」に関わる活動をより広く包含できる枠組みが必要だと語った。
続いて行われた意見交換では、一人のユーザーかつ開発者/制定者としての立場から課題に取り組むことの難しさが挙げられた。また、アーカイブ化が不十分なものとして、映像、WebサイトやSNS、ゲームなどのメディアが指摘され、課題の根深さが浮き彫りにされた。会場からはコストを踏まえたアーカイブ化の優先順位など、現場に根差した質問が寄せられた。

