【一橋大学創立150周年記念シンポジウム】「ビジネスと人権の未来」
2025年7月30日 掲載
2025年2月4日(火)、千代田区の一橋講堂にて一橋大学創立150周年記念シンポジウム「ビジネスと人権の未来」が開催された。プログラムは竹下啓介大学院法学研究科長・教授の開会挨拶からスタート。企業の社会的責任やサステナビリティに留意した経営への注目度が高まり、国内外で法制化や政策化が進む中、「人権」というものをどう捉え向き合っていくべきか。専門家による講演とパネル討論が行われた。
※肩書は開催当時のもの
竹下 啓介
一橋大学大学院法学研究科長・教授
Justine Nolan氏
オーストラリア人権研究所長・ニューサウスウェールズ大学教授
WOLFF LEON THOMAS
一橋大学大学院法学研究科教授
長谷川 拓氏
味の素株式会社サステナビリティ推進部シニアマネージャー
銭谷 美幸氏
株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ グループ・チーフ・サステナビリティ・オフィサー兼 株式会社三菱UFJ銀行チーフ・サステナビリティ・オフィサー
植田 晃博氏
一般社団法人ビジネスと人権対話救済機構(JaCER)ステークホルダーエンゲージメントマネージャー
櫻井 洋介
一橋大学大学院法学研究科特任准教授・法政大学人間環境学部准教授
第1部:「ビジネスと人権」をめぐる国内外の動向
基調講演
ビジネスと人権における規制イノベーション:新たな法制における社会的開示とデュー・ディリジェンスの義務化
Justine Nolan氏 オーストラリア人権研究所長・ニューサウスウェールズ大学教授
企業弁護士、人権保護団体、研究職として人権の分野に25年来関わり、オーストラリア政府の現代奴隷制に関する専門家諮問委員会の委員として人権問題の解決を支援するNolan氏が「人権とビジネスにおけるイノベーションとその重要性」について講演を行った。
Nolan氏は、まず、2011年の国連「ビジネスと人権に関する指導原則」をはじめとした国内外の人権問題への主要な取組を提示し、取組の潮流が、法的拘束力のない自主的な規範である「ソフトロー」から、企業に対して「人権デュー・ディリジェンス」を義務化する「ハードロー」の制定へと変化してきたことを説明。アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、EUなどを例に、法制化による企業責任の具体化や明確化が進む海外の現状を述べた。そして、今後、EUの企業持続可能性デュー・ディリジェンス指令(CSDDD)の適用によって、影響を受ける企業はさらに増加していくことが報告された。
続けてNolan氏は、企業が人権デュー・ディリジェンスの概念を理解する重要性を強調。より具体的には、権利保有者を常に念頭に置き、企業の行動指針となる明確な規範的枠組みを構築することで、企業は共通言語を持ちながらリスクに対処することができると述べた。さらに、リスクへの適切な対処は、サプライチェーンでの人権侵害をなくすための変化を生み出すチャンスにもつながると述べ、企業事例としてサステナブルなグローバルサプライチェーンを構築したフランスのスニーカーメーカーと、ベルギーのダイヤモンド会社のケーススタディを紹介した。
最後にNolan氏は、規制イノベーションや新たな法律の制定を待つだけでなく、不平等を悪化させやすい既存のシステムに法律がどう対処できるかを考えることが大切であると語り、携わる人々自身も変革を起こし、法律を活用して、長年培ってきたビジネスモデルを大きく変える必要があると締めくくった。
基調講演を受けて
日本における「ビジネスと人権」の現在と未来
櫻井 洋介 一橋大学大学院法学研究科特任准教授・法政大学人間環境学部准教授
サステナビリティの専門家であり、コンサルタントとしても活動している櫻井准教授は改めて「指導原則」「人権デュー・ディリジェンス」について解説。人権デュー・ディリジェンスの法制化や義務化が欧州諸国を中心に拡大していく中、企業サステナビリティ報告指令(CSRD)やCSDDD等の域外適応において、日本企業の法的責任への対応と日本政府の政策が問われていることを語った。
続けて櫻井准教授は、国際社会で議論される「Human Rights」と日本社会における「人権」概念の相違点について指摘。国際的な文脈におけるHuman Rightsが、「すべての人が有する固有かつ正当な権利」を基盤とする一方で、日本国内の人権議論は「ラベリングされた特定の属性に対する気遣いや配慮」が強調される傾向があるとして、世界的な人権意識と乖離している現状について説明した。
さらに、ビジネスと人権の捉え方、人権デュー・ディリジェンスの法制化についてディスカッションのテーマを提示し、実務上の観点から、人権デュー・ディリジェンスへの偏重とそれに伴う「救済」の視点の軽視、ステークホルダーエンゲージメントの解像度の低さ、中小企業のデュー・ディリジェンスの実効性などの問題点を指摘した。
最後に、日本が2020年に策定した「ビジネスと人権」に関する行動計画(NAP)を改定する一方で、欧州諸国がNAPに基づく政策からハードローベースの議論に移行しているという現状を懸念し、政策の評価について議論を行うことをパネリストに投げかけた。
第2部:パネルディスカッション
Nolan氏に加えて、一橋大学のWOLFF LEON THOMAS教授、味の素株式会社の長谷川拓氏、株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ/株式会社三菱UFJ銀行の銭谷美幸氏、一般社団法人ビジネスと人権対話救済機構(JaCER)の植田晃博氏が参加し、パネルディスカッションが行われた。モデレーターは櫻井准教授が務めた。
まずはWOLFF教授、長谷川氏、銭谷氏、植田氏の4人が、それぞれの専門であるコーポレート・ガバナンス、企業実務、金融機関、救済の視点から、人権に対する指針や取組、見解を述べた。
櫻井准教授からは二つのテーマが提示された。
一つ目は、企業は何を目的とし、なぜ人権を尊重するべきなのか。「ビジネスと人権」という概念を企業価値の面だけで語ることの懸念を挙げ、企業は社会的責任の視点を再評価し、ステークホルダーベースのレベルプレイングフィールド(公正な競争条件)を実現させることが重要ではないかという問題提起を行い、議論を進めた。
二つ目は、人権デュー・ディリジェンスの法制化・義務化はSilver Bullet(銀の弾丸:万能な解決策の意)と言えるのか。法制化は有効な手段である一方で、さまざまな弊害が起こり得る可能性を指摘し、「人権を尊重する企業が、結果として報われる社会を形成する」ためにはハードローとソフトローのスマートミックスについて改めて見直す必要があるのではないかとしてパネリストの意見を求めた。
これに対して、パネリストはそれぞれの専門分野から、企業における人権の捉え方、日本の現状に即した企業評価の方法、ハードローとソフトローの有効性やバランスなどについて活発に意見を交わし合った。特にベストなスマートミックスを模索していく点については多くの賛同の声が上がった。
続いて、参加者からの質問に登壇者が答える質疑応答が行われた。質問内容は企業責任の明確化、中小企業の意識改革、NAP改定へのアクセスなど多岐にわたった。
終了後、パネリストからは以下のコメントが寄せられた。
Nolan氏「サステナビリティはもはや選択肢ではなく、企業の運営に組み込まれるべきもの。企業は人権を単なる調査対象としてではなく、事業の根幹として考える必要がある」
WOLFF教授「NAPがただの計画で終わってはいけない。企業や政府の具体的な取組につなげることが大切であり、NAPが "居眠りしている(nap)" 状態にならないようにしなくてはいけない」
長谷川氏「ビジネスモデルのどこかに、不当な行動が組み込まれていることを許さない流れが、ますます強まっている。加えて、レベルプレイングフィールド(公正な競争条件)を形成する動きへの対応が求められている。この二つの流れに対応するために、企業はバリューチェーン全体での行動変容を目指す必要がある」
銭谷氏「採用の観点から見ても人権に対する世界標準的な姿勢を持つことは重要。日本の企業の大半を占める中小企業にもグローバルスタンダードを理解してもらえるよう伝えていかなくてはいけない」
植田氏「アメリカをはじめ世界中で起きている社会的分断の根本的な原因に目を向け、企業も社会における役割を再検討する必要があると思う。今後の企業の取組に期待したい」
プログラム
開会挨拶
竹下 啓介 一橋大学大学院法学研究科長・教授
第1部:「ビジネスと人権」をめぐる国内外の動向
基調講演
ビジネスと人権における規制イノベーション:新たな法制における社会的開示とデュー・ディリジェンスの義務化
Justine Nolan
オーストラリア人権研究所長・ニューサウスウェールズ大学教授
基調講演を受けて
日本における「ビジネスと人権」の現在と未来
櫻井 洋介
一橋大学大学院法学研究科特任准教授・法政大学人間環境学部准教授
第2部:パネルディスカッション
パネリスト
Justine Nolan
WOLFF LEON THOMAS
一橋大学大学院法学研究科教授
長谷川 拓
味の素株式会社サステナビリティ推進部シニアマネージャー
銭谷 美幸
株式会社三菱UFJフィナンシャル・グループ グループ・チーフ・サステナビリティ・オフィサー兼 株式会社三菱UFJ銀行チーフ・サステナビリティ・オフィサー
植田 晃博
一般社団法人ビジネスと人権対話救済機構(JaCER)ステークホルダーエンゲージメントマネージャー
モデレーター
櫻井 洋介
質疑応答
閉会挨拶
櫻井 洋介
※肩書は開催当時のもの