一橋大学 創立150周年記念シンポジウム 一橋大学社会科学高等研究院(HIAS)人新世研究センター(HIAS-ARC)設立記念シンポジウム 「社会科学は人新世の危機にどう応えるか」
2024年7月5日 掲載
野木 義史氏
国立極地研究所長
斎藤 修氏
一橋大学名誉教授
寺西 俊一氏
一橋大学名誉教授
中野 聡
一橋大学長
城田 慎一郎
一橋大学大学院ソーシャル・データサイエンス研究科准教授
森 宜人
一橋大学大学院経済学研究科教授
古賀 勇人
マンチェスター大学地理学科博士課程2年
片岡 慶一郎
一橋大学経済学部4年 山下ゼミ所属
山下 英俊
一橋大学大学院経済学研究科准教授
HIAS-ARCセンター長
大月 康弘
一橋大学理事・副学長
人新世の危機をテーマにシンポジウムを開催
2024年2月10日(土)、一橋大学国立西キャンパス・如水会百周年記念インテリジェントホールにて、一橋大学 創立150周年記念シンポジウム「社会科学は人新世の危機にどう応えるか」が開催された。本シンポジウムは、2023年7月に新設された、一橋大学社会科学高等研究院(HIAS)人新世研究センター(HIAS-ARC)の設立記念シンポジウムも兼ねており、人新世の危機について、それぞれの立場から報告が行われた。
■開会挨拶・趣旨説明
中野 聡(一橋大学長)
幅広い観点で人新世の課題にアプローチする人新世研究センター(HIAS-ARC)
はじめに、中野聡一橋大学長より、開会の挨拶と趣旨説明があり、世界史の観点で20世紀後半を取り上げる際に欠かすことのできない「大加速:Great Acceleration」と「人新世:Anthropocene」をめぐる議論について詳細な解説が行われた。
一橋大学は指定国立大学法人として、「日本の社会科学の改革を牽引し、持続可能な未来に向けて架橋する拠点の形成」をめざしている。また、社会科学からアプローチする文理融合・文理共創を大きな挑戦テーマとして取り組んでおり、その拠点として一橋大学社会科学高等研究院(HIAS)が紹介された。HIAS の11センターの中でも、医療政策・経済研究センター、データ駆動社会研究センター、国際公的統計研究・研修センター、グローバル・ガバナンス研究センター、脳科学研究センター、及び人新世研究センターは、文理融合・文理共創領域として力を入れて取り組んでいるとの説明があった。
■記念講演
「極域研究の視点から見た人新世の危機」
野木 義史氏(国立極地研究所長)
人類の生存戦略を考えるうえでも、長期にわたる観測・分析が必須
次に、南北両極域の研究観測の中核実施機関、国立極地研究所(以下、「極地研」)の野木義史所長が登壇し、「極域研究の視点から見た人新世の危機」をテーマに記念講演が行われた。冒頭、極地研がその認定に大きく貢献したチバニアンの地質年代は、約77万年前から約13万年前。これに対し人新世(Anthropocene)は、非常に短いタイムスケールであるとの解説があった。
近年、北極・南極ともに海氷面積は最小記録を更新している。南極域の海氷面積が観測史上最小を記録した2022年には、南極半島西側に生息するコウテイペンギンのコロニーでヒナが全滅したという、生態系への甚大な被害も報告された。
また、現在、地球上の氷床は、南極氷床とグリーンランド氷床の2箇所のみであり、両極の氷床の存在と温暖化に伴う氷床変動が、将来の地球環境予測に最も重要なポイントだ、との指摘があった。地球温暖化は待ったなしに進んでいるが、南極氷床後退のメカニズムや規模、そのスピード等については、まだ不明な点が多い。しかし、CO2の急増に応じて起こる氷床縮小のメカニズムやスピードの解明は、気候や氷床の不可逆変化をもたらすティッピングポイントを理解するうえで重要で、しっかり明らかにする必要がある、という見解が示された。
人類の生存戦略を考えるうえで、地球温暖化の的確な把握と全球環境変動の影響は、可及的速やかに解決・解明すべき課題である。これらの変化の全体像を把握するためにも、しっかりと長期にわたる観測を行う必要があり、そのためにより機動的に無人観測などの遠隔装置を使った観測を主流に据えるべき、との提案がなされた。
■報告①
「エネルギー・人口・環境経済―歴史的アプローチ」
斎藤 修氏 (一橋大学名誉教授)
人口減少後のGreat Accelerationを考える
続いて、比較経済史が専門の斎藤修名誉教授より、「エネルギー・人口・環境経済」をテーマに報告が行われた。斎藤氏は「人新世」の理解について、20世紀の半ば以降、「人口増加」「経済成長」「グローバリゼーション」の三つが相互作用することによる成長レジームの展開があり、それが地球規模における人間活動の総和を非常に加速したもの、との解釈を提示した。
また、「人口増加」「経済成長」「グローバリゼーション」の中でも、「人口増加」と「経済成長」は不即不離の関係にあったという一般的な解釈に加え、死亡率の低下、寿命延伸も経済成長にプラスの影響を与えているとの見解を示した。
他方、社会活動の変数によっては、人口が減少に動く可能性も大いにありうること、大加速の議論の背景には、今後も人口増加が続くとの仮定があるが、人口減少に転じた場合にどうなるかについても考察が必要、と指摘。近年、現実的になった人口減少問題が、エネルギーや環境にどのような影響を与えるかについての考察も行われた。
加えて、将来、先進国では人口の約9割が都市に集中し、中進国やアフリカ諸国でも非都市部の人口は20~30%になるといわれており、人口減少による生態系への影響は、非都市部で異なったかたちをとるだろう、と語った。
また、エネルギー経済の問題については、技術進歩が続き、エネルギー生産性がさらに改善した上で、豊かさのエネルギー需要喚起効果を完全に相殺できるまでになれば、二世紀にわたって続いたエネルギー消費の成長も止まるかもしれない、と指摘。条件つき楽観論への道筋を示した。
■報告②
「人新世の危機と格闘する環境経済学」
寺西 俊一 氏 (一橋大学名誉教授)
21世紀の環境経済学は、There is no wealth, but life *& Environment.
続いて、寺西俊一名誉教授より、「人新世の危機と格闘する環境経済学」をテーマに報告が行われた。寺西氏は、自身が1951年生まれであり、「人新世70年の歴史は、私の人生そのものの歴史」と語った。また、自身の人生で直面した危機が、まさに人新世時代の危機に重なると、大量生産、大量消費、大量廃棄の経済社会が深刻な環境危機を起こした1950年代以降の約70年を振り返った。
日本の公害環境問題の推移を見ていくと、10年おきに新しい局面を迎えている。1950∼60年代は深刻な公害・環境破壊の激発。1970年代は公害・環境政策の一部前進と後退化。1980年代は公害・環境破壊の新たな拡大。1990年代は地球環境問題と国際環境条約の登場。2000年代はアジアに見る公害・環境破壊の深刻化。そして2010年代以降は福島原発事故と気候危機の進行、と概略を述べた。
そのうえで、古い局面の問題が解決した後に新しい局面が現れるのではなく、古い問題の上に新しい問題が積み重なり複合的に深刻になっているとの認識を示し、「これらを念頭におき、経済学が環境保全の問題に学問としてどのように格闘するかが問われている」「現実の公害や環境問題は、単純な一つの理論で問題を解決することはありえない」と語った。
そこで、「環境保全の経済学」に向けた多様な理論的アプローチとして、社会的費用論、外部不(負)経済論、政治経済論、物質代謝論、環境資源(コモンズ)論、所有・権利論、固有価値論、経済文明論の八つを紹介した。
最後に「複雑系の経済学」を例に挙げ、いくつかのアプローチについて、それぞれを追求しつつ全体として統合し、総合力で対抗していく必要があると語った。
*イギリス・ヴィクトリア時代を代表する評論家・ジョン・ラスキン(John Ruskin)の言葉。
■報告③
「ベイズ空間統計を用いた森林カーボンクレジットの推計」
城田 慎一郎 (一橋大学大学院ソーシャル・データサイエンス研究科准教授)
ジャンククレジット解消のための新たなベースライン推定法
続いて、ソーシャル・データサイエンス研究科の城田慎一郎准教授より、森林カーボンクレジット創出に向けた共同研究について報告があった。
カーボンクレジットとは、企業が森林の保護や植林、省エネ設備の導入などを行うことで生まれたCO2などの温室効果ガスの排出削減量をクレジットとして発行し、企業などの間で取引できるようにする仕組みである。
報告事例の分析対象は、アマゾン川流域の森林カーボンクレジットである。アマゾン川流域では、畜産などによる森林伐採が進行し、森林減少が深刻化している。これに対抗するための森林保護プログラムが実施されており、効果をクレジットとして評価することが今回の分析の目的であると説明した。
カーボンクレジットの評価は、プロジェクトによるCO2の削減量をもとに行われ、「プロジェクトを実施しなかった場合のCO2排出量」から、「プロジェクトを実施した場合のCO2排出量」を引いたもので計算できる。実施しなかった場合のCO2排出量をベースラインと呼ぶ。実施した場合のCO2排出量は観測できるが、ベースラインは観測できないため、何らかの方法で推定する必要がある。
既存の手法によるベースライン推定はクレジットを過大評価する傾向があり、ジャンククレジットと呼ばれて問題となっている。これに対して、城田准教授らのプロジェクトチームが提案した合成コントロール法では、ベースラインをより精緻に推定することによって、精度の高いクレジット評価とクレジット市場の運用につながることが示せた、と結論づけた。
■総合討論
「社会科学は人新世の危機にどう応えるか」
[進行]山下 英俊( 一橋大学大学院経済学研究科准教授 HIAS-ARCセンター長)
総合討論の前に、学生2名、研究者1名の論点提示がなされた。
▶片岡 慶一郎 (一橋大学経済学部4年 山下ゼミ所属)
まず、山下英俊ゼミにて、カーボンクレジットを活用した一次産業の活性化について研究する片岡氏から報告があった。2023年5月に、クレジットの創出を行うため、ゼミの仲間とともに一般社団法人Coを設立。法人の活動実績として、一つ目に農業分野での「J-クレジット制度を活用した"中干し"クレジット創出」。二つ目に水産分野で、日本で初めての「海洋プラスチックの収集・リサイクルについてのクレジット創出開始」。三つ目に、自治体連携の分野として「国立市と連携し、市の脱炭素目標実現に向けたワークショップ実施」が紹介された。これらの活動を通じて出た問題について、検討すべき課題や今後の展望についても報告があった。
▶古賀 勇人(マンチェスター大学地理学科博士課程2年)
次に、2020年に一橋大学経済学部を卒業、2021年に同大学院経済学研究科修士課程を修了し、現在はマンチェスター大学の博士課程で学ぶ古賀氏から報告があった。「人新世の日本で求められるエネルギー転換への一視角」と題し、「エネルギー貧困」という概念を使って問題提起が行われた。まず、SDGs の原則であるLeave No One Behindについて、日本におけるエネルギー転換の点から解説が行われた。エネルギー転換から「取り残される」ということ、日本のエネルギー利用における困窮状態とは何かについて説明。その後、エネルギー貧困が日本ではどのように取り残されているかについて、制度的認識の限定性、エネルギー利用に関してのニーズの不明確さ、当事者の認識における矮小化の3点から解説があった。
▶森 宜人(一橋大学大学院経済学研究科教授)
次に、ヨーロッパ経済史を専門とする森宜人教授より「ヨーロッパ都市史の視点から」と題して話題提供が行われた。近年、ヨーロッパ都市史における大きな潮流として「ヨーロッパ都市環境史」がある。「ヨーロッパ都市環境史」とは、西欧社会における都市がどのように発展し、その過程で環境とどのように関わってきたかを研究する学問領域であり、ここ20年ほどの都市史の中心領域の一つとなっている。都市環境史の中で研究の主対象となっているのがアーバンメタボリズムであるが、2020年代に入っても、人新世自体を正面から扱っているものはない。人新世に近い概念としては、テクノスフィアがある。人新世危機下の都市について、アカデミアだけにとどまらない問題を社会全体でどのように考えていくべきか、という問題提起がなされた。
▶総合討論
続いて、山下准教授が進行役を担い、総合討論が行われた。オンラインで視聴する参加者からは、「成長レジームは人口減の時代でも成り立ちうるのか」「現在の経済システムを前提とした議論は、本当に環境のためになるのか」「経済システムそのものの改善が必要ではないか」などの質問や意見が寄せられた。
成長レジームについては、斎藤名誉教授が「エネルギーとテクノロジーの中身が鍵になる」と述べ、寺西名誉教授は「環境保全型で進めるなら、経済システムの転換に関する議論は避けて通れない」と答えた。中野学長は、「大加速においては具体的なソリューションが必要。そのために諸科学の協働が求められる」とし、HIAS-ARCの今後の活動に期待を寄せた。
■閉会挨拶
大月 康弘(一橋大学理事・副学長)
最後に、大月康弘理事・副学長より、閉会挨拶と登壇者、来場者、オンラインでの参加者に向けての謝辞が述べられた。「人新世はなお続く」との言葉とともに、グローバルな複雑系の中で一橋大学が取り組むべきこととして、多様な要素を分解し、精緻にデータを収集して分析し、それぞれの問題系を総合して知見を共有することが挙げられた。そして、その知見を分かりやすい形で発信することが重要であると述べ、シンポジウムは幕を閉じた。
プログラム
開会挨拶・趣旨説明
中野 聡 一橋大学長
記念講演
野木 義史 国立極地研究所長
「極域研究の視点から見た人新世の危機」
報告①
斎藤 修 一橋大学名誉教授
「エネルギー・人口・環境経済―歴史的アプローチ」
報告②
寺西俊一 一橋大学名誉教授
「人新世の危機と格闘する環境経済学」
報告③
城田 慎一郎 一橋大学大学院ソーシャル・データサイエンス研究科准教授
「ベイズ空間統計を用いた森林カーボンクレジットの推計」
総合討論
「社会科学は人新世の危機にどう応えるか」
進行
山下 英俊 一橋大学大学院経済学研究科准教授 HIAS-ARCセンター長
閉会挨拶
大月 康弘 一橋大学理事・副学長