一橋大学社会科学古典資料センター創立40周年記念 平成30年度文化的・学術的資料の保存国際シンポジウム 『西洋貴重書を守る、活かす』
2019年2月18日 掲載
2018年12月7日(金)、一橋大学佐野書院にて、西洋古典資料の保存と活用に焦点をあてた国際シンポジウム『西洋貴重書を守る、活かす』が開催された。貴重書を収蔵する大学図書館は多数存在する。貴重書を"守る"という重責を担うが、果たして研究のみならず学習にも"活かす"ことができているだろうか。ごく一部の研究者が閲覧し、学生や市民は展示ケース越しに眺めることに留まるケースは少なくないだろう。このシンポジウムでは、学生や市民の"学習"のために貴重書を積極的に活用している大学図書館の事例が紹介され、大学図書館に求められる新しい貴重書サービスのあり方を探る機会となった。
司会:鈴木宏子
一橋大学学術・図書部長
山田敦
一橋大学副学長
大月康弘
一橋大学附属図書館長・社会科学古典資料センター長
水田洋氏
日本学士院会員・名古屋大学名誉教授
中井えり子氏
元名古屋大学附属図書館
Raymond Clemens氏
イェール大学バイネッキ図書館
馬場幸栄
一橋大学社会科学古典資料センター助教
倉持隆氏
慶應義塾大学三田メディアセンター
屋敷二郎
一橋大学社会科学古典資料センター教授
田中麻巳氏
立正大学古書資料館
このシンポジウムは、1978年に発足した一橋大学社会科学古典資料センターの創立40周年を記念するとともに、文部科学省共通政策課題「文化的・学術的な資料等の保存等」(平成28年度~平成30年度)事業として採択された附属図書館及び社会科学古典資料センターの「西洋古典資料の保存に関する拠点およびネットワーク形成事業」の一環として行われた。国立大学図書館協会東京地区協会及びHitotsubashi International Fellowship Programの後援によって開催され、会場には全国から大学等の図書館職員や研究者、学生、出版関係者などが多数詰め掛けた。社会科学古典資料センターゆかりの名誉教授らも駆けつけ、活気に満ちた場となった当日の模様をレポートする。
シンポジウムは山田敦一橋大学副学長の開会挨拶で幕を開け、続いて大月康弘一橋大学附属図書館長・社会科学古典資料センター長による趣旨説明が行われた。冒頭では、社会科学の古典を中心に1850年以前刊行の貴重書約8万冊を収蔵する社会科学古典資料センターの特徴や沿革に触れ、今回のシンポジウムのテーマでもある西洋古典資料の保存と活用に対する期待や思いを述べた。
貴重書を"守る"ことの価値を後世に伝える研究活動と功績
趣旨説明の後は、水田洋氏(日本学士院会員・名古屋大学名誉教授)による特別講演「アダム・スミス文庫にわけ入って」が行われた。
東京商科大学(現 一橋大学)を卒業し、今年100歳になる今もなお研究活動に情熱を注ぐ水田氏は、日本の社会思想史研究の第一人者であり、その思想が18世紀イギリス社会に大きな影響を与えたとされるアダム・スミス研究の世界的権威。講演ではこれまでのアダム・スミス研究を振り返り、70年近い研究生活の中で収集された資料や蔵書についても紹介された。講演後は質疑応答が行われ、研究者にとっても貴重な時間となった。
水田氏が名誉教授を務める名古屋大学の中央図書館には、寄贈資料約8,500冊を所蔵する"水田文庫"が設置されている。その整理にあたった図書館職員である中井えり子氏(元名古屋大学附属図書館)も登壇し、「水田文庫を特徴づける資料群」と題して講演が行われた。水田文庫が近代西洋社会思想史のトマス・ホッブズからアダム・スミスへの継承と、その西欧での受容を文献で実証できるコレクションであることなど、資料群の解説とともにその特徴を紹介。中井氏は今回のシンポジウムのテーマを踏まえ、次のように語った。
「水田氏が研究のために収集した数々の資料は、単なるコレクションではなく、学生が学習のために活用できるものなのです」
世界の先端をいく、科学の力を借りた貴重書の活用事例とは
貴重書を"守る"ことの価値を伝えた特別講演に対して、その後に行われた基調講演は、"活かす"ために海外の大学図書館で実践されている取り組みの事例報告の場となった。
登壇したのは、イェール大学バイネッキ図書館で写本・手稿類担当キュレーターを務めるレイモンド・クレメンス氏。貴重書図書館としてアメリカで最大規模を誇るバイネッキ図書館には、解読不可能とされているヴォイニッチ手稿など希少価値のある蔵書資料が多数保管されている。
講演では、異なる波長帯の電磁波を記録するマルチスペクトル画像の研究をはじめとした現在進行中のプロジェクトを紹介。また、デジタル媒体による学術資料のアーカイブ構築や学術成果の公開方法などを研究するデジタルヒューマニティーズの手法を用いた、科学的な分析による歴史研究についても解説が行われた。そして、歴史研究によって生まれた大学図書館利用者の変化についても熱く語った。
「当初は、オンラインで蔵書資料を閲覧できるようになると、図書館を訪れる人がいなくなるという懸念がありました。しかし、実際には関心を高め、"現物"を見たい人々が世界中からバイネッキ図書館に押し寄せたのです」
世界の先端をいく貴重書の活用事例やその効果を紹介したクレメンス氏の講演は、大学等の図書館職員をはじめとした来場者にとって収穫が大きかったに違いない。
貴重書を適切に"活かす"ことは"守る"ことにつながるという視点
そして、プログラムはシンポジウムの本題ともいえるパネルディスカッションへと進む。まずは貴重資料を教育・学習に活用する大学図書館の事例紹介が行われた。壇上に上がったパネリストは、今回取り上げる3大学において新しい貴重書サービスの提供に取り組む職員である。
最初に事例紹介を行ったのは、一橋大学社会科学古典資料センターの馬場幸栄助教。「教育・学習に古典資料を活かす」という題目でプレゼンテーションが行われた。貴重書を"守る"ことと"活かす"ことは相反すると思われがちだが、冒頭で示されたのは、貴重書を適切に"活かす"ことは"守る"ことにつながるという視点。そして、つなげるために重要なのが貴重書の活用を通じた人材育成であると訴える。
そこで社会科学古典資料センターでは、小学生・保護者から社会人までの各世代層を対象とした教育・学習プログラムを実施しており、数々の事例が紹介された。小学生・保護者に対しては、パピルス・羊皮紙に触れたり、羽根ペンで文字を書くといった体験プログラムを開催。西洋貴重書への興味を育んでいる。また、中学生・高校生向けには、西洋貴重書の芸術性や保存修復学の面白さに触れてもらうことを目的に、24金の金箔を用いた中世写本の金箔装飾や破損した本の修復を体験できる機会を提供。学部生・大学院生に対しては、西洋書物史、西洋書誌学、西洋古文書解読、博物館資料保存論といった授業科目を設けることで史料研究や図書館学・博物館学への興味喚起を行い、現役の司書向けには、保存修復や製本、貴重書展示の技法などに触れられるインターンシップや地方での講習も実施している。そして、これらすべてのプログラムにおいて参加者には貴重書の現物に触れる機会が設けられている。このように、西洋貴重書を活用した教育・学習の機会によって各世代層をつなぎ、一連の人材育成によって西洋貴重書を守っていくという考え方に、一橋大学のスタンスが表れている。
本物が持つ魅力を伝え、保存との両立を志す"貴重書活用授業"を開講
続いて登壇したのは、慶應義塾大学の倉持隆氏。慶應義塾大学のメインライブラリーである三田メディアセンターを代表してプレゼンテーションが行われた。
三田メディアセンターは、蔵書数約280万冊を誇る人文・社会科学分野の専門図書館。冒頭では、貴重書庫で管理される約2万点に及ぶ和漢書・洋書、古文書、浮世絵、博物資料など、さまざまな貴重書コレクションが紹介された。そして、活用するうえでの特徴として挙げられたのが、2013年に発足した"スペシャルコレクション担当"と称される職員の存在である。スペシャルコレクションとは貴重書、マニュスクリプト(写本)、アーカイブ(文書)を包括した総称。発足のきっかけは、前述のイェール大学バイネッキ図書館で開催された、世界各国の大学や研究機関で構成された非営利・メンバー制のライブラリーサービス機関OCLCの2013年大会への参加だったと話す。そこでスペシャルコレクションを学部の授業等の教育活動にも積極的に活用する姿勢に触れ、三田メディアセンターにおける図書館活動の中心になったと語られた。
そして、活用を促進する事例として紹介されたのが"貴重書活用授業"の開講である。センター内の貴重書室で教員が授業を開講できるという仕組みで、学生に見せたい蔵書資料は1点から予約可能。開講を促進するため、教員に対してポスターやチラシによるプロモーション活動が展開された。その結果、利用件数とともに貴重書に触れてもらう機会が増えたという。倉持氏は、蔵書資料を展示ケース越しではなく、直接見学できるこうした取り組みによって本物が持つ魅力を伝えるとともに、保存との両立も目指したいと締めくくった。
常識を覆す"開架"を実現し、貴重書の保存と利用の意義を追求
最後に紹介されたのは、立正大学古書資料館の事例。担当司書の田中麻巳氏から紹介が行われた。
立正大学古書資料館は、付属中学・高等学校の旧図書室を利用して2014年に開館した。大学図書館から移した約4万5,000冊が保管されているが、貴重書といっても一橋大学や慶應義塾大学と異なるのは、和古書を中心とした資料を所蔵する点である。そして、最大の特徴といえるのが、所蔵資料の8割が "開架"されていること。つまり、実際に手に取って閲覧できる。以前は大学図書館の閉架書庫に保管されていたが、古書資料館の開館にあたって改められた。田中氏によれば方針転換の背景には、"資料は何のためにあるのか""図書館における保存とは何か"という長年の問いかけがあったという。併せて、開架実現のための取り組みについても紹介された。スタッフサイドでは、従来の資料保存業務を継続させながら、温湿度管理・清掃・環境調査を徹底。一方で、利用者に対しては、一般的な利用マナーの呼びかけとともに"荷物はロッカーに保管""時計や指輪を外す""手は清潔に""筆記具は鉛筆のみ"といったルールが設けられている。
紹介された利用支援策で印象的だったのは、和古書に親しむための講座・イベントである。学生や教職員向けの"お昼休みの古書レッスン"や、市民も対象とした"はじめての変体仮名""モーニング・イブニング講座"などが開講されている。その他、授業連携やインターンシップなど学生に対する教育学習支援も実施されるなど、和古書の活用を促すさまざまな試みやアイデアが紹介された。
保存と活用に対する努力が鍵を握る大学図書館の今後
事例紹介が行われた後に始まったパネルディスカッションでは、互いの大学の取り組みに対する関心の高さから多くの質疑応答が交わされた。利用者のターゲット設定、利用者数の推移、導入の効果、今後の課題など、まさに大学図書館に求められる新しい貴重書サービスのあり方をともに探る議論が展開された。その後に行われた来場者の質疑応答でも、パネリストに対して多くの質問が投げかけられ、関心の高さを物語っていた。
シンポジウムを締めくくる閉会挨拶では、屋敷二郎一橋大学社会科学古典資料センター教授が3か年度にわたって行われてきた文部科学省共通政策課題「文化的・学術的な資料等の保存等」(平成28年度~平成30年度)事業を振り返り、これまでの支援に対する感謝の言葉を述べた。この3年間を通じて他大学・機関から実務研修生を受け入れてセンター所蔵資料の保存修復作業や保存環境整備に携わるOJT作業を実施。平成28年度と平成29年度は、貴重書を"守る"ことに焦点をあてたシンポジウムを開催し、そして、集大成となる平成30年度には今回のシンポジウムで"活かす"ための取り組みに焦点を当てた。
今後も他大学の附属図書館と連携を図りながら、学術資料の保存と活用の意義を啓発する努力を絶やさないことが大事であると述べ、一橋大学附属図書館及び社会科学古典資料センターの存在価値を高めていく決意が来場者に向けて示された。
一橋大学社会科学古典資料センター創立40周年記念/
平成30年度文化的・学術的資料の保存国際シンポジウム
『西洋貴重書を守る、活かす』
日時:2018年12月7日(金) 13:00~17:00
会場:一橋大学佐野書院
主催:一橋大学附属図書館、一橋大学社会科学古典資料センター
後援:国立大学図書館協会東京地区協会、Hitotsubashi International Fellowship Program
プログラム
開会挨拶
山田敦(一橋大学副学長)
趣旨説明
大月康弘(一橋大学附属図書館長・社会科学古典資料センター長)
特別講演
水田洋(日本学士院会員・名古屋大学名誉教授)
中井えり子(元名古屋大学附属図書館)
基調講演
レイモンド・クレメンス(イェール大学バイネッキ図書館)
パネルディスカッション・質疑応答
パネリスト
馬場幸栄(一橋大学社会科学古典資料センター)
倉持隆(慶應義塾大学三田メディアセンター)
田中麻巳(立正大学古書資料館)
閉会挨拶
屋敷二郎(一橋大学社会科学古典資料センター教授)