学生の皆さんには留学でさまざまなことを感じ取り、新しい日本をつくってほしい
- 明治産業株式会社 取締役社長竹内 眞哉
- 一橋大学学長中野 聡
2024年12月26日 掲載
ブレーキ製品の『Seiken』ブランドをはじめ、自動車部品の販売及び輸出入を90年以上にわたって手がけてきた明治産業株式会社。同社は中国のEV・PHEVメーカーBYD社との協業、最新の機器・システムを導入しコンピュータ化が進んだ自動車整備の研究・整備士の育成を行うSeiken e-Garage Training Center(神奈川県大和市)の運営など、時代の変化を先取りするさまざまな施策を打ち出してきた。現在竹内眞哉氏が取締役社長を務める明治産業が、一橋大学海外留学制度の開始以来36年にわたって一橋大学の学生の留学を支援し続けてきた背景にはどのような思いがあるのか。2025年に創立150周年を迎える一橋大学の記念事業ステートメントとして「ひとつひとつ、社会を変える。」を掲げる中野聡学長と語り合った。
竹内 眞哉(たけうち・しんや)
1977年成城大学経済学部卒。1977年Bell School Cambridge、1978年St.Giles College留学後、1979年日本精工株式会社勤務を経て1981年明治産業株式会社入社。同社取締役海外部長、常務取締役、専務取締役、取締役副社長を経て、1998年取締役社長(代表取締役)に就任。現在に至る。制研化学工業株式会社代表取締役会長、日本自動車部品協会(JAPA)副理事長を兼任する。
中野 聡(なかの・さとし)
1983年一橋大学法学部卒業。1990年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位修得退学。1996年博士(社会学・一橋大学)。研究分野は地域研究、アメリカ史、フィリピン史、日本現代史。2020年一橋大学学長に就任。
海外の人と付き合い、学んだり遊んだりしながら体で何かを感じる
中野:明治産業には1988年から一橋大学の学生の海外留学にご支援いただいています。これほど長きにわたったご支援は本当に稀有な事例だと感謝しております。
竹内:もうかれこれ35年以上になりますね。
中野:最初は1桁の人数から始まったのですが、既に1,800名を超える学生を派遣しています。その学生たちが社会に出ていくことで採用する企業側にこの制度の存在が浸透し、「一橋の学生がどんどん積極的になっている」という前向きの評価をいただいています。海外留学制度に対する竹内社長の思いをお聞かせ願えますか。
竹内:私は大学を卒業してから2年ほどイギリスに留学しました。ただし、正直に言うと勉強よりも人と付き合うのが好きだったのです。海外の人と付き合ってみると、留学前に「海外とはこういうもの」と思っていたものと現実は全然違うことが分かりました。たとえば友人とパブに飲みに行った時です。当時はホワイトカラーとブルーカラーの入口が違っていました。私はどちらからでも入れましたが、当時のイギリスには階級制度が厳然と存在していたので、友人は専用の入口を使わなければならない。「本当にこういう現実があるのか」と驚かされました。
中野:イギリスに留学されたのは何故ですか。
竹内:元々車のデザインが好きで、知り合いにデザインをしている人がいました。その人の影響で自分もデザインを学びたいと考えたのです。車のデザインならイタリアで学ぶべきでしょうが、紆余曲折あってイギリスになりました。2年経って出資者の父に呼び戻されて、今は車ではなく経営を通じて会社をデザインし続けています(笑)。
中野:「会社をデザインする」という発想もイギリス留学の経験が活かされていると思われますか。
竹内:もちろんです。本当に優秀な学生がたくさんいる中で「誰と付き合ったらいいか」という視点を養ったことは、現在のビジネスにかなり役立っています。今はインターネットであらゆる情報が収集できるでしょう。しかし海外の人と付き合い、学んだり遊んだりしながら体で何かを感じるという経験は、やはり現地に行かなければ積めません。若い学生の皆さんにそういう経験を積んでほしいという思いから一橋大学の留学制度を支援しています。
中野:私が初めて海外に出たのは大学院生の時、研究の一環でフィリピンに行きました。もちろん経験としては大きかったですけれど、やはり学部時代に留学制度を活用して1年間、それこそ学ぶだけではなく遊びにも行く──逆に遊びも重要な学びになったりするのだと思いますが──という経験ができる後進の学生たちはうらやましいですね。一橋大学の学生諸君はすごく真面目に勉強しますが、竹内さんのように留学でしっかり遊んでネットワークをつくることにも力を入れてほしいと思っています。
竹内:実は先日久しぶりに渡英し、40数年ぶりに友人と会ってきました。彼女は留学生の受け入れを行う企業に長年勤めているので、最近の留学生の傾向について訊いてみたのです。彼女曰く、「卒業後の就職を念頭に置いた女子の留学生が増えている」と。
中野:その傾向は分かる気がしますね。
竹内:社会に出てから何をしたいか、本当に分かっている人ならその姿勢でもいいと思います。しかし現実にはやりたいことが分からない人たちもたくさんいますよね。むしろその状態で留学を通じてさまざまな経験を積んだうえで、やりたい仕事や人生設計を考えるほうが良いのではないか、というのが私の意見です。現在は人材が流動的になっていて、1社に就職して40年かけて勤め上げる世の中ではなくなってきています。一生の間に何回も仕事を変えることが当たり前の時代に入ってきているでしょう。実際に企業は新卒ばかり採用しているわけではありません。当社も中途採用の社員は相当多くなっています。就職を念頭に留学することも、留学を見送ることも、どちらももったいない。自分のやりたいことを考える時間をつくる意味で、海外でさまざまなことを経験してみればいいのではないでしょうか。
日本の自動車業界にはない発想が、中国の自動車メーカーから生まれている
中野:明治産業は長い歴史を持っている会社です。新卒だけではなく中途採用にも積極的ということで、社員の皆さんの気風あるいは会社の社風はどのようなものになっていますか。
竹内:当社は上場していません。非上場の会社の良さとして意思決定が早いこと、ロングタームで物事を見られることが挙げられます。後者については何十年もお付き合いのある固定客がいるので、今日1日のビジネスの話ではなく、ロングタームの話ができるわけです。先ほど学長からフィリピンの話が出ましたが、フィリピンにも70年以上取引しているお客様がいます。
中野:それはすごい。
竹内:お互いに調子がいい時もあれば苦しい時もありますよね。そこはロングタームの視点で、社員にも人間関係を大切にするように言っています。ただ、戦後に発展した自動車業界が転換期を迎えていることも事実です。私が社長でいる間に、株主やマーケットに縛られない形で改革を進め、当社の新しい形をつくっていくつもりです。
中野:本学では2025年に創立150周年を迎えるにあたって、「ひとつひとつ、社会を変える。」を記念事業ステートメントとして掲げています。社会を「変える」こと、また、社会のニーズが多様化する中で大学や企業が自ら「変わる」ことについて、明治産業はどのように取り組んでいかれる予定でしょうか。
竹内:当社は2023年に創業90周年を迎えました。90年前に日本車はありませんから、アメリカ車やヨーロッパ車の部品を輸入するところから始まっています。第二次世界大戦で物の輸入が難しくなったために、国内のメーカーにつくってもらうことで国産化を進め、戦後に本格的に復興したのですが、以来現在に至るまでビジネスモデルはずっと変わっていません。特に自動車部品の補修市場は車検という規制の後ろ盾もあり、自動車の保有台数の伸びに従い放っておいても拡大していきました。しかし8000万台に達してしまうと、さすがに頭打ち感が出てきています。
中野:若者が車に乗らなくなりましたよね。後ほど触れさせていただきますが、若者自体が減ってきているということもありますし。
竹内:そうですね。一方で自動車自体も変わってきています。昔は整備する時にはメカニックの人が自動車を目視で「ここが悪い」と判断して整備していましたが、今はほとんどコンピュータ制御されています。「走るコンピュータ」みたいになっているんですね。コンピュータをつなげて解析するため整備が非常に難しくなりました。そこで神奈川の大和にトレーニングセンターを開設して、メカニックを揃えて研究をし始めたのです。
中野:ガソリン車からEV(電気自動車)への変化ということですか。
竹内:EVは発想が全く違います。車の部品点数が半分しかありません。またエンジンがないのでレイアウトの自由度が上がり、バッテリーをタイヤの位置につけることも可能です。先日『ジャパンモビリティショー』に行ってきたのですが──昨年、約70年続いた『東京モーターショー』という名前から変わったことも変革の時期を象徴していますね──当社が提携している中国の自動車メーカーのBYDは驚くような自動車を持ってきました。4輪に別々のモーターが付いていて車両がその場で360度回転するタンクターンができる自動車です。上部に付けたドローンを先行で飛ばして、ドローンから送られてくる情報をもとに運転したり水中に入っていったり...こういった発想は今までの自動車メーカーの人間にはなかなかできません。
中野:自動車の概念と言いますか、自動車で何をするかが変わってきているということですよね。先日北京に行った時、自動車をショッピングモールで売っていて驚きました。普通ショッピングモールでは洋服やデジタル家電を売っているものですが、ブティックや家電量販店のような感覚で自動車を売っている。日本ですと一部のショールームを除いて、自動車は基本的にロードサイドの販売代理店で売っているものじゃないですか。修理や車検もその店舗に出したりしますよね。ところが北京ではテレビを売るような感じで車を販売しているわけです。社会における自動車の売り方、あるいは接し方自体が変わってきていてびっくりした記憶があります。
竹内:特に中国はコロナ禍以降大きく変わりましたよね。ですから自動車だけではなくドローンも含めた整備を取り込んでいきたいとも考えています。
真面目に勉強するだけではなく、海外の環境を体験する大切さ
中野:自動車業界の大変な変革期の中で、明治産業も自らを変えながら社会を変えるという社業をされているわけですが、竹内社長は一橋大学にどのようなことを期待されていますか。
竹内:そんな偉そうなことを言える立場ではないのですが(苦笑)...一つ参考にしていただきたい話があります。先ほど触れたBYDという中国の自動車メーカーのことです。2023年9月に工場を視察した際に、向こうの人からいろいろと話を聞いてまず驚いたのが新卒社員のレベルです。当時すでに60万人の社員が働いていたのですが、9月から3万人の新卒を迎えると。しかも精華大学、北京大学などトップクラスの大学から100人単位の新卒を採用しているとのことでした。
中野:質も量も破格というわけですね。
竹内:BYDは元々バッテリーメーカーです。モトローラやノキアへの納入で実績を築き、2003年に中国国営の自動車メーカーを買収して自動車市場に参入しました。メルセデス・ベンツ・グループとEVを共同開発し、今ではITエレクトロニクス、電気自動車、新エネルギー、モノレールの4大事業を展開しています。30年前に誕生したばかりの若い会社ですから、挨拶に出てきてくれる幹部クラスも30〜40代。考えていることが非常に斬新です。私たちが何十年もかけて取り組んできたことを一気にやってしまおうという勢いがあります。そんな彼らが全く違う発想で開発するからこそ、先ほど紹介したようなユニークな自動車をジャパンモビリティショーで発表できてしまうわけです。元気で若い人を育成するには、こういう海外の環境を体験することが一つ大きいと思いますね。
中野:だからこそ留学の経験は重要になってきますね。
竹内:一橋大学には相当優秀な学生が集まっています。皆さんに留学を一つの経験としてさまざまなことを感じ取ってきてもらい、新しい日本をつくってもらえたら嬉しいですね。ただ、先ほど学長も「学生が真面目」とおっしゃっていましたが、分かるような気もします。というのも私の息子も一橋大学の出身でアイスホッケー部の主将を務めていました。彼と話していると「お前ちょっと頭が固くないか?」と感じる時があるのです。
中野:最近では卒業生の中から吉本興業の芸人も出てきましたし、写真家、アニメーションの監督、映画監督、テレビ局のプロデューサーとして活躍している方もいまして、「一橋大学には芸術学部があるんじゃないか」と言われるほど多様な人材を輩出しています。その一方で、おっしゃるように優等生色が強い学生諸君もいますので、もう少し幅を広げた経験を積んでほしいな...ということは私も思っているところです。
竹内:そういえば新たにソーシャル・データサイエンス学部・研究科を開設されましたね。
中野:はい。こちらにもまた相当な秀才が入ってきています。
竹内:新しい学部ができたことですし、学部間の交流をもっと活発にすると、幅の広い、面白い学生が出てくるのではないかと期待しています。もっとも一橋大学単体でできる部分とそうでない部分があるのではないでしょうか。
中野:おっしゃる通りです。外的環境の変化に翻弄されざるを得ない面もあるのですが、だからこそその中で「一橋らしさ」を考え続けなければなりません。一つにはいたずらに規模を追求しないということが、「らしさ」として挙げられるでしょう。実は「貴学の個性は何か?」と問われると答えに詰まる学長さんが、国立大学には多いのです。その中で一橋大学は「本当に国立大学なのか?」と言われるほど、個性については事欠きません。
竹内:卒業生の方々がたくさん活躍していらっしゃいますし、何より如水会という同窓会組織が素晴らしいですよね。
中野:そうですね。皆さん一橋大学卒業生としてのアイデンティティーを強くお持ちで、本当に仲が良いですね。
為替の変動に影響を受けない留学制度のメリットをフル活用してほしい
中野:竹内社長がご指摘のように、一橋大学単体でできること、できないことがあります。10〜20年後には18歳人口が激減すると見込まれているので、国のほうでは学生の3割を留学生として迎え、卒業した留学生にそのまま日本に定着してもらおう、という議論も始まっています。日本の産業界から見ても結構深刻な事態だと思うのですが、企業あるいは産業界の立場から、高度人材の供給源としての大学にはどうあってほしいか、ご意見を伺えますでしょうか。
竹内:出生率が下がってきて人口が9000万人、8000万人という時代になると、「大学が多いのではないか」という問題が出てきますね。ですから中長期的には統合していくなどの方法を考えなければいけないのではないかと思います。短期的な問題としては円安が挙げられるでしょう。若い人ほど「日本で働くよりも海外のほうがいい」という方向に流れているように感じます。日本ではあまり予算がつかない、アメリカに行ったほうがもっと勉強できる、研究できると考える研究者の方々が増えていませんか。
中野:残念ながらその傾向はありますね。
竹内:ただし学生の立場に限って言えば、留学制度はとてもいいと思います。為替の変動に関係なく学費は一定(※)ですから。特に一橋大学は海外の一流校と提携されていらっしゃいますから、学生にとってはメリットの大きい制度です。ただでさえ若者が減っているので、研究するにしても働くにしても、為替の影響で若者が海外に流出していっては困ります。恒常的に人を育てるという観点から、大学の努力に頼るのではなく、国による補塡を積極的に進めてもらう必要はあるでしょう。
※派遣留学期間中は本学の授業料を納付する必要があるが、派遣先大学では入学料・検定料は徴収されず、授業料は本学への納付をもって代替されるため。
中野:一橋大学だけでも、大学全体だけでもなく、日本全体で向き合わなければならない難しい問題ですね。その中で明治産業、そして竹内社長が期待されていることがよく分かりました。そのご期待に応えたいと思います。本日はありがとうございました。