大学にも企業にも求められる ダイナミックケイパビリティ
- 日本電信電話株式会社 代表取締役社長島田 明
- 一橋大学学長中野 聡
2024年7月5日 掲載
NTTグループの持株会社である日本電信電話(NTT)株式会社。その代表取締役社長を務める島田明氏が一橋大学商学部卒業後に入社した1981年当時、日本電信電話公社は電気通信事業を営む公共企業体だった。しかし四十余年の時を経た現在、音声関連サービスの収入は、営業収益の15%に過ぎないという。NTTはどう変わってきたのか。そしてこの先、どう変わっていくのだろうか。2025年に創立150周年を迎える一橋大学の記念事業ステートメントは、「ひとつひとつ、社会を変える。」である。社会のニーズが激しく変化し、多様化する時代に、大学や企業が自らどう変わり、社会をどう変えていくのかについて、中野聡学長と島田氏が語り合った。
島田 明(しまだ・あきら)
1981年一橋大学商学部卒業後、日本電信電話公社(現NTT)に入社。英国、米国勤務を経て、2007年NTT西日本財務部長、2011年にNTT東日本取締役総務人事部長。2015年NTT常務取締役を経て、2018年NTT代表取締役副社長。2022年6月よりNTT代表取締役社長 社長執行役員、電気通信事業者協会会長に就任(現在は退任)。安藤英義ゼミ、弓道部出身。
中野 聡(なかの・さとし)
1983年一橋大学法学部卒業。1990年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。1996年博士(社会学・一橋大学)。研究分野は地域研究、アメリカ史、フィリピン史、日本現代史。1999年一橋大学社会学部助教授、2003年一橋大学大学院社会学研究科教授を経て、2016年一橋大学副学長。2020年一橋大学学長に就任。
思い出すのは、部活とゼミのことばかり
中野:国立のキャンパスにいらっしゃるのは久しぶりですか。
島田:数年前、弓道場を改修した際の記念射会で来て以来です。その時は、佐野書院(*)でパーティーも開催しました。
中野:弓道部は、本学の体育会の中では最も古い部活動の一つです。戦前からの長い歴史があり、先輩とのつながりもとても強いと聞いています。学生時代は、先輩の職場へ行って、部の活動費を寄付してもらったりしていたとか。
島田:私は高校の先輩が弓道部に入っていたので、声をかけてもらって入部しました。確かに、大手町や丸の内でお昼ご飯をごちそうしてもらいつつ、寄付金を集めていた記憶があります。
中野:ちょうど一橋大学になったばかりの頃に学生だった先輩方がいらっしゃるような時代ですね。
島田:大学時代を振り返ると、弓道部と安藤英義先生(現一橋大学名誉教授)のゼミのことばかり思い出されます。ほとんど正門は通らずに、弓道場のある北門ばかり利用していました。
中野:なぜ本学を受験されたのですか。
島田:たまたま一橋祭(学園祭)の様子をテレビで見たのです。さまざまなサークルが集まって、非常に楽しそうにキャンパスライフを送っている姿が印象に残り、学生生活をエンジョイできるのではないかと思いました。
中野:部活動とゼミをエンジョイされたのですね。ゼミでは何を勉強されたのですか。
島田:安藤ゼミで教えていただいたことが、私のバックボーンになっているといえます。ゼミとサブゼミで読んだHenry A. Finney&Herbert E. Millerの Principles of Accounting: Introductory と Intermediateで覚えた会計の英単語が、会社に入ってからの基礎になっています。社会人になっても勉強は続くのですが、ベースはゼミで身につけました。
中野:ゼミはしっかりやったという、典型的な一橋大学生ライフですね。
島田:私は会計学に関心があったので、安藤先生の「会社法」「監査論」のほか、岡本清先生(現一橋大学名誉教授)の「原価計算」、森田哲彌先生(一橋大学名誉教授、故人)の「簿記論」、木村栄一先生(一橋大学名誉教授、故人)の「損害保険論」などの授業にはまじめに出ていたと思います。歴史の勉強をさせてもらったという印象もかなりあります。Littletonの『会計発達史』も読みなさいと言われました。
*佐野書院:一橋大学に寄贈された、東京商科大学初代学長佐野善作氏の私邸
NTTの通信事業は、いまや全体の15%
中野:NTTにはどのような経緯で就職されたのですか。
島田:当時は電電公社(日本電信電話公社)でした。友人の多くは銀行に就職して、官に就職する人は少ない時代でした。私は、今のNTTデータがやっているような巨大システムの仕事をしたかったのです。航空のレーダー監視や銀行の全銀システムといったナショナルプロジェクトを手掛け始めていたので、そちらに関心がありました。
中野:情報通信インフラに対するご関心がおありだったのですね。民営化はいつでしたか。
島田:1985年です。
中野:ということは、採用されて4年後ですね。NTTは、大きく変わり続けてきた企業だと思います。私たち国立大学もまさにそうです。日本の学術政策、科学政策や人材育成政策が大きく変わり、2004年には国立大学法人になりました。与えられた環境や条件のなかで最適解を模索しながら進んできましたが、「変わる」ということについて、島田社長はどのようにお考えですか。
島田:民営化したとき、NTTでは売り上げの85%が電話事業で、15%がそれ以外の売り上げでした。しかし今、電話事業の売り上げは、携帯電話を入れても15%。85%は全く違う事業になっています。私が勤めた40年の間に、メインの事業が変わってしまったのです。VUCA(Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)と言われ、先が見えない時代になっていますので、今のビジネスを継続できるかどうかも分かりません。しかし、次の世代に向けて新しい事業をつくっていくことが、経営者の仕事だと思っています。
今、チャレンジしている事業の一つに、陸上養殖があります。ゲノム編集技術を用いてCO2の吸収量を増やした藻を陸上養殖の魚に食べさせることで、カーボンニュートラルにもチャレンジできますし、従来よりも魚の身を大きく育てることで、食料不足の解決にも寄与すると考えています。それとともに野菜工場も手掛けています。
もちろん、従来から行っている情報通信ビジネスは続けていきます。電話の発明は約150年前。それが、今ではモバイルが当たり前。これも進化の歴史です。日本は、労働力不足、環境・エネルギー問題、高齢化による医療費の増大、ウェルビーイングの追求など、いくつかの社会的課題に直面しています。これらを解決するための一つの方策として、私たちはIOWN(Innovative Optical and Wireless Network)構想というものを進めています。
IOWNは、NTTが発明した「光電融合技術」を用いることで大容量、低遅延、低消費電力を実現する次世代コミュニケーション基盤です。現在のネットワークインフラでは実現できない、新たな社会を実現する革新的な取組です。
中野:生成AIがエネルギー問題に直結するという話も、最近よく聞くようになりました。
島田:AIの学習に要するエネルギーは1,300MWhほど。これは原発1基1時間分の電力量に匹敵します。そこでNTTでは、世界トップクラスの言語処理能力を持つ小型で省電力の大規模言語モデル「tsuzumi」を開発し、すでに商用化しました。
求められるグローバル化と文理融合
中野:本学では、近年、文理融合を進めています。2023年4月には、72年ぶりの学部新設となったソーシャル・データサイエンス学部に1期生を迎え入れました。また、一橋大学社会科学高等研究院 (Hitotsubashi Institute for Advanced Study: 略称HIAS)の脳科学研究センター(HIAS-BRC)では、脳活動を調べる磁気共鳴機能画像法(functional magnetic resonance imaging, fMRI)による研究も始まっています。
島田:脳科学の研究は、NTTの研究所でも行っています。今、力を入れているのは、プロスポーツ選手の脳内のデータ処理がどのように行われているかという研究です。東京オリンピック・パラリンピックの際は、ソフトボールの強化練習に協力しました。
中野:21世紀に入ってまず求められたのは、グローバル化に対応する人材でした。コミュニケーション能力の高さや、インタラクティブなディスカッションができる人材です。本学でも1年生の必修英語はネイティブの講師により行われ、ディスカッションを含む授業カリキュラムになっています。さらに近年になると、グローバルに加えて文理融合が求められる人材としてもキーワードになってきていると感じているのですが、企業ではどのような人材が求められているのでしょうか。
島田:おっしゃるとおり、グローバルは必須です。NTTグループの従業員は全世界で約34万人。そのうち15万人が外国人です。ビジネス自体、完全に国境を越えています。また、NTTはもともとテクノロジーの会社なので、文系出身であってもコンピュータ言語は業務で身につけます。ロジックを考え、プログラム言語化するという仕事は、文理両方の力が必要です。
中野:現在、毎年120名前後の学生が、如水会などからの援助をいただいて、海外の協定校に留学しています。留学先では、如水会の海外支部の皆さんに大変お世話になっており、進路を選択する際の良いきっかけにもなっているようです。
島田:今の時代、デジタルのネットワークも大切ですが、ヒューマンネットワークはもっと大切です。私も海外で一橋大学のネットワークにとても助けられました。ヒューマンネットワークをグローバルに形成していくことは、今や必要不可欠です。そういう意味でも、学生時代に留学できる機会があるというのは素晴らしいことですね。
また、海外で、ある一定のポジションを得ようとすると、経験値の高さが鍵になります。海外で仕事をする際は、ジョブ型雇用が基本なので、一定のスキルと、現地の文化に馴染むことが求められます。そういった理由から、今の日本人が海外の主要な地域でポジションを得て働くことは、だんだん難しくなってきていると感じています。
中野:日本の国立大学が抱える大きな課題として、博士後期課程に進学する学生の減少があります。国も危機感を覚え、博士後期課程で学ぶ学生の進路として、従来の大学の教員や研究者だけでなく、民間や公共機関でも貢献できる人材の育成に乗り出しています。本学でも、従来の日本学術振興会特別研究員制度に加えて、博士後期課程に進む学生に対して相当の生活費支援を行うプログラムとして、科学技術振興機構(JST)「次世代研究者挑戦的研究プログラム」による「『The Bridge to the Future』一橋大学博士イノベーション人材育成プロジェクト」を開始したところです。NTTのような日本の大企業が、文理問わず博士後期課程で学んだ人材を採用していただけると良いのですが。
島田:ものすごく歓迎します。私は、文系の人でも、修士や博士を取得した人が来たら積極的に採用するように伝えています。グローバルでビジネスをしていると、日本人の学歴の低さを感じることがあります。私も学部卒ですが、今、海外で一緒にビジネスを行っているパートナー企業の幹部は、修士号はさることながら、博士号を持った方もたくさんいます。
今後は日本の企業も、自分でキャリアを形成していくようなジョブ型人材の採用や育成に力を入れていくことになるでしょう。すでに、自分でキャリアパスを考えることができる人材を求めるようになってきています。そう遠くない将来、70歳、75歳まで働くような時代がやってくるでしょう。テクノロジーはどんどん進化し、ものの考え方もどんどん変わっていきます。時代の変化を感じ取って、自分でキャリアパスを描き、学び直しも視野に入れて行動できる人が求められています。
キーワードは「変革」
中野:島田社長がお仕事をされるうえで大切にされていることは何ですか。
島田:企業ですから、大切なのはお客様です。他方で、お客様に満足していただくサービスをつくっているのは、従業員です。だからこそ、CX(Customer Experience)のために、EX(Employee Experience)を高めたいと考えています。社員の働き方改革によって、新たな顧客価値を生み出す、という考え方です。
30代で初めてマネジャーになったとき、私は同僚に「仕事はキャッチボールだ」と話していました。ボールを早く投げ返してもらえれば、そこに私が5%、10%の付加価値をのせて投げ返すことができます。2回、3回と往復すれば、その付加価値は70%、80%になっていくと考えたからです。
50代になる頃には、同僚には「4S」と言っていました。Shift,Speed,Service,Satisfactionの4つです。今の時代、スピードをもって変革(シフト)しないといけない。変革することでお客様にクオリティの高いサービスを提供して、最終的にはお客様の満足(サティスファクション)を得ましょう、そういう仕事をしましょうという呼びかけです。
今回、一橋大学の創立150周年記念事業ステートメントが「ひとつひとつ、社会を変える。」だと伺って我が意を得た気持ちです。キーワードは「変革」です。変革し続けないと、社会から後れを取ってしまう。自ら先回りして変わることで、社会に対して価値を提供できるのだと思っています。
中野:一橋大学、あるいは大学は、どうあるべきだとお考えですか。
島田:アカデミアの役割の一つに、歴史教育があります。過去の先人とどのように対話していくか。大学の学びには、そのヒントがあります。結局、ものごとはすべて積み重ねの上に成り立っているのだと思います。
たとえば、通信を行うためのスイッチ(交換機)という装置は、私が入社してから40年の間に7世代ぐらい変わっています。これもすべて、グラハム・ベルから始まったテクノロジーをレベルアップさせてきた結果です。先人の知識やプロセスがあって現代が出来上がってきたということを、歴史として学ばせることは、アカデミアとして非常に重要なことだと思います。
その一方で、データサイエンスのような、社会が求める新しい事業分野にも携わっていかなければなりません。経営学では「ダイナミックケイパビリティ」と言われていますが、つねに連続的な変化に対応していく能力が必要です。大学も、伝統を維持することと、ダイナミックに変化していくことの両方をうまく組み合わせることが必要だと思います。一橋大学もぜひそうなってほしいですし、ソーシャル・データサイエンス学部・研究科の設置は、まさにそういう動きなのだろうと受け止めています。
中野:私もことあるごとに、一橋大学の良さを守るためには変わり続けなければいけないと話しています。守るところは守りながら、社会の要請に応えて新しいチャレンジもしています。一橋大学の在り方をサポートしていただくご発言、大変心強く感じました。本日はありがとうございました。