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将来の予測が困難な時代だからこそ、普段の準備を万全に、ジャズのように変化を楽しんでいこう

  • JX石油開発株式会社 代表取締役社長中原 俊也
  • 一橋大学学長中野 聡

2024年3月28日 掲載

ENEOSグループの主要事業会社として、石油・天然ガスの開発・生産を基盤事業とするJX石油開発株式会社。代表取締役社長を務める中原俊也氏は、就任以来、「先を読む経営」から、「先を読めないことを前提にした経営、事業運営」へのシフトが不可欠であると主張している。将来の予測が困難なVUCA(Volatility, Uncertainty, Complexity, Ambiguity)の時代に、脱炭素社会に向けたさまざまな実証、プロジェクトリーダー制度の導入、他社・他大学等との協業の推進など、新しい取り組みの陣頭指揮をとる中原氏と、大学同期の中野聡学長が、学生時代から親しむ音楽、ゼミの思い出、リーダーとして組織を変化させていくことの必要性などについて語り合った。

中原 俊也氏 プロフィール写真

中原 俊也(なかはら・としや)

1983年一橋大学商学部卒業後、日本石油株式会社に入社。2015年JX日鉱日石エネルギー株式会社執行役員総合企画部長、2016年JXエネルギー株式会社執行役員総合企画部長、2017年JXTGエネルギー株式会社取締役常務執行役員、2020年ENEOSホールディングス株式会社常務執行役員、ENEOS株式会社常務執行役員。2021年JX石油開発株式会社取締役副社長執行役員を経て、2022年JX石油開発株式会社代表取締役社長執行役員に就任。

中野 聡弘氏 プロフィール写真

中野 聡(なかの・さとし)

1983年一橋大学法学部卒業。1990年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。1996年博士(社会学・一橋大学)。研究分野は地域研究、アメリカ史、フィリピン史、日本現代史。1990年神戸大学教養部専任講師、同大学国際文化学部専任講師、助教授を経て、1999年一橋大学社会学部助教授、2003年同大学大学院社会学研究科教授を歴任。2014年同大学大学院社会学研究科長、2016年同大学副学長を経て、2020年一橋大学学長に就任。

ウォーターフォール型から、アジャイル型へ

画像:対談の様子1

中野:本日はお忙しい中、ありがとうございます。一橋大学は創立150周年に向けて「ひとつひとつ、社会を変える。」というステートメントを掲げています。社会を変えるためには、一橋大学も変わらなければいけないと、2023年度の統合報告書の中でも強調しているところです。石油エネルギー業界も大きな変化を迫られている中で、御社ではどのような取り組みをされているのですか。

中原:石油エネルギー業界は再編を繰り返しています。最初は日本石油と三菱石油が合併し、新日本石油に。2010年に新日鉱グループと、新日本石油が合併しJXグループに。2017年にはJXグループと東燃ゼネラルグループが合併してJXTGグループとなり、2020年にENEOSグループとして統合された経緯があります。しかし、元をたどれば、一番古い会社は日本石油。1888年に新潟で原油を掘り始めた、我々の仕事が会社の源流になります。

中野:130年以上前ですか。

中原:はい。当社の創業は1888年ですが、石油エネルギー産業の歴史を共有するために、最近は668年創業と言っているんです(笑)。これは『日本書紀』に、越の国から天智天皇に燃える水が献上されたという記述があることに由来しています。そうすると産業としては1350年以上の歴史があることになります。原油の採掘から始まり、長い間、安定した仕事のやり方が正しいこととしてやってきました。

しかし、2015年の国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)で採択されたパリ協定の後、一気に脱炭素に向けて時代が進み、私たちも化石燃料からの脱却という新しいことをしなければいけなくなっています。そこで今、私たちが主に取り組んでいるのが、二酸化炭素を集めて地中に埋め固定化することで、大気中のCO2を減らそうというCCS(Carbon dioxide Capture and Storage)や、二酸化炭素を原油のある貯留層に圧入することで、原油の流動性を高め、原油の回収量を向上させるCO2-EOR(Enhanced Oil Recovery)といった脱炭素社会の実現をふまえた資源開発です。

中野:大きな方向転換ですね。

中原:ビジネスパートナーも違う、ビジネスモデルも新しくつくらなければいけない。そうなるとやり方を根本から変える必要があります。キーワードは「アジャイル」。これまで慣れ親しんだウォーターフォール型から、アジャイル型への転換を試みているところです。

もちろん、一気に変わることは難しいので少しずつ変わろうというメッセージを出しています。長年染みついている仕事のやり方を変えるのは大変だけれども、少しずつ変えていこうと伝えています。そういう意味では、一橋大学の「ひとつひとつ、社会を変える。」にも通じるところがあるかもしれませんね。

中野:コーポレートアイデンティティとしては、どのようなメッセージがありますか。

中原:そこには合併企業の難しさがあります。まずはお互いの文化を尊重し合おうということから始めています。私たちの合併は、複数企業の合併ということもあり、新しい文化をつくろうとすると各社にもともと根付いていた文化がなくなってしまうというジレンマがあります。伝統的な石油開発事業も続けながら、新しいことにも向かっていかなければいけない状況で社風をどのようにつくっていくか、試行錯誤しているところです。

画像:対談の様子2

中野:そういうタイミングが重なったのが、東京オリンピック・パラリンピックの時期だったとお聞きしています。

中原:2019年夏に東京・大手町にある比較的大きな企業は、翌年に控えた東京オリンピック・パラリンピックの開催に向けて、国からの要請で在宅勤務を経験しました。今では当たり前になりましたが、自分のパソコンを家に持って帰って、家から会社のサーバーに入るということをその時期に既にやっていたので、コロナ禍の初期の在宅勤務は、わりとスムーズにいきました。

中野:リモートワークと、社風を変えるタイミングがシンクロしたのですね。オフィスを拝見すると、フリーアドレスにされていて、まるでIT企業のようです。オフィスを新しいデザインにすることも、その頃検討されたのですか。

中原:そうですね。これは私の号令ではなくて、総務部の発案です。今対談をしているこの部屋は、もともと役員応接室で、眺望が一番いい部屋です。お客様に来ていただく部屋だったのですが、コロナ禍で誰も来ないということで、真っ先に社員が利用できるラウンジにしました。コーヒーマシンを設置し、誰でも無料で自由にコーヒーを飲めるようになっています。

伊丹ゼミでの学びが、経営者になった今、生きている

中野:中原さんは札幌北高校から一橋大学に現役で入学されています。ゼミでの思い出にはどのようなものがありますか?

中原:生まれは東京なのですが、父の転勤の関係で小学校3年生から高校まで北海道札幌市で過ごし、高校卒業後、現役で一橋大学に入学しました。共通一次第1号世代で、あの年は現役が圧倒的に有利だったのです。実は高校では理系クラスにいたのですが、高3の夏に理系に向かないことに気がついて文系に転向し、数学の配点が高い一橋大学を受験して、何とか滑り込みで合格したといった具合です。

中野:数学が得意だったのですね。私も同じ試験を受けていたのですが、全く逆で、数学は全然解けませんでした。一橋大学には理系からの文系転向で入学する学生が、意外に多いのです。

中原:私の時代もそうでした。

中野:とりわけ、商学部、経済学部、ソーシャル・データサイエンス学部は数学に重きを置いています。その意味で一橋大学は、もともと理系的資質のある人が多く入学している大学だとも言えます。

ところで、中原さんは、大学入学と同時に東京へ戻ってこられたのですね。

中原:最初は1人で国立に下宿していたのですが、1年生の秋に父が東京に単身赴任になり、父の会社の社宅に2人で住み始めました。これが良くなくてね。その社宅が新宿にあったので、なかなか学校が遠くなる。

画像:対談の様子3

中野:なるほど。私は当時、地下鉄東西線の高田馬場から通っていたのですが、中野で中央線に乗り換えることになるわけです。そうすると、中野駅で途中下車してしまう。当時は、「クラシック」という有名なクラシック喫茶があったので、そこで停滞してしまうこともありました。

中原:私が中野さんより偉いのは、国分寺駅までは行きましたから(笑)。当時は、1、2年次は小平キャンパスでしたので、国分寺駅から西武多摩湖線に乗り換えるのです。ただ、中央線がちょっと遅れると乗り継ぎが悪くて時間通りに大学に着けない。そうすると、国分寺駅で下車してジャズ喫茶へ行くわけです。または当時所属していたモダンジャズ研究会の部室が国立キャンパスにあったので、小平キャンパスへは行かず国立に行く。そんな生活を続けていると、当然ながら1、2年の成績はひどいものでした。3年次のゼミ選択の際に、学校の様子がわからないまま、うっかり精鋭が集う伊丹ゼミ(伊丹敬之名誉教授)に申し込んでしまったのです。

中野:伊丹ゼミは厳しいと有名だったそうですね。

中原:ちゃんと学校に行っている学生は分かっているのですが、私は行っていなかったので、シラバスを見て面白そうだなと思って受けたのですね。受けたら、10人定員のところに20人の応募がありました。絶対受からないと思っていたのですが、どういうことか受かってしまって。後に伊丹先生に理由を聞いたら、「成績の上から5人、下から5人を採った」とおっしゃっていました。それで、伊丹ゼミに入れていただいたのですけれど、先生には非常に厳しく指導していただきました。

中野:伊丹先生は先日、文化功労者に選ばれましたね。

中原:皆でお祝いしました。毎年ゼミの卒業生が集まる機会があり、いまだに薫陶を得ています。というか、いまだに怒られているのですけれど。ゼミ生時代は、私なりに頑張りましたね。

中野:ゼミだけは頑張るという、当時の典型的な一橋大学生ですね。学部の頃に資源エネルギーについて勉強されたのですか。

中原:ちょうど入学の時期が第二次オイルショックの頃だったので、エネルギー問題や中東問題が盛んに報道されていましたし、親戚に石油会社に勤めている者がいたこともあって、私にとっては身近な業界でした。大学で勉強したことは、実践ではあまり役に立たないと言われますが、伊丹ゼミは経営戦略や経営を学ぶゼミだったこともあり、大いに役に立っています。2012年に急に総合企画部長を拝命してから、経営計画や経営戦略を考えるようになり、そこで伊丹先生のご著書である『経営戦略の論理』を読み返しました。考え方の基礎となることは、間違いなく大学で学びました。

中野:今日は、いくつか本を持ってきてくださっていますね。

中原:はい。伊丹先生の『よき経営者の姿』は、社長になった時に読んで社長の心構えを学びました。それと、1959年に出た‟The Theory of the Growth of the Firm"(Edith.T. Penrose)という本。これはゼミで読んだ本ですが、2020年4月にコロナ禍で自宅待機になった時に読み直しました。

中野:本にたくさんの書き込みがありますね。

中原:学生の時は1日20~30ページしか読めなかったのですが、今ではすらすら読めるのです。これは英語が読めるようになったからではなく、経営者になり自分ごととして内容をとらえることができるからだと思います。全く予想しないところで、学生時代の勉強が役に立つのだなという発見がありました。

中野:時を経て改めて伊丹先生とつながったのですね。

中原:そうですね。こちらは伊丹先生が1999年に出版された『場のマネジメント』という本です。これは、コロナ禍が明けて、どういう職場にしようかと悩んでいる時に思い出して読みました。今、この本に書かれていることを参考にいろいろな実験をしています。いまだに伊丹先生にお世話になっています。

画像:対談の様子4

大学時代の恩師である伊丹名誉教授の著書は、経営の参考書として愛読していると語る中原氏

中野:改めて大学時代とつながってくれる卒業生がいるというのは、一橋大学としても非常にありがたいことです。

中原:どこでどうつながるか分からないものですね。私も経営企画や社長の仕事をしなければ、ここまで深く大学時代とつながることはなかったかもしれません。

ジャズから学んだ"反応"が、変化の時代のヒントに

画像:対談の様子5

中野:今もジャズは演奏されるのですか。

中原:年に数回、地元(逗子)のジャズ仲間と集まって演奏していますし、わりと古い曲を今でも聴いています。ジャズとクラシックの大きな違いは、譜面どおり演奏するかしないかでしょうか。そう言いながら、ジャズも基本的なお約束やルールは決まっていて、その範囲内で演奏しています。そのうえで"反応"を大事にしています。周りの音や聴衆への反応がうまくいくと、結果的にいいパフォーマンスができるのです。

中野:"反応"ですか。

中原:ええ。ただ、これはぶっつけ本番ではできないのですね。その手前の準備がものすごく大切で、自分の考え方や自分のスタイルを持っていないと"反応"することはできない。ビジネスでもそうかもしれません。自分の考えやスタイルを持ったうえで、初めての人や事象に向かい合った時に即座に"反応"できる能力が、これからはもっと求められる気がしています。

中野:JXグループでは、さまざまな産学連携をされていると思います。一橋大学に対して期待することがあれば教えてください。

中原:まず、一橋大学のソーシャル・データサイエンス(SDS)学部には非常に期待をしています。SDSには、データを社会科学とどう結びつけるかという視点がありますよね。

中野:はい。ただのデータサイエンスだと、理論や方法で分析する方向になりがちです。しかし、SDSでは、社会にあるデータを利活用して社会課題の発見をし、学部生や院生と一緒に問いをつくっていこうとしています。

中原:それと、一橋大学の強さは、ゼミにあります。長い伝統があり、熱意ある先生方や同窓と議論しながら自分の思考を深めることができる。ゼミこそが一橋大学のアイデンティティとも言えるのではないでしょうか。

中野:学んだことの中身は忘れてしまっても、そこで伝授される何かは残ります。

中原:そうですね。今の社会は、動きや変化が激しく、運・不運もあると思いますが、さまざまな壁を越えられる逞しさが求められます。私も経歴上、経営の本流から外れたことが何度もありましたけれど、忍耐強くやっていると、そのうち風が吹いてくる。その時に、風に乗れればいいのではないでしょうか。そういうタイミングは誰にでもあるので、それを摑めるかどうかです。そのために、自分に与えられた責務を、しっかりやっておく。

中野:失敗を恐れるなということでしょうか。いつの時代もそうかもしれませんが、近年の学生はどちらかというと、失敗を避けて安全な道を選ぶ学生が多いように感じています。しかし、普段からさまざまな試行錯誤を繰り返し、タイミングを見計らって風に乗れる準備をしておくとよいということなのですね。

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中原:そうですね。それがまさにジャズの"反応"であり、「アジャイル」なのだと思います。

中野:企業にも大学にも「変わること」が求められる時代に、大変示唆に富むお話をありがとうございました。

中原:こちらこそ、ありがとうございました。