「一橋の今とこれから」
- 一橋大学長蓼沼 宏一
- 理事・副学長(総務、財務、情報化担当)佐藤 宏
2016年春号vol.50 掲載
一橋大学は、2025年に創立150周年を迎えます。また2016年度は、第3期中期目標期間の初年度に当たります。日本の大学が大きな変革を余儀なくされる中、一橋大学はいかに将来を切り開いていくのか。蓼沼宏一学長と佐藤宏理事・副学長(総務、財務、情報化担当)が、一橋大学の「今」と「これから」について語りました。
蓼沼 宏一
1982年一橋大学経済学部卒業。1989年ロチェスター大学大学院経済学研究科修了、Ph.D.(博士)を取得。1990年一橋大学経済学部講師に就任。1992年同経済学部助教授、2000年同経済学研究科教授、2011年経済学研究科長(2013年まで)を経て、2014年12月一橋大学長に就任。専門分野は社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。近著に『幸せのための経済――学効率と衡平の考え方』(2011年岩波書店刊)がある。
佐藤 宏
1979年一橋大学経済学部、1981年同社会学部卒業。19889年同社会学研究科修了。博士(経済学)。1991年同経済学部講師に就任。1994年同経済学部助教授、1998年同経済学研究科教授、2009年同研究科長(2011年まで)を経て、2014年12月から現職。専門分野は中国における経済政策、地域研究。近著に"Rising Inequality in China: Challenge to a HarmoniousSociety" (2013, Cambridge University Press)がある。
一橋大学はどのような大学か―
Captains of Industry
佐藤:私は理事・副学長として常日頃、蓼沼学長と仕事をともにしていますが、今日は一橋大学の現状と将来について、大いに語り合いたいと思います。今日の対談は、新入生がはじめて手に取るHQの2016年春号に掲載されますので、主に新入生に向けた内容にしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
蓼沼:よろしくお願いいたします。
佐藤:さて、新入生が折に触れて耳にするであろう一橋大学の伝統的なスローガンにCaptains of Industryがあります。大学の公式ウェブサイトのトップページにもこの言葉が掲げられています。私は1975年に経済学部に入学したのですが、当時の経済学部にあった学問領域の中でもどちらかというと歴史や思想に興味があったためか、Captains of Industryはあまり自分には関係ない言葉のように思っていたことを覚えています。蓼沼学長は1978年に経済学部に入学されたと思いますが、どのように受け止めておられたでしょうか。また学長に就任されて、改めて一橋大学が掲げるCaptains of Industryとは何を意味するとお考えでしょうか。
蓼沼:私も入学した時は、経済を中心に社会の仕組みや流れを知りたいという知的興味が先にあり、研究を通じてやがては社会に役立ちたいという気持ちもあったので、狭い意味の「産業界のリーダー」を目指すという意識はなかったですね。実際、その後研究者の道に進みました。しかし、母校で教育や大学運営を仕事とし、さらに今は学長という立場になり、Captains of Industryとは、もっと広く深い意味で捉えるべき言葉だと思うようになりました。つまり、単に実業を上手く切り盛りするだけではなく、本学の研究教育憲章にあるように「日本及び世界の自由で平和な政治経済社会の構築に資する」リーダーではないかと思うのです。さらに、そのCaptainのスピリットは、企業経営や経済に限られるものではなく、法、政治、社会、学術などのあらゆる分野に活かされるべきものではないでしょうか。Captain̶船長̶とは、世界の荒海の中で未知の問題に直面しても、自分の船の特徴を知り、周囲の状況を的確に把握し、進路を見出していく者です。まさに、一橋大学が育成を目指すグローバル人材に他なりません。
佐藤:なるほど。そのように捉えると、このスローガンを一橋大学の教育の背骨として大事にしていく必要がありますね。昨今、大学「改革」が常態化する中で、事あるごとに新しいビジョンやスローガン、キャッチフレーズを打ち出すことが求められます。実際、国からの予算の獲得などのためには、ある程度そうしたことも必要ではありますが、本学のように創立140年を超える大学の場合は、歴史の風雪に耐えたスローガンを大事にしつつ、そこに時代の変化に応じた新しい意味合いを見出していくことが大事だと思います。
「真の実学」とは
佐藤:本学の伝統を語る上で、Captains of Industryとともに、「実学」という言葉もよく言われます。「実学」というのも分かったようで分からない言葉で、社会に役立つ学問のあり方を意味することもあれば、学問というより実務的なスキル、ノウハウを指す場合もあり、その言葉を使う人によって、また使う場面によってさまざまです。日本の大学教育をめぐる最近の産業界やマスメディアの一部の議論でも、「実学」をもっぱら職業上の専門知識という意味合いで用いて、一部の研究大学を除いて大学は「実学」教育を中心とすべきであるとか、あるいは「実学」を「教養」と対置させて大学における「教養軽視」の風潮を憂えたりとか、いずれもいささか短絡的な議論が見受けられるように思います。一橋大学は日本有数の社会科学の研究総合大学であり続けてきた実績をベースに、さらに世界最高水準の教育研究拠点を目指しているわけですが、研究総合大学が「実学」を掲げることの意義をアピールしていかないと、「実学か教養か」「学術か実学か」あるいは「専門か教養か」といった耳ざわりの良い二項対立的な図式にからめとられてしまう恐れがあるような気がします。
蓼沼:社会科学の使命の第一は、社会の構造と働きを解明することです。しかし、人々の暮らしと幸せに直接関わる社会の仕組みを対象とする社会科学は、単に事実を解明するだけでは十分ではありません。事実の解明つまり実証をベースとしつつ、どのような社会経済システムが望ましいのかという規範に基づいて、政治、法、経済等の制度や政策の改革、あるいは企業・組織運営の改善策などを示す責任を担っていると思います。そのような社会の改善に実際に資する学問、社会に「実りをもたらす学問」を、私は「真の実学」と呼んでいます。
一橋大学はつねに「真の実学」を重視し、実際、近現代日本の社会経済システムの構築と改善に大きく貢献してきました。つまり一橋大学が掲げる「実学」とは、単に日々の仕事や生活にすぐに役立つ実用的な知識やノウハウのことではありません。社会の直面する問題を発見し、解決するための知見を生み出す学問を指しています。
たとえば、最近はイノベーションの重要性がしばしば強調されます。政府は今年の1月、2016年度から5年間の国の科学技術政策の指針となる第5期科学技術基本計画を閣議決定しました。その中で、情報技術を活用したイノベーションを進めるために、政府の研究開発投資として5年間で計26兆円、国内総生産の1%に相当する規模の資金を投じるという目標が掲げられています。この計画に関する記者会見で島尻安伊子科学技術政策担当大臣は、「科学技術は経済をけん引するエンジン」だと述べています(『日本経済新聞』2016年1月22日付)。新技術の開発には、当然ながら自然科学的研究への投資が不可欠です。しかし、新技術の開発が社会的なプロセスであることにも注意を向けなければなりません。新技術は、開発者にインセンティブを与える組織、知的財産権保護のための適切な法体系、さらに市場に受け入れられるように製品化する企業システムなどが整えられてはじめて社会的に実現するのであり、その知見を与えるのが「真の実学」としての社会科学なのです。
また、社会科学においては、研究と人材育成とが密接に結び付いていることも強調しておきたいと思います。社会科学は、人間行動から社会現象まで俯瞰するフレームワークを構築し、それに基づいて社会が抱える課題を把握し、その解決を目指す学問です。このような、社会を俯瞰的に見る力こそ、急速なイノベーションとグローバル化の中で社会をけん引していくグローバル・リーダー、Global Captains of Industryに最も必要な資質です。したがって、一橋大学のように社会科学の先端的な研究に基づく高度な教育を担う大学は、各界のリーダーの育成にも大きな役割を担っていると思います。
佐藤:学長のご専門は経済学の中でも特に規範的な性格が強い領域だと理解しています。ご専門に即してもう少し「真の実学」の意味、あるいは抽象的な経済理論と実社会のつながりなどについてお聞かせいただけますか。
蓼沼:私の専門は、厚生経済学と社会的選択理論です。厚生経済学、あるいはより広く規範的経済学とは、人々の幸せを高めるという観点から望ましい社会経済システムとは何かを考究する学問であり、倫理学や哲学とも重なる部分のある研究分野です。一方、私たちはそれぞれに多様な価値判断を持ちつつ、日々、社会として一つの価値判断を下し、社会的な選択を行っています。社会的選択理論は、このように個々人の多様な価値判断を集約して一つの社会的価値判断を形成する適切な方法・ルールを明らかにすることを目指す学問領域です。どちらも、社会を改善へと導くのに重要な役割を担っています。
さきほども申し上げたように、事実の解明つまり実証と、規範とがかみ合ってはじめて学問は社会に実りをもたらすことができます。そして、実証も規範も、思考の枠組みを与える理論に基づかなければなりません。たとえば、現在、消費税の増税は大きな社会経済問題になっていますが、適切な消費税率を考えるためには、まず消費税の増税が経済全体に及ぼす影響や、最終的に誰が税負担するのかといったことが、さまざまなケースについて理論的・実証的に明らかにされなければなりません。その思考の枠組みと分析ツールになるのが、ミクロ経済理論、マクロ経済理論、計量経済学などです。これが事実解明の部分であり、いわば社会的選択のメニューを明示するということです。
次に、メニューの中から何を選択すべきか、という時には規範が関わってきます。とりわけ、人々の間で利害の対立する分配の問題を考える時には、規範が重要です。何が望ましいか、という規範原理を考える時にも思考の枠組みとしての理論が必要です。ある原理を正当化する理論的枠組みが強固で誰にも納得のいくものであるほど、その原理も受け入れられやすくなると言えるでしょう。
こうした思考の枠組みとしての理論は、論理性をとことん突き詰めるだけでなく、現実に起きていることの経験やデータ、あるいは人々の持つ倫理的判断などと突き合わせて、つねにブラッシュアップしていく必要があります。つまり、科学の発展とは、理論と経験の均衡点を更新し続ける相互作用であると思います。
佐藤:どのような分野を専攻するにせよ、抽象度の高い論理と現実の出来事をつなぐ考え方の訓練が大学で学ぶ基本だということですね。
ところで経済学部では2013年に、学長と私も含め多くの教員が寄稿した『教養としての経済学』という本を出版しました。経済学と社会の関わりをさまざまな側面から扱った学術エッセイ集ですが、全体を通じたメッセージは、生きていく力としての教養、たとえば未知の環境に着の身着のままで放り出された時に、何とか生き延びる方法を見つける智恵として経済学は大いに役立つということでした。それは経済学に限らず他の社会科学、人文科学、自然科学の諸分野でもまったく同じだと思います。ただし、どの分野にせよ教養として身につけるためには、「辛抱して」深く体系的に学ぶ必要がありますね。私も学生時代にもっときちんと経済理論を学んでおくべきだったといつも反省だけはしています。
教養教育というと、何か出来合いの定食メニューが用意されるものと考えている向きが一部にあるように感じますが、それはある種の誤解ではないでしょうか。名誉教授のある先生が、日頃から「教養は強要できない」とおっしゃっていたことを思い出します。さまざまな分野で国際的に通用する活動をしている研究者が、先端的な研究成果に基づく教育をする、学生がそれを幅広く学んで自分の頭の中で組み合わせることで教養を深めていけることが研究大学で学ぶ学生の特権であり、そうした優れた学修環境を維持していくことが大学の責任なのだと思います。それと同時に、これからの学生にとって不可欠なスキル、たとえば英語を教授言語とする授業やゼミに出ても何とかなるだけの力などは、きちんと学べる環境を整備していくことも重要だと思います。
蓼沼:同感です。どんな学問分野であっても、深く学べばものの見方や考え方が身について人を豊かにしていく。つまり、どの学問も専門になるし、どの学問も教養になる。重要なのは、教員は最先端の研究をしているからこそ、その学問の意義や面白さを伝えることができるし、興味を持った学生をより深い領域まで導くことができるということです。
このように幅広くかつ深い教養を身につけるのに、一橋大学の教育の仕組みは大変に良くできていると思います。まず、本学の伝統である少人数のゼミナール。最先端の研究を進めている教員が一人ひとりの学生と向き合い、自身の経験に基づいて学生が自ら課題を発見し、論理的に考え、解決への道筋を見出し、それを分かりやすく表現する力を磨くのを助ける。逆に、学生を導く中で、教員が新たな研究課題を発見する。そうした研究と教育の相乗効果が働くのがゼミという場です。
また、本学は伝統的に学部間の垣根が非常に低く、他学部の科目も自由に選択できるので、幅広い分野を学ぶことができます。しかも、研究総合大学として、それぞれの分野を専門とする教員が各科目を担当していますから、自学部以外の他学部の分野に興味を持った学生は、どんどん深いところまで学ぶことができます。私のゼミにも、経済学部の科目以外にも興味を持ち、商学部や法学部などの科目をたくさん履修して、卒業後は公認会計士や弁護士になって活躍している人たちもいます。本学出身の教員の中にも、学部から大学院に進む時、研究関心の変化に応じて所属を変えた人たちがいます。確か、佐藤先生もその1人でしたね。このような自由で風通しの良い学風が、本学の高い水準の研究と教育を支えてきたのだと思います。
さらに、本学は東京医科歯科大学、東京外国語大学、東京工業大学との四大学連合をはじめ、他大学との連携と単位互換も積極的に進めています。たとえば、東京医科歯科大学との複合領域コース「医療・介護・経済」などは、着実に成果を上げてきました。今後は遠隔講義システムなどの最新の設備も使って連携授業を充実させていこうと思います。これによって、理系分野の科目を含む一層多様な選択肢を学生に提供できるようにしたいと考えています。
創立150周年、
2025年の一橋大学
佐藤:一橋大学が将来どういう大学になろうとしているのかという問題に移りたいと思います。学生の立場からすると、国公立大学と私立大学の違いは入試科目の違いや学費の差としてしか意識されないかもしれせん。実際、教育サービスを受ける側からはサービスの内容が問題で、サービスを供給する組織の形態は関係がありませんが、社会科学を学ぶ学生として自分たちが学んでいる国立大学の制度的位置づけについて知っていることも無駄ではないでしょうから、まずは少しだけ国立大学の仕組みについてまとめておきたいと思います。
2004年に全国の国立大学は国立大学法人として法人格を持つ組織に転換しました。法人化後の国立大学と国の関係は、一つには運営費交付金と呼ばれる国からの支援が依然として大学の主な財政基盤となっていること、そして国からの財政支援を担保する意味で、各法人は国が承認した「中期目標・中期計画」に従って大学運営を行うことが要求され、目標・計画の達成状況を毎年報告し評価を受ける必要があること、という形に整理できます。本学の経常予算のおよそ半分が運営費交付金で賄われており、教育や研究における目標と主要な計画はすべて中期目標・中期計画に盛り込まれています。
2016年度はちょうど第3期目の中期目標・中期計画の初年度、本学にとっては大きな節目の年に当たります。第3期中期目標期間において各国立大学法人は「機能強化」、すなわち自らの強みと特色をより一層際立たせることが要求されています。そのために国が国立大学法人に対する財政支援を行っていくための三つの重点支援の枠組みというものが設けられ、各法人はいずれかの枠組みを選択することになりました。重点支援の枠組みの一つ目は地域のニーズに応える人材育成を行う大学、二つ目は分野ごとの優れた教育研究拠点となる大学、三つ目は世界的に見ても卓越した教育研究拠点の形成を目指す大学で、本学は最も要求水準の高い三つ目の枠組みにおいて機能強化を図る16の大学の一つです。中期目標・中期計画は6年サイクルですが、もう少し伸ばして約10年後、本学が創立150周年を迎える2025年の一橋大学をイメージしながら、今後どのような改革を進めるのか、そのポイントを伺いたいと思います。
蓼沼一橋大学の役割と使命をより一層効果的に果たすため、このたび研究と教育の両面で全学的な改革に取り組むことにしました。まず、一橋大学社会科学高等研究院を「真の実学」の拠点として位置づけ、ここを中核として国際共同研究を強く推進して国際的プレゼンスを高めるとともに、グローバル経済システムの新たな設計、高齢化社会における医療・介護に関わる経済・経営の諸問題など、グローバル化と高齢化が同時進行する社会における重要な課題に全学的に取り組みます。
次に、人材育成に関しては、「質の高いグローバル人材」の育成を一層推進するため、「グローバル教育ポートフォリオ」を提供します。これは、英語コミュニケーションスキル科目の8単位必修化、英語集中研修、ゼミをベースとした海外調査・研修、海外インターン、長期(1年または半年)派遣留学など、各学生が意欲を持って取り組めるよう、内実のある多様なプログラムを効果的に組み合わせたものです。また、学生が海外の大学のサマースクール等に参加しやすくなるように、学期制も改革します。
さらに、ビジネス、法、政策等における高度専門職業人を養成する教育体制を一層強化・充実します。ビジネスと法の分野で、これまでも一橋大学の商学研究科、国際企業戦略研究科、法学研究科は、それぞれに特色のある高度専門職業人養成プログラムを構築し実施してきましたが、人材と資源を集中すれば、さらに多様な要求に応える濃密な教育が可能になります。そこで、この三つの研究科を再編して「一橋ビジネス・スクール(経営管理研究科)」と「一橋ロー・スクール(新たな法学研究科)」という二つのプロフェッショナル・スクールを2018年4月に設立することとしました。この再編統合により、学生の学びの機会と選択肢は大幅に拡張されることになり、グローバル化するビジネスと法務に対応できる人材を養成する体制が整うと確信しています。さらに、社会的ニーズが高まっている医療・介護、社会保障等の分野における政策や経営の高度専門職業人を養成する新しいプログラムも創設します。これらの高度専門職業人養成は、経営、経済、法等の分野における先端的研究と一体として進め、その相乗効果を図るのが、世界最高水準の研究総合大学を目指す本学の使命だと考えています。
佐藤:日本全体を見てもこの10年間ほどで、高度専門職業人養成を目的とした新しい形の大学院が増えてきました。「文系」学部の学生にとっても大学院進学、特に修士学位や専門職学位の取得は、すでに身近な選択肢になっています。これから学部に入学する学生が社会に出てキャリアを積み重ねていく中で、専門的なポジションを獲得するために、大学院レベルの知識が必要条件となるケースが、今後ますます増えていくと考えられます。海外では、公的機関であれ企業であれ、経営学、経済学、法学、社会学など「文系」の修士学位や博士学位を取得して、専門的な仕事に携わっている人が数多くいますので、経済と社会のグローバル化の中で、一橋大学の学生は否応なくこうした海外の人々と付き合っていくことになるでしょう。
学部に入学したばかりの新入生にとって、大学院は現実味のないことに思えるかもしれませんが、実はそうではないということに、ここで注意を促しておきたいと思います。商学部と経済学部では学部・修士5年一貫教育プログラムが用意されています。これは学部で4年間学んだ後、所定の選抜試験に合格すれば、通常は2年かかる修士課程を1年で修了することができる、すなわち5年で修士学位を取得できるというものです。学部4年次から実質的に修士レベルの勉強を進めることが、これを可能にしています。さらに博士課程まで進む場合は、通常学部入学から少なくとも9年を必要とする博士学位取得までの道のりを1年短縮することも可能となります。学部・大学院一貫教育のシステムは、今後全学的に拡がっていくと思いますので、新入生の皆さんにも大いに関心を持っていただきたいですね。
グローバル・リーダー、留学
佐藤:近年、大学のグローバル化が盛んに強調されます。本学でも特に優れたグローバル人材育成のための選抜制プログラムが始まっています。これはこれからの時代にふさわしいGlobal Captains of Industry育成を目指すもので、現時点では商学部の「渋沢スカラープログラム」、経済学部の「グローバル・リーダーズ・プログラム」が走っていますが、2016年度以降、全学部に展開することが計画されています。新入生の皆さんにはぜひ参加を考えていただきたいと思います。
大学教育のグローバル化という点で一橋大学が誇るべき制度が、1987年以来長年、如水会などの支援をいただいて続けている、交流協定大学への1年間または半年間の派遣留学です。これは他大学が追随しようとしてもなかなか難しいユニークな制度で、2016年の学部学生の派遣数は110人を超える見込みです。4学部合わせた1学年の学生数が約1000人ですから、1割強の学生が海外の一流大学で正規の授業を履修する留学生活を経験することになります。
学長は一橋大学で修士課程を終えられた後、米国のロチェスター大学に留学され、経済学の博士学位を取得されました。留学のきっかけ、ロチェスター大学のカリキュラム、生活で苦労した点など、学部留学と大学院留学ではかなり違いますが、新入生にも参考になりそうなことをいくつかお話しいただければと思います。
蓼沼:私が大学院生の頃から、経済学の分野では英語で国際ジャーナルに論文を掲載し、国際的な評価を受けることが当然になりつつありましたので、米国の大学への留学を志すようになりました。今でこそ本学の大学院もグローバル化し、経済学などのコースワークも格段に充実しましたが、当時は体系的な研究者教育という点で日本の大学全体が遅れていたからです。本学での留学支援制度などはなかったので、自分で外部の奨学金を獲得するしかありませんでした。幸い2年間のフルブライト奨学金を得てロチェスター大学に留学し、その後はティーチング・アシスタント、リサーチ・アシスタントとして働きながら、コースワークから始めて博士論文作成まで5年間、学びました。私は、その時人生ではじめて海外に出たのですよ。
留学して最初に苦労したのは、やはり言語の問題です。奨学金を得るにも、大学院の入学許可を取るためにも、TOEFL®の高得点が要求されますので、私も留学前から随分英語は勉強したつもりです。それでも、授業ではノートを取るのが難しい。聞くことに集中すると書けないですし、逆に書いているとその間に話されたことを聞き逃してしまいます。リスニングとライティングのそれぞれはできても、それを同時にこなすには一段上の能力が必要なのです。母国語なら当たり前にできる、そうしたことが外国語では難しいということを実感しました。しかし、英語で仕事をするためには、そのレベルの能力が必要になります。
さらに言えば、英語で理解し、記録し、発言することができるか否かは、言語能力だけの問題ではありません。実は、自分がどれほど幅広く深い専門的知識を持っているかが重要なのです。当然ながら、専門的知識が豊富なほど、言語のハンディは克服しやすくなります。私が今、1年間、海外の大学で正規の授業を受け、単位を取得することを目指す派遣留学制度を特に重視しているのは、こうした自分の経験もあるからなのです。
インターネットなどのメディアが格段に発達した現代では、英会話力などは国内でも十分に習得することができます。一橋大学の学生には、グローバルに仕事のできる人材を目指して、一段と高いレベルのコミュニケーション能力と専門性を身につけることを強く期待しており、そのために交流協定大学への派遣留学をはじめ、本学の多様な海外研修制度を活用してほしいと思います。そして、学生にこうした恵まれた機会を提供していただいている如水会、各卒業生・企業、日本学生支援機構等のご支援には、学長としていつも心から感謝しております。
私が留学して良かったと思うもう一つの点は、「サバイバル力」とでもいうものが身についたことですね。誰も頼ることのできない外国、しかも冬はマイナス10度以下にもなるという寒い地で5年間、自炊生活をして、随分鍛えられました。日本での生活と違い、アメリカでの自炊は、まず材料を調達するのが難しいし、車がなければスーパーに行くこと自体も難しい。限られた予算では、外食はハンバーガーくらいしか買えないので、逃げ道もない。そのうち、日本に帰国する研究者の方から中古車を安く譲ってもらいましたが、当時のアメ車は故障続きで苦労しました。何とか生活できるくらいの奨学金をもらってのやりくりなので、お金も限られていました。一方で博士課程では大量のリーディング・リスト(読むべき論文等のリスト)と課題を出され、勉強がとても忙しくて時間が限られてくるので、時間を効率的に使いながらつくって食べて寝てという生活、そういうサバイバル力をその時鍛えられたという気がします。
今は時代も変わりましたし、大学院と学部では学生生活もだいぶ違うと思いますが、外国で長期に生活する経験は、どの学生にとっても新鮮で、将来必ず役に立つものと確信しています。ぜひ積極的に海外に挑戦し、留学先の大学でしっかり勉強するとともに、その国の社会に入り込んでさまざまな経験を積んでほしいと思います。
佐藤:一橋大学の長期派遣留学は、交流協定校と相互派遣の形で行われていますので、派遣学生が増えれば一橋大学に来る交換留学生も増えるという関係になり、国立のキャンパス自体もますますグローバル化していくということになります。実際、キャンパスを歩いていて、明らかに英語のネイティブスピーカーでないと思われる学生同士が英語で会話をしている、あるいは英語以外の言葉で会話をしている姿を見ることが多くなってきたように感じます。他方で、留学生同士が驚くほど達者な日本語で会話している姿も見受けられます。多くの留学生を引き付ける海外の有力大学ではとうに当たり前になっているそうした光景こそが大学のグローバル化なのだろうと思います。大学執行部全体として、引き続きキャンパスのグローバル化に力を注いでいかなければならないと思います。
(2016年4月 掲載)