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ダイバーシティーは、一人ひとりと向き合うことから始まる

  • サッポロビール株式会社 取締役常務執行役員福原 真弓
  • 一橋大学 学長中野 聡

2022年3月31日 掲載

1988年に一橋大学社会学部卒業後、サッポロビール株式会社に入社。女性総合職4期生として工場跡地の再開発やワインの小売・マーケティング業務、ダイバーシティー推進プロジェクトリーダー、そして人事部長として活躍し、2016年3月、女性でビール業界初の内部昇格による取締役に就任した福原真弓氏。同社におけるダイバーシティー推進のシンボル的存在となった。そこで、中野聡一橋大学長と、そんな福原氏のキャリアストーリーを軸に企業や大学における女性のキャリアステップやダイバーシティーの在り方、大学への期待などについて語り合った。

福原 真弓氏 プロフィール写真

福原 真弓(ふくはら・まゆみ)

1988年一橋大学社会学部卒業。同年4月サッポロビール株式会社入社。総合企画部、北海道本社業務部を経て1994年株式会社恵比寿ワインマートへ出向。2006年サッポロビールワイン洋酒事業部、2009年同社人事総務部グループリーダー、2013年同社人事総務部長、2014年同社人事部長を経て2016年サッポロホールディングス株式会社取締役人事部長に就任。2020年同社取締役、2022年3月サッポロビール株式会社 取締役常務執行役員に就任。

中野 聡 プロフィール写真

中野 聡(なかの・さとし)

1983年一橋大学法学部卒業。1990年一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。1996年博士(社会学・一橋大学)。研究分野は地域研究、アメリカ史、フィリピン史、日本現代史。1990年神戸大学教養部専任講師、同大学国際文化学部専任講師、助教授を経て、1999年一橋大学社会学部助教授、2003年同大学大学院社会学研究科教授を歴任。2014年同大学大学院社会学研究科長、2016年同大学副学長を経て、2020年一橋大学学長に就任。

故・阿部謹也学長の著書を読み一橋に

対談中の写真1

中野:まず、学生時代の話から伺いたいと思います。都立富士高校から一橋大学に進学されたと伺いました。

福原:一浪して一橋大学に進学しました。1年目は他の大学を受けず、一橋大学一本で臨んだのです。他が受かっても多分行かないだろうと思っていましたから。

中野:それほどまでに一橋大学を志望された理由とはどういったことでしたか?

福原:阿部謹也先生の影響です。父が大学教員をしていた関係で、たまたま家に阿部先生の著書があり、ふと手に取って読んでみたのです。「こういう歴史もあるのか!」と夢中になって読みました。そうしたら、父が「阿部先生は一橋大学におられるよ」と。それを聞いて、一橋大学に行こう、とライトに決めました。

中野:80年代の当時は、阿部先生のブームがありましたね。

福原:歴史をこのような文章で描くのはどういう先生なのかという好奇心や、一橋大学は小規模でアットホームな雰囲気があり、ゼミが面白そう、といったイメージにも背中を押されましたね。父は、ゼミ生が卒業した後もよく一緒にお酒を飲んで交流を続けていました。一橋大学のゼミはどんな感じなのかな?という関心がありました。

中野:ゼミは阿部先生の歴史学を選ばれたと思いますが、そこでの学びは就職や実社会にどうつながりましたか?

福原:あえて言えば、ヨーロッパ中世の法意識を卒論のテーマとしたのですが、文献を読む中で出会ったヨーロッパの中世におけるワインやビールの存在が就職のフックになった、と言えるかもしれません。ドイツ中世農村史資料のヴァイステューマー(判告録)を読んでいると、罪を犯した人が罰としてブドウ畑の門のところに石を3つ重ねて枕にし、何時間おきに起きてブドウの見張りをせよという判決文が出てきたりするんです。何でこんな罰があるのか、そこまでブドウやワインは大事されたのか?と不思議に感じたり、また紀元前から綿々とお酒が人と人の関係を紡いでいたり、農民が一揆に向かう前に酒盛りをして気勢を上げることで、神の力を得ると考えたり、といった史実を前に、お酒の力とはどういうものかという関心が強くありました。単にビールが好きというのもありましたが、そんな理屈をやや強引につけて、サッポロビールを選んだのです。ですから、阿部ゼミでの学びは何か直接仕事に生きるということより、人と人との関係性を媒介するものとは何かといった関心を育むものとしてつながっていると思います。入社後も、たずさわった街づくりや小売、最終消費財を扱うメーカーで働く身として、そういった観点が常にベースにあり続けていると感じますね。

一橋で学んで良かったと思うのは、他学部の授業も自由に取れて単位認定されるので、自分で学びを組み立てられるところです。これは貴重な経験でしたね。

人生における充実期をプラス材料に

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中野:福原さんのお話を伺っていて感じたのは、ゼミでの学びを卒論だけでなく就職にもつなげたというこだわりです。そこから連想したのは、阿部先生の自伝にある、師である上原専禄先生から「それがないと生きてはゆけないというテーマを研究しなさい」と言われたというエピソードです。そこから、阿部先生の中でドイツ中世史というテーマが結実したわけですね。学生もそういったこだわりが見つかるといいと思いますが、実際は焦点がぼやけていて、就職先もどこに行けばいいか分らないという人も多いのではないでしょうか。そこで、福原さんにはこだわりの見つけ方を伺いたいと思います。

福原:私も阿部先生から上原先生の言葉を何度も聞かされました。果たしてそんなテーマが見つかるのかと思いましたが、卒論のテーマ設定や就職の際は、果たして自分にとってなくてはならないものか、一生懸命考えたいことかと自問自答した覚えはあります。決めた時はこだわりというほどのものではなく、もう少し軽い気持ちでしたけれども。

何年か前に、如水会の寄附講義として人事部長の立場で話してほしいと要請された時、こういう話をしました。学生のみなさんの人生はまだたかだか20年ぐらいだけれども、その中ですごく楽しかったこと、辛かったことがいろいろあるでしょう。それは一人ひとり違うものだから、その時の感情の浮き沈みを曲線にして書き出してみてくださいと。これをライフラインチャートと呼ぶのですが、どういう時に充実していたかが浮かんでくるんですね。そこから、自分の価値観や社会に出た時に自分が懸けたいことが見えてくるのでは、と話しました。私のライフラインチャートを見せながら、さらに30年働いて自分の価値観が抽象化されて、それが自分のミッションになっていると。今見つからなくても、自分が大事だと思うことを追っていけばいつかは見つかると話しました。

中野:社会人になってどう歩むか、中長期的な視点で考えることも大事だということですね。

福原:ここ2年ほどはコロナ禍で働き方が劇的に変わりました。働く場所や時間が一変したわけです。長い人生、いろいろなできことを抱えて働くわけですから、時にはこのように環境が激変したり、エネルギーを発散できない時期があったりするのは仕方がないこと。しかし、その中でも充実しているのはどういう状況かを考えていくと、自分を弱者に追いやらなくても済む。自分を、価値を提供できる状況に置くにはどうすればいいのかを考えられるのではないかと思うのです。

中野:"失われた世代"という呼び方がされ始めているように、今の学生は皆、コロナで学生生活が奪われた感覚を持っていると思います。そんな学生たちに、今の浮き沈みのお話は力になるのではないかと思います。コロナだけでなく、それぞれの人生では失われた時間がいろいろあるでしょうが、それは長いスパンで捉えた時にどう評価するかで違ってくると思いますね。また、一人ひとりが自己実現を求める中、自分の人生をこのように完成させたいというビジョンからバックキャストして今をどう生きるかを設計できるといいですね。そうそうできることではないとは思いますが。

福原:そうですね。私には大学4年生の娘がいるのですが、この2年間を見ていると正直、かわいそうだと思います。けれども、彼女からすればそれしか経験がないわけですから、周りが思うほど悲観はしていないようです。如水会でも現役学生の話を聞いていると、皆さん自分なりのやり方を見つけてアクションを起こしていることには頼もしく思えましたね。

ワインの小売の仕事で人と人をつなげる喜び

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中野:企業においても、昨年と今年に入社した新人はコロナの影響が大きかったでしょうね。ところで、福原さんはサッポロビールに入社されて33年目を迎えられているわけですが、最近は転職が当たり前になり、起業する人も増えているという中で、組織の中で長く働くとはどういうことかをぼんやりとでも考えている学生もいるかと思います。そこで、福原さんのこれまでのキャリアについてお話しください。

福原:私のキャリアは当社グループの中では異色だと思っています。ビール会社に入社したもののこれまで一度もビールをつくったことも売ったこともないからです。けれども、ダイレクトではなくてもビールとつながっていることはずっと感じられています。

入社してすぐ、たまたま当時立ち上がっていた、街なかにあった工場の移転とその跡地の再開発事業に携わりました。まずは本社で事務局を務め、その後3年目から3年半ほど札幌に赴任して実際に商業施設の立ち上げに取り組みました。転職・出向してきた再開発のプロフェッショナルらと一緒に仕事をしましたが、引継書などない、ゼロからの立ち上げです。大変でしたし失敗もしましたが、ゼロから1を作ることは、自分の中では大きな財産になりました。

女性総合職の4期生でしたが、女子社員の地方転勤はおそらく当社初だったと思います。「そろそろ女性社員の転勤もありかな~?」と思っており、行くなら創業地の札幌がいいという希望を出していました。それをかなえてもらった形ですね。

その仕事を終えて東京に戻ったのが、恵比寿ガーデンプレイスのグランドオープン半年前で、今度はそこのワイン専門店の小売事業に関わることになりました。エプロンをかけて、商品を包んだりレジを打ったりもしましたよ。バックオフィスも含めて店のオペレーション一式を任されたのですが、もうそれが楽しくて(笑)。

中野:そうだったんですね。

福原:ワインの歴史的背景は興味深いものでしたし、大量生産、マスマーケティングの対象であるビールと違いワインは超多品種少量生産です。しかも、同じ銘柄でも年によって作柄が違い、作り手によって味わいが違う。加えて、チーズやグラスといった周辺のアイテムとの組み合わせもあって、そのバリエーションは無限大なんです。その後、ワインの直輸入や通信販売の立ち上げなど小売に10年以上携わりましたが、本当に充実していたのです。その間、出産や育児というライフイベントがあり、「よく辞めずに続けたね」と言われるのですが、私としてはどうすれば辞めずに続けられるかを考えてばかりいました。それぐらい離れ難い仕事だったからです。

中野:現場で具体的なものに触れる仕事が性に合ったということでしょうか。

福原:大きかったのは、目の前のお客様の期待を超える商品の組み合わせやストーリーを提案して喜んでいただけたことです。その瞬間に、私の入社志望理由であったお酒で人と人のつながりをつくるということが実現できたと感じられたからです。そこはプリミティブな喜びでしたね。

中野:お客様のニーズに対し、どうすれば喜ばれるかという組み合わせを工夫して提案する。商売の要諦のように思います。

福原:この時に身につけたスタイルや考え方は、その後就いた人事の仕事にも影響しているのです。社員とワインを一緒にしたら叱られるかもしれませんが、AさんとBさんを組み合わせるのと、AさんとCさんを組み合わせるのとではどちらがお互いに活きるか、成果や成長につながるかという考え方につながったんですね。組織においてはこうした組み合わせの影響はとても大きいからです。

もちろん、社員一人ひとりの育成や登用をしっかり考えて対処することは重要です。その点、最終消費財を扱う当社は社員も顧客になるということから、人を大切にする風土があるのです。私が札幌に赴任し、一皮むけることができたことも、そうした風土の表れであったろうと思っています。

子どもに恥ずかしくない仕事をしなければダメだ

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中野:福原さんは、ご自身が女性総合職の4期生として、ライフイベントを乗り越えて働き続け、ビール業界初の生え抜き役員に就任されたわけですが、現在は人事担当役員として社内の女性活躍推進に取り組まれる立場かと思います。そういう点で、ご自身のキャリアを振り返って節目に感じたことがいろいろあったのではないかと思います。

福原:自分が働き続けてこられたベースには仕事の面白さがあったのですが、節目の一つには1人目の出産からの復職が挙げられます。定期異動の境目というタイミングで、次の異動時期までの3か月ほど人事部付という立場になりました。当時は育休後の女性社員は警戒されてまして(笑)。テンポラリーなので明確な担当業務がなく部内メンバーの手伝いをする中で、毎朝子どもを保育園に預けて後ろ髪を引かれる思いを断ち切って出社しながら、こんな消化不良になるような時間を過ごしていてはダメだと思ったのです。子どもに恥ずかしくない仕事をしなければダメだと。そう強く思ってから、仕事への向き合い方や覚悟、心構えができたと思います。

中野:その心構えで取り組まれた仕事とは?

福原:志願して元の職場に戻り、直輸入や、ECショップの構築など、ワインの小売事業の幅を広げた後、本社で輸入ワインのブランドマーケティングの仕事を3年ほど手掛けました。その時、当時の社長に呼ばれ「女性活躍推進プロジェクトのリーダーをやってほしい」と言われたのです。これが第二の転機でした。正直言うと、自分の仕事と育児で精一杯でしたから面食らったのですが、最大限サポートするからと。そこでお受けして、7人の後輩の女性メンバーとプロジェクトチームを立ち上げました。

まず、社内の女性登用の現状を洗い出すことから始め、実態をまとめました。活躍している人はそれなりにいるものの部門によって偏りがあり、辞めていく人も多く、管理職もその候補者も少ないことが分かりました。それまで自分のことで精一杯であった私としては、会社全体を見回すことができたのが大きかったですね。一気に会社が自分ごと化して、ここから先、会社と社員をどう成長させていくのかを考えるようになれたからです。

中野:何年のことでしたか?

福原:2009年にスタートし、12の施策からなる答申をまとめました。それを受けて会社は2010年を「ダイバーシティー元年」と宣言し、改革をスタートさせました。

中野:女性が辞めずに活躍し続けられる会社にすることで、会社自身がより強くなるということですね。世の中の流れがそうであるから、というのではなく。

福原:ゴールは、多様な社会に対して多様な価値を提供できる会社になるということであり、そこに向けて社内の人材育成など諸制度を整備し環境を整えていくということです。そういう会社にならないと商品やサービスはお客様からも選んでもらえず、労働市場においても魅力的な存在にはなれず、既存の社員も以前の女性社員がそうだったように、いつしか消えていきかねないと思っています。

働き方が変化する中、対話力がキーファクターになる

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中野:ダイバーシティーによって組織をより強くし成長に向かわせることが肝要であるということですね。一方、ライフイベントによってキャリアが中断した後、転職や起業をする女性もいるなど、ライフイベントをキャリアチェンジの契機にする人は多いと思います。これは、会社側からすると人材を逃してしまうことになる。また、ビールの営業は圧倒的に男性が多かったとのことですが、つまり「ビール営業とは男性がするもの」というアンコンシャスバイアスが形成されてきたということですね。ここに女性登用の問題が絡んでくると思います。これに対し、サッポロビールとしてはどのように取り組まれてきたのでしょうか?

福原:よく、女性登用が進まないのは女性管理職をつくりたくても肝心の女性自身が尻込みしているからと言われることがあります。しかし、ここ10年で時代が進み、もうそんなことを言っている状況ではないと思います。例えば、ライフイベントにしても、柔軟な就労制度など働き続けられる環境整備はだいぶ進んでいます。それでもなくならない仕事や性別に関わるアンコンシャスバイアスは、悪として排除するものというよりも、誰の心の中にも無意識にあるものととらえて、それに気づいて、決めつけないようにすること。また女性だけでなく、男性もライフイベントを抱えていますし、外国人社員もしかり。要は一人ひとりの成長にいかにアジャストするか。100%は難しくても、組織や上司が個々の状況や成長段階を知った上で対応しているということを伝える力が問われていると思います。大事なことは、一人ひとりと向き合い、ちゃんと言葉にして返すという、対話の積み重ねではないでしょうか。

中野:ダイバーシティー元年から10年経ち、どう変わってきたのでしょうか?

福原:まず、働き方がダイナミックに変わりましたね。以前は時間と場所を同じくして働くことが求められていましたが、今は違って当たり前になっています。それとともに、会社と社員が対等の関係になり、社員は自立した存在であることを求められるようになりました。一人ひとりが自立して自分らしさを追求しつつ組織人としてステップアップを図っていくベースができたと思います。女性の管理職登用は遅々とする部分はありますが、営業や工場含め全職場への女性の配置が進んでいます。以前は「女性にこんな業務をさせられない」「女性を営業に寄越すとは何事だ」といった反応がありましたが、さすがになくなりましたね。高等専門学校を出た女性社員が工場の現場でベテランの男性に交じって改善活動をする姿も当たり前になっています。

中野:アンコンシャスバイアスがなくなってきたと。

福原:コツコツとブレークスルーをして前例ができていくと、それが当たり前になって次に広がっていくということです。コツは、メンバーを支援することが上手い管理職をみつけて、タッグを組んでチャレンジしていくことですね。

思い切って登用した当時の社長がすごい

中野:今後のチャレンジテーマはどういったことでしょうか?

福原:まずは営業チームを率いる女性マネージャーを増やすこと。いるにはいますが、わずかです。営業は価値づくりの最先端の現場なので、ぜひここの多様性を実現したいと思っています。それから、現在は私1名ですが、女性の役員を増やしたい。

中野:大学のダイバーシティーという点では、一橋大学は国立大学の中でも、いわゆる文系が中心の大学ということもあって、理系中心の大学よりも女性教員比率が高いなど、数字のうえでは進んでいるほうだと評価されていると思います。その一方、問題を深刻に受け止めてさまざまの手を打っている、という点では、理系学部のある有力大学の方がむしろ具体的な取り組みでは進んでいる面もあるのではないかと受け止めています。課題のひとつは内部登用です。副学長や学内理事には女性がいません。ここにもアンコンシャスバイアスがあるのかもしれませんが、いざ登用や採用をしようとしても、さまざまの困難があって、なかなかうまく進まない状況にあります。進めるには、何段階も飛び越すような抜擢をする必要もあります。

福原:私が役員になった時も、そんな抜擢だったと思いますね。よく内部から役員になってすごいと言われましたが、すごいのは思い切って登用した当時の社長です。それほど序列の強い会社ではありませんが、最後の一歩はジャンプをさせないと順当な人事では時間がかかっていたでしょう。当時、事業会社の人事部長だった私は自分がこの先当社ではどういうキャリアを歩むのかを考えていましたが、まさか持株会社の役員になるなど考えてもおらず、内示された時は椅子から転げ落ちるとはこのことかと思いました。ですから、私も、おそらく当時の社長も同様に重責を負った気分だったと思いますが、どこかで思い切って門戸を開けないと後も続かないと思います。実際に就任して勉強不足を感じ、苦労もしました。特にファイナンスの知識が圧倒的に足りなかったので必死に勉強しましたが、立場が人をつくるということもあると思います。

中野:大いに参考になるお話です。

福原:役員に就任して良かったと思っているのは、社内アンケートで女性社員に対してどこまでステップアップしたいかとの問いに、私の就任前に役員までと書いた人は8%だったのに、就任後は3倍に急増したことです。これだけでも自分が役員に就任した意味が少しはあったのかと思いました。

中野:消費者と向き合う企業として、イメージアップのためにもダイバーシティーの状況を外部に見せていくことも重要だろうと思います。福原さんの存在がその象徴だと思いますが、そのあたりの努力はいかがですか?

福原:たとえば、投資家に対してはIRの中でいろいろと開示していますが、女性管理職比率といった数値的なこともですが、ダイバーシティーにおける独自のストーリーを持ってそれを伝えていくことのほうが重要だと思います。たとえば、管理職に限らず価値創造に直結するポストでの育成や登用のストーリーをどうつくるか。自分の存在もその独自のストーリーの一パーツになると思いますが。

中野:その福原さんには、このほど一橋大学の経営協議会の委員にご就任いただきました。ぜひ活発な議論に加わっていただきたいと願っていますが、HR部門で仕事をされる中、大学が果たすべき役割や、一橋大学の学生に対して期待することなどをお聞かせください。

福原:自分自身の大学生活や娘の様子を見ていて思うのは、大学は自分の機会、つまりチャンスを自分で組み立てていける場であってほしいということですね。もちろん、入社するまでにビジネスの素養を身につける場ということもありますが、4年間で自分が社会とつながっていく機会や能力をオーダーメードで身につけることができれば、社会に出た後に強い人材になれると思います。

仕事をしていく中で重要なのは、社会と会社と自分の仕事のつながりに自分で問いを立てること。一橋大学は、ゼミという素晴らしい財産があり、規模的にも指導教官が学生一人ひとりをよく見られる環境にあると思います。一方、今の学生は目的意識がしっかりあって機会があれば外部に発信し、つながる力も持っています。一橋大学の素晴らしい環境の中で、学生は自分の頭で問いを立て、答えを組み立てていける力を養ってほしいですね。

中野:本日はどうもありがとうございました。

お二方の写真