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学長退任挨拶

  • 一橋大学長蓼沼 宏一

2020年9月1日 掲載

社会科学の意義とは何か、日本における社会科学の研究・教育をいかに発展させるか。そのことを考え続ける中で、学長在任中は一橋大学広報誌HQの企画として、国内外の多くの優れた研究者、学長、大使や企業経営者の方々と対談する機会に恵まれました。これらの対話を通して自分自身の思索を深めることができたことは、学長の役得でした。
社会を対象とする科学であるが故、社会科学には事実を解明する実証科学としての側面と、望ましい社会とは何かを提示する規範科学としての側面があります。私の専門分野でもある規範的経済学は、単なる主義主張の表明ではなく、厳密な論理によって説得力のある理論を作り、目指すべき社会的目的を提示する役割を担っています。その理論作りとは、誰もが受け入れやすい前提から論理的帰結を導くということに他なりません。さらに、社会的目的に至る最適な方法は何かも明らかにする必要があります。ただし、最終的に目的を選択するのは社会を構成する人々です。研究者の役割は人々に明確な選択肢を示すことであると私は考えています。
実証科学としての社会科学は、自然科学と同様に、冷徹な論理による分析と現実のデータによる客観的検証を貫徹しなければなりません。現実がどうであるかを明らかにする実証科学と、社会的目的を提示し、そこから遡る規範科学が結び付くとき、私たちはよりよい社会に至る道を見出すことができるのです。こうした社会科学の在り方は、実は大学運営にも通じるものがあります。現状の冷静な分析を行いつつ、大学全体の目指すべき目的を明示し、そこに至る道を拓くことこそ、大学運営の要諦でありましょう。

近年は科学技術の進歩によって、実証科学としての社会科学は新しいフェーズに入りつつあります。AIやビッグデータを活用した分析により、新たな知見が次々に生み出されてきています。一方で、伝統的な統計学・計量経済学などの手法が有効な問題も多くあります。分析手法が多様になるほど、適切な手法を選択することがより重要になります。
人材育成においても、基幹となる論理的思考力・規範的判断力、グローバル社会で活躍するためのコミュニケーション能力に加えて、データを分析し社会システムの設計やビジネスの創出などを担える力の養成が求められようになるでしょう。一橋大学の「ソーシャル・データサイエンス学部・研究科(仮称)」新設構想が、新しい時代の人材育成に貢献することを期待しています。
日本の社会科学の研究・教育をリードしてきた本学は、2019年9月、世界最高水準の研究・教育の展開が見込まれる大学として「指定国立大学法人」に指定されました。本学には、これからの時代も先導役を担い、社会の抱える諸課題の解決に貢献し続ける使命があります。世界の有力大学の研究・教育や財政規模の水準に鑑みて、これまで危機感をもって様々な改革を実行してきました。今後も研究・教育・経営のすべての面で迅速かつ継続的に改革を進めていく必要があります。

学生時代にフィールドホッケー部に所属し、4年生の時にはキャプテンを務めた経験から、私は学長としてもチームワークを特に重視してきました。日々フル回転で働き、的確に担当業務を掌理した副学長、各部局をまとめた部局長、連帯感をもって共に仕事をした事務職員。規模の小さな大学であるからこそ、「顔の見える関係」を作ることができたのです。学長の任を全うできたのは、力強く支えてくれたこのチームのお蔭です。

今般の新型コロナウイルス感染症の世界的拡大という未曽有の危機において、本学も全ての授業のオンライン実施や学生への緊急支援、テレワークの導入など、過去に全くない経験を重ねてきました。その中で全教職員は一つとなり、迅速かつ的確に対応してきました。この経験は本学の課題解決と未来への発展にも役立つと確信しています。
しかし、この感染症拡大による問題が収束するには、まだ時間が掛かると思われます。引き続き厳しい環境の中ではありますが、学生や教職員の皆様ひとり一人が健康で充実した日々を送られるよう、心からお祈りいたします。そして、HQの読者の方々には、困難な状況の中で勉学に励む学生と、それを懸命にサポートする教職員へのご理解をいただき、温かいご支援を賜りますよう、切にお願い申し上げます。

これまで本学の発展のために共に歩んできた全ての教職員及び多大なご協力を頂いた学外の関係者の皆様に、改めて深く感謝いたします。
世界最高水準の研究・教育拠点を目指し、一橋大学が日本の社会科学の牽引役を果たしていくことを願い、次の方々に託したいと思います。