トップ・リーダーシップと組織の力
- 独立行政法人日本芸術文化振興会理事長茂木 七左衞門
- 一橋大学長山内 進
2014年春号vol.42 掲載
個人事業時代に遡れば、江戸時代初期創業の老舗醤油メーカー、キッコーマン。
今や世界の100か国以上で「KIKKOMAN」として親しまれているグローバルブランドである。
茂木七左衞門氏は、同社八家の一つではあったが分家筋の二男として生まれたので、一橋大学卒業後東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。2年後、茂木本家十二代茂木七左衞門氏の養子に迎えられてキッコーマンへ転じ、ハーバードビジネススクールでも学ぶ。
取締役副会長を最後に退任後、独立行政法人日本芸術文化振興会の理事長に就任し、能楽や文楽、歌舞伎といった伝統芸能の振興に貢献している。
そんな茂木氏と、組織マネジメントのあり方やリーダーを育成する教育の問題などについて大いに語り合った。
茂木 七左衞門
1938年千葉県出身。1960年一橋大学経済学部卒業、同年株式会社東京銀行入行。1962年十二代茂木七左衞門の養子となり、野田醤油(現キッコーマン)株式会社入社。1973年ハーバード大学経営大学院修了(MBA)。1983年取締役就任。常務、専務、副社長、副会長、相談役を経て、現在特別顧問。2009年独立行政法人日本芸術文化振興会理事長に就任、現在に至る。このほか経済団体、政府系委員などの要職を多数歴任する。2013年十三代茂木七左衞門を襲名。
山内 進
1949年北海道小樽市生まれ。1972年一橋大学法学部卒業。1977年同大大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1987年方角博士。成城大学法学部教授、一橋大学法学部教授、法学部長、理事等を歴任。2004年、21世紀COEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」の拠点リーダーに就任。2006年副学長(財務、社会連携担当)、2010年12月一橋大学長に就任。専門は法制史、西洋中世法史、法文化史。『北の十字軍』(講談社)でサントリー学芸賞受賞。その他『新ストア主義の国家哲学』(千倉書房)、『掠奪の法観念史』(東京大学出版会)、『決闘裁判』(講談社)、『十字軍の思想』(筑摩書房)、『文明は暴力を超えられるか』(筑摩書房)など著書多数。
民間運営では途絶える恐れのある伝統芸能の保存・振興に貢献
山内:茂木さんは私の大学時代の大先輩でして、大変お世話になってきました。今日はよろしくお願いします。
茂木:いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。
山内:やや昔の話になりますが、「キャプテン・オブ・インダストリーを考える委員会」というのがありました。講演会や懇親会という場を設け、諸先輩にいろいろな話をしに来ていただき、学生に日本の精神文化や社会のさまざまなことを学んでもらおうというようにしたのです。その最初のときにやや大規模なシンポジウム形式にしたのですが、パネリストのお1人として茂木さんに来ていただきました。
茂木:もう20年近く前ですかね。
山内:私が学生部長になった直後でした。それ以来30人ぐらいのOB・OGに来ていただきました。毎回必ず男女1人ずつお招きしました。男性は企業経営者が多かったのですが、女性では、北海道知事の高橋はるみさんや、テレビのコメンテーターとしてもお馴染みの同志社大学教授の浜矩子さん、それから漫画家の倉田真由美さんにもお越しいただきました。
本日は、茂木さんには企業人としてのお話も伺いたいところですが、日本芸術文化振興会の理事長でいらっしゃるので、まずはその活動について伺いたいと思います。日本芸術文化振興会は国立劇場を所管している団体なんですね。
茂木:日本芸術文化振興会は独立行政法人(以下、「独法」)なのですが、まず独法とは何か知らないという方もたくさんいらっしゃるのではないかと思います。私自身も2009年に就任するまでよくわかっていませんでした(笑)。
山内:そうでしたか(笑)。
茂木:独法とは何かといいますと、国家、国民のために継続させるべきものであっても国が直接手がけることは必ずしも適当ではない事業のうち、民間では収益面でどうしても運営が厳しく途絶えてしまう恐れのあるものを、国家予算を用いて独占的に運営する事業主体、なのです。演劇などの舞台芸術は民間で活発に行われていますが、能楽や文楽などの伝統芸能は、営利事業として継続させることはなかなか容易ではありません。株式会社が収益性の低い事業を手がけていたら、株主から追及されてしまいますから。そこで、これらを国から独立させ、民間企業のいい面も取り入れた独法で運営しているわけです。
山内:なるほど。
茂木:ちなみに、独法の運営は「独立行政法人通則法」というすべての独法に関する根拠法と、独法ごとに規定されている個別法に基づいています。日本芸術文化振興会には、「独立行政法人日本芸術文化振興会法」という長い名前の個別法が制定されています。そこに規定されている日本芸術文化振興会の目的は大きく三つありまして、一つ目は国内の文化芸術活動に助成金を拠出してサポートすること、二つ目は歌舞伎や能・狂言、文楽、日本舞踊などの伝統芸能の保存および振興です。拠点としては、東京・隼町の国立劇場の大劇場や小劇場、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂、大阪・日本橋の国立文楽劇場、沖縄の組踊などの伝統芸能を上演する国立劇場おきなわがあります。そして三つ目が現代舞台芸術の振興・普及です。これに関しては、1997(平成9)年に東京の初台駅の近くにつくられた新国立劇場が拠点です。そこではバレエやオペラ、現代演劇などの公演が行われています。これらのうち、新国立劇場と国立劇場おきなわは、演目の選定や出演者との交渉、集客など運営の実務を、それぞれの運営財団に委託をする形を取っています。
組織マネジメントや民間経営のノウハウ注入を担う
山内:いろいろな拠点があるのですね。それで、茂木さんが理事長に就任された経緯とはどのようなものでしたか。
茂木:実は、ある日突然文化庁から「会いたい」という話がありました。たまたまキッコーマンの副会長を退く年でしたが、何のことだろうか、と訝いぶかしく思ったのです。若者の言葉が乱れていて、日本の教育は劣化しているとあちこちで講演などをしていたものですから、そういった関連のシンポジウムか何かへのお誘いではないかと思いました。そうしたら理事長就任を、というのですから驚きましたよ。
山内:そうでしたか。
茂木:伝統芸能についての知識、経験ともに不足していましたので、自信がありませんからご遠慮したいと申し上げたのです。3回くらいそんなやりとりがあり、ついに説得されました。とはいえ、私もその途中から、考えてみればこれまでと全く違う世界で勉強させてもらうのもいいだろうと思い始めてはおりました。
山内:そのとおりですね。
茂木:それと、私に期待されているのは、歌舞伎や文楽などの専門的知識を基に公演の企画をするなどといったことではなく、組織のマネジメントや民間経営のノウハウを注入する役割だろうと思ったわけです。
山内:なるほど。
茂木:さらにもう一つ、実は中学2年から高校1年まで、謡曲を習っていたことがあるんです。
山内:ほう。
茂木:伝統芸能には共通性というものがあるでしょうから、もしかしたらほかの伝統芸能の世界にも溶け込みやすいのかな、とチラリと思ったこともありましたね。
山内:そのことを文化庁に知られていたのではないですか(笑)。
茂木:そんなことはないと思いますが(笑)。いずれにしても、就任から4年半ほどたった今では、何も知らない状態から私なりにいろいろと知識を吸収しましたが、それでも専任の職員などと比べれば、幼稚園児と大学院生ほどの開きはまだありますね。
山内:いえいえ、そんなことはないと思います。でも、伝統芸能の専門知識はなくても、愛情はなければならないでしょうね。
茂木:それはそのとおりですね。私もここに来てからいろいろと勉強させてもらって、おかげさまで楽しく仕事しています。
山内:私も茂木さんが理事長に就任されたと聞いて驚きましたが、これはいいなあと思いました。素晴らしい仕事だと。
茂木:私の人生にとって、ラッキーだったと思いますよ。
信頼関係づくりの大切さを若いときに学ぶ
山内:とはいえ、茂木さんが伝統芸能を継承させる必要性があるとのご認識があり、かつ経済界での活動にも実績のある方だという情報を踏まえ、文化庁から就任要請があったのではないかと思います。そこで、経営者としての茂木さんのお話に移りたいと思います。長い間東京銀行やキッコーマンで仕事をされ、日本人としてはずいぶん早い時期にアメリカでMBAを取得されて、キッコーマンの国際化にも貢献されてきました。そこで、仕事人生のなかでどういったことが一番印象に残っているかをお聞きしたいと思います。
茂木:二つありますね。一つは東京銀行時代のことでしたが、人に対して熱意を持って接したら、ひょんなきっかけから信頼関係が築けたという経験をしたことですね。入行してほんの数か月のことでしたが、預金を開拓する仕事を命じられたのです。景品としてメモ帳とマッチだけ持たされ、地図に赤鉛筆で担当エリアを区切られ、課長から「お前はこの範囲をしらみ潰しに当たって預金を取って来い」と。しかし、見ず知らずの会社に行って、名刺と景品を渡して「預金してください」って言っても、当然門前払いされるわけです。
山内:そうでしょうね。
茂木:ところが、台東区のある会社に行ったときに、厚かましく「経理部長に会わせてください」とお願いをしたら、会ってくれたのです。そこで「預金してください」とお願いする私の話を半ば呆れた顔で聞いていたその部長は、「うちはどこそこの銀行と一行取引をしているから、東京銀行とは取引できない」と言われたのですが、その次の言葉に私はびっくりしました。「しかし、君がそこまで熱意を持って勧めてくれるなら、私個人の定期預金口座をつくってあげよう」と。
山内:ほう。
茂木:いくらだったかは忘れましたが、半端な金額ではなかったことを覚えています。その好意に感激しまして、その後その方とはずっと年賀状のやり取りが続きました。私はそのとき、一生懸命さが通じると、人は応えてくれるものだということを学びました。あのときのことはいまだに忘れませんね。
山内:いいお話ですね。もう一つとは?
茂木:キッコーマンのアメリカ子会社で仕事をしていたときでしたが、当時はまだ日本からバルクの醤油をコンテナに積んで輸出し、現地の食品会社で瓶に詰めてもらっていたのです。こちらはできるだけ経費を安くしてもらいたいし、相手はできるだけ高く請求したいわけですね。その会社と契約更改交渉を担当することになった私は、つぶさに生産現場を観察したのです。そうすると、瓶詰めの効率が悪いことがわかりました。私は工場管理の経験もありましたから、その現場に張り付いて、相手の技術者と一緒に稼働率の向上に一生懸命取り組んだのです。
山内:なるほど。
茂木:そして、効率化に成功したわけです。すると相手はハッピーになりますね。効率が上がった分、高かった瓶詰めコストを抑えることができましたから。そして我社に請求する金額もその分低くすることができました。最近の言葉でいえば、〝Win=Win"の関係がつくれたわけです。つまり、根本にある問題を一緒になって解決することで、単に安くしろ、高くしろ、と言い合うだけの関係を超越できたのです。定期預金をつくってくれた経理部長の話を含め、そういう信頼関係づくりの大切さを若いときに勉強できたことが一番印象に残っていることですね。
山内:そうでしたか。
観客の目に触れない仕事も含めて一つの芝居が成立する
茂木:考えてみれば、人間社会というのはそういうことで成り立っているのではないかと思います。もちろん、売り手と買い手の間にはシビアなせめぎ合いもあります。しかし、どこかでお互いにプラスになる方法というものを考えていくことで進歩できるのでしょうし、それがなければ単にギスギスしただけの関係で終わってしまいますね。
山内:そのとおりですね。
茂木:どんな仕事においても、対立の関係ではなく、お互いに協力し合っていける関係というのが大切であると考えています。
山内:相手の内に具体的な現実問題があり、その問題に対して自分がどうしたらいいかと考えて体を動かし解決を試みると、相手もその姿勢を理解してくれてうまくいったと。その経験がその後の仕事生活のプリンシプル(原理)になったわけですね。
茂木:プリンシプルというと多少大げさかも知れませんが、そういった感じを持っていますね。それともう一つあるとすれば、いろいろな仕事をやっていく中で何が一番大切かというと、個々人の力も大切ですが、結局は組織の力だということです。組織全体の効率が大事だということですね。
山内:なるほど。
茂木:組織にはいろいろな役割があります。伝統芸能でも同じですが、舞台の上ではいろいろな役があります。主役を務める人気俳優は大見得を切って一番格好いいわけですが、しかし一つの芝居は人気俳優だけでは成立しません。背後で派手にトンボを切ってひっくり返る役者も必要ですし、舞台の陰で照明を操作したり、大道具や小道具を担当して劇場内を駆けずり回っている人、奈落の底で舞台の背景を作る人といった、お客さまの目には直接触れないところで汗をかいている人たち全部の力が合わさって、お客さまには一つの芝居として映るわけですね。
山内:そのとおりですね。
茂木:つまり、組織全体の努力の集積をお客さまに見ていただいているのです。ですから私は、組織の力というものを認識しながら仕事をすべきではないかと常々感じています。
山内:この対談のテーマの一つに、グローバルに活躍するリーダーをいかに育てるかということがあるのですが、リーダーにはそういった目線が必要であるということでしょうね。
茂木:そうだと思います。世の中には、何か大きなことを自分1人で成し遂げたと思っている人がいるかも知れませんし、周りもそういう風に見がちです。特にリーダーシップが執れる人はそのように思われる存在でしょう。しかし、その活躍の陰には大勢のフォロワーの努力があるのだということを、とりわけリーダーは肝に銘じておかなければならないと思います。
山内:リーダーがそういう人であるかどうかは、フォロワーの最大の関心の的でしょうね。
茂木:経済同友会のボランティア活動の一つとして、中学や高校に出張授業に行くことがあるんです。私はそのとき、仕事とは何のためにするのかということを生徒たちにわかりやすく話すことにしていますが、よく醤油はどうやってできるのかという話をします。アメリカやブラジルの大豆、アメリカやカナダの小麦を日本に運んで来て、いろいろな加工を施して、最後はお店に製品が並ぶわけですが、アメリカやブラジル、カナダの農家から始まって、お店で醤油を売る人まで数多くの実にさまざまな職業の人が関わっているわけです。そのプロセスのどこかが欠けたら、醤油をお店に届けることはできません。いつでもどこでも買える商品ですが、そうなるためには陰で多くの人の力が注がれていると。つまり、どんな職業も私たちの生活に不可欠でありまた大切なもので、総理大臣も工場の片隅で機械をいじっている人も皆同じように大事な仕事をしている、それで世の中が成り立っているのだ、ということを話しているわけです。
日本人の規範意識と社会システムへの信頼感
山内:それは素晴らしいことですね。親もそんな話はあまりしていないでしょう。私も子どもに話すことがありましたが、子どもが生徒会活動をしたいと言ってきたときに、皆の役に立つことなら大いにやりなさいと言ったのです。ところが、今はそんな時間があったら勉強しなさいという親がいるらしいんですね。
茂木:ほう、そうですか。
山内:我々の時代は、生徒会活動は成績優秀な生徒が率先してやるというのが割と普通だったわけですが、今は違うそうです。しかし、皆の意見をまとめていくことがいかに大変かということを子どもの頃から経験しておくのは意義があると思うんですね。
茂木:クラス全体、学校全体、さらには地域全体、もっといえば国全体ですね。最近は、自分のことだけでなく、自分が属するコミュニティのために汗をかくべきであるというメンタリティが欠けてきているように思いますね。
山内:おっしゃるとおりです。
茂木:たとえば、電車の優先席に堂々と座っている若い人がいますね。しかも、そこでは携帯電話の電源は切ってくださいと書かれていますし、車内アナウンスでもそう言っていますが、どこ吹く風ですね。日本人の規範意識というものが、かなり欠落してしまっているのではないかと思います。
山内:電車の座席に関しては私もそう思います。お年寄りに席を譲るどころか、自分の子どもを座らせる親も多いですからね。そういうところは何か間違っているような気もします。幼児は別にしても、小学生にもなれば「立っていなさい」という教育がなされてしかるべきではないかと。ただ、海外の日本評としては、お互いが譲り合っている素晴らしい国だというものが多いですね。
茂木:これは有名な話ですが、東日本大震災のとき、CNNのレポーターが現地に入って「驚くべきことがある」と報道していました。略奪などが全く起きていないし、食料の配給を受けるのに皆が整然と列に並んでいると。その前後に自然災害があった国ではすさまじい略奪が起きていて、この違いは甚だしい、日本は素晴らしいというわけです。
山内:それともう一つ思うのは、日本の社会には災害になってもそのうち物資を配給してもらえるといった信頼感があると思います。コンビニエンスストアや宅配会社がすぐに業務を再開させて食料や水などを被災地に行き渡らせようとしました。
茂木:汚職など組織の腐敗もありますけれども、基本的な社会システムに対する信頼感はありますね。
中山伊知郎名誉教授に薫陶を受けた学生時代
山内:精神性と社会システムの両方がバランスよく備わっていることで、社会を信じられるものにするということがとても大切だと思いますが、日本にはそれがありますね。そうであるからこそ、先ほどのお話にもあったように、見えないところでも人々がしっかり働き組織力を発揮させているという素晴らしさがあるのだと思います。そういったことも多少関連するのかも知れませんが、茂木さんが一橋大学で学ばれたことが、企業経営や仕事生活においてどういった意味、意義があったかをお尋ねしたいと思います。
茂木:まずは「キャプテンズ・オブ・インダストリー」という理念が素晴らしいと思いますね。たまたま実家の父親が一橋(当時東京商科大学)の卒業生で、私は小さいときからこの言葉を聞かされていたのです。
山内:そうでしたか。
茂木:それと、私にとっての財産は中山伊知郎先生という素晴らしい指導者の薫陶を受けたことです。先生のゼミに入ろうとしたとき、希望者が多くて先生が集団面接のようなことをされたんですね。1人ずつ「君は何をやりたいのか?」と順番に聞いていかれるわけです。ほかの学生は「国民所得の研究をやりたい」とか「成長論をやりたい」などと言っておりました。私は深く考えていたわけではなかったので、これは困ったな、と思っていたら私の順番が来てしまったんです。それで咄嗟に「近代経済学的なものの見方を身につけたい」と答えたら、それまでビジネスライクな雰囲気で「はい、君は?」と言っておられた先生が、私の回答を聞いて破顔一笑、カラカラと笑われたのです。そして、「君、そんなこと言ってもなかなか難しいぞ」と。それで私はてっきり落とされたのかと思ったのですが、入れていただきました。
山内:そういうことがあったのですね。で、授業はいかがでしたか。
茂木:先生のお宅にも何度か伺いましたが、単に教室で知識を教えるのみではなくて、そういう場でもいろいろなことを教えていただきました。全人的な教育というか、そういう教わり方をしたように思いますね。非常にありがたいことだと思っています。
山内:中山先生は大変有名な大学者でしたけれども、当時から人気があったのですね。
茂木:確か学長を務められた後だったと思います。中労委(中央労働委員会)の会長もされていました。当時の中労委の会長は大変な激務で、血で血を洗うような激しいストライキが起こっていました。先生はよく徹夜で労使間交渉の斡旋をされていましたが、そんな最中にあっても、ゼミ旅行には来られて、一晩中、学生につきあってくださいました。翌朝、私が大浴場に行くと先生が入っておられました。しかし、その後朝食の席にはもう先生はいらっしゃいませんでした。斡旋がまた始まるからと言って早々に出発されたのです。そんな激務のなかでも、学生との旅行の間、疲れた顔一つ見せずに楽しそうに過ごされていたわけです。
山内:相当タフですね。
茂木:その後、先生のお宅に伺ったときに「先生はどうしてそんなにスタミナがあるんですか?」と伺ったら、秘訣を教えてくださいました。
山内:どんなことだったのですか?
茂木:「君たちは気分転換が下手なんだ。自分は何かあってもパッと切り替えることができるから疲れないのだ」と言っておられました。ご自身の受験勉強のときのことだと思いますが、机を二つ置いて、片方で英語を集中して勉強して疲れると、もう片方に移って今度は数学をガーッと勉強されたのだそうです。そうやって気分転換すると、疲れずに勉強を継続できたとのことでした。
山内:なるほど、言われてみればそんな気もしますね。
茂木:凄い人だなと思いましたね。ゼミでレポートの講評をされるときなども、いつも核心を突いておられると感銘を受けました。いろいろな人から繰り返し聞いたことは、会議の座長をされたときなど、さまざまな意見を聞いて結論をまとめられるときの鮮やかさと言ったらほかに類がないということです。
学生同士の議論を通じて学ぶハーバードのリーダー教育
山内:面白いですね。そういうお話をもっとお伺いしたいのですが、茂木さんはハーバードのビジネススクールにもいらっしゃったので、そのときのことも伺ってみたいと思います。いかがでしたか?
茂木:ハーバードビジネススクールでは、今ではリーダーの育成と言っていますが、当時はジェネラルマネージャーの育成を目的とするとしていました。ジェネラルマネージャーとは総務部長ではなくて、すべてのマネージャーを統括するマネージャーのことです。マネージングディレクターと同じような意味です。このマネージングディレクターとは社長のことなのです。日本では常務取締役と訳されていますが。ハーバードビジネススクールがジェネラルマネージャーの育成をテーマにしていると聞いて、まさに「キャプテンズ・オブ・インダストリー」と同じ概念だと思いましたね。
山内:なるほど。
茂木:もちろん、テクニカルなことも教えますが、ハーバードの真の目的は、さまざまな専門領域の人々を統括するトップリーダーを育成するということです。これを何遍も聞かされました。
山内:一橋大学もビジネススクールとしては世界的に見ても早いほうなんです。
茂木:前身の東京商科大学は、いち早く民間のビジネスリーダーを育成するという明確な目的をもって設立されたと思いますね。
山内:ハーバード大学の、一橋大学にはないプラスアルファというものを何か感じましたか?
茂木:最近では一橋大学もディスカッション形式の授業を始めていますが、私が学生の頃は一方的なレクチャー一色でしたね。ところがハーバードビジネススクールでは、「講義をする教授はクビになる」と冗談半分で言われていたように、ほぼすべてが討論形式のケースメソッドなのです。ケースとなる企業の詳細な情報や、損益計算書や原価計算書、地域別のシェアといったデータなどの資料を渡され、学生は前もって読み込んで問題点を抽出し、自分ならどうマネージするかを考えておかなければならないのです。そして次の日、教室でいきなり指されて「Could you start?」と言われるわけですね。そして、指された学生が「この会社の状況はこうで、自分が社長ならばこういうタイムスケジュールでこういうことをやって、5年後にはこういう状態を目指す」と言っている間にほかの学生がわーっと手を挙げるんです。そして「ケンの言っているここは賛成だが、ここは私ならこうする」と、学生が次々に発言をする。それであっという間に授業時間は過ぎていき、最後に教授が「今日のディスカッションのポイントはこうだったね」とまとめるのです。つまり、学生同士の議論を通じて、自分が持ち得なかった視点や考え方を学んでいくわけです。しかも、非常に現実的なケースを繰り返し学ぶことで実践的な知見を身につけていくのです。このメソドロジーは日本の大学とは大違いだなと思いましたね。
初等中等教育で基礎を学ばせる重要性
山内:日本の大学は学部なので、そこでケーススタディをやると地に足がつかないという感じがあると思います。ある一定レベルの知識を得た上でないと、そういった授業は難しいのではないでしょうか。ですから、日本では大学院レベルでの話になるのでしょうね。
茂木:そうでしょうね。実際、アメリカのビジネススクールは大学院レベルです。ただ、アメリカは小学校から先生が生徒に質問をして発表させていますね。
山内:そこは違いがありますね。それで、先日へーっと思ったことがありまして、欧米の先生が日本の先生の授業のやり方に感心しているんですね。
茂木:ほう。
山内:日本の先生は、先生同士お互いの授業を見せ合い、勉強会を開いてあのときはどうだったこうだったと皆で研究しているのは素晴らしいと言うのです。
茂木:なるほど。
山内:日本の場合は、初等教育はまあよくても、大学での教え方には確かに問題があったかも知れません。小学校ではいかにわかりやすく教えるかが問われ、生徒ができなかったら教え方が悪かったのではないかと反省しますが、大学の場合は「これができないのは学生が悪い」で片づけてきました。
茂木:確かにそうです。大学でも学生にわかりやすく教える必要はあるでしょうね。
山内:おっしゃるとおりで、今までのやり方ではだめなところがあると思います。一橋大学では、飽きさせない工夫とか、いろいろ意見を聞きながら進めるといったように各先生はずいぶんと工夫していると思いますよ。学生は、60分以上聴いているとどうしても飽きますから、50分講義をしたら残りの40分はディスカッションするといった形なども考えられますね。
茂木:それは結構なことですね。
山内:では最後に、一橋大学の学生や卒業生、教職員に何かご意見があればぜひお聞かせいただきたいと思います。
茂木:一橋大学を出たことを威張れと言うつもりは毛頭ありませんが、やはり一橋大学の入学試験を突破し質の高い教育を受けさせてもらったからには、社会に出てそれなりの役割を果たさなければならないと思うんですね。一橋大学を出れば必ずしもリーダーになれるというわけでもありませんが、しかしさらに一層の努力、研鑽を重ねる責任を負っているということを自覚してもらいたいと思います。
山内:ご指摘のとおりです。どうもありがとうございました。
(2014年4月 掲載)