文系と理系の相互理解が重要
- 日立製作所相談役庄山 悦彦
- 一橋大学長山内 進
2014年夏号vol.43 掲載
日本を代表する総合電機メーカーの日立製作所。従業員数約32万人・売上高約10兆円(連結)という、総合電機メーカーとしては日本で最大の規模を持つ巨大企業である。
その7代目の社長を務めた庄山悦彦氏は、現在、相談役として経営陣に助言をする傍ら、小中学生に理科教育を行うボランティア活動推進にも熱心に取り組んでいる。
東京工業大学の同窓会組織「蔵前工業会」理事長(対談当時)として、一橋大学とのかかわりも深い。そんな庄山氏と、経営環境の変化や人材教育をテーマに大いに語り合った。
庄山 悦彦
新潟県生まれ。1959年東京工業大学理工学部(電気工学専攻)卒業。同年4月株式会社日立製作所入社。国分工場長、栃木工場長、取締役AV機器事業部長を経て、1999年代表取締役社長に就任。2006年代表執行役会長、2007年取締役会長、2009年取締役会議長を経て、同年6月相談役に就任、現在に至る。社団法人日本経済団体連合会副会長、総合科学技術会議議員、学校法人ものつくり大学会長などを歴任し、現在、一般財団法人ファインセラミックスセンター会長、一般財団法人機械振興協会会長、公益社団法人発明協会会長。東京工業大学の同窓会組織「蔵前工業会」前理事長。
山内 進
1949年北海道小樽市生まれ。1972年一橋大学法学部卒業。1977年同大大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1987年方角博士。成城大学法学部教授、一橋大学法学部教授、法学部長、理事等を歴任。2004年、21世紀COEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」の拠点リーダーに就任。2006年副学長(財務、社会連携担当)、2010年12月一橋大学長に就任。専門は法制史、西洋中世法史、法文化史。『北の十字軍』(講談社)でサントリー学芸賞受賞。その他『新ストア主義の国家哲学』(千倉書房)、『掠奪の法観念史』(東京大学出版会)、『決闘裁判』(講談社)、『十字軍の思想』(筑摩書房)、『文明は暴力を超えられるか』(筑摩書房)など著書多数。
チームワークのなかで先輩に厳しく鍛えられる
山内:庄山さんには、いつも如水会(一橋大学の同窓会組織)と蔵前工業会(東京工業大学の同窓会組織)の合同移動講座などでお世話になっております。本日もよろしくお願いします。
庄山:こちらこそよろしくお願いします。
山内:庄山さんは、東京工業大学を卒業されて日立製作所に入社し、社長や会長を務められました。それぞれを志望されたのはどういった動機からでしたか?
庄山:どちらにも共通しているのは、ものづくりを大切にしているというところでしょうか。私も何となくものづくりの世界で身を立てていこうという考えがあったように思います。
山内:そうでしたか。
庄山:元々、うちは理系の家系なのです。3人の兄は皆理系ですし、親戚にも理系が多くいました。今は「理科離れ」などといわれていますが、当時は全くそんなことはなかったですね。それに、中学校や高校の担任の先生が数学を専門としていたことも影響していると思います。
山内:うちは完全に文系の家系です。理科が不得手の人間ばかりで。やはり家系というのはあるのでしょうか。それで、日立製作所はなぜ選ばれたんですか?
庄山:当時は重電関係の勢いがいいということで、重電メーカーに人気がありました。たまたま大学4年生の夏休みの1か月ほど、創業の地である日立工場に行って検査業務を経験する機会があり、そこで大学の先輩に「日立は何でもできるから面白いぞ」と言われ、以前日立の研究所におられた東京工業大学の先生からも「いいんじゃないか」と言われました。
山内:今でいうインターンシップですね。
庄山:そんな感じですね。もう1社、名古屋に本社のある電力関係機器の専門メーカーに関心があったのですが、募集は地元だけで東京の大学には求人票がこなかったのです。それで日立1本となりました。就職難の時代で心配もありましたが、何とか入社することができました。
山内:入社後はどういった職場に配属されたのですか?
庄山:私は大学ではアナログコンピュータというものを扱っていました。今では博物館にでも行かなければ見られない代物ですが、いろいろな物理現象を解析するにはいいものだったんですね。工場では設計部というところに配属になり、製鉄所の圧延機を回す直流の電動機や発電機の設計をやらせてもらいました。インバータ制御技術が確立した今では交流で何でもできるようになったので、直流電動機は少なくなりました。
山内:そうなんですね。仕事にはすぐに馴染めましたか?
庄山:材料や寸法を細かく指定した図面や仕様書を作成するといった業務でしたが、いくら大学で勉強してもその知識だけではだめなんですね。知識だけで作成した図面でつくっても、機械が回らなくては仕方がありませんよね。私の周りには高卒のベテラン技術者がいて、いろいろ教えてもらいました。
山内:高卒も大卒も関係なかったんですね。
庄山:当時、大学進学率はまだ低かったと思いますが、非常に優秀な高卒の人がたくさんいました。一方、いくら大卒でも新米は何もできないんです。ですから、チームワークのなかでそうした先輩方に厳しく鍛えてもらいました。それがとてもよかったと思いますね。ソフトウェアの世界は個人の力が大きいと思いますが、ハードのものづくりの世界はチームワークがなければ難しいと思います。
山内:なるほど。いかに全体の力を強くしていくかが問われるわけですね。
庄山:そのとおりです。そういった環境のなかで、核融合装置などいろいろなものにかかわらせてもらいました。
急激な円高で売り上げが激減
工場閉鎖という試練を経験
山内:いろいろな経験をされたんですね。
庄山:1987年にエアコンや冷蔵庫などの白物家電を手がける栃木工場長を拝命しました。今では社員が自ら取り組みたいテーマを申告できる制度もありますが、当時は選ぶことはできませんでしたので、頑張るだけでしたね。しかし大変ではありますが、逆にそのほうが強制的にいろいろなことが経験できて勉強になるのではないかとも思います。
山内:不本意だ、なんて言っていてはいけないということですね。そういう心構えは大事だと思います。
庄山:できるだけ本人に合う仕事のほうがいいとは思いますが、同じ仕事でも年齢やポジションによって変わりますので、いろいろな経験は大切で、私は感謝しています。
山内:家電事業はいかがだったんですか?
庄山:1985年には、いわゆる「プラザ合意」があり、それまで1ドル240円ぐらいだった為替レートが約半年で160円ぐらいまで上がるという急激な円高に見舞われたのです。1989年にはドイツではベルリンの壁が壊されて冷戦構造に終止符が打たれましたが、それ以降日本ではバブルが崩壊しましたね。為替も1ドル120円ぐらいまで上がりました。それまで、茨城県の工場はビデオデッキだけで年間4000億円ほど売り上げ、その多くを輸出していましたが、円高になったときに半減では済まないレベルに落ち込んだのです。それまで、いくら利益を上げていたからといってもそれほど儲けていたわけではありませんから、大変な事態でした。ビデオデッキにお札をつけて輸出しているような感覚にとらわれたものです。
山内:大変な時代でしたね。
庄山:茨城県の工場は、前述のとおり4000億円を売り上げるという隆盛を誇っていたわけですが、結果的に閉鎖することになりました。従業員はほかの工場への配置替えをしたり希望退職を募るなどしましたが、つらい仕事でしたね。
山内:試練を経験されたわけですね。
庄山:それ以降1990年代はテレビや白物家電を担当しましたが、事業変化のスピードの速さに戸惑うことが多かったです。デジタル技術が発展し、情報化が工業化に取って代わると、従来のようなアナログのゆるやかな変化から、急激な変化になったのです。こちらは何か月もかかってつくった製品がすぐ売れなくなるという事態にも直面しました。デジタル化で情報処理が便利になるのはメリットですが、経営者としては変化のスピードが非常に速いので即断即決が求められますね。1990年代の経営で一番学んだのは、スピード感の大切さです。
社長に就任
テーマは「信頼とスピード」
山内:確かに、ブラウン管だったテレビがデジタルになって薄く大型になり、画質もきれいになりました。技術の進歩にはすごいものがありますね。そうして社長になられたのはいつ頃ですか?
庄山:1990年です。
山内:学ばれたことを経営指針にされたのでしょうね。
庄山:社長を拝命して、真っ先に掲げた言葉は「信頼とスピード」でした。日立製作所は前年の1998年に赤字に転落したのですが、そうなると取引先やお客様の信頼を損ねることになりますし、社員もいい気分ではありませんね。
山内:おっしゃるとおりです。
庄山:広報部門のアイデアで、全社員の自宅に私の名前で手紙を出したのです。こんな時期だからこそ、一緒に力を合わせて頑張ろうというメッセージを書きました。
山内:こんなときこそチームワークが大事だ、と。
庄山:そのとおりです。私はチームワークのなかで育てられてきましたので、チームワークの大切さを実感していましたから。お客様とはもちろん、社員同士も取引先とも相互の信頼関係を大事にしていきたいという思いです。そしてもう一つが、私自身が痛感したスピードの重要性ですね。
山内:なるほど。そのほかにもトップとして具体的にされたことはありますか?
庄山:「いま私が考えていること」を新聞広告の形で出したり、特に海外の投資家に対しては、できるだけ私自身も出向いてご説明したりするなど、それまで日立があまりやってこなかったようなこともやりました。
山内:先ほどからスピードの速さについてのお話がありましたが、庄山さんが日立に入られてからの時代は、日本や世界の変化というものが相当大きかったですね。
庄山:おっしゃるとおりですね。私が入社して55年経ちましたが、入社当時は日本の人口は9300万人弱でしたけれども、国内マーケットだけでもそれなりの規模があり、いろいろな事業が成長期でビジネスが進展していたのが幸いでした。そして日本は高度成長を遂げ、1979年には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』といわれるようになりました。その1970年代はよかったのですが、1980年代はちょっと頭打ちになりましたね。製造業からサービス業へのシフトが始まったと思います。観光業やヘルスケア産業などが興ってきましたね。
山内:そうでしたね。
庄山:製造業も、それまでの輸出型から現地生産型に変わり、今では中国や東南アジアが経済発展して消費市場が豊かになり、地産地消型にシフトしています。そうなると日本と同じものをつくっていたのではだめで、現地に合ったものに変えていかなければなりません。日本のなかでシンプルに競争していれば済んでいた時代から、グローバルにマーケットが広がっただけ、それぞれの場所に対応する複雑な競争の時代になっていると思います。生産だけでなく、製品開発から現地化し、その国の文化に合わせたものづくりを行うというビジネスモデルに変わってきていますね。
日本人には素晴らしい国民性がある
山内:いつも難しい問題だと思うのは、こうしてグローバル化が進展すると、日本企業の日本の拠点の役割や機能はどうなるのか、ということです。現地で開発し生産し販売しているわけですから、日本人はどこまで必要なのかと。
庄山:日本の強みを再認識することだと思っています。例えば、日立の創業の理念では、倫理観や誠実さといったことを重視していますが、そういった考え方はどの国でも共通するものだと思います。そして、そういった考え方のもとで日本の拠点で勤勉な日本人社員によって基礎的な技術が培われているわけですね。基本的には、こうして日本で磨かれた技術を海外に移転させて現地化する、という関係にあると思います。
山内:なるほど。
庄山:それに加えて、日本人は品質などに厳しいですね。私も客の立場になると、つい「もっといいものをつくってほしい!」と言ってしまいます(笑)。しかし、だからこそ進歩につながるのですし、こうして日本市場で磨かれた製品を世界に広げればいいと思います。基本的に日本人には素晴らしい国民性があると思いますし、諸外国にはない強みだと思いますよ。
山内:確かに日本の消費者はわがままなのかもしれませんね(笑)。しかし、それに対応する日本企業もすごいと思います。
庄山:アメリカの企業にもすごいところはたくさんありますが、日本文化の昔からの強さ、そのDNAは大切なものだと思います。
山内:日本人はものづくりへの好奇心が強いように思いますね。鉄砲でも、伝来すると分解し構造を調べて自分たちでつくり出してしまう。なかなかすごいと思います。
庄山:つねによくしよう、一歩先に出ようという気持ちがあることは大事なことですね。
山内:金があるなら買えばいいじゃないか、という考え方と、自分でつくろうという発想では全然違いますね。
庄山:今の企業はどちらも大事ですね。目の前のテーマは広がっていますし、技術的なことだけでなく法務や財務も重要ですから、全部自前では非効率な面も出てくるということです。
山内:なるほど。
庄山:そこで私が懸念しているのは、産業界において中長期的な目線での基礎研究が薄まっていないか、ということです。製造業は何か尖った製品を揃えていないと、中長期的に経営が厳しくなっていきますね。いくら日本人が優れているといっても、元のタネがなければからっぽになってしまいますから。
山内:その観点で、今の日本の大学に望むことは、どういったことでしょうか?
庄山:昔から産学連携に大学も熱心に取り組んでいると思いますが、1対1ではなく、コンソーシアムを組むなど複数の企業や大学が連携してもっと大きなテーマに取り組むといいのではないかと思います。とはいえ、大学の先生も企業も忙しく、また研究開発資金も制約されていますから、日本全体で考えていくべき問題であるとは思いますが。
専門性だけではNG
「π型人間」であることが重要
山内:人材はどう育てていくべきとお考えですか?
庄山:専門性は大事だけれども、専門性だけではだめだと思いますね。この『HQ』で「π型人間」という言葉を見ましたが、実は私もよく使っている言葉です。今はグローバルの時代ですから、専門分野のことだけでなく、意見を主張できる語学力はもちろん、プレゼンテーション力なども必要ですね。
山内:この対談の初めのほうで文系、理系の家系の話がありましたね。確かに家庭環境というものが大きいとは思いますが、もっと相互への理解が必要だと思います。
庄山:理系の私に言わせれば、大人向けの理科の雑誌なども少ないですし、メディア全般でも理科を取り上げたものは少ないように思います。
山内:そうなのですね。
庄山:ええ。しかし、私は根本的には文系、理系という区別はあまり意味がないのではないかとも思っているんです。文系の人でも、ものづくりへの理解や愛情があれば理系的な仕事に就くことは十分可能だと思いますよ。
山内:そうかもしれませんね。
庄山:現にこの私も会社に入って5年もすると全く意識しなくなりましたし、関係ないと思うようになりました。そうはいっても学校の専門教育はどうでもいいと思われてしまうと困るのですが(笑)。
山内:それは困ります(笑)。
庄山:高等教育では専門知識も大事ですが、基礎体力、つまり基本的な考え方や基礎知識を授けることのほうがより重要ではないかと思います。文系、理系にはあまりこだわらないほうがいいんじゃないでしょうか。
山内:同感ですね。
庄山:「理科離れ」などと言われていますが、文系も理系も大事だということです。私にはやはり「理科離れ」の心配があって、小中学校の先生や生徒たちにものづくりの楽しさや感動、感激を与えるボランティア活動を推進しているんです。
山内:それはいいことですね。
庄山:蔵前工業会や「NPO法人日立理科クラブ」で、当社や他社OB・ОGのシニアが小中学校に出向いて教材づくりや実験を教えたりしているんですが、行った先で言われるのは、小中学校の先生方の多くは理数系の科目が得意ではないということです。それでは腰が引けたり、きちんと教えられないということもあると思うので、シニアたちの存在価値が発揮されるんですね。「日立理科クラブ」のシニアは「理科室のおじさん」等と呼ばれて、皆嬉々としてやっていますよ(笑)。子どもたちも目を輝かせています。
山内:実は私の妻も小学校の教師なのでわかるのですが、確かに文系の先生が多いようですね。メーカーのOB・ОGが人の役に立てる機会が持てて張り合いを感じ、教わる子どもたちがそれで理科に関心が持てれば、一挙両得以上の意義があると思います。
しかし、確かに一時期「理科離れ」とも言われましたが、最近の入試では文系よりも理系のほうが人気があるんですよ。文系のみの一橋大学としては課題がありますが、若い人が理科に関心を持つのはいいことですね。
庄山:こうした活動をしているメーカーはほかにもあると思いますが、増えるといいと考えています。
両学が共鳴しイノベーションを
山内:先ほど文系も理系も大事だと言われましたが、一橋大学でも理系の科目を教えていますし、東京工業大学にも文系の科目はあります。しかし、入学するともう自分は専門の世界に生きると思っている学生が多いわけです。経済学部なら、自分は経済学を専門的に学ぶのだと。その瞬間に、高校までの理数科目で学んだことは忘れてしまっているんですね。
庄山:なるほど。
山内:しかし、理系の授業のハイレベルな話でも、わかりやすければ学生は興味を持てると思うんです。また、理系科目を学べばそれだけ視野も広がるし、新しい発見にもつながります。心が豊かになると思うんですね。だからこそ東京工業大学ともいろいろなレベルで交流をしているのではないかと思います。
庄山:東京工業大学の三島良直学長ともお話しするのですが、東京工業大学や一橋大学のように文理それぞれの専門大学は、尖った部分が必要ですね。
山内:そのために存在していますから。
庄山:ですが、それだけでは偏りが出てしまいますね。やはりそれぞれの特徴を大切にしつつも、相互理解というものが必要だと思うんです。
山内:まさに"文理共鳴"ですね。文系と理系の人材が対話・連携することで科学技術の産業化・社会化を進め、社会的課題を解決していこうというコンセプトを提唱させてもらっています。そして東京工業大学と連携し、「文理共鳴トップリーダー」育成に着手しました。
庄山:素晴らしい取り組みだと思います。今日のようにグローバル化が進展すると、お客様のニーズはどんどん変化します。そして、競争に勝ち残るにはニーズを先取りしなければなりません。そのためにはイノベーションが必要ですね。
山内:おっしゃるとおりですね。
庄山:最近では皆「イノベーションが大切だ」などと口々に言いますが、東京工業大学も一橋大学も早くからイノベーションの研究に取り組んできていますね。両学が共鳴してイノベーションを生み出していくことが求められていると思います。
山内:一橋大学は1997年に「イノベーション研究センター」を発足させましたが、その前身となったのは1944年に発足した「東京商科大学産業能率研究所」です。歴史はかなり古いですね。
庄山:かなり前から取り組まれているんですね。先日、東京工業大学にマサチューセッツ工科大学(MIT)やカリフォルニア大学バークレー校の先生方が来られて討論会が行われ、私も招かれたんです。
山内:そうでしたか。
庄山:そこで、MITの副総長が「大学は単なる講義をしているのではなく、学生をどんどん社会へ出し、いろいろな人々と対話し、討論し、知恵を出させることが必要だ」と言っておられましたが、全く同感でしたね。東京工業大学もそういうイノベーティブな取り組みを増やしていくと言っておられました。
山内:素晴らしいお話ですね。
グローバル人材育成に海外生活体験は不可欠
庄山:新しい価値を創造するには、チームで議論をすることが大事だと思います。最近はキーボードを叩くといろいろなデータが取り出せて便利になりました。それでわかったつもりになるのですが、わかることと価値が創造できることには大きな違いがあります。ですから、そうした訓練をしなければならないということだと思います。
山内:おっしゃるとおりですね。MITでは、カリキュラムに芸術系の科目も加えていますね。感情や情緒を育み、理系の研究者としての創造性を養うという趣旨でしょう。
庄山:私は、大学で芸術どころか物理の単位を落としたことがあります。理系の学生としては致命的ですね。これはまずいと追試を受けて何とかリカバーしましたが、人間、痛い目に遭うと真面目に勉強するものだと実感しました。
山内:同感です(笑)。
庄山:一方では、心理学は満点だったんですよ。宮城音弥先生という有名な先生の授業を、大学1年生のときに履修しました。講義を数回聴いてレポートを提出し、合格しました。それ以来、「自分は心理学が得意だ」と自己暗示をかけています。もっとも、ほかの学生も満点をもらったのかもしれませんが(笑)。
山内:自己暗示というのは自信を持つためには効果的かもしれませんね。
庄山:東京工業大学は、学生が文系のいろいろな授業に興味を持つように、かなり気にかけたカリキュラムがあると思います。理系には突き詰めるタイプの学生が多いので、視野を広げさせることに力を入れているのでしょう。
山内:一橋大学の学生も視野を広げて、理系の分野にも関心を持ってもらいたいですね。一橋大学の卒業生や学生に対してどういったイメージをお持ちですか?
庄山:如水会の人と接していると、自信を持っている方が多いように感じますね。「俺に任せろ」と。日立のアメリカ現地法人の会長も一橋大学出身ですが、そんなタイプです(笑)。私はつねづね"何でもござれ"人間を育てたいと思って取り組んできたのですが、一橋大学の学生さんはまさにうってつけですね。
山内:なるほど。まさに"キャプテンズ・オブ・インダストリー"ですね。この対談のテーマは「世界競争力のある人材とは?」というもので、まさに一橋大学が取り組んでいる人材育成のテーマでもあります。庄山さんは、グローバル人材を育てるにはどうすればいいとお考えですか?
庄山:やはり海外生活を体験させることでしょうね。私は出張だけで、海外で暮らしたことはありませんが、少しでも実際に海外で生活してみることが必要だと思います。そうでないと、なかなか頭がそこに向かわないのではないでしょうか。また、海外に行けば、そこで知恵や発想が湧くということもあると思います。
山内:そうですね。
庄山:それに、海外は日本ほど甘くはないですね。よくわからないルールで縛られたり、逆にルールが無視されたりと難しい場面が多いと思います。あるエンジニアリング会社では、若い社員をいきなり大変な環境の国に送り出すといいます。経営者としては少し心配もありますが、多少突き放すことで成長させようというねらいではないかと思います。
チームワークが機能すればどんな問題も解決できる
山内:なるほど。「可愛い子には旅をさせよ」ということですね。それで、グローバル化する社会のなかで、学生はどういったことを心がけるべきでしょうか?
庄山:まずは、自分は何がやりたいのかをはっきりさせるということだと思います。自分の気持ちが定まらないようではいけませんね。それで海外に行って何かを聞きかじり、いいところを真似しているだけでは通用しないでしょう。ですから、海外に行く前に自分をつくっておくことが肝要ではないでしょうか。
山内:おっしゃるとおりです。
庄山:日立にも数多くの海外出身社員が在籍していますが、企業理念などの理解度は日本出身者よりも高いかもしれません。そういった基本的なところは万国共通です。まずは基本を理解することが、グローバル化につながるということでしょう。
山内:そのとおりですね。では最後に、一橋大学の学生にメッセージをお願いします。
庄山:世の中には、人がつくり出したたくさんのものがあります。そんな形のあるものに対する愛着や思いやりを持っていただきたい。そうすれば、理系科目が苦手でも何とかなると思います。私も最近の理系の入試問題が解けなくなっていますが(笑)、この問題は誰に聞けばわかるか、誰に任せれば解決できるかというやり方でこなしてきました。財務や法務に関しても同様です。多少楽観的なのかもしれませんが、チームワークが機能すればどんな問題も解決していけると思います。
山内:普段から、そういう信頼関係をつくっておくことが大切だということですね。本日はどうもありがとうございました。
(2014年7月 掲載)