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協力は大学の本質だと思います

  • ソウル大学校総長呉 然天
  • 一橋大学長山内 進

2013年夏号vol.39 掲載

2013年度の入学式に、ゲストとしてソウル大学校の呉然天総長をお招きし、特別講演をしていただいた。グローバル社会で活躍できる人材育成をテーマとする一橋大学は、学部、大学院合わせて195人(2012年5月現在)という多数の韓国人留学生を迎え入れている。また、2012年9月に初の海外アカデミアをソウルで開催した。まずは最も近い隣国である韓国との交流を重視する流れのなかでの呉総長の招聘となった。この機会に、2011年に韓国の国立大学として最初に法人化した同大学の戦略や、グローバル時代の大学の在り方などについて呉総長にお話を伺った。

呉 然天氏プロフィール写真

呉 然天

1974年ソウル大学校で政治学の学士を取得後、米国ニューヨーク大学大学院にて行政学の修士号、博士号を取得。韓国経済研究院主席研究員、ベルリン大学招聘教授、韓国租税学会会長、企画予算委員会委員、世界銀行民営化諮問担当官などを歴任する傍ら1983年よりソウル大学校行政大学院にて助教授、准教授、教授として教鞭をとる。2000年ソウル大学校行政大学院長に就任後、2010年ソウル大学校総長に就任、現在に至る。

山内 進学長プロフィール写真

山内 進

1949年北海道小樽市生まれ。1972年一橋大学法学部卒業。1977年同大大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1987年法学博士。成城大学法学部教授、一橋大学法学部教授、法学部長、理事等を歴任。2004年、21世紀COEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」の拠点リーダーに就任。2006年副学長(財務、社会連携担当)、2010年12月一橋大学長に就任。専門は法制史、西洋中世法史、法文化史。『北の十字軍』(講談社)でサントリー学芸賞受賞。その他『新ストア主義の国家哲学』(千倉書房)、『掠奪の法観念史』(東京大学出版会)、『決闘裁判』(講談社)、『十字軍の思想』(筑摩書房)、『文明は暴力を超えられるか』(筑摩書房)など著書多数。

財政問題の解決には国民のコンセンサスが最難関

対談の様子:左が山内学長、右が呉氏

山内:このたびは、本学の入学式にお越しいただき、ありがとうございます。

呉:こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。私もこの機会を得て大変勉強になりました。一橋大学の学生たちの思慮深い態度や自らを律する精神、そして式典を組織的に運営する教員の皆さんの献身的な姿勢に感銘を受けました。ソウルに帰ったら大学の教員や学生にこのことを話したいと思っています。

山内:まず、はじめにお尋ねしますが、総長は、なぜ財政学を選ばれたのですか?

呉:私は学生時代に政治学を専攻し、国家試験に合格して卒業後は公務員として数年間働きました。その後、アメリカに留学し博士号を取得しました。政治学は、権力というものをベースに、国家運営に必要な公的目標を追求するための集合的対応をいかに行うかについて学ぶ学問ですが、その鍵となる手段が財政なのです。政治過程においては、財政面からアプローチすることが最も説得力があるのです。そのように、政治的な意思決定においては財源の調達と配分が最重要の課題であると考えたためです。

山内:なるほど。では、ぜひお伺いしたいのですが、財政の専門家から見て、世界的に見ても極めて重い日本の財政問題を解決していくことに希望は持てるのでしょうか?

呉:希望があるかないかという二元論でお答えするのは適切ではないかもしれません。なぜなら、これから日本は財政問題の解決にどう取り組んでいくべきかを考えることこそが極めて重要であると考えるからです。財政問題を解決するには、国民のコンセンサスを得ることが最難関となるでしょう。国民の代表である政治家は選挙で当選しようと努力するので、国民に厳しいことは言いにくいと思います。しかし、財政の健全化のためには、中長期的な視点に立ち、国民に厳しいことも求める勇気を持てるかどうかが問われるのです。票と財政の健全化の間にはコンフリクト(葛藤)がありますが、それを最小化する努力がまさに必要です。これは日本だけでなく、世界のどの国家にも共通する問題だと思います。政治家は、目の前の問題だけに取り組むのではなく、未来世代のことにも思いを馳せる勇気や知恵が必要であることを強調したいと思います。

普遍的な価値創造が大学の役割

呉氏1

山内:大変参考になりました。世界にはこのように普遍的な問題がありますね。機会があれば、このテーマでシンポジウムなどを開催し知見を深めたいところです。そうした意味でも、大学の果たす役割は重要だと感じました。
ところで、ソウル大学は言うまでもなく韓国で最も優れた大学とされ、世界的にも有名ですが、ソウル大学の最も優れた点や誇りにしていることはどういったことでしょうか?

呉:手前味噌ではありますが、ソウル大学の学生の長所は「創意性に富む」という一言で表されると思います。学生に対して、どうすれば新たな価値創造に寄与できるか、という観点で教育を行っています。そこには二つの視点があります。一つは、1人の人間としての基本を重視する、いわば"人本主義"的な視点で、もう一つは"グローバルマインド"を育成するという視点です。グローバルマインドを持つには、多様性への理解やオープンマインドといった要素が必要であり、それを持つことで社会的な責務を全うすることができるようになると思います。弱者への配慮の必要性や、途上国が抱える課題を理解し格差を是正することで、国や地域、国際社会における共存共栄を図ることができます。こうしたベースがあって初めて普遍的な価値創造が可能となるのではないかと信じています。

山内:素晴らしいお話です。グローバルマインドの育成、普遍的な価値創造に大学が果たす役割は大きいものがありますね。

呉:学生を指導し評価する教員はもちろん、社会、政府も含めてグローバルにどのような価値創造を目指すべきかという価値基準を共有し、まずは学生の心構えをきちんと整理し直す必要があると思います。そして、保護者の学生への期待値を学生の力量と抱負に合わせる努力が必要です。大学は専門分野を教えることも重要ですが、それぞれの教員はグローバルな価値基準に合わせて教えることも極めて重要ではないかと思います。簡単なことではないと思いますが。

グローバルマインドを持つためには

山内学長1

山内:日本の大学は、個性的な教員がそれぞれの特徴を活かして教えているので、統一された価値基準で教えることは難しいかもしれませんが、普遍的な価値創造に貢献できる人材育成は押さえておくべき観点だと思います。その点で、一橋大学もグローバル社会で活躍できる人材育成をテーマにしているのですが、グローバル化については、シンプルに留学を促すという施策に集約されている面があります。まずは外に出ていろいろなことを見て、経験してみることが先決であるという考え方です。

呉:一橋大学は東京にあり、ソウル大学はソウルにありますが、大学は"university"ですね。つまり語源は"universe"(全世界)であって、どの地域に立地しているかということにとらわれずに、人々が共通の知識を学べるところが大学であると思います。つまり、大学というものが歴史的に形成されてきたプロセスにおいて、すでにグローバルマインドが包含されていたということです。
最近、経済問題や気候変動、エネルギー問題、人権問題などのグローバルイシューが浮上しています。こうした問題が国家間の競争という観点でとらえられると、限られた問題の解決にとどまってしまいます。地球的規模の問題としてとらえ、アプローチすることが必要だと考えます。そうした観点で考えれば、どこの国の大学でも取り組むことはできると思います。要は文化的多様性を理解するオープンマインドを持つことが重要です。その点で、留学は一つの手段にはなると思います。

呉氏2

山内:総長の、グローバルマインドを持つには多様性への理解とオープンマインドが重要というご意見に私も同感です。ソウル大学では、それらを踏まえての、何か具体的な施策を行っていますか?

呉:今年の9月から、アジア地域の教員に対して博士学位を授与するためのプログラムをスタートさせます。これにより、グローバルな視点を備えた影響力のある教員を養成し、アジアの発展の一助となりたいと考えています。一橋大学にもご協力を要請したいと思っています。

山内:まさにオープンマインドの素晴らしい試みですね。ご協力できれば嬉しく思います。

"natio"の集合体が"universitas"に

山内学長3

呉:山内学長は中世の国際法がご専門と伺いました。まさに大学がつくられた中世ヨーロッパについては、学長のご専門とかかわりが深いのではないかと思います。当時の普遍的な価値とは神の存在でした。その普遍的な価値を求めるために秩序が必要となり、法律がつくられたのだろうと思います。大学の出発点にある学問は神学と法学なのですね。しかし、19世紀から20世紀にかけて、普遍的な価値は国家間の競争という世俗的なものにすり替わってしまいました。大学は、今一度本質的な価値を追求すべく協力体制を築く必要があると思います。外国の大学の総長を入学式に迎えたことは、まさにグローバルマインドの表れだと思います。そんな一橋大学には、アジアや世界の先頭に立たれることを期待しています。

山内:私の専門についても触れていただきありがとうございます。英語の"university"は古くはラテン語の"universitas"が語源で、"universitas"には「普遍」とか「組合」「全体」「世界」という意味があります。世界最古の"universitas"は現在のボローニャ大学とされていますが、そこにはヨーロッパ各国から人々が集まったのですね。一方、国の"nation"はラテン語の"natio"が語源ですが、これには「誕生」という意味があります。つまり、生まれを同じくする人々の集まりが国だということですね。そして、"natio"の集合体が"universitas"と考えれば、まさに世界はそれぞれの個性を持った国がお互いを活かしつつ一つにまとまる共同体となるわけです。まさに、総長のおっしゃる「普遍的な価値」がそこでは重要ということがよくわかります。多様性を踏まえ、普遍的な真理を探究することが大学の本領であるということですね。

呉:そのとおりですね。

価値ある研究や教育の追求が法人化の目的

呉氏2

山内:さて、日本の国立大学は2004年に法人化しましたが、ソウル大学も2011年に韓国で最初に法人化したと伺いました。どのような理由からでしょうか?

呉:どの国立大学も法人化する選択肢を与えられましたが、ソウル大学だけが選択しました。その中核的な目的は、自主性を確保するということです。政府の間接的な統制は残りますが、直轄ではなくなることで自主性を持つことができます。そして、大学として自主性を確保することは必然であると思います。なぜなら、教育や研究を行う機関である大学は、一般的な行政機関とは異なる特殊性を発揮させなければならないからです。法人化自体が目的ではなく、また法人化により自主性を獲得することが最終的な目的ではありません。価値のある研究や教育を追求することが目的であり、自主性はそのための不可欠の手段であるということです。

山内:日本の法人化の影響も受けているのですか?

対談の様子-奥が山内学長

呉:受けていますね。ただ、日本の場合は行政改革の一環としてすべての国立大学が同時に法人化していますが、ソウル大学の場合は大学の自主を基本目標とする「ソウル大学法人化法」という特別法をつくり、政府が財政を保証することを明記しています。これにより、既存の政府の財政支援が確保されるとともに、大学の発展に必要な追加の財政支援が可能になったので、毎年1%の予算が削減されてきた日本の国立大学法人化のケースとは異なると思います。

山内:確かに日本の国立大学は予算が減少傾向にあります。そこはどうしていくべきか腐心することがときどきありますが、日本の国立大学法人化も自主性の獲得が第一目的です。独立行政法人となっていますが、かなり特殊で、法律で大学の自治は守られる形になっています。

呉:自主性にはコインの両面の要素があると思います。私は親子関係に似ていると思っているのですが、子どもが結婚して家庭をつくると、親から離れて自由になる半面、家庭の運営には責任を持たなければなりません。大学も法人化によって自主性が与えられる半面、国民に対する責務を果たす必要があります。ソウル大学は法人化によって組織を革新し、より発展させていかなければなりません。国民からそのような命令を受けているようなものです。

日本で学んでいる留学生にはより多くの機会が巡ってくる

呉氏4

山内:国立大学が法人化するというのは非常に大きな変化なので、ソウル大学の場合でも法人化はスムーズに運んだわけではないように思えますが。

呉:はい。国会で野党が反対し、教員や学生の一部も反対しました。そうした反対勢力に理解され共感してもらうために、我々幹部が想像を絶する努力をしたのも事実です。それとともに、「ソウル大学発展基金」を設けて広く社会から寄付を募ることにも努めました。政府の予算だけでなく、さらに運営の自主性確保や新たな取り組みをしていくための資金を確保したいからです。我々は一人二役にも三役にもなって、大学のビジョンやミッションを粘り強く訴え、共感を得る活動を続けました。

山内学長4

山内:自主性を求めてそこまで熱心に活動されていることに対して、率直に敬意を表します。
ところで、一橋大学には学部、大学院合わせて195人と多数の韓国人留学生が在籍しています。特に学部生は124人で、2位の中国人留学生41人を大きく引き離しています。彼らに対しては、どのようなことを学び、身につけてほしいとお考えですか?

呉:韓国の学生は、これまで留学先として欧米の大学や大学院を選ぶ傾向が強かったと思います。日本で学んでいる留学生には、アメリカやイギリスへの留学ではないことに不安を持っている人もいるかもしれませんが、その必要は全くありません。一橋大学をはじめ日本の大学に留学する韓国人学生は、修了後、より多くの活躍の機会が与えられるようになると思います。なぜなら、韓国では今、政治、経済、社会に急激な変化が生じており、世界のあらゆる地域で経験を積んだ、文化的多様性をバックボーンに持つ人材がさらに求められるようになるからです。韓国にとっては最も近い隣国であり、文化面でも類似性があり、経済交流のレベルも深い日本で教育を受けている学生には、より多くの活躍の機会が巡ってくると思います。

山内:そう言っていただけると、我々もより力が入る気がします。

対談の様子3

対談の様子4

科学技術のアジア化に役割を果たした日本

呉:19世紀後半から、日本の学問は西洋の近代科学が土台になって形成されてきたと思います。そして、日本はこうした伝統的な科学技術をアジア化することに役割を果たしました。日本で学ぶことは、アジアにおける学問の伝統を踏まえた体系のなかで学習することができるというメリットも大きいと思います。たとえば、財政学の分野では、韓国の多くの教員は欧米の大学で学ぶのですが、韓国の財政制度そのものはむしろ日本のそれに似ているものが多くあります。社会科学は文化的、地理的な属性を理解して学ぶことが有用ですが、その点、韓国人が社会科学分野を日本で学ぶ意義は大きいのではないでしょうか。そして、一橋大学は日本における社会科学部門のトップレベル大学の一つですね。一橋大学は昨年、「ソウルアカデミア」を開催しましたが、今年のテーマは高齢化社会だそうですね。韓国もこれから高齢化社会を迎えますが、20年ほど先に経験している日本に学ぶことは数多くあると思っています。

山内:昨年初めて「ソウルアカデミア」を行いましたが、好評価をいただいて嬉しく思っています。これからも続けていきたいと思いますので、ご協力をお願いいたします。最後に、一橋大学に望まれることがあればお教えください。

呉:「ソウルアカデミア」にも韓国の大学が参加していましたが、一橋大学はアジアの諸大学との交流を深めていますね。素晴らしいと思います。今後もぜひ継続していただきたいですし、ソウル大学とも研究領域だけでなく、教育面でもお互いにアイデアを出し合いながら、グローバルマインドを備えた学生を育てていければいいと思います。そして、両国の人たちがお互いに学び合い、分かち合うことを拡大していく責任は、両国の知識人にあると思っています。今後ともよろしくお願いいたします。

対談の様子2

対談の様子3

対談の様子4

※本文中表記は「ソウル大学」とさせていただきました。

(2013年7月 掲載)