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自分の頭で考え自分で動くモードに切り替える

  • 最高裁判所判事山浦 善樹
  • 一橋大学長山内 進

2013年冬号vol.37 掲載

最高裁判所の判事は、裁判官、弁護士、検察官、行政官、法学者の出身者で構成されている。山浦善樹判事は弁護士出身。「どんな事件にも重装備で向かう」をモットーに、法による正義の実現に努めている。山内学長との対談では、信州人論、弁護士論、最高裁判事論、法曹教育論と話が弾んだ。何より、山浦氏の人生の歩み自体がユニークであり、法曹志向者はもちろん、勉学を志す人に役に立つ話が満載だ。

山浦善樹氏プロフィール写真

山浦 善樹

1946年生まれ。1969年一橋大学法学部卒業、1974年弁護士登録(東京弁護士会)、1979年司法研修所民事弁護所付、1996年司法研修所民事弁護教官、2000年司法試験考査委員(民事訴訟法)、2001年東京弁護士会司法修習委員会委員長、日本民事訴訟法学会理事、2003年法務省新司法試験実施に係る研究調査会委員、2004年山梨学院大学法科大学院教授、2008年筑波大学法科大学院教授、2011年中央大学法科大学院客員教授、2012年3月1日最高裁判所判事。

山内 進学長プロフィール写真

山内 進

1949年北海道小樽市生まれ。1972年一橋大学法学部卒業。1977年同大大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1987年法学博士。成城大学法学部教授、一橋大学法学部教授、法学部長、理事等を歴任。2004年、21世紀CCEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」の拠点リーダーに就任。2006年副学長(財務、社会連携担当)、2010年12月一橋大学長に就任。専門は法制史、西洋中世法史、法文化史。『北の十字軍』(講談社)でサントリー学芸賞受賞。その他『新ストア主義の国家哲学』(千倉書房)、『掠奪の法観念史』(東京大学出版会)、『決闘裁判』(講談社)、『十字軍の思想』(筑摩書房)など著書多数。

経験の幅と理性の積が判断の基準

山浦善樹氏1

山内:山浦判事は長年法律家としてご活躍されていますが、ホッブスというイギリスの思想家が書いている『哲学者と法学徒との対話』という名著と関連する話についてお伺いします。法学徒のモデルとされているエドワード・コークという法律家が国王と対立したときの話です。国王は、自分の理性的判断でものごとは処理できるから、裁判もできると主張しました。一方のコークは、長年の経験知が必要だと言います。経験の集合体が法であり法の英知であり、国王といえども集積された法を超えることはできないという考えです。そこから「法の支配」が始まるといわれています。法律の世界では、長年の経験で培った専門的理性が、大きく作用するのではないでしょうか。

山浦:学長のお話は最初から豪速球で、今日の対談は、私が丸裸にされてしまいそうですね。感想めいた言い方でしかありませんが、法曹の世界では、理性的判断と経験知の関係は二者択一ではなく、黄金律......というより、ベクトルというか、経験の幅と合理性を追求する理性の掛け算が重要になるのかも。私はもっぱら紛争解決という現場で仕事をしているので哲学論議はわかりませんが、たとえば判例変更が行われるのは、これまでの判例が間違っていたわけではなく、その後の社会・歴史の変化のなかで、それまで果たしてきた役割を終えていわば時代のエネルギーに支援されて生まれ変わるのではないか。だからそれまでに積み重ねられた経験とそのときの合理性の判断との掛け算で決まるのではないか。上告事件は地裁や高裁レベルで、弁護士、検察官、裁判官あるいは裁判員が熱心に議論してきた結果です。これまでのルールが社会の実情や市民感覚とズレているという共通の認識が形成された場合に、新しい合理的な判例が生まれるのは社会の必然です。その判例もまた時代の変化のなかでその役割を終える時期がくる。......答えになっているか不安ですが、法律はその時代の経験と合理性の両方のエネルギーのなかで成り立っていると思います。

山内:ホッブスは理性派でしょうか。哲学者と法律家とでは、ベクトルが対照的なようですね。

信州人の典型である強みと弱み

対談風景-横から撮影した写真

山内:山浦判事は生まれも育ちも長野県の上田で、高校も上田高校ですね。私は北海道の小樽生まれなもので気になるのですが、それが人生を歩むうえで何か影響を与えたのでしょうか。

山浦:今日の対談は一橋大学の学生、とりわけ法学部や法科大学院生に向けて、こういう変わり者の先輩が、松本正雄元判事(東京商科大学卒)に次いで一橋大学OB・OGとしては二人目の最高裁判所判事になったということで話題性もあり、学生の勉強の励みになるようなメッセージをお願いしたいという趣旨でしたので、どれだけお役に立つかわかりませんが、普段あまり話をしたことがない個人的なことを中心に、ざっくばらんにお話ししたいと思います。私は長野県の丸子町(現在は上田市)で生まれました。時代に取り残されたような貧しい町でした。私は中学を卒業したら地元の信用金庫に勤めるつもりで、中学3年生からそろばんを習いました。ところが、私が進学しないつもりだということを知った中学校の先生が、奨学金制度について教えてくれたのです。そのおかげで上田高校に進学でき、大学も卒業できました。長野県出身者は信州人といいますが、理屈好き、頑固で融通がきかない、勉強熱心、根気強い、まじめ過ぎてユーモアを解さない、社交下手、口下手といわれています。自分の性格を分析すると典型的な信州人だと思います。

山内:進学した上田高校はお城のなかにあって、素晴らしいですね。私の先輩に小諸の造り酒屋が実家の方がいましたが、出身高校である上田高校を大変誇りにしていました。

山浦:上田高校に進学して、今までとは違った世界にきたという感じがしました。自由な雰囲気でとてもよい学校です。私は意識して生徒会長や新聞班(上田高校では、班は部活動のこと)の班長などをやりました。人見知りで社交性がないという自己認識がありましたので、世の中に出て人並みのことができるようになりたいと思ったからです。新聞班は、生徒会から一銭ももらわず、自分たちがつくった新聞をマンスリー版は一部20円とか30円で、ガリ版刷りのウィークリー版は5円で売って活動資金にしていました。もちろん正規の学校新聞ですが、無料配布ではなく生徒は自分でお金を出して買うのです。だからいい記事を書くと売れます。ウィークリー版は週末の運動部の対外試合の結果、マンスリー版は市内の映画館で上映予定の映画紹介や、社会で活躍するOB・OGのレポートなどで、たとえば地元で活躍している経営者や医師にインタビューをし、苦労話をまとめたりしました。あの頃の仲間は、社会との接点を大切にし、情報のタイムリーな提供という現代的な視点を持ち、いろいろ創意工夫をしていました。

将来のライバルか、戦友か
ベターハーフの条件

対談風景-俯瞰で撮影した写真

山内:そうした活動が受験勉強の邪魔になったりはしませんでしたか。

山浦:新聞班には勉強好きの仲間が大勢いてよいライバルだったから、サークル活動は成績にもプラスになりました。生徒会のほうは担任の先生が「君なら生徒会長になっても成績は大丈夫だろう」と言うので、嬉しくなって「やります」と言い、全校生の前で立候補の演説を行って生徒会長になった。でも新聞班と生徒会の掛け持ちだったので、やはり成績は落ちましたね。しかし内気な性格を直すという目的は少しですが達成したと思います。

山内:上田高校は男子校ですか。

山浦:制度的には男女共学ですが、実際は男子校のようなものでした。私のときは1学年400人中20人の女子生徒がいました。実は、そのうちの1人が私の妻です

山内:それは興味深いですね。

山浦:大学を選ぶことも就職先を選ぶことも重要ですが、結婚相手を選ぶことはもっと重要ですね。私が妻を選んだのは、一緒に生きていくうえで人生のライバルになれるかどうかということで、この40年間、彼女に負けないようにと頑張ってきた......いまだに勝てませんが。

金融機関に就職
たった1年で飛び出す

山浦善樹氏2

山内:一橋大学を受験先に選ばれたのは理由があるのですか。

山浦:特別の理由はありませんでした。長野県から外に出るには東京に行くしかありません。東京にある国立大学というだけで受験したのです。それも奨学金だけが頼みですから浪人はできません。入試では数学が1問も解けませんでした。ですから合格発表は期待していませんでした。東京外国語大学の受験の前日に、ついでに国立に行き掲示板を見たら、本人もびっくり、何と私の番号がありました。間違いなく最下位だったでしょう。合格発表の貼り紙が剥がれそうになりながら、はためいていたのが印象的でした。慌てて受付に行くと「今日が手続きの締め切りですよ」と言われました。あの日、ふと思いついて寄っていなかったら、一橋大学には入っていませんでしたね。

山内:卒業後は三菱銀行(当時)に就職されたのですね。

山浦:ええ、4年生の春、就職先を探そうとして、ある銀行に行くと、「君は法学部ですね。最近の新聞を読んで何か気づいた法律問題はありますか?」と聞かれました。アルバイトに明け暮れていた貧乏学生に新聞を読んでいるかと聞くなんて無理だと思いました。その足で丸の内に出て、三菱銀行に行き「別の銀行で、新聞を読んでいるか、というつまらない質問をされました」と話すと、「成績表を見せなさい」と言われました。当時、3年間で優が27〜8個あるのが普通でしたが、私はたったの7個で、あとは「カフカ(可・不可)」です。「君、いったい何をやっているの?」と聞かれました。「ほぼ半分は生活費を稼ぐためにアルバイトに精を出し、ベトナム戦争反対の学生運動にも参加し、残りはお能(宝生流)の稽古でした」。すると「面白いやつだ」と言われ、先輩の応援もあって採用されました。

山内:では、なぜお辞めになったのですか。

山浦:三菱銀行は組織がしっかりとした立派な銀行です。それだけに組織のなかの10年後、30年後の自分が見えたような気がしてしまったのです。入社して1年ぐらいでした。私は組織のなかでじっと上を目指すのは無理だと思い、妻に相談すると、返事は、あっさり「それなら辞めたら」でした。挫折というほどではありませんでしたが、サラリーマンとしては失敗でした。

山内:辞めて何をしようと思ったのですか。

山浦:目的があって辞めたのではないので、しばらくぶらぶらしていました。1か月ほどして、大学院に入れないかとゼミの市原昌三郎教授に電話すると、あっさり断られました。何しろ学部の成績がひどいものでしたから、先生は大学院への進学や研究者になるというのは無理とハッキリ指摘してくれました。ちょっとショックでしたが、先生はもともと、いったん大学を卒業したら二度と国立にはくるなと言っていました(社会の荒波のなかでこそ大きく育つ)。大学院は無理という指導は、今から考えると的確で愛情がこもっていたと思います。しかたがないので、新聞の求人広告を見て、司法書士事務所に電話すると「うちでは大卒の事務員はいらない」と断られました。資格試験はどうかと考えましたが、司法書士や税理士、弁理士などの過去問題を見ると実務科目があり、まったく手が出ません。しかし司法試験は「何々を論ぜよ」式の問題で、大学の期末試験と同じでしたから、これなら何とかなると考えて、それからは6畳1間のアパートで1人で勉強しました。OLをしていた妻の健康保険証の被扶養者欄に、私の名前が書かれていたことは忘れられません。妻には迷惑をかけたと思います。それからは信州人の粘りを発揮して猛烈な勉強を始め、偶然にも1回で合格しました。当時、司法試験は一橋大学からは3〜4人程度の合格でしたから、私が合格したことが学内に広がって「あの山浦が合格した?司法試験ってそれほどやさしかったのか」と皆に驚かれました。

自分の頭で考え自分の言葉で伝える

山内 進学長

山浦:実は、たまたま前日読んだ判例の問題が出たり、三商大で検討した問題が出たりしたという運もあったのです。

山内:運も実力のうちですね。でも、前の日にぱっと見たとしても、頭に入ってこないのではないですか。

山浦:もともと法律というのは対話が大切です。裁判では依頼者、相手方、裁判官の言っていることを理解すること、試験では出題の意図をキャッチすることが重要です。出題の意図さえわかれば、あとは自分の頭で考えればいい。ちょっとでも情報があれば、出題の意図をつかまえる手掛りになります。糸口さえ見つかれば、あとは自分の頭で考えて、自分の言葉で表現すればよいのです。結論自体はそう大きな問題ではありません。

山内:そういった、ポイントをとらえて自分の頭で考えるというスタイルは、どこで身につけたのですか。

山浦:大学のゼミでしょうか、市原先生との対話のなかで、オウム返しの返事をするのではなく、いったん自分の頭で考えて、自分の言葉で表現することの重要性を学びました。卒論は「法律学懐疑論」としました。「法律は最初に結論があって、あとから理屈をつけている、それでいいのだろうか」という内容でした。先生には、ぽつり「お前はもう少し勉強すべきだった」と言われました。でも、その頃から、自分の切り口で書いていました。

山内:そのように思いきれるかどうかは、重要なポイントだといえます。

山浦:自分の頭で考えて、自分の言葉で表現するのが一番なのですが、そこまでいけないときは、そういった振りをするぐらいのしたたかさも必要だと思います。

山内:大学の学問で何が大事かというと、頭を鍛えることです。何らかの分野で専門性を高めて、頭を鍛えて応用力をつける。何か問題が出てきたときに、自分の頭で考えて判断できる能力を身につけることが重要だと考えています。今のお話を聞いて、まさにそうだと意を強くしました。

山浦:受験勉強では、先生から与えられた情報を大きな口を開けて次から次へと飲み込んでいく、たくさん食べたほうが頭がよい......それでもいいでしょう。しかし自分があと2〜3年で弁護士になるとすると、知識の受け売りではなく、自分の頭で考え、自分で動くモードに切り替えなければなりません。

弁護士に必要なのは、「好きになる」こと

対談風景-山内 進学長2

山内:弁護士として長年ご活躍されていましたが、弁護士にとって何が一番大事だと思いますか。

山浦:人はいったん嫌われたらどんなに立派なことを言っても受け入れてもらえません。弁護士の仕事は人と人との揉めごとをどのように解決するかという、人の営みそのものです。そこでまず「好きになる」ことを挙げたいですね。事件を好きになる、依頼者を好きになって依頼者に好かれる、裁判官を好きになって裁判官に好かれる、相手方弁護士を好きになって相手からも好かれる。裁判官や弁護士、互いに好きになるというのは誤解を招きやすい表現ですが、ここでは互いにプロフェッションとして尊敬し合うという意味です。
裁判のイメージは、裁判官と弁護士はチームメイト。内科医、外科医、麻酔医、精神科医などが協力して患者の治療にあたるチーム医療と同じです。弁護士はかかりつけ医で、法廷は集中治療室、弁論準備は事前打ち合わせという感じです。紛争のなかで立ち直れずにいる患者に対して、裁判官と弁護士が技術者集団として対立を乗り越えて協力し、患者を救済するわけです。それが司法という対人援助業務の基本姿勢です。

対談風景-山内 進学長3

山内:いい弁護士を探すには、どうしたらいいのでしょうか。

山浦:弁護士は依頼者に雇われるわけではありませんから、初対面から「承知しました」ということはありません。少し厳しいように感じますが、依頼者側の弱い部分、法的問題や証拠不足の部分もちゃんと指摘する。「このケースは......だから勝てないかもしれない。でもあきらめることはありません。根気よく探せば必ずどこかに証拠があるはずだ、だいいちあなた自身が重要な証拠だ、あなたが頑張れば法廷でも通じます」と言って支援します。口ベタでもいいから、最初に事件の見通しを客観的に説明する。そのうえで依頼者と一緒に汗をかいて証拠集めをする。こうして互いによいコミュニケーションを重ねて信頼の質を徐々に高めていきます。こういう手順をきちんとやる弁護士は、最後までいい仕事をしてくれるはずです。

あくまで弁護士として最高裁の判事を務める

対談風景

山内:最高裁判所の判事として重要なことは何でしょうか。弁護士とは違うものですか。

山浦:あまり大きな違いを感じません。これまで法に仕える者として仕事をしてきた。最高裁判所判事も、同じように法に仕える者ですから、ここでモードを替えることはあまりよいこととは思えない。これからも弁護士のつもりで、仕事をしていきたいと思います。

山内:最高裁判所の判事というと、大変責任の重い立場ですが......。

山浦:たしかにそうですが、せっかく弁護士から選ばれた......特に私の場合には、法学部生としては落第、サラリーマンも失敗、改めて勉強をやり直した。弁護士になってからは、東京の高層ビル街の片隅に弁護士1人、事務員1人の最小ユニットの法律事務所を開設して約30年、著名事件や大型事件をやったことはないが、マチ弁としての誇りを持ってコツコツとやってきた。そういうなかから選ばれたのだから、自信を持って、その経験を活かしてやり抜こうと考えています。

山内:弁護士の仕事を通じて、特に関心をお持ちのテーマはありますか。

山浦:市民は本当に法律によって守られているかという疑問です。法廷では真実を明らかにすることが必要で、そのため実質的に武器対等が保障されているか、特に情報が偏在している事件においては証拠開示が不可欠です。そうでなければ、市民に対して「武器を持たずに戦え」というようなものです。被告人と警察や検察官とを比較すれば、刑事事件における武器対等の原則は、さらに重要なことがわかります。

山内:最高裁判所の判事は裁判官、検察官、行政官、法学者そして弁護士から構成されています。それぞれ経験が異なっていますが、役割分担のようなものはありますか。

山浦:出身母体が違うので経験の違いがありますが、その違いはむしろ心地よい程度といっていいと思います。じゅうぶんな評議をするために相手の意見に耳を傾け、プロとしての経験や人柄に対して敬意を払っています。私が弁護士としての経験をもとに意見を言えば、皆、耳を傾けてくれる。大事なことは5人の裁判官(小法廷)の持てる力を総動員し、チームプレーで真実を明らかにすることですから、5人のいわば正五角形ができるわけです。

相手の立場から、自分自身をも見つめる多面的な視点

山浦善樹氏3

山内:司法研修所の教官や法科大学院の教授を歴任されていますが、法曹教育についてのお考えをお聞かせください。

山浦:司法研修所では、すべての教材について、スタッフ全員で合議し、効果的な指導を工夫してきました。骨の折れる作業でしたが、後輩指導が好きな人の集まりでしたから、弁護士も裁判官も啓発し合っていました。しかし法科大学院では、一つの講座を巡って研究者同士や研究者と実務家が互いに検討し合うということが足りないのではないでしょうか。今はまだ草創期で、これから徐々に充実させていくのだとは思いますが、学問のパワーと実務家の経験をうまく按配することが重要です。
もう一つ、法曹養成は教えるのではなく、教員は少しばかりの先輩として「気づき」のチャンスを与えればいいのです。ロースクールでは、実務経験が豊富な弁護士に未修生の科目を担当させると、きっと法律が好きになると思います。最初に法律を学ぶとき、定義がどうで学説はどうのという講義では法律が嫌いになってしまう。私は裁判入門の科目で、まず法律事務所の体制がどうなっており、事件がどのようにして起きて、どのようにして依頼がくるのか、事務所の収入はどれぐらいで人件費や税金がいくら、手取りはいくら......こういう切り口で実際の裁判がどのように進んでいくか、自分の例を教材にして講義をしてきました。

山内:そのほうが、リアリティがあって面白いですね。では、法曹を目指してこれから法律を学ぼうとしている若い人たちに、伝えておきたいことはありますか。

山浦:大事なのは、自分の側からだけではなく、相手の側からも見ることです。テレビで将棋の加藤一二三ひふみ九段が、対戦相手がトイレに立ったとき、さっと立って向こうへ行き、相手方の陣営から自分の陣をじーっと見て、相手が戻ったら、さっと自分のところに座ったのを見たことがあります。加藤九段は、相手がいても相手の肩越しからのぞき込んだり、先手後手が全く同型でもやっぱり向こうへ行って見てくるということです。プロ棋士は目隠しをしても何百手も読めますから、そのようなことをしなくとも、当然わかっているはずですが、これくらい熱心に相手方からどう見えるかということを考えている。私はこれを見たときにショックというか、すごく新鮮な印象を持った記憶があります。
我々の仕事も同じで、自陣から見るのは慣れていますが、相手の立場から自分の側を観察し、弱点はないかと考える。もともと多くの事件は、善と悪の戦いではなく、双方ともが善と善なのです。だからこそ予断を捨てて相手側に立ってみることが必要です。本来、社会科学という学問は、そういう性格のものです。これに関連して、法律家は自分自身も検証の対象として見なければいけません。法律家が世の中からどのように見られていて、世の中の期待に応えられているか、独り善がりになっていないか、いつの間にか初心を忘れ特権階級のつもりになって思考回路や価値観に偏りが生じているのではないか......。これまで我が国の弁護士は、自分を安全な場所において、いわば舞台の下から舞台の上の人に文句ばかりを言ってきた。ようやく最近になって自分の姿を見つめ直すようになってきた。市民や企業の弁護士に寄せる期待が大きいにもかかわらず、残念ながらその期待にじゅうぶんには応えてこなかった我が国の弁護士の姿が見えてきます。これから法曹を目指す人は、自分自身のありのままの姿を見ることを心掛けてください。そうすれば自分の役割がわかってきます。

山内:多面的にものごとを見ることは重要ですね。自分もその対象にするというのが、一番難しいかもしれませんね。あまり見たくないというのが本音ですから。

山浦:やはり謙虚さですね、自分を分析して五角形を描いてみると、それなりの経験を積んではいるが、いつの間にか惰性や不勉強からくる情報の偏り、独り善がりの経験を頼りにした判断の偏りなど、普段は気づかない自分自身の偏りに驚かされます。後輩に伝えたいのは、法に仕える者としてつねに謙虚に、偏らないものの見方ができるようになることです。社会の光の部分だけでなく影の部分もしっかり見る。競争社会の勝者だけではなく敗者も見る。発展だけではなく失われていくものも見る。他者に配慮することができる、そういう心に潤いのある法曹になってほしい。

国際化時代に欠かせない自由な視点、平和な視点

本棚の前で2人で

山内:最後に、「世界競争力のある人材」の育成について。一橋大学では、経済界に進む学生が圧倒的です。法曹の長い経験から、学生に何かアドバイスをいただけませんか。

山浦:私のように国際人でもないし、経済界では生きられなかったような者にとって、この質問は非常に難しいのですが、国際的というとすぐに、英語が話せる、外国を知っている、留学の経験がある、商社や海外事業に携わっているというイメージが浮かんでくる。これはこれで大事なことですが、それは部分的な現象に過ぎない。世界に通用するというのは、肌の色、国籍、性別、宗教、慣習などの違いがあっても、分け隔てなく(差別や先入観を排して)、互いに相手方の文化を尊重して、ものごとを優しく見ることができるセンスや能力ではないか。自由な視点、平和な視点とも共通していますね。

山内:先ほど、「好きになる、好きになってもらう」というお話がありましたが、国際化でもそれが重要になりますね。本日はどうもありがとうございました。

(2013年1月 掲載)