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知的柔軟性が持てるように学生を指導する。 それが大学の使命なのではないでしょうか

  • オックスフォード大学セント・ピーターズ・カレッジ カレッジ・マスターマーク・ダマザー
  • 一橋大学長山内 進

2012年夏号vol.35 掲載

今回お招きしたのは、世界のトップ大学の一つである、オックスフォード大学セント・ピーターズ・カレッジのカレッジ・マスターであるマーク・ダマザー氏です。一橋大学は、「スマートで強靭なグローバルリーダー」の教育を目指し、平成24年度よりオックスフォード大学セント・ピーターズ・カレッジとロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)へ、それぞれ1人の学生を派遣する留学制度を創設しました。この大学間交流を記念し、オックスフォード大学セント・ピーターズ・カレッジのカレッジ・マスターのダマザー氏にグローバル時代の大学運営と、大学が育成するグローバルリーダーについてご意見をいただきました。

マーク・ダマザー氏プロフィール写真

Mark Damazer(マーク・ダマザー)

ケンブリッジ大学ゴンヴィル・アンド・キーズ・カレッジ卒業後、ハーバード大学のハークネス特別研究員、米国議会コングレッショナル・フェロー。
BBCテレビジョンニュースの編集長、BBC政治プログラムの責任者、BBCカレントアフェアズの責任者、BBCニュース部門の総ディレクターに就任後、2004年よりBBCラジオ4及びラジオ7のコントローラー(総括責任者)に就任。また、国際プレス研究所で実行委員会の副議長を務めた経験を持つ。
2011年10月より、オックスフォード大学セント・ピーターズ・カレッジのマスターに就任。
現在、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の理事でもあり、ラジオアカデミーのフェロー(会員)である。また、英紙フィナンシャル・タイムズ、イブニング・スタンダードやガーディアンに、コラムやレビューを寄稿している。

蓼沼学長プロフィール写真

山内 進

1949年北海道小樽市生まれ。1972年一橋大学法学部卒業。1977年同大大学院法学研究科博士課程単位取得退学。1987年法学博士。成城大学法学部教授、一橋大学法学部教授、法学部長、理事等を歴任。2004年、21世紀CCEプログラム「ヨーロッパの革新的研究拠点」の拠点リーダーに就任。2006年副学長(財務、社会連携担当)、2010年12月一橋大学長に就任。専門は法制史、西洋中世法史、法文化史。『北の十字軍』(講談社)でサントリー学芸賞受賞。その他『新ストア主義の国家哲学』(千倉書房)、『掠奪の法観念史』(東京大学出版会)、『決闘裁判』(講談社)、『十字軍の思想』(筑摩書房)など著書多数。

パリ万博に出展した一橋大学OB

対談の様子1

山内:先ほどはご講演ありがとうございました。そのなかで話されていた、葛飾北斎がヨーロッパの絵画技法の影響を受けているという話を興味深く聞きました。鎖国の時代にあっても、人々の知的欲求、美的欲求が人類をグローバルに動かすことを再認識したからです。自国文化に根づきながら、お互いの文化をそのように評価し尊重し合うことが、ある意味グローバルということなのかもしれない、と感じました。
ところで、北斎の木版印刷をビジネスとして活躍している一橋大学の卒業生がいて、雑誌に取り上げられたりしているんですよ。

ダマザー:それはよいですね。北斎の作品は我が家にも飾ってありますよ。妻がコレクションしているのです。

山内:素敵なご趣味ですね。

ダマザー:ありがとうございます。素晴らしい作品で、私も大好きですね。

山内:もう一つ、有田焼という磁器をつくっている深川製磁という会社があるのですが、同社を1894年に創業した深川忠次という人が一橋大学のOBなのです。深川氏は、1900年のパリの万国博覧会に作品を出展して「メダーユ・ドール(金メダル)」を受賞したのですが、当時の日本人でもこのように自ら作品を制作し、世界的にビジネスを展開しようと万博に出展した人がいたわけです。それが一橋大学のOBだったと知って、感慨を覚えているところなのです。

ダマザー:日本人の持つ美的感覚は、近代のヨーロッパにおけるさまざまな趣向に影響を与えるという重要な役割を果たしてきました。わかりやすい例が、19世紀後半の印象派の画家たちが浮世絵から大きな影響を受けたことでしょう。現代でも、日本文化にルーツがある日本のスタイルが、世界中でさまざまな趣向を決める重要な役割を果たしています。
私自身、ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館の理事に名を連ねていますが、イギリスの有名な博物館や美術館で日本文化をテーマにした催しを行うと、数多くの入場者が押し寄せます。

山内:日本でも、たとえば「大英博物館展」などが行われるとたくさんの人が見に行きますし、日本人は西洋の絵や音楽が大好きです。

オックスフォード大学のカレッジとは

対談の様子2

山内:日本人にとっては、ダマザー先生がカレッジ・マスターを務めておられるセント・ピーターズ・カレッジのような「カレッジ」という組織が理解しづらいと思います。オックスフォード大学におけるカレッジとはどのようなものか、ご説明いただけますか。

ダマザー:オックスフォード大学には、学部生と大学院生を受け入れる30のカレッジがあります。さらに、大学院生のみを受け入れる8のカレッジがあり、合計で38のカレッジが存在します。セント・ピーターズ・カレッジは学部生と大学院生を両方受け入れており、学部生約300人、大学院生約100人が在籍しています。
学部や大学院、すなわち大学とカレッジの役割分担や機能の違いについてご説明すると、まず実際の教務にかかわる決定や学生生活にかかわる取り決めはすべてカレッジ側が行います。また、それぞれのカレッジにどんな学生を入学させるかを選ぶのはカレッジです。当然、その際はオックスフォード大学全体にかかわる最低の入学要件を満たす必要がありますが、決定そのものはカレッジが行います。
では大学側は何を行うかというと、入学試験の設定および採点評価や、学位の授与といったことを担当します。

山内:日本人が理解しづらいのは、日本の大学では必ず学部に属するからだと思いますが、オックスフォード大学における学部とカレッジの関係とはどのようなものなのですか?

ダマザー:実際に学生が受講する講義は各学部が管理しています。しかし、オックスフォード大学における中核的な教育手法は何かといえば、「チュートリアル制度」と呼ぶ、カレッジにおいて1人の教授が2〜3人という非常に少人数の学生を教えるシステムです。このシステムがうまく機能しているのは、1人の教授がカレッジと学部の両方に所属しているからです。

山内:日本では、たとえば法学部では学生は20〜30の法学専門科目をすべて修了して卒業することになります。オックスフォード大学では、カレッジに属する学生の専門ということをどのようにとらえているのですか?

ダマザー:法律分野の例でいえば、セント・ピーターズ・カレッジでは毎年法律を専攻する学生は6人だけ入学させると決めています。そのほかのカレッジも同様です。ですから、トータルでは、オックスフォード大学には毎年法律を学ぶ学生は200人強ほどが入学します。その学生たちは、基本的に同じ法学部の講義を受講することになります。もう一つの特徴は、学生は毎週1〜2本の法律をテーマとする論文を書き、カレッジの法律専門チューターがその論文を精査・評価してフィードバックするところにあるといえるでしょう。セント・ピーターズ・カレッジの場合、法律専門チューターは2人います。法律を専攻する学生は、ローマ法、商法、契約法など8つのコースを受講する必要がありますが、たとえばセント・ピーターズ・カレッジに商法の専門家が在籍していなければ、ほかのカレッジの商法の専門家につくことになります。各カレッジは、お互いに在籍している専門チューターを融通し合っているわけです。

山内:面白いですね。

ダマザー:なんとかうまく機能していると思います(笑)。

現代では世界でトップクラスの大学になるためには、世界のどこからでも最優秀の人材を集めなければならない。

教える側の能力が問われる

山内学長1

山内:そのようなシステムを採用しているのは、イギリスでもほかにはケンブリッジ大学やロンドン大学ぐらいのものでしょうか?

ダマザー:おっしゃるとおりです。このやり方は、運営コストが非常に高くつきますから。もし、学部生に教育を施すことについて採算だけを考えていたら、誰もこのような制度を考えたりはしないはずです。
事例を一つ、ご紹介します。セント・ピーターズ・カレッジには、有機化学の非常に優れた研究者が在籍しています。厚さの薄い素材を研究している学者ですが、彼はさまざまな大学院生も指導しています。また、学部内のラボの所長も務めています。面白いことに、そのように優れた先生であっても、1週間でせいぜい8時間程度、しかも1時間あたり数人の学生にしか教えません。トータルでは、1週間で延べ20〜25人の学生にしか教えないことになります。それでもこの先生は、学部で講義科目を持ち、かつカレッジでチューターを務めています。結構な負荷がかかっているのです。一方、学生にしてみれば、2〜3人という少人数の教室で、有機化学の世界で最も優れた先生から直接指導を受けることができるのです。効率は悪いですけれども、素晴らしいシステムだと思いますね。

ダマザー氏1

山内:なるほど、素晴らしいですね。ところで、先ほどのお話によれば、カレッジにいる学生は、さまざまな分野を学んでいる学生仲間に囲まれているわけですね。お互いに切磋琢磨しているものと思いますが、いかがでしょうか。

ダマザー:各カレッジには毎年100人ほどの学生が入学してくるわけですが、その100人はだいたい15の異なる分野に分かれて学ぶことになります。このカレッジ制度の一つのメリットは何かというと、異分野について学ぶ学生間の交流が、ある意味、強制的に生まれることです。学問だけでなく、音楽活動やスポーツなどでも交流が繰り広げられます。自ずと視野は広がるのではないかと思います。
また、山内学長のご指摘のとおり、学業面での切磋琢磨ということでは、毎年6人の法律を専攻する学生が入学してくるなかで、1人でも優秀な学生がいれば、ほかの5人は自分もいい成績を修めようと努力することになるでしょう。もっとも、優秀な学生が揃わなければ、その学年の全体レベルは下がってしまうことになりますが。

山内:一橋大学は1学年あたり1000人ほどの学生がおります。元は東京商科大学という商学の単科大学だったのですが、現在もその当時の伝統は生きていて、4つの学部に広がっても学部間の交流はほかの大学よりもかなり密であると思います。そういう面で、日本の大学のなかでは、カレッジのシステムに似ているところがあると思います。
また、チュートリアルという方法は、大変意義のある重要なものだと思いますが、一橋大学にはゼミナールという形式の授業があります。これは、2年間、1人の先生のもとで少人数の学生が研究するシステムで、一橋大学が日本で最初に取り入れました。

ダマザー:オックスフォード大学でも、科目によってはゼミ形式を取り入れています。たとえば、工学や数学などがそうです。チュートリアル制度が中核ではありますが、それを補完するものとして活用しています。たとえば、学生が10人ぐらいのゼミのほうが、チュートリアルより学生同士が早く学び合えるというメリットがあると思います。
講義、ゼミ、そしてチュートリアルという形式間のバランスをどう取るかは、今、教育界で興味深い議論が展開されていますね。その答えは科目によって異なるのでしょう。
いずれにしろ重要なのは、教える側がそれぞれの形式のなかでどれだけメリット、よい要素を引き出すかということでしょう。先生にはその能力が求められると思います。

山内:私もそのとおりだと思います。

オックスフォード大学のグローバリゼーションとは

対談の様子3

山内:冒頭でも触れましたが、本日、ダマザー先生にはグローバリゼーションをテーマにした素晴らしい講演をしていただきました。イギリスのトップクラスの大学であるオックスフォード大学にとって、グローバリゼーションにはどういう意味があるとお考えですか?

ダマザー:素晴らしいご質問です。
その昔、といっても20年ほど前ですが、当時はオックスフォード大学もケンブリッジ大学も、何が優れているのかという評価の尺度を、お互いの大学に置いていたのです。しかし、今の時代、それでは不十分ですね。というのは、現代では世界でトップクラスの大学になるためには、世界のどこからでも最優秀の人材を集めなければならないからです。学生も、先生も、です。特に大学院生は国境など気にしないでしょう。優秀な学生は、最もレベルの高い講義を聴くことができ、最も充実した経済的支援が受けられ、最も設備の整った学びの場に行くと思います。したがって、今後、自分たちの大学をどう評価し定義するかは、世界各地のトップレベルの大学のなかで左右されるのです。ただ、もともと学界は教授同士、国際的に交流が密な世界ですし、オックスフォード大学はそのような大学とフレンドリーな協力関係にはありますが、我々にとっての競争相手であることも間違いありません。
昨今の競争要因には、学術的なこともありますが、政治的な背景も色濃くなっています。これには二つの明白な傾向があります。20年前は、オックスフォード大学に入るロシアと中国の学生はほとんどいませんでした。ところが、現在では、オックスフォード大学で数学を専攻するポスドクの半数は東アジアからきています。ロシアの学生も100人単位で入るようになりました。つまり、グローバリゼーションによってオックスフォード大学自体がより国際色豊かな組織になり、外向きの視点を持つ大学になったということです。
しかし、それと同時に、グローバリゼーションによってオックスフォード大学には世界各地の最高レベルの機関や大学と競争力を等しく保つプレッシャーがかかっています。大学院生レベルでの競争が特に激しくなっていますね。

グローバリゼーションと地域性の関係

対談の様子4

山内:講演でも話されていましたが、グローバリゼーションの一方で、地域性も重要だと思います。大学はそれぞれ国のなかに存在しているわけですが、グローバリゼーションと国、あるいは国民との関係についてはどのようにお考えですか?

ダマザー:深い洞察に基づく素晴らしいご質問だと思います。
オックスフォード大学は、運営費用の一部をイギリスの税金でまかなっています。つまり、イギリスの納税者の支援を受けているわけですから、オックスフォード大学はイギリスに何らかの還元をしていかなければなりません。ただ、ご質問に対する回答は、今のところ比較的容易です。というのは、学部生の80%はイギリス人で、イギリスにおける最優秀の学生に最高の教育を施すという目的を果たすことができているからです。これこそが、イギリスの納税者に価値を還元することだと考えています。
しかし、オックスフォード大学は入学する学生の国別割り当てなどは行っていません。今後、外国の学生が数多く入学するようになれば、イギリスの組織としてのオックスフォード大学と、国際的な組織としてのオックスフォード大学の間の緊張関係が高まることも考えられます。
とはいえ、オックスフォード大学が世界トップレベルの大学であるためには、先ほども申し上げたとおり、最優秀の学生を受け入れる必要があるのです。20年前と比べれば、イギリス人学生が占める比率は下がらざるを得ません。けれども、世界中から最優秀の学生を受け入れなければ、最優秀の教員はほかの大学に行くだけです。そのことは、オックスフォード大学と英国にとって惨憺たる結果を招くだけだと思います。
また、地域性についてお答えします。人口11万5000人のオックスフォード市は東京と比べれば非常に小さな街です。オックスフォード大学は街のなかで最も規模の大きな組織であり、最も大きな雇用を生み、大学があるからこそ多くの人がこの街を訪れるという側面があります。しかし、オックスフォード大学が認識しなければならないのは、大学で仕事をしていない市民に対しても責任を担っているということです。この認識がなければ、オックスフォード大学はとても傲慢に思われ、人気を落としてしまうでしょう。大学のように複雑な組織においては、国や地元地域など、それぞれに応じた異なるレベルとの間で関係を構築する必要があると思います。これは大変な作業ではありますが、必要なことですね。

卒業するときに「もう少し時間を大事にして真面目にやればよかった」などと言わないようにしてほしいのです。

日本の大学における英語教育という問題

山内学長2

山内:日本の大学のグローバリゼーションにおける大きな問題は、言語です。明治維新以来、日本では日本語で高等教育を行うことに大きな力を注いできました。その結果、授業のほぼすべては日本語で行われるようになっています。しかし、グローバリゼーションの必要性が叫ばれるようになった今、逆にそのことがネックになっているのです。ほぼ世界共通語に近い英語をどのように取り込んでいくべきか、教育界の悩みは大きいわけです。
世界共通の公式や英文で論文を書く習慣のある理科系はまだしも、特に社会科学系は深刻ですね。日本の法律を議論するときは、どうしても日本語で行うことが必要となりますが、今後はそれで済ませてよいのか考えねばなりません。どのようにしていくか、思案しているところです。
一方、日本は特に世界最高レベルの超高齢社会に突入しているなど、同様の展開をみせるほかの先進国の参考になるような問題を抱えています。こうした問題を世界に発信し、共有して考えていくことが必要で、そのためには英語が必要になるという基本的な認識はあるわけです。大学の学部レベルで日本人の学生に英語を教え、マスターさせるのは並大抵のことではありません。また、一橋大学では留学生が10%ほどを占めていますが、日本人学生との関係をどのようにしていけばよいかが、悩みの種という状況です。

ダマザー氏2

ダマザー:もし全世界が英語だけでコミュニケーションしなければならなくなるとすれば、それは悲劇的なことですね。しかし、ご指摘のことは非常に重大なテーマだと思います。なぜならば、おっしゃるとおり「知識の移転」という根本的な問題にかかわっているからです。ある特定の問題について、日本語ベースの日本の体系にかかわるさまざまな知識、たとえば少子高齢化がよい例ですが、まだ日本の国境を越えてその知識が広まっているとは思えません。これは、世界にとっては損失的なことかもしれません。
一方、英語が全世界で圧倒的に普及していることで、アングロサクソン圏は傲慢になるリスクがあります。私がイギリスにいて苛立ちを覚えるのは、イギリスではフランス語やドイツ語などの外国語を学ぶ学生が減っていることです。なぜ学ばないかといえば、世界のどこでも英語ならばおおむね通じてものごとを進めることができるからです。
しかし、私はある意味、それは怠けているにすぎないと思っています。そもそも外国語を学ぶことは、単に異なる文化におけるコミュニケーション手段を学ぶことだけではなく、しっかりとしたロジックや記憶が求められる体系的な学問として、ほかの分野にも応用できる意義があるからです。
さまざまなテーマについて行われるグローバルなコミュニケーションにおいては、英語が最も利用されているのは事実です。しかし、だからといって文化そのものまで均一的に扱うことは避けなければなりません。さまざまな国々、地域に根づいて育った豊かな文化、伝統は、全世界において独自に実を結ぶ必要があると考えています。
私は以前、BBCでテレビ番組を制作する仕事に携わっていました。そのころ、言語が介在したために誤解が生じ、事実を歪曲してしまった経験があります。
ロシアがまだソ連の時代に、ロシア共和国大統領だったエリツィン氏をテーマにしたドキュメンタリーを制作しました。そのための資料を集める方法として、英語が堪能なロシア人にインタビューするのが最も簡単だったのです。そして、彼らにインタビューしたところ、「エリツィンのもとでロシアは良好な状態だ」と皆が異口同音に言いました。そして、取材が終わり仕事のプレッシャーから解放されてロシアの街で一般の人々にも聞いてみると、エリツィン氏がいかに不人気かがよくわかったのです。英語が堪能な一部の人は、決してロシアを代弁する立場ではなかったことがわかりました。
山内学長がご指摘のとおり、一定の学部や科目では英語が持つ競争力を無視はできないでしょう。しかし、私の経験したケースのとおり、英語に頼りすぎることにも問題がないわけではないことに注意を払う必要はあると思います。

山内:とても参考になるお話です。

国際的な競争力のある人材に必要な素養

山内:今、以前BBCに在籍しておられたというお話がありましたが、日本の感覚ではNHLで働いていた人が大学の長になるということは考えにくいのですが、ダマザー先生はどういった経緯でセント・ピーターズ・カレッジのカレッジ・マスターに就任されたのですか?

ダマザー:私をカレッジ・マスターに選んだフェローたちも同様の疑問を抱いたのではないかと思います(笑)。選出の投票内容は秘密とされていますので、このような大いなる過ちをなぜ犯したのかは、誰も教えてはくれませんでした(笑)。ただ、一つ推察できることは、大学側が外部とのつながりのある存在を求めていたということでしょう。私自身、学者ではありませんが、BBCでの番組制作を通じて学界との接点も多く、よい関係を構築してきたという背景もあります。さらに私は一橋大学やオックスフォード大学のように優れた教育機関が提供する高等教育の価値を心から信奉しています。BBCにせよ、セント・ピーターズ・カレッジにせよ、公の組織の能力をさらに強化したいと願っています。また一方では、BBCやオックスフォード大学のような組織に集まるクリエイティブな人であればあるほど、ある意味で厄介であることもよく理解しています。BBCでの経験があるからこそ、オックスフォード大学にきて、私が言ったことが直ちに受け入れられなくても心配しないで済みます(笑)。創造力は一方で混乱を引き起こしますが、私の仕事は、その混乱を最小限に抑えることだと認識しています。

対談の様子5

山内:やはり、オックスフォード大学はすごい大学ですね。そういう人材を連れてきたのですから(笑)。

ダマザー:ありがとうございます。しかし、もしかしたらほかに適任者がいたかもしれませんがね(笑)。

山内:では話を戻しまして、国際的な競争力のある人材に必要な素養とは、どういったものだとお考えですか?

ダマザー:まず、自分自身には複数のアイデンティティ(以下ID)があることを理解できることではないでしょうか。たとえば、私はセント・ピーターズ・カレッジに属する者というID、オックスフォード市民というID、そしてイギリス国民というIDがあります。さらにイギリスはEUの一部ですので、その立場のIDもありますね。このように、自分の忠誠心を複数の異なるバックグラウンドに対して抱く必要があるわけです。それらのなかのどれかという選択をあまり迫られないようにすることが必要でしょう。ただし、どのフットボールチームのサポーターになるのかを決めるのは別です(笑)。
グローバリゼーション上では、自分のIDについて柔軟に考える必要があります。海外から影響を受ける機会はより増えており、そのことへの受容性がないと自分の世界観が狭いものになってしまうからです。だからこそ、そこにつねにオープンであり知的柔軟性を持つよう指導する大学の役割があると思っています。

山内:ありがとうございます。では最後に、この対談では皆さんに伺っていることですが、日本の大学、特に一橋大学で学ぶ学生にアドバイスをお願いします。

ダマザー:最後にそのような発言の機会を与えていただき感謝いたします。
まず申し上げたいのは、この学生時代は二度と経験できないということです。高いレベルの人々に囲まれ、4年かけて学べるということは、全世界ではよほど幸運な人でなければ経験できないことです。したがって、どんな形でその4年間を使ってもいいと思いますが、卒業するときに「もう少し時間を大事にして真面目にやればよかった」などと言わないようにしてほしいのです。
また、異なる文化、異なる視点から考える力や、社会科学においてはエビデンスに則って議論する能力には大いなる価値があります。一橋大学は、日本の伝統に則った大学ととらえることもできますが、さまざまな教科や課程の構成、科目の設定で、単なる伝統的な存在を超えた存在になることにコミットすることもできるでしょう。たとえば、なぜアメリカの政治はかくも身動きが取れない状態に陥ってしまったのか、なぜ日本の政治は決断が必要なときであるにもかかわらず、コンセンサスが必要ということから脱却できないのか。この二つのことをテーマにして3〜4年間学ぶことで、社会の諸問題をより深く理解することができるようになると思います。

山内:なるほど。具体的で深みのある見事なアドバイスですね。今日はどうもありがとうございました。

(2012年7月 掲載)