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一橋大学の伝統を強く推進し、今後も社会の期待に応えてほしい

  • 一橋大学名誉教授/早稲田大学名誉教授・栄誉フェロー鈴村 興太郎
  • 一橋大学長蓼沼 宏一

2015年春号vol.46 掲載

日本学術会議の副会長を務めるなど、社会科学における我が国の学術界のリーダーである鈴村興太郎名誉教授。蓼沼学長にとっては、専門の厚生経済学や社会的選択理論の共同研究者でもあり、メンター(助言者)ともいえる存在だ。鈴村名誉教授の研究生活の足跡をたどりながら、2人に共通する学術分野の機能と役割、そして一橋大学の特色や強み、これからの人材育成について大いに語り合った。

鈴村氏プロフィール写真

鈴村興太郎

経済学博士。専門は厚生経済学、社会的選択理論。一橋大学名誉教授、早稲田大学名誉教授・栄誉フェロー。2004年紫綬褒章を受章、2006年日本学士院賞を受賞。ケネス・アロー、アマルティア・センなど、世界的な経済学者たちとともに厚生経済学、社会的選択理論において最先端の研究をしてきた。1966年一橋大学経済学部卒、1971年同大大学院経済学研究科博士課程満期修了。一橋大学経済学部専任講師、京都大学経済研究所助教授、一橋大学経済研究所助教授を経て、1984年同研究所教授に就任。その間には、ロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンスの客員講師、スタンフォード大学客員准教授、オックスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジ客員フェロー、ハーバード大学フルブライト上級リサーチ・フェロー、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ客員フェローなど、国内外の研究拠点で多くの業績を挙げている。

蓼沼氏プロフィール写真

蓼沼 宏一

1982年一橋大学経済学部卒業。1989年ロチェスター大学大学院経済学研究科修了、Ph.D.(博士)を取得。1990年一橋大学経済学部講師に就任。1992年同経済学部助教授、2000年同経済学研究科教授、2011年経済学研究科長(2013年まで)を経て、2014年12月一橋大学長に就任。専門分野は社会的選択理論、厚生経済学、ゲーム理論。近著に『幸せのための経済学──効率と衡平の考え方』(2011年岩波書店刊)がある。

メンターであり共同研究者でもある大きな存在

蓼沼:鈴村先生は日本学術会議の元副会長であり、社会科学における日本の学術界のリーダーでいらっしゃいますので、いろいろなお話を伺いたいと思っております。よろしくお願いします。

鈴村:こちらこそよろしくお願いします。昔から緊密な研究交流を持ってきた蓼沼さんが我々の母校である一橋大学の学長になられ、本日はその一橋大学について大いに語り合う機会を得て、大変嬉しく思っています。

蓼沼:鈴村先生は、一橋大学の大学院を出られた後に一橋大学で教鞭を執られましたが、1973年から1982年までは、京都大学に勤めていらっしゃいました。

鈴村:そうです。その間には、ケンブリッジ大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカル・サイエンス(LSE)、スタンフォード大学において、在外研究も経験しました。

蓼沼:私が一橋大学の経済学部生だったのはちょうどその時期でしたので、直接的な先生と学生という関係ではありませんでしたが、先生の研究内容については著書などを通じて知っておりました。私は学部と大学院修士課程では、財政学の石弘光先生に師事し、厳しい指導のもと学者としての基礎を固めることができました。修士課程修了後、アメリカの大学院に留学し、そこで研究分野が厚生経済学や社会的選択理論といった方向にシフトしていきました。そして、博士号を取得して帰国する際、指導教授のウィリアム・トムソン先生から「日本に帰ったら私の友人のコウタロウ・スズムラと、ぜひ一緒に仕事をしなさい」とアドバイスがあったのです。そのときには、鈴村先生は一橋大学の経済研究所に戻っていらしたので、私は講師として鈴村先生の大学院授業に参加させていただきました。

鈴村:そうでしたね。その後もさまざまなプロジェクトを一緒に推進しました。

蓼沼:とりわけ「21世紀COEプログラム」という一橋大学としての大きなプロジェクトが印象に残っています。鈴村先生は拠点リーダーであり、私も幹事としてサポートさせていただきました。それ以外にも、先生とは共同論文も何本かあります。ですから、鈴村先生は、私にとってはメンターであり、共同研究者であるという大きな存在なのです。

鈴村:光栄です。私も、蓼沼さんと共同研究を推進できたこと、21世紀COEプログラムでは一橋大学の規範的経済学の伝統を前進させる経験を共有できたことを、大変嬉しく思っています。

  • 2001年に文部科学省が打ち出した「大学の構造改革の方針」の根幹をなす事業の一つとして、世界最高水準の研究教育拠点をつくるために国の文教予算を重点的に配分したプログラム。本学では、2003年度に「知識・企業・イノベーションのダイナミクス」、「現代経済システムの規範的評価と社会的選択」、「社会科学の統計分析拠点構築」の3件が採択された。鈴村名誉教授は「現代経済システムの規範的評価と社会的選択」の拠点リーダーを5年間にわたって務めた。

人々の幸せを高める経済システムを考える

蓼沼:そこで、まず鈴村先生が現在進めておられる研究内容についてお聞かせください。先生は今、ノーベル経済学賞を受賞したケネス・アローやアマルティア・センとの共同研究を行うとともに、ハーバード・ユニバーシティ・プレスからの出版計画もあると伺っています。

鈴村:我々が研究する厚生経済学と社会的選択理論は、経済社会の在り方を、あるがままに分析する経済学の実証的アプローチとは異なり、「経済システムはいかにあるべきか」「経済システムを改善するためにはどうすべきか」「代替的な経済システムにはどういうものがあり得るのか」などを研究する学問です。これまで長くこの分野で研究を続けてきましたので、私の研究がどういうものであったのか、自分自身で納得できる形で客観視できるようにしたいと考えて、論文集をまとめているところです。ご紹介くださいましたように、ハーバード・ユニバーシティ・プレスから出版される予定です。

蓼沼:その本のねらいはどういったところにあるのでしょうか?

鈴村:40年間にわたる私の研究成果を、合理的な選択と顕示選好、厚生経済学と社会的選択、衡平・効率・世代間正義、個人の権利と社会厚生、帰結主義vs.非帰結主義、競争・協調・経済厚生、規範的経済学の歴史という7グループに整理して、私の研究の精粋をまとめた著作です。その作業を通じて、今後私がどういう問題に関心を絞って研究を進めるべきかという展望を得たいと考えています。日暮れて道遠しの年齢に達した私ですが、今後も知的探求の旅を続けたいと思っているからです。その一つは、蓼沼さんが触れられたアロー、センとの共同研究です。この2人は、我々が共有する研究分野で偉大な業績を残した先駆者であって、私が研究の道標を得た大先生です。我々は、この研究分野を展望する『ハンドブック・オブ・ソーシャル・チョイス・アンド・ウェルフェア』を共同で編集しました。この分野の基礎論を踏まえて、グローバルな経済問題に対して厚生経済学と社会的選択理論の研究がいかなる問題を提起するのか、どのような解決方法を示唆できるのかを考えてみるつもりです。まだ、議論を開始したばかりですが......。

蓼沼:どういった議論なのでしょうか?

鈴村:現在世代が将来世代に負う責任とは何か、その責任の根拠は何かという問題を、経済のグローバリゼーションと地球温暖化問題のように長期的な環境的外部性の問題を背景に考えてみようということです。この問題に関しては、蓼沼さんとも"Intergenerational Equity and Sustainability"という国際的な円卓会議を日本で開催して、共同論文を書きましたね。

蓼沼:そうでしたね。鈴村先生は現在もまさに第一線で活躍しておられますが、先生が長く取り組んでこられた研究テーマについて、一般の方にもわかりやすくご説明していただけますか。

鈴村:芥川龍之介の小説に『河童』という中編があります。人間の社会と河童の社会を比較するユートピア物語です。そのなかに、河童が誕生するシーンがあります。父親河童が母親河童のお腹に向かって「汝、誕生の意思ありや」と尋ねます。河童の社会には人間の社会が与えていない権利──誕生を選択する権利──があるのです。この世に生まれたければ、自分の選択で生まれることができるが、生まれたくなければ、誕生を拒むこともできるのです。現存社会に誕生するか、拒むのかという選択の権利を備えた河童の社会と比較すると、人間は、本人の意思とは無関係に、この世に生まれ落ちてくる他はありません。ただし、人間の社会でも、生まれ落ちた社会が生きにくければその欠陥を黙認せず、改善のために工夫を凝らすことはできます。このような社会改革を実行するためには、現存社会の存続にメリットを認める人々を説得して、改革を目指す合意を獲得しなければなりません。他の人々にも、現存社会の在り方の是非に関して個人的な判断がありますから、自分の判断と他の人々の判断を民主的な手続きで比較・秤しょうりょう量して社会的な判断を形成しなければ、社会改革の理想を実現の軌道に乗せることはできないのです。これが厚生経済学と社会的選択の理論の根底にある基本的な考え方なのです。この考え方に基づいて、社会的選択理論は多数の個人の評価を民主的に集計して、合理的な社会的評価を形成するために満たされるべき必要条件は何か、形成された社会的評価に基づいて決定される社会的な目標を、個人の行動誘因と整合的に実現するメカニズムは何か、社会的な効率性と個人の処遇の衡平性との間に生じる衝突ー効率と衡平のジレンマーを避ける方法は何か、など、社会の在り方を設計者の立場に身を置いて考察します。その際、検討の対象となるメカニズムを現在あるいは過去の現実のメカニズムには限定せず、適切なメカニズムの理論的な設計にまで踏み込むことが、この理論の特徴だといってよいと思います。

蓼沼:そうですね。

大きな理想に向かいつつピースミールな改善をしていく

鈴村:この分野にコミットして、四十数年研究を続けてきた私ですが、実はそもそもこの分野に関心を持ち始めたのは、随分昔のことなのです。

蓼沼:いつ頃でしょうか?

鈴村:高校時代です。その当時、日本は戦後史の政治的エポックとなった安保闘争の渦中にありました。日米安保条約の締結を目指す政府とその企ての阻止を目指す反対勢力の間の激しい闘いでした。この対立状況で両陣営が一致して叫んだのは"民主主義の危機"でした。対立する両陣営が、同じスローガンで危機状況の本質を衝いた気でいるのが私には不思議だったのですが、社会科学に未熟な高校生の私には、このパズルの解法はわかりませんでした。そもそも民主主義とはどういう仕組みのものなのか?民主主義という社会的な意思形成メカニズムには、どのようなメリットとデメリットがあるのか?激烈な闘争を傍観しつつ、私の心にはこのような問題意識が刷り込まれたのです。

蓼沼:なるほど。

鈴村:理想的な民主主義社会があったとして、我々の現実の社会をどのように改善すればその理想に接近できるのか?民主主義にも理想的といえない欠陥があれば、それに代替する社会的な決定の仕組みは、どのようなものだろうか?そう考えさせられたわけです。この原体験が、厚生経済学と社会的選択理論に対する私の関心の源泉となりました。高校生のことですから、社会科学の知識は実に素朴なものだったのですが、民主主義にせよ、その他のいかなる仕組みにせよ、設計者の立場にある人が理想的と考える仕組みを上から押しつけるのでは、その仕組みは人々に満足や幸福をもたらす保障はないと考える程度には、私は安保闘争の歴史から学んでいました。

蓼沼:大学の運営においても、教育の理想というものがあり、それを目指すなかでもやはりさまざまな制度的な制約があります。その制約のなかで改善していかなければなりません。その改善は、ピースミール(漸次的)なものであっても理想から外れるものであってはならない。あくまでも大きな理想に向かいつつ、ピースミールな改善をしていく。これが大学運営の一番の難しさではないかと思っています。

鈴村:そのとおりですね。経営の改善を図る場合でも、改善計画を立案する人が情報をすべて掌中にできるわけではなく、直面する問題の全貌は見えないままで決定を行う場合がほとんどでしょう。学長という高い場所に位置するリーダーは、ピースミールな改善の方向を見定めて、高い理想に向けて現状から地道に改善を重ねる努力を継続していかなければならないだろうと思います。

対談風景01

対談風景02

数々の名著や著名研究者との運命的な出会い

蓼沼:ところで鈴村先生は大学院生の頃から現在まで、つねに学界の第一線で国際的に活躍してこられました。高いレベルで息の長い研究活動を支えてきたものとは何でしたか?

鈴村:私にとっては卓越した研究者との出会いが大変重要でした。研究を開始したばかりの頃にトップクラスの人と出会うことは難しいわけで、先行研究を読んで知的衝撃を受ける経験がきっかけになりました。大学2年の夏に図書館でさまざまな本を読み漁ったのですが、幸運にも素晴らしい本と出合うことができました。そのうちで一番古いものは、ピグーの『厚生経済学』という本でした。この本の序文には、「厚生経済学は、単なる頭の体操ではない。論理的なエクササイズを行うことではなく、人間生活の改善の道具を鍛えることこそ、厚生経済学の課題なのだ」という主旨のマニフェストが書かれていたのです。私はこの宣言に衝撃を受けて、厚生経済学の課題意識を学びました。その後の濫読の過程で出合った本こそ、アローの『社会的選択と個人的評価』でした。非常に高度な論理数学を縦横に駆使した専門書ですから、当時の私がその内容を細部にわたって理解できたはずはないのですが、ここに知的な巨峰があって、その先に垣間見える展望を自分なりに開拓することが自分にとって幸福な知的生活の設計方法だと確信するには十分でした。
その後も、センの『集合的選択と社会的厚生』など素晴らしい本との遭遇を楽しみつつ、しだいに自分自身の素朴な関心に形を与えて、厚生経済学と社会的選択理論の研究にコミットする覚悟が固まっていったのです。
アローとセンに最初に会ったのは、学生時代の孤独な読書から10年以上後のことでした。当時の私は数本の論文を国際誌に公表し始めた段階の若い研究者だったのですが、彼らが旧知の友人のように温かく私を迎えてくれたのが、非常に印象的でした。卓越した知的リーダーでありつつ、謙虚で温かい人柄のアローとセンとの幸運な出会いも、私の研究生活に背骨を通して、若き日の志を持続させてくれた大きな要因だったと思います。

生涯にわたる親密なネットワークの柱となる一橋大学のゼミ

蓼沼:若いときから変わらず一貫した「知りたい」という気持ちと、社会を改善していきたいという強い気持ちが鈴村先生の研究の根本にあるように感じます。そのような鈴村先生が一橋大学に進まれた理由と、学生時代のエピソードをお教えください。

鈴村:私が生まれ育ったのは愛知県の常滑市という伊勢湾に面した小さな焼物の町で、実家も陶磁器業を営んでいました。私は長男でして、故郷から自由に飛翔することは、その当時はまだ至難の業でした。そうしたなかで、民主主義とは何かという問題に接して社会科学的な関心が芽生え、その知的好奇心に衝き動かされて故郷を飛び出したわけです。一橋大学を選んだ理由の一つは、家業を継ぐことを暗黙の前提にして大学進学を認める父親を説得するうえで、社会科学の専門大学で学ぶことは、家業の経営にも役立つというレトリックでした。ちょっとずるいレトリックでしたがね(笑)。

蓼沼:そうだったのですか(笑)。

鈴村:一橋大学では、社会科学を学ぶには、一人で学ぶ孤独に耐える逞しさが必要だということも学びました。中世史の増田四郎先生は、最初の講義のとき黒板に「大学」と横並びに書かれ、「これを少し動かすと」と言って、大の字の横棒を左横に移したのです。その結果は「一人学」となります。大学とは、自分自身が学ぶ気になり探究心を持って模索しなければ学べないところだと教えられたのです。現在のように整備されたカリキュラムで教育が行われることは効率的ですが、一人で学ぶ意義は、特に社会科学では、依然として重要だと思います。

蓼沼:確かに、現在はカリキュラムが体系的に整備され、経済学でも基礎からより高度なことまで段階的に吸収できるようになっています。しかし、新しい課題を発見して研究する、新しい分野を拓くというのは、基本的には一人で取り組む世界のなかで実現されていくわけです。どれだけカリキュラムが整備されても、学問の基本は自分のモチベーションと問題意識があるかどうかということにかかっていますね。
ところで、本学の特色の一つとして、少人数のゼミナール制度が挙げられますが、鈴村先生の時代はいかがでしたか?

鈴村:経済学部3年から大学院まで一貫して、私は荒憲治郎教授のゼミで学びました。荒教授はマクロ経済学が専門で、特に資本理論において優れた業績を残されています。荒先生には、私が挫けそうなときに親密なご指導をいただき、実りのある方向に導いていただきました。これもいい経験でしたね。

蓼沼:研究テーマや分野が多少違っても、学者としての基本的な考え方や生き方というものには共通するものがあると思います。荒先生が育てられた研究者の数は非常に多いですね。

鈴村:先日、荒先生のお墓参りと私の新著の出版を報告することを兼ねて当時のゼミ生がほぼ全員集まって、旧交を温めました。一橋大学のゼミは、生涯にわたって親密なヒューマン・ネットワークのハブになっていくものです。こうした人間関係を育む一橋大学のゼミ教育は日本の大学でも稀有な存在であり、特筆に値する伝統であると私は思います。

蓼沼:少人数で、教員と学生との距離が非常に近いゼミでは、まさに一生の間、生きる教育ができると思います。これは大きな大学ではできないことであり、本学の最大の強みとして大事にしなければなりません。

鈴村:おっしゃるとおりです。

一橋大学の強みを存分に打ち出した
「21世紀COEプログラム」

蓼沼:鈴村先生は、長く一橋大学の経済研究所で研究活動に打ち込んでこられ、また冒頭で触れたとおり「21世紀COEプログラム」でも活躍されたわけですが、そういったご経験から、ゼミや少人数教育以外の一橋大学の特色や強みについてお話しいただけますか。

対談風景03

鈴村:一橋大学は、日本の大学のなかでも、規範的な経済学の分野で突出した伝統を持つ大学です。この伝統がさらに成熟を遂げて、人間生活の改善のための道具として厚生経済学を社会に提供できる大学であってほしいという希望がありましたので、COEのお話がきた際も、私が引き受けるならこの伝統のいっそうの推進を柱にしたいと考えて、一橋大学が持つ伝統的な特色を活性化すること、現時点で一橋大学が持つ比較優位を活かすことを中心として、COEプログラムを設計しました。私たちのCOEプログラムは、その成果を継承したグローバルCOEプログラムに流れ込んだと、私は理解しています。COEプログラムのように、部局横断的なチームを編成して大学間競争に打って出るという経験は、一橋大学では最初のことだったのではないかと思います。長い伝統を背負っている強みを活用して、規範的経済学の分野でこのような取り組みができる大学は、日本では一橋大学に限られると思います。この経験は今後も大切にすべきです。蓼沼学長には、一橋大学のこの伝統を、いっそう力強く推進していっていただきたいと願っています。

蓼沼:「21世紀COEプログラム」は全学的な取り組みとして研究教育拠点をつくるという初の大きなプロジェクトでした。その後、この方向性はさらに強化されて、研究においても教育においても全学としての取り組みは強く求められています。さて、鈴村先生はLSEでも教鞭を執られました。そのときの経験談を聞かせていただけますか。また、豊富な海外経験を踏まえて、一橋大学が取り組むべき研究と世界競争力のある研究者を育成するためのアドバイスをお願いいたします。

鈴村:私がLSEで教えたのは1975年からのことでしたが、その前年にはケンブリッジ大学にブリティッシュ・カウンシル・スカラーとして行っていました。ケンブリッジ大学には外国からの留学生を迎える非常に整った制度があって、デパートメンタル・アドバイザーとユニバーシティ・アドバイザーという2人の助言者をつけてくれました。私が恵まれた最初の幸運は、デパートメンタル・アドバイザーとしてフランク・ハーン、ユニバーシティ・アドバイザーとしてマイケル・ファレルという卓越した理論家を得たことでした。一般均衡理論、貨幣理論、ケインズ経済学を専門とするハーンは、当時の英国の理論経済学者のリーダーだったといって過言ではありません。ファレルもまた、当時の英国の代表的理論家であり、このペアは当時望みうる最強チームだったと思います。

蓼沼:そう思います。

  • 21世紀COEプログラムの評価、検証を踏まえて、我が国の大学院の教育機能をいっそう充実、強化し、世界最高水準の研究基盤の下で世界をリードする創造的な人材育成を図るため、国際的に卓越した教育研究拠点の形成を重点的に支援し、それにより国際競争力のある大学づくりを推進することを目的とする事業。本学では、2008年度に「日本企業のイノベーション―実証的経営学の教育研究拠点―」及び「社会科学の高度統計・実証分析拠点構築」の2件が採択された。

欧米の大学で学んだエントリーの透明さと評価の公平さ

鈴村:LSEに行くきっかけとなったのは、私のケンブリッジ大学での研究生活が開始されて僅か3か月ほどのことですが、ハーンから受けたある助言でした。彼は「コウタロウ、LSEが講師を求めている。お前が行け」と言うわけです。行けと言われても、ケンブリッジ大学への留学が初の海外経験であり、英語の会話も覚束ない頃だったうえ、それ以前には欧米の大学で講義を聴いたこともない私でした。ためらう私の背中を押すように、彼は「Never mind!」と笑って、「レクチャーはそもそも一方通行のものだ。そのクラスでそのサブジェクトを君が一番知っているから講師をやるわけだから、自分のイニシアチブで講義のシナリオもペースも決めてやればいい。You can do it!」と言うのです。その頃には、私の本当の関心は厚生経済学と社会的選択理論にあることを理解していたハーンは、この分野で研究するにはLSEでアマルティア・センやテレンス・ゴーマンと議論したほうがいいと考えて、LSEへの移動を勧めてくれたのです。ハーンは、私がセンに会う最初の機会もつくってくれました。

蓼沼:そうだったのですね。

対談風景04

鈴村:センはその前年にデリー大学からLSEに移動していましたし、森嶋通夫教授もエセックス大学からLSEに移動していました。私には、LSEに移動する強い誘因があったことも事実です。とはいえ、無名の新人が、ハーンの推薦を受けたにせよ、それだけでLSEの講師になれるはずがありません。LSEの講師になるためには、分野横断的な面接委員による厳格な面接を受ける必要がありました。面接委員には文化人類学者、会計学者、数学者、社会学者、統計学者など、多彩な専門家が加わっていて、経済学者は森嶋教授を含め僅か2人いただけでした。LSEはさまざまな研究分野の集合体ですから、多彩な分野の研究者が面接委員として加わって、その全員から質問を受ける仕組みだったのです。そのなかで一番厳しい質問をしたのは、森嶋教授でした。森嶋教授は「君が研究する社会的選択理論は論理と哲学の遊戯であるに過ぎず、社会科学的には無意味だと思う。反論せよ」と問われました。意地悪い質問だと思ったものの、私はこの質問をいいチャンスだと考えて、こう答えました。「あなた方は、候補者に対する個々の面接委員の評価に基づいて、委員会としての集団的選択を行う立場にいます。個々の委員の学術的背景は多様であり、LSEの講師に相応しい候補者の資質に関して、それぞれが個性的な判断基準をお持ちのはずだと思います。それだけに、この委員会には面接委員の数だけの異なる物差しがあるわけです。あなた方は、複数の物差しに基づく複数の意見を、委員会としての集団的選択にまとめる手続き的ルールを必要としています。社会的選択の理論は、この主旨の手続き的ルールの性能を検討して、民主的で情報節約的な個別意思の集計方法を模索することを、大きな課題としています。この理論の社会的な意義を否定すれば、この委員会の集団的選択の手続き的な意義を否定することになるのです」と(笑)。

蓼沼:なるほど(笑)。

鈴村:私に直接会ってせいぜい2か月ほどのことなのに、私を信じてLSEで研究する機会を提供してくれたハーンとセン、この機会に応募した無名の新人を、多数の経験豊かな応募者と並んで公平に審査して、私にLSEで飛躍する機会を与えてくれた審査委員会のメンバーを見て、私は透明で公平な手続きで研究者を処遇する英国のエントリー・システムに、大きな魅力を感じました。競争的な選抜システムには、その透明性と公平性の楯の裏面として、競争プロセスの勝者と敗者を冷酷かつ差別的に処遇するとか、勝者と敗者を識別する基準には客観性がないなど、影の側面があることを指摘する人々もいます。しかし、適格な候補者を公平に識別する能力に欠ける審査者には、やがて大学が求める有能な人材のリクルートに失敗した責めがブーメランのように戻ってくるのが競争プロセスの一面です。LSE以降もスタンフォード大学、オックスフォード大学、ハーバード大学、ケンブリッジ大学を歴訪して、英米の大学が研究・教育機関としての存亡を賭けて競争的なリクルート・システムを活用する現場を内部から観察する機会を重ねて、従来の日本の大学には欠落していた透明で公平な手続き的ルールの重要性を、私は確信するようになりました。最近では大学間・組織間競争が本格的に意識されるようになるのに伴って、研究・教育資源としての人材の活用が透明で公平な手続きで遂行されるようになってきたことを、私は重要な前進であると考えています。

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理工学と生命科学が学術の主翼なら人文学・社会科学は尾翼

蓼沼:そう感じますね。そもそも大学という機関は人によって成り立っているわけで、どういう人材を集められるかが大きな課題です。先生がおっしゃるように、透明性や公平性をもって優秀な人材を集め、評価するというのは非常に重要なことだと思います。特に社会科学においてはモノではなく人が資源ですから、とりわけ大事にしなければなりません。
話は変わりますが、鈴村先生は日本学術会議副会長、日本経済学会会長、国際学会のThe Society for Social Choice and Welfareの会長などを歴任されました。広く世界の学術界をリードする立場におられたわけですが、現在の学術界における社会科学の位置づけ、あるいは社会科学の研究総合大学である一橋大学の進むべき道について、どのようにお考えでしょうか?

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鈴村:学術をめぐる日本の現状は、人文学・社会科学にとって、なかなか難しい実態にあるように思います。日本の大学は、学術行政を司る文部科学省の方針によって方向づけを受けて、その方針に添うかぎりにおいて助成・促進される立場にあります。現在の学術行政の方針は、理工学・生命科学と比較すれば、人文学・社会科学を厚遇するスタンスを取っているとは言い難いと思います。学術の諸分野には補完性があり、自然科学の先端的研究においても、人文学・社会科学の学術の知によって的確に補完されないかぎり、信じ難い研究不正の罠に陥る実例が、数多く顕在化しています。また、東日本大震災に際しても、地震学、原子力工学、土木工学などが、社会の期待に反して自然災害に対する的確な備えを提供することに失敗して、過酷な自然災害への社会の備えを構想するうえで、自然科学と社会科学の総合的・補完的な協力が不可欠であることを顕示したことも、我々の記憶に新しいところです。
ところで、理工学・生命科学と人文学・社会科学の総合的・補完的な推進が重要であると主張するからといって、自然科学の巨額な研究費と平衡する処遇を人文学・社会科学に与えるべきだと私が主張しているわけではありません。
自然科学の研究者のうちには、獲得する研究費の巨額さが自らの研究の重要性のシグナルであるかのように勘違いする人がいることは事実です。学術助成制度に関するある会議では、生命科学の若い研究者が人文学・社会科学の貧弱な年間研究費を嘲笑して、そんな僅かな研究費では自分の分野では1本の実験さえも支えられないと言い放った現場にいたことがあります。こういう不見識な発言は、彼/彼女の人文学・社会科学的な教養の貧弱さを露呈するものだという他はありません。それでも、私は自然科学の研究者層の厚さ、巨額な研究費の必要性を否定するとか、人文学・社会科学にも巨額な研究費を配分せよと主張するつもりは全くないのです。それぞれの学術の知の継承と進化を支える公的支援が衡平に提供される学術的な環境が整備されること、それぞれの学術分野の機能に対する社会的な認知が、正しく行き渡るように配慮されることこそ、私はこの国がバランスのとれた学術的な成熟を遂げるために必要不可欠であると考えているのです。
私が日本学術会議で副会長を務めていたとき、理工学・生命科学と人文学・社会科学のバランスある役割分担を求める思いで、次のように主張したことがあります。
「理工学・生命科学と人文学・社会科学は、学術の車の両輪だという表現が、いとも気軽になされています。しかし、研究者層の厚みと研究資金の配分状況を反映して車の両輪をつくれば、昔の自転車のように、巨大な前輪と微小な後輪を持った自転車ができあがりますが、この自転車にはブレーキを付けることができません。後輪にブレーキを付けても速度を上げた自転車は止められないし、前輪にブレーキを付ければ急停車する際には宙返りして地面に叩き付けられることになります。この自転車を止めようとすれば、前輪上部に付けた座席からドライバーが飛び降りて引き倒す他はないのです。理工学・生命科学と人文学・社会科学のバランスある役割分担を表現するためには、私は航空機の比喩のほうが遥かに適切だと思います。航空機は二つの巨大な主翼と、一つの小さな尾翼を持っています。学術を表現する航空機の一方の主翼は理工学であり、他方の主翼は生命科学です。そして小さな尾翼は人文学・社会科学です。主翼と比較すればいかにも小さな尾翼ですが、尾翼を失った航空機は安定飛行を持続することはできません。日本の学術の知の安定した発展のためには、理工学・生命科学の逞しい推進力を支えるために巨額な公的助成を傾斜的に配分するだけでは、明らかに不足しています。人文学・社会科学の鋭敏な方向舵に補完されてこそ、学術の航空機は安定飛行を持続できるのです」と。
この発言を機会があるごとに繰り返して、人文学・社会科学にもいっそうの飛躍を助成する公的制度の充実を求めつつ、私は日本の人文学・社会科学に対しても、我が身を振り返って、社会の期待に応えていっそう努力する余地があることを痛感していました。人文学・社会科学の総合大学を標榜してきた一橋大学だけに、日本の学術全体の持続可能な安定飛行のために創意を振り絞って貢献してほしいと期待しています。

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大学では人生の羅針盤となる先達と友人を見つけること

蓼沼:おっしゃるとおりですね。一橋大学は、これまでも学術のための学術というよりも、社会の改善に貢献する実学を重視してきました。今後もそうありたいと思います。
ところで、人材育成という点では、深い専門知識と豊かな教養に基づいて、広く社会を俯瞰し、世界の諸課題を発見し解決していくことのできる人材を育てることが重要です。一橋大学は、これまで以上にそういう本当の意味でのグローバル人材を育てていかなければならないと思います。

鈴村:そのとおりですね。大学は、グローバル化が進行する社会の基幹となる人材を育てる稀有なポジションにあります。これは大学が担う大変重要な役割です。また、人格の形成と社会的な成熟にとって決定的に重要な役割を果たすのは、ヒューマン・ネットワークです。自分の人生の羅針盤となる先達、自分の生き方を反照する鏡のような同世代の友人、新しい息吹に触れて、自らを蘇生させる契機となる若い世代の友人など、さまざまな世代や属性の人々とつながるネットワークの形成は、誰にとっても大切な人生の基礎構築です。人が生き方・在り方の選択に迷うとき、彼/彼女の選択のモデルや指針を与えてくれる先達とのつながりを持つことは、人生の貴重な資産だと思います。同世代や若い世代の友人たちとのつながりも、人生の幸運に恵まれても尊大にならず、人生の不運に見舞われても怨嗟や自己憐憫に陥らず、余裕を持って新たな挑戦に立ち向かう勇気を支える人生のバックストップの役割を果たしてくれるのではないでしょうか。大学には、学術の知を伝達する機能とともに、人がそれぞれの個性を反映するヒューマン・ネットワークを形成する場を提供する機能も期待されているのです。従来から一橋大学は、人文学・社会科学の諸分野で先端的な学術の知を伝達することと並行して、ゼミ制度によってヒューマン・ネットワークを形成する場を提供することにおいても、優れたパフォーマンスを示してきました。現在および将来の学生は、一橋大学で過ごす4年間を学術の知の確かな継承と豊かなヒューマン・ネットワーク形成の両面にわたって満喫して、学生時代の貴重な時間を活かしてほしいと思います。グローバルな人材の形成とは、学術の知の視野の拡大と、ヒューマン・ネットワークの国際化を推進して、一橋大学が培ってきた知の伝統と教育の成果を継承する人材を育成することを指すものだと、私は考えています。

蓼沼:どうもありがとうございました。

(2015年4月 掲載)