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空想好きの子どもがたどり着いた、一橋大学から漫画家への道

  • 漫画家鳥トマト(とり・とまと)

2025年12月22日 掲載

一橋大学法学部出身の鳥トマト氏は、今や漫画と小説の両分野で第一線に立つ作家である。一見すると法学と創作の道は交わらないように見えるが、留学やサークル活動、仲間との出会いといった大学時代の経験は、表現者としての幅を広げる大切な基盤となった。2025年、一橋大学公式Podcast番組で自身が卒業生であることを公にした鳥氏は、「第二の実家」と語る母校に深い感謝を寄せている。鳥氏が現在のキャリアを築くまでの軌跡と、一橋大学への思いについて語ってもらった。(本文中敬称略)

鳥トマト氏 プロフィール写真

鳥トマト(とり・とまと)

マンガ家。たまに小説家。2010年4月法学部入学、2015年3月卒業。2015年4月講談社入社。絵本の編集を経て、主にライセンスビジネスに関する仕事を担当。2025年5月退職。現在「ヤングアニマルZERO」で漫画『二月に殺して桜に埋める』、「月刊まんがライフオリジナル」で漫画『私たちには風呂がある!』、「週刊SPA!」で小説『まだおじさんじゃない』を連載中。その他の著書に『東京最低最悪最高!』『アッコちゃんは世界一』『幻滅カメラ』など。

理系コースから文転、そして一橋大学へ

画像:インタビュー中の様子01

「実は今まで自分の来歴をメディアでほとんど話したことがなく、はじめて『一橋大学卒です』と公にする機会になりました」

2025年5月10日に開催された一橋大学ホームカミングデー。兼松講堂前の特設テントで行われた大学公式Podcast番組『一橋大学は出たけれど』の公開収録で、漫画家の鳥トマトが一橋大学の卒業生であると明かされた。

鳥が一橋大学法学部に入学したのは2010年4月。当時は弁護士になるつもりだった。

「父が医者だったので、両親からの期待もあって、子どもの頃から漠然と自分も医者になるものだと思って生きてきたんです。でも、高校生くらいになると医療に関する職にあまり興味を持てないことが自分で分かってきてしまいました。医者にならないとは言い出しづらくて、結局、高3の春まで理系クラスにいました」

一橋大学の存在を知ったのは、高3の夏。女性が社会で生きていくには国家資格が必要だと思い込み、弁護士になるために法学部を目指した。

「人生でこれ以上ないくらい勉強しましたが、入学してから試験成績の情報を開示してもらったら、自分がその年度の法学部の合格最低点だったんです。現役で入学できたのは、ただ運が良かったんだと思います」

憧れから始まった中国留学、法学で感じた限界

高校までは本や漫画ばかりに夢中だった鳥。それは、ほかの娯楽を知らなかったからではないかと考え、入学後はとりあえず自分が知らなかったことに何でも挑戦しようと考えた。日中学生会議という中国人と日本人でイベントを企画するインカレサークルで実行委員として活動するほか、生協委員会にも所属し、一時期は茶道部や軽音部にも入っていたという。果物の試食販売やダーツバー、塾講師などのアルバイトも経験した。

当時は大学で出会った先輩たちに憧れて国際弁護士を目指していたこともあり、法学の勉強と並行して中国語の勉強にも力を入れた。大学から始めた中国語だったが、大学の講義だけで1年でHSK6級を取得できた。さらに2年生の時には如水会(大学の同窓会組織)の支援を受けて北京大学への交換留学も経験した。

「たしか入学式の時に如水会留学制度の説明があって、その後も説明会に出ていました。その当時は、1年留学すると如水会から100万円くらいの返済不要の奨学金が出ると知って、そんなに出してくれるなら留学にも挑戦できると思って応募しました」

留学期間は約8か月間。一橋大学の交換留学は単位交換が可能で、留年の必要がなかったため、帰国後は3年生として復学。ゼミにも所属し勉強を続けたが、そこで自らの適性に疑問を抱くことになる。

「法学を勉強するにあたり、条文や判例をそのままの言葉で引用しないといけないのですが、徹底した暗記や正確な引用がすごく苦手だということがだんだん分かってきました。加えて、自分の倫理観に合わない判例が出てくるたびに感情的になってしまって、その時点で自分は法曹の仕事に適性がないかも、ということに気がついてしまったんです」

北京ショックからの資格取得、そして"本の道"へ

画像:インタビュー中の様子02

鳥は、中国留学から帰ってきてすぐ、行政書士の資格を取得している。

「これもあまり褒められた話ではなくて。北京大学へ留学している間に出会った中国の学生たちが、みんなことごとく優秀で、自信をなくしちゃったんです。それで、今自分にできることはなんだろうと考えて、行政書士の資格を取得しました」

この時点で法科大学院への進学を断念していた鳥は、新卒採用の就職活動には出遅れていた。そのため、4年生をもう一度やり直して就職活動に臨んだ。就職活動を行う際には大学のキャリアセンターに相談し、これまで一橋大学生の内定実績がある企業を教えてもらい、メーカーを中心におよそ30社を志望、3社から内定をもらった。メーカーを中心に就職活動をした理由として、鳥は、自身の強みを「中国留学の経験」「法科大学院を目指して勉強した法学の知識」と定めたからだという。しかし、結局、就職したのは出版社である講談社だった。その理由を鳥は「やっぱり本が好きだったから」と話す。

「子どもの頃から本が好きだったんです。『ハリー・ポッター』や『ダレン・シャン』、『崖の国物語』シリーズなどの西洋ファンタジー小説を主に読んでいました。小学校の図書館にあった唯一の漫画『火の鳥』と『ブラック・ジャック』もずっと読んでいました。思い返せば、漫画を描くのも好きで、小学生の頃はよく分からないマンガを描いては友だちに見せていました」

漫画を描く喜びを思い出したコロナ禍の産休

講談社では、最初の2年間はライセンスされたキャラクターで絵本をつくる編集部で働き、その後は海外にアニメを販売する国際ライツ事業部で働いた。多言語を操る国際色豊かな同僚に恵まれ、契約や営業を中心に多くの経験を積んだという。

「日本のアニメが海外のお客さまにポジティブな影響を与えることを実感でき、本当にやりがいのある仕事でした。契約書のレビューなどでは法学部での勉強も役立ちましたし、中国留学で得た経験も2017〜2019年頃の過熱した中国ビジネスの中で活きました。大好きな仕事で、一生この仕事をするつもりでいたのですが、コロナ禍に産休をとったことで人生観が変わりました」

鳥は、2018年に結婚しており、現在5歳の子どもを育てる母でもある。2020年、職場は完全リモートとなり、先の見えない中で出産を経験。そのまま産休に入った。誰もが生と死を身近に感じた時期だったが、乳児を抱えた鳥にとっては強烈な体験だった。

「自分と同じタイミングで産休をとった友人が、産後の回復が上手くいかなくて1年ほど音信不通になってしまい、自分も出産を機に死ぬかもしれなかったんだと強く思いました。人にどう思われてもいいので、自分が本当にやりたいことをやらないと、人生はいきなり終わるんだ、ということを実感してしまったのです」

自宅で仕事をするために買ったiPadで、久々に漫画を描き始めた。コロナ禍で、各出版社がインターネットから漫画家の新人を探すことに力を入れ始めていた時期と重なり、『アッコちゃんは世界一』をTwitter(現・X)で発表すると、すぐ漫画家として声がかかるようになった。マンガ家・鳥トマトの誕生である。

空想好きの子どもが見つけた、果てなき表現の道

画像:インタビュー中の様子03

現在も各誌での連載を持つ鳥。2025年11月12日には『東京最低最悪最高!』第3巻(小学館)が発売された。

漫画は当初、完全に趣味として描いていくつもりで、人事部には副業申請をしていたが、次第に漫画の仕事が広がっていった。そして2025年5月に講談社を退職し、専業漫画家として独立することになる。2025年には『文學界』新人賞の最終候補に残り、それをきっかけに連載小説の仕事も舞い込んだ。

「もともと自分は"本の中身をつくる"という仕事にずっと就きたかったんだと思います。かなり遠回りしましたが、ようやく本当にやりたかった仕事にたどり着けてありがたいな、という気持ちです」

漫画家としては5年目、小説家としてはまだ1年目の鳥だが、現在、「ヤングアニマルZERO」で『二月に殺して桜に埋める』、「月刊まんがライフオリジナル」で『私たちには風呂がある!』、さらに「週刊SPA!」では小説『まだおじさんじゃない』を連載している。表現の幅はそれだけに収まらず、自分で作詞作曲した曲の配信もしている。

自身の経験から生まれた物語のほうが、読者により深く刺さると感じているため、経験を増やすことが大切だと痛感しているという。それは、一橋大学入学直後に「自分が知らなかったことになんでも挑戦しよう」と考え、さまざまなことにチャレンジし続けた学生時代の姿とも重なる。

「今は、大学受験の経験をもとに大学受験の漫画を、会社員時代に温泉に癒やされた経験をもとに温泉の漫画を描いています。小説を書けば小説家を描けるようになるし、音楽をやれば音楽家を描けるようになるかもしれない。そんなふうに表現の幅を広げていけたらいいな、と考えています」

一橋大学は、帰るたびに温かく迎えてくれる第二の実家

「振り返れば、一橋大学では本当に多くのことを教えてもらい、支えてもらいました。費用面でも手厚い支援をいただき、感謝しかありません」と話す鳥トマト。現在の目標の一つに、「10年以内に、中国留学の際に出してもらった費用と同等以上の金額を一橋大学に寄付する!」があるという。

「留学もそうですが、一橋大学に進学したからこそできた経験がたくさんあります。なにより、心から尊敬できる人たちに会えたことが、一橋大学に進学して一番良かったところだと思っています」

鳥は、一橋大学には、現実感のある目標に向かって努力する学生が多く、自分にできることとやりたいことのバランスを上手く取っている人が多かった印象だと話す。

「入学時から法曹を目指すと宣言し、4年生で予備試験に合格した人もいましたし、在学中に会計士の試験に合格して、4年生の時には会計事務所でアルバイトを始めている人もいました。就活に1回失敗しても、たとえば、自分には営業は向かないと分かったらすぐに公務員試験の勉強を始める、というような形でポジティブに人生の方向転換をできる人も多く、そういうところも刺激になりました」

大学の友人たちがしっかりと現実を見据えて行動する姿を見て、自身も「早く経済力をつけて大人にならなければ」と強く思ったという。

画像:インタビュー中の様子04

「ふわふわして幼かった自分にとって、そういう仲間と一緒に過ごせたことは、本当にありがたかったです。一橋大学には、ユーモアがあって、自分の欲求に正直で、目標に対してまっすぐ努力する人がたくさんいます。今でも大学時代の友人たちに会うと、穏やかで、でもちゃんと自分の人生に芯があるので、話していて安心します。それでいて、卒業生の会も淡交というかサラリとしているし、全員が自分の人生を勝手にエンジョイしている感じがして、とても居心地が良いんです。一橋大学は、第二の実家のように思っています」