538_main.jpg

目標を設定し努力すれば伸びる。スポーツは学業と同じ

  • ボート競技選手荒川 龍太

2023年12月27日 掲載

2023年6月、イタリア・バレーゼで開催された「ワールドローイングカップ」の第二戦において、日本代表として男子オープンシングルスカルに出場した一橋大学端艇部出身の荒川龍太選手が銅メダルを獲得した。日本ローイング協会のウェブサイトによると、日本人選手がWorld Rowing(以下WR)主催の国際大会において体重制限のない種目でメダルを獲得するのは史上初という快挙である。「目標を設定し努力する。学業と同じ」とその要諦を話す荒川龍太が、一橋大学入学後に始めたボート競技で活躍している要因とは何か。(文中敬称略)

※World Rowing:国際ボート連盟

画像:荒川 龍太氏

荒川 龍太(あらかわ・りゅうた)

2017年法学部卒。NTT東日本シンボルチーム漕艇部所属。

<主な成績>

(国内大会)
2014年全日本選手権男子エイト3位、2015年全日本選手権男子エイト5位、2016年全日本大学選手権男子エイト6位、2017年全日本選手権男子エイト優勝、2018年全日本選手権男子シングルスカル優勝、2019年全日本選手権 男子ダブルスカル優勝、2020年全日本選手権男子エイト優勝、2021年全日本選手権男子エイト優勝、2022年戸田レガッタ男子ダブルスカル優勝、全日本選手権シングルスカル優勝

(国際大会)
2015年アジア選手権男子エイト3位、2016年U23世界選手権男子軽量舵手なしフォア5位、2017年世界選手権男子シングルスカル18位、2018年アジア競技大会 男子シングルスカル銅メダル、2019年世界選手権男子ダブルスカル 21位、2021年東京オリンピックアジア・オセアニア大陸予選男子シングルスカル優勝、東京オリンピック男子シングルスカル 11位、2022年世界選手権男子シングルスカル7位、2023年ワールドローイングカップ第二戦(イタリア・バレーゼ)男子シングルスカル銅メダル、世界選手権男子シングルスカル8位、アジア競技大会ローイング男子シングルスカル銀メダル

屈強な外国人選手を相手にメダルを獲得

画像:インタビュー中の様子01

ボート競技には、さまざまな種類がある。まずは大きいオールを1人1本持って漕ぐ「スウィープ」種目と、比較的短いオールを1人2本持って漕ぐ「スカル」種目に大別される。また、漕手の体重によって「軽量級」と、体重制限のない、事実上重量級の「オープン」の2階級に分けられる。

さらに、漕手の人数によって「エイト」(スウィープの8人、舵手つき)、「フォア」(スウィープの4人、舵手つき・なし)、「クォドルプル」(スカルの4人、舵手つき・なし)、「ペア」(スウィープの2人、舵手つき・なし)、「ダブルスカル」(2人)、「シングルスカル」(1人)の各種目に分かれる。これら各種目それぞれ、主要な国際大会では2,000mの直線コースでタイムを競うというスポーツだ。

ボートのスピードは、オールを漕ぐテクニックやボートの状態も影響するが、何よりオールを漕ぐ力に直結していると言える。その点、オープン、しかも選手1人の種目で、屈強かつ手足の長い外国人選手を相手に、体格差のある日本人選手が銅メダルを獲得するというのは、快挙と言えるだろう。

この勢いを継続し、同年9月10日にセルビアのベオグラードで行われた世界選手権で、荒川は同じくシングルスカル種目で8位に入賞し、9位までが獲得できる2024年のパリ五輪への国としての出場枠を確保した。ただし、出場枠獲得に貢献した荒川の五輪出場が決定しているわけではなく、その最終選考は2024年3月に戸田ボートコースで開催される「スモールボートセレクション」の結果を受けて行われる。しかしながら、荒川は最有力候補と言えるだろう。

「2016年のリオ五輪への出場を逃して悔しい思いをしたので、パリ五輪には何としても出場したいと思っています」と荒川は力を込める。

さらに、同年9月25日に中国・杭州で行われたアジア競技大会の男子シングルスカルで、銀メダルに輝くという快進撃を続けている。

プロモーションビデオに心を動かされて入部

荒川は1994年8月、神奈川県横浜市で生まれた。中学から地元の中高一貫の進学校である聖光学院で学んだ。

「高校まで部活でバスケットボールもしていましたが、ほぼ勉強ばかりしていたという感じの6年間でしたね」と荒川は振り返る。そして、2013年に一橋大学法学部に進学する。

「高校3年の当時は法曹に関心があって、一橋大学への進学を決めました。東大と偏差値に差はなかったのですが、受験科目が一橋のほうが有利だったので、現実的な観点から一橋大学に決めました。また、少数精鋭教育という特色も自分には合っていたと思います」

その入学のタイミングで、荒川の運命が決まった。新入生に部活動やサークルを紹介するイベントで、荒川は端艇部のプロモーションビデオに心を動かされたのだ。

「日本一を目指す、って熱くアピールしていたんです。絵空事どころか、そこに近い存在になっているところにすごいなぁと純粋に感動してしまいまして。中高時代は一応バスケットをやっていましたが、勉強が忙しく、スポーツで勝つなんていうことと無縁の世界にいましたから」

そのようにして端艇部に魅かれた荒川は、その一週間後、端艇部の勧誘イベントに参加することにした。興味を持っている新入生を、端艇部の先輩部員たちが見逃すはずはない。やや強引に勧誘されて、荒川は入部した。少しかじったバスケットボールのような球技とはまったく違う競技であるにもかかわらず、「日本一を目指す」部の一員になれば自分も日本一になれると勝手に思い込めるほどの雰囲気が、端艇部にはあったということだ。

水の上でスピードを出す楽しさ

画像:インタビュー中の様子02

実際に、ボート競技は自分に向いていたと荒川は語る。

「ボートに乗ってみてすぐ楽しさを感じました。水の上で漕いでスピードを出すっていうのは、初めての体験でした。それがすごく気持ち良くて」

バスケットボールやサッカーのような球技の試合は、瞬間瞬間で局面が変わり、同じ局面は二つとない。したがって、個々の選手には瞬時の状況判断力と的確なプレーが求められる。それに対して、ボート競技は基本的にオールを漕ぐという同じ動作をひたすら繰り返す。その動作の強さが、すなわちボートの速度を決め、勝敗を分けることになる。つまり、選手の筋力や心肺能力などによる体力勝負の世界であるところが、球技と異なる点だ。そこに荒川はマッチしたという。

そんな端艇部での4年間はどうだったのか。

「大学の端艇部では基本的にエイトをやりますが、そこに難しさがありました。僕のように大学に入って初めてボート競技をやるという学生ばかりで、1年生は素人集団でしたから。そのような8人、9人でまとまりをつくって力を伸ばしていく必要があります。それは、簡単なことではありません」

また、端艇部の練習は、戸田のボートコースで行っており、部員は基本的に艇庫に寝泊まりする生活を送る。大学の授業は、戸田から国立まで電車に乗って受けに行かなければならない。その往復2時間半も負担となった。

なお、そのことで荒川は親から叱責されたという。一橋大学に合格して国立に下宿先を確保していたが、端艇部に入部したことを親に話さずにいたからだ。実態を把握するまで3か月ぐらいの間、せっせと無人の下宿の部屋に家賃を支払っていた親にしてみれば、怒って当然のことだろう。逆鱗に触れた荒川は、すぐに下宿を引き払った。

「その後、親はずっとボート部の活動を応援してくれています」と荒川は語る。

一橋大学端艇部は、大学ボート界における強豪として知られる。2009年以降、インカレ(全日本大学選手権)の男子エイト種目の決勝の常連となっており、現在まで準優勝3回、男子舵手なしペアでは優勝3回という戦績を誇る。また、東京大学との「商東戦」(東京大学側では「東商戦」と呼ぶ)においては、直近の2019年度まで11連勝を果たしている。選手としての荒川は、インカレの男子エイトにおいて2年次に準優勝、3年次に3位となることに貢献した。

オリンピックを目指すチャンス

強豪の集団にあって、荒川は3年次からオリンピックを目指し、日本代表選手となるべくチャレンジを始める。時は、2015年、翌年に開催されるリオ五輪のフォアの選手を選び直すというチャンスが訪れた。

「急にオリンピックという目標が目の前に現れた感じでした。当時、怖いもの知らずの状態だったので、もう行けるんじゃないかと感じたことが日本代表に関心を向けた契機となりました。そこで、翌年のオリンピック世界最終予選に日本大学の選手などと軽量級のフォアで出場したのですが、5位という結果に終わりました。オリンピックに出場できる2位までには及ばず、悔しかったですね」

ちなみに、リオ五輪のボート競技には、一橋大学出身の中野紘志選手が男子軽量級ダブルスカルに出場している。荒川も出場すれば、一橋大学端艇部は日本代表選手を2名輩出という快挙になっていたところだ。

そんな荒川は、エイトや軽量級のフォアという団体種目から、対極的なシングルのオープン種目に転向することにした。そこには、どういった経緯があったのだろうか。

「2016年までは軽量級のフォアでやっていたのですが、その種目がオリンピックから外されることになりました。軽量級のほかの種目に選手が集中することになり、枠が狭まってしまいます。ならばと、185cmという身長が日本人にしては高かったことと、軽量級を維持する減量が結構きつかったこともあったので、体重無制限のオープン種目に行ったほうがいいのではないかとコーチにアドバイスされました。一方、オープンのほうは日本としてあまり強化してこなかったので、ペアを組めるような選手がいない状況だったのです。そこで、まずはシングルでやろうということになりました。しかしながら、185cmは国際大会では最低ラインですけれども」

事実、「ワールドローイングカップ」の表彰台に上った写真を見ると、金メダルを取った外国人選手は荒川の1.3倍ぐらい大きな体躯をしている。そんな選手が大勢いる種目、日本としては強化するプライオリティをそこまで高くできなかったのだろう。そう考えると、荒川の活躍がいかに価値のあることか分かる。

あらゆる努力が結果に表れる魅力

画像:インタビュー中の様子03

では、荒川はどんなトレーニングをしてきたのだろうか。

「基本的にはウェイトトレーニングが中心ですが、筋力、特に瞬発力を出すようにトレーニングを改善しています。トップを争う選手は、スタートがものすごく速いからです。日本人選手からすると、2人乗りぐらいのスピードでスタートを切ります。それに置いていかれて水をあけられてしまうと、『追いつけない』と精神的にも辛くなってしまいます。なので、何とか水をあけられない程度までスピードを上げ、そのペースを保つことで何とか勝負に持ち込むことを強く意識してトレーニングに取り組んできました。それをやり切れているのが大きいかな、と思っています」

荒川が一橋大学の端艇部に入部し、ボートで水上に出た時に「楽しい」と感じたと前述した。

「その楽しさが根底にあるうえで、タイムを競うスポーツとして数字で結果が出るところも、自分が魅力を感じて取り組めた要因であると思っています」

高校までは勉強漬けの日々を送っていた荒川は、勉強すればするほど成績が伸びることにモチベーションを感じていた。学業は、努力した結果がテストの点数などとして表される。そこが、ボート競技と学業の共通するところと荒川は感じている。練習すればするほど、タイムが縮まる。「もっとこうすれば力を伸ばせるのではないか」と練習法や漕ぎ方を工夫する。そういったあらゆる努力が、タイムという結果に厳然と表れる。そこにモチベーションを感じているからこそ、並み居る大型選手を相手に、WR主催の国際大会のオープン種目でメダリストになれたのだ。

「なにせ競技歴ゼロから取り組んできたので、漕げば漕ぐほどうまくなるし、持久力や心肺能力、筋力がついていったと思います。その、やればやっただけ、というところに努力の甲斐があるのではないでしょうか。だからこそ、ボートを水に浮かべた瞬間から、マックスのパワーで漕ぎます。少しでも長く、多く練習するということをつねに意識してきました」

ウェイトトレーニングでも、毎回自らの記録をつけて前回の値を少しでも上回るように取り組んできたという。そのように個人的な努力を個人のペースで行えるのは、シングル種目だからこそ、なのだろう。

ボート漬けの日々におけるゼミの価値

そもそも荒川は法曹を目指して一橋大学法学部に入学した。4年間の学業のほうはと言うと、端艇部の活動に身も心も奪われて、ということのようだ。しかしながら、ゼミでの学びは荒川にボートとは違う意義をもたらした。

「3、4年次のゼミは小粥太郎先生(現・東京大学大学院総合文化研究科教授)の民法で、卒論は先生の助言で自動運転車と民法を絡めたテーマで書きました。当時はボート漬けの日々だったので、関わる学生も端艇部員だけという状況だったのですが、ゼミに行くと真剣に勉強と向き合っている学生たちに会えたわけです。そんな仲間と一緒に過ごせた時間はとても貴重で、今でも印象に残っていますね」

ボート漬けの日々ながらも、持ち前の"努力"で卒論を書き終え、無事に卒業した荒川。次の進路として、日本代表になるほどのボート選手としてのキャリアを突き詰めるべく、アスリート支援に力を入れているNTT東日本に入社した。同社のおかげで、充実した環境でトレーニングを続け、冒頭で触れたとおりの活躍につながることとなった。そして、当面の目標であるパリ五輪が閉幕する時には荒川は30歳を迎えている。その後のキャリアについて、荒川はどういったビジョンを持っているのだろうか。

「正直、悩んでいるところです。選手としてやり切った後は、今のところ指導者などとしてボート競技に関わり続けるのではなく、ビジネスの方面でやりたいことを見つけたい、と思っています。それがなかなか見つからないのが、今の悩みですね」

そんな状況も、荒川は必ず打開できるだろう。「これだと決めたら、創意工夫を凝らし、集中して取り組む」という習性が荒川にはあるからだ。最近は目標を周囲に公言し、あえてプレッシャーを自らに与え、目標に向けて努力せざるを得ない状況に自分を追い込むことまで意識していると言う。

「口に出していると、それが現実になると信じています」

いろいろな出会いを求め、実践を

画像:インタビュー中の様子04

荒川に、これを読む一橋大学の学生や一橋大学を目指す高校生に向けてのメッセージをもらった。

「私の当初の目標が、法曹になることであったように、多くの学生は何かしらの夢を持って大学に入ってくるでしょう。目標を持ち、目標達成のために邁進するのは、素晴らしいことだと思うのですが、大学でどんな出会いがあるかは、本当に分かりません。一橋大学にはさまざまな志向を持つ学生がいますし、部活やサークルも多様です。ここで出会った人や事に一生懸命向き合っていくというのも面白いし、大事なことだと思います。なので、これだと決めたことに固執するのではなく、いろいろ出会いを求め、実践してみるのもいいことではないかなと思っています」

一橋大学に入り、新歓イベントで端艇部のプロモーションビデオを見るまで、荒川は自らが未経験の競技種目の選手となり、ワールドカップのオープン種目でメダリストとなり、オリンピック出場を目指す存在になろうとは夢にも思っていなかったからだ。

画像:今井 祐介氏

NTT東日本漕艇部監督

今井 祐介氏

目標設定と実行能力の高さ

荒川選手は、まずフィジカルで言うと骨が太く、筋肉がしなやかなんです。当部のトレーナーも言っていますが、そんな選手はあまりいません。先天的な体格に恵まれていると思いますね。勤勉さも図抜けています。子どもの頃からずっと学業にしっかり取り組んできたのだと思いますが、トレーニングにおいても、彼は数値目標をきちんと設定し、そこに向けて努力し、振り返りもしっかり行っています。そういう目標設定と実行能力が非常に高いですね。

あと、本人は自分のやりたいことをやる、なりたい姿になるために目標を周囲に公言し、自ら環境を変えるアクションを活発に行っていますが、最近はそれだけでなくチームのためにできることは何かという視点が加わっているのです。選手として、また人間として、高いステージに上がっていると感じています。