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自分のような"強がり女子"を解放する場所をつくりたい

  • 「スナック水中」坂根 千里

2022年12月27日 掲載

JR南武線の谷保駅から徒歩2分の路地裏にある、「スナック水中」。経営者でありママを務めるのは、2022年3月に一橋大学社会学部を卒業した坂根千里。コミュニティづくりに関心を持ち、大学1年の時からサークル活動として谷保駅の近くでゲストハウスの運営を始めた坂根は、ひょんなことから閉店するスナックを継業することに。キャリア選択に大いに迷いながらも、人間が素の自分をさらけ出して交じり合うスナックという空間に引かれ、稀有な進路を選択することになった。そんな坂根の現在に至る経緯や思いを聞いた。(文中敬称略)

坂根 千里氏 プロフィール写真

坂根 千里(さかね・ちさと)

2022年社会学部卒。大学在学中に国立市谷保でゲストハウスを運営するサークル「ここたまや」を自ら立ち上げる。「ここたまや」の活動を通して地域のNPOや商店街との交流が増え、その延長線上で「すなっく・せつこ」と出会う。以来、スナックという業態に魅了され、卒業と同時に東京・国立市の半地下にある9坪のスナック「すなっく・せつこ」を事業承継。クラウドファンディングで387万円の支援を受け、2022年3月に「スナック水中」として同店舗をリニューアルオープン。

自分自身が救われた空間

画像:インタビュー中の坂根 千里氏1

スナックと聞くと、カウンター席やボックスシートがあり、カラオケが楽しめ、外からは店内が見えず、カウンター内にはママがいて、地元の中高年男性が集まる。そんな昭和なイメージを思い浮かべる人もいるかもしれない。「水中」が引き継いだ「すなっく・せつこ」はまさしくそんな感じの店だったが、リノベーションされた「水中」は全面ガラスの扉から店内をうかがうことができ、カウンターには簡易な本棚が組み込まれており、さりげなく立てかけられている書籍が知的な印象を醸し出している。スナックというよりはカフェのような洒落た雰囲気がある。

「カウンターの後ろの棚にはJINROが並んでいますが(笑)、知的な雰囲気があると思っていただけるのは嬉しいです」と話す坂根がこうした内装に変えたのには、「女性が一人でも入りやすく、入店しても『間違えた!』と思われないようにしたかった」という狙いがある。「元々、丸の内を闊歩するような仕事に就きたいと思っていた」と言う坂根がスナック経営を選択した動機は、次のようなものであった。

外では強がっているものの、家にいる時は誰にも悩みを打ち明けられず、一人鬱々としている女性たちが、そんな自分を解放できるような場所をつくりたい―。

なぜならば、坂根自身がそうやって何度も「すなっく・せつこ」で過ごす時間に救われてきたからだ。孤独で寂しさを覚える夜、ここに来ればせつこママや地元の常連客がいて、ネガティブな気分の自分にも遠慮なくズケズケと話しかけてきて、デュエットを誘ってくる。そんな空間にいると、自分の小さな悩みなんて、と笑い飛ばすことができた。

「日常の生活は、ハラスメントが慎重に取り除かれた無菌状態のような世界にいるイメージ。インターネットのサービスもAIによってパーソナライズされ、予定調和的なことばかりで偶発的な出会いをあまり経験してこなかったと思います。ところが、スナックせつこは、見知らぬ隣の客にも平気で話しかけるどころか、お酒の勢いもあってさまざまな言動が繰り広げられる無法地帯。でも、悪意はない。ある種の信頼関係があるから、言葉だけを切り取って糾弾するのではなく、今日は疲れているんだね、などと相手を受け容れる空気があるんです。人に対して自分の弱いところを見せたくないと頑なに思ってきた私には、この世界のほうが生きやすいと感じました」

自らフィールドワークを求める

画像:インタビュー中の坂根 千里氏2

東京都八王子市に生まれ育った坂根は、中学3年の時に東日本大震災が発生したことを機に、真剣に将来のキャリアを考える。

「父親が国際協力機構(JICA)で途上国を支援する仕事をしていて、かっこいいと憧れていました。しかし、当時は反抗期。親とは違う道に進もうと思い、東日本大震災を機に街やコミュニティづくりがしたいと考え、グローバルではなくローカルに根差した仕事に就こうと考えたのです。そこから、社会学への関心を深めました」

東京都立立川高校に進学し、社会学部のある国立大学を探すと、近くの一橋大学が浮上した。学力に不安があったもののチャレンジし、不合格。しかし、予備校で勉強に励み、一浪で合格する。この間に、社会で活動するエネルギーも溜め込んだという。

「大学入学当初は、正直に言うと少しがっかりしたんです。教室を出てフィールドワークができるものと思っていたのですが、キャンパス内にこもっている状態。自分の期待値が高かったせいか、あれれ?って感じでした。春夏学期が過ぎ、もう自分で動こうと思いました」

そこで坂根は、大学1年の夏休みに地域活性化プログラムへの参加を募集していた奄美大島や島根県雲南市に赴く。そこで、ローカルコミュニティへの関心を深めるとともに、起業家精神に富む学生仲間と出会って刺激を受けた。

夏休みが明けると、また教室での授業が続いた。それだけでは面白くないと、地域の人と若者がつながるゲストハウスを運営しようと思い至る。そこで、『たまこまち』という学生団体を立ち上げ、メンバーを募った。

「学生の間、知的好奇心の赴くまま、学外の国立地域の人たちとつながり、外から人が来て地域の発展につながるような活動ができればと思い立ちました。そこで、ハブとなるような拠点をつくろうと考え、ゲストハウスを運営することにしたのです」

ゲストハウス『ここたまや』を開業

画像:インタビュー中の坂根 千里氏3

坂根が参考にしたのは、「アルベルゴ・ディフーゾ」。街中の複数の空き家を宿泊施設として利用し、食事やアクティビティは街中のレストランや観光施設などを活用する形で、街全体の活性化を図るイタリアの仕組みである。「分散型ホテル」と呼ばれるスタイルで、日本にも広がりつつある。

当該活動には資金が必要だ。そこで、地域で農園やこども園を運営するNPO法人に協力を仰ぎ活動資金を工面していただいた。。加えて、自らもクラウドファンディングを行った。そして、谷保駅の近くにあった取り壊される予定の2階建て・計6室のアパートをNPO法人に契約してもらい、集めた資金を基にリノベーションを施して、ゲストハウス『ここたまや』を2019年1月にオープンした。

典型的な"昭和のアパート"という感じの物件で、ノスタルジックな雰囲気が漂う。屋内にはシャワーやトイレがあるぐらいで、宿泊料金は大人1泊4000円。そこで、「分散型ホテル」として体験プランをオプションに加えた。NPO法人の畑での農作業体験や、とれたて野菜を田園風景の中でBBQや朝食として味わったり、『たまこまち』メンバーの学生がアテンドして谷保や国立一帯の学園都市・田園都市を巡るツアーなどを組んだりしている。このために、坂根は「地域限定旅行業務取扱管理者試験」を受け、認可を取得した。

利用者は、畳を珍しがる外国人や学生のバックパッカーなどが多いものの、意外に地元の人が利用するケースもあるという。坂根ら運営メンバーにはゲストハウスの掃除や寝具の洗濯からトラブル対応まで負荷がかかったが、「15人ほどの学生メンバーで分担してやりくりした」という。

この活動は現在も続いていて、売り上げは初年度から上がり、累計利用者数は2000人に迫る。これまでの成果について、坂根は次のように話す。

「『たまこまち』に集まったメンバーは、社会学部だけでなく商学部の学生もいます。社会学部の学生はビジネスの知識に乏しく、商学部の学生の中には地域との関わりなどが得意ではない人もいましたが、お互いに知識や意見を出し、補完し合いながら進めることができました。教室にいるだけでは決して学べないような、リアルなフィールドワークを通じてさまざまなことが学べている実感がありました。教室で学んだ理論を、『ここたまや』で実践して確かなもの、豊かなものにしている、という感じでしょうか」

『すなっく・せつこ』との衝撃の出合い

画像:インタビュー中の坂根 千里氏4

『ここたまや』の活動においては、地元のNPO法人で代表を務める方から協力が得られたことが大きかったという。その代表者に誘われて、『ここたまや』がオープンした後のある日の夜、谷保駅近くのビルの半地下にあるスナックに誘われた。「すなっく・せつこ」だった。

「3年前、ゲストハウスでお世話になっていた地元の人に連れられて来た『すなっく・せつこ』は、私にとって初めてのスナック体験でした。

『なんだか珍しい子が来たわね』と言って迎え入れてくれた、ふわふわパーマのママ。

『なんだここは...』

騒がしく混沌としながらも、ママによって調整された不思議な空間。

すっかりその場に揉まれ、ついには知らないおじさまと平成の曲でデュエットをするはめに。

入店から2時間、衝撃続きで呆然としている私にママからある提案を受けることに。

『あなた来週から働かない? なんかニコニコしているからさ...』

『ええええ! いやいやいや...』

そう言いつつ、この場所に興味を持ってしまったが最後。

私はそのまま働き始めることになるのでした」

坂根が「すなっく・せつこ」に思わず引き込まれた要因について、次のように話す。

「奄美大島や雲南市のコミュニティにあった、鎧を脱いだ人間同士が自分をさらけ出し合い、それを認め合うような世界が、まさかこの国立にあったなんて。しかも、いつも通っている路地の、この半地下の店がそうだったとは!そんな衝撃を受けたんです」

坂根はその2週間後、「ちり」という源氏名の"チーママ"となり、カウンターの中に立つことになった。そこからますますスナックの面白さに引き込まれ、大学の後輩である女子2名もアルバイトとして誘い込んだ。坂根らは、「すなっく・せつこ」が閉店する2021年12月までスタッフとして働き続けた。

悩み抜いて、スナック経営を決断

画像:インタビュー中の坂根 千里氏5

「スナック・せつこ」で働く傍ら、坂根は大学を一時休学し、カンボジアのホテルでインターンをした。カンボジアでは、屋台を購入して路上即席スナックを開いたほど、スナックに夢中になっていった。そんな坂根に、せつこママは店を継いでほしいとの思いを、それとなく伝え始めたという。それに対して、坂根はおどけて返し、はぐらかしていた。そんなやり取りが続いたが、就職活動がいよいよ始まる大学3年の春。坂根はせつこママから正式に「本気で考えている」と告げられた。

「内心、『それも面白い!』と思いましたが、一方で不動産会社にディベロッパーとして就職し、都市開発を手掛けたいという思いもありました。それに、スナックなんて本当にできるのか、という不安もありました。そこで、NPO法人の代表者を通じて地元の商工会に事業計画の相談をしてみました。また、どっちに転んでもいいように就職活動も継続し、内定寸前まで行きました。そうして最後まで悩み抜いた結果、最後に企業から意思確認をされた時にお断りしたんです」

スナック経営を決断したのは、先にも触れた「みんなが自分を解放できるような場所をつくりたい」と思ったからだった。就職活動中に、そんな場所を必要とする同期生を何人も見たことも決意を強くした。坂根は言う。

「そんな場所を、大手ディベロッパーはつくれるのだろうか、って。逆に、誰かに自分がやりたい場所づくりをやられたら悔いが残ると思いました」

坂根の決断に際しての最も高いハードルだったのが、両親の説得だった。そこで、自分の生活費を考慮して店の売り上げをシミュレーションしてみると、そんなに難しいチャレンジでもなさそうなラインだった。加えて、副業の目途もついた。そのことも坂根の決断を後押しするとともに、両親への説得材料として役立ったという。

せつこママは、坂根以外にも声をかけていて、坂根が提示した譲渡金額の3倍を提示する人もいた。しかし、せつこママは「信頼できない人には渡さない」と、最終的に後継者を坂根に決めたという。

アンテナがピリピリの日々

画像:インタビュー中の坂根 千里氏6

後継者になることが決まってから1年がかりで坂根は開業準備に入る。必要な資金は、銀行の融資や行政の補助金のほか、「ここたまや」を開業した時のようにクラウドファンディングを実施。目標の170万円の倍以上となる387万円が集った。この資金で店を改装し、2022年4月、「スナック水中」がオープンした。開業までスムーズだったのは、譲渡金など承継の手続きについてせつこママが大らかに接してくれたことが大きかった。

一橋大学卒業直後の学生が、スナックを経営―。この珍しいトピックはたちまちニュースになり、坂根はさまざまなメディアから取材を受ける。こうしたことも奏功し、開業後の売り上げは「すなっく・せつこ」時代の1.5倍のペースが続いているという。

「『すなっく・せつこ』時代のお客様が残したボトルを受け継ぐ形で常連のお客様を確保できたことに加え、「水中」として女性を中心とする新規のお客様を獲得できていることが大きいですね」

チーママ時代と店を経営する立場になった今との違いを尋ねると坂根は、

「女性客や女性スタッフへのお客様の態度が行き過ぎる時は、すかさず『面白くないですよ』などときっぱり言って止めるようにしています。なので、いつもアンテナが立ってピリピリし、店が終わるとドッと疲れが出ます。また、お見送りの時に、お客様から『あれは良くなかったよ』とお叱りを受けることもあります。私たちが安心して働けていたのもせつこママがスタッフを守ってくれていたからと気づかされます。そして、私がスナックをやると決めた時、周囲から『よく飛び込んだねぇ』と驚かれた理由もわかった気がします」

加えて坂根は、「実践の中でビジネスマナーを身に付けたり、社会人としての常識を学ぶといった経験ができないという"新卒入社コンプレックス"と日々闘っている」と語る。

一橋大学やスナックを選んで大正解

画像:インタビュー中の坂根 千里氏7

それでも、坂根は「スナックを選んで良かった。後悔はない」と断言する。

「まず、経済的に自立できたこと。そして、当初の狙いであった、女性が一人で来られるお店をつくれていると実感できているからです」

ある日、閉店間際に40代と思しき女性客が一人でやって来た。いつもは夫婦で来る客だった。カウンター越しに、その女性客は坂根にその日あったことを打ち明け始めたという。

「そんなことが、開業から5か月経った今までに、わずかではありますが、実際にあったことが背中を押してくれています」

進学先として一橋大学を選んだことも「大正解」と言う。まずは国立という地域と出合い、活動拠点ができたこと。そして、多くの学生仲間や後輩と出会えたことだ。

「入学直後にがっかりしたのは、自分が受け身だったからです。一橋大学は優秀な学生が多く、議論していて楽しいのです。生涯の仲間をつくることができました」と坂根は満足げに話す。しかしそれは、坂根が自ら行動を起こした結果といえるだろう。

最後に、一橋大学の学生や一橋大学を目指す受験生に対して、坂根は次のようなメッセージを送る。

「一橋大学はこぢんまりしているせいか、またロケーションのせいもあってか、どこかほっこりしているような雰囲気があります。内にこもりがち、というか。都心の大学に通う学生には『もっとやろう!』とアグレッシブな人が多いように感じます。なので、キャンパスの外に積極的に出て、自ら機会をつくり、経験して視野を広げるのも良いのではと思います」