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常に消費者を捉え、会津から世界を動かすプロのマーケター

  • ゼスプリ インターナショナル ジャパン マーケティング部
    Asia Pacificマーケティング本部長
    猪股 可奈子

2022年7月1日 掲載

「キウイブラザーズ」というキャラクターを考案、60秒もあるCMを打って社会から注目を浴び、日本におけるキウイの販売量を一気に押し上げた猪股可奈子。ベースにあるのは、徹底した消費者目線と、目的に向かって適材適所で人を配置しプロジェクトを動かしていく推進力である。彼女がどのようなプロセスを経て自身の強みに気づいたのか、3人の子育てをしながらその強みをどのように発揮していったのかを語ってもらった。(文中敬称略)

猪股 可奈子氏 プロフィール写真

猪股 可奈子(いのまた・かなこ)

ゼスプリ インターナショナル ジャパン株式会社マーケティング部Asia Pacificマーケティング本部長。2004年商学部卒。2004年日本リーバ(現 ユニリーバ・ジャパン)入社。2008年南アフリカ赴任を経て、同社ブランドマネージャーに就任、LUX、Doveなどのブランドを担当。2015年マーケティング部長としてゼスプリ インターナショナル ジャパン株式会社入社、現在に至る。

コロナ禍の日本を癒したキウイブラザーズの60秒CM

「♪ストイックにやっても続かない/ヘルシーは好きなことを楽しみながら」--2020年5月、初めての緊急事態宣言によって閉塞感が日常を覆う中、キウイブラザーズの60秒CMはオンエアされた。キャラクターのコミカルな動き。心を癒す歌詞。60秒という異例の長尺CMは、「こんな時だからこそ健康に...」という消費者の焦りを和らげ、共感を呼ぶ。CM総合研究所による2020年度のCM好感度ランキングで、このCMは総合3位を獲得。作品別ランキングでは2位にダブルスコアという大差をつけて総合1位に輝いた。CMのほかにも新聞広告、SNS、動画投稿サイトなどと連動。さまざまな手法で消費者の関心を引きつけ、売上は対前年比103%と順調に推移した。

これら一連の仕掛けを立案・実施した人物が、ゼスプリインターナショナルジャパン(以下、ゼスプリ)マーケティング部Asia Pacificマーケティング本部長の猪股可奈子である。1年間の育児期間を経て、転職でゼスプリに入社した猪股は、キウイのポテンシャルに注目。当時の社内に欠けていた消費者目線をマーケティングに取り入れるため、消費者調査を始めた。その結果、「おいしさが伝わっていない」などの問題点を抽出。コミュニケーションの中心にキウイを据えるため、数百にのぼる既存のキャラクターを研究し、キウイブラザーズを生み出す。2016年、日本から始まったキウイブラザーズのキャンペーンは成功し、韓国、ヨーロッパなどのキャンペーンにも採用されている。

転職してすぐに異例ずくめの成果を出した猪股は、現在、実家のある福島県・会津からリモートで仕事を行っている。

高校の先生は猪股の資質を見抜き、一橋大学商学部を薦めた

画像:インタビュー中の猪股 可奈子氏1

猪股の実家は、明治の頃から製麺工場を営んでいる。幕末〜明治にかけての日本史が好きな猪股は、戦後に事業を起こした祖父をとても尊敬しているという。地元の中学を卒業し、会津若松市の中心部にある福島県立会津女子高校(現・葵高校)に進学。スキー部に所属してインターハイへ出場、高校2年までは部活動に励んでいた。同校は進学校だったので、猪股も大学進学は意識していたが、大学の選び方がまったくわからない。そこで尊敬していた先生に進路相談を持ちかける。

「大学については『東大、慶應、早稲田』の名前ぐらいしか知らない状態でした。そこで先生に相談したところ、一橋大学の商学部を薦められたのです。実家が家業を営んでいてビジネスが身近にあったこと、学校生活や部活では周囲を引っぱっていくリーダーの役割を担う場面が多かったことが、その理由でした」

先生の提案を受け入れた猪股は、3年生の10月から本格的に受験勉強を始める。はじめは模擬試験でなかなかA判定が出なかった。しかしいったん決めた進路を安易に変えるつもりはなく、一時は浪人も覚悟したという。幸いにも成績は徐々に上がり、一橋大学の商学部を受験。見事に合格した。

商学部の授業などを通して、プロジェクトを推進する能力に気づく

大学入学後はスキーサークルに所属。子どもの頃からスキーをやっていた猪股は、1年次の全国学生岩岳スキー大会において総合滑走部門で優勝。しかし大学時代には冬季期間以外はスキーがメインではない生活だった。

猪股が1年次からのめり込んだのは、商学部で当時開講されていたPBL形式の授業だった。受講する学生たちは10人で一つのチームをつくり、身近な社会問題を見つける。そしてチーム内で議論して解決方法をまとめ、発表を行うというプログラムだ。

「高校までの授業のようにとにかく暗記ではなく、自分たちで問題を見つけるところから始めることが刺激的でした。知り合って間もないメンバーと、誰かの家に集まって、飲み食いしながら話し合うことも楽しかったですね。私のチームでは『国立には盲導犬が入れる店が少ない』というテーマでプロジェクトを進めました」

その話し合いの場で議論がまとまらなかったり、もっと効率的な進め方を思いついたりすると、猪股は積極的に発言。誰が何を担当し、いつまでに仕上げるか。適材適所で役割を振り分け、プロジェクトを前に進めた。「その役割を最初から狙っていたわけではないが、結果的に私がやることが多かったですね」と猪股は振り返る。2年次にはメンターとして前述のPBL形式の授業運営にも参加し、他大学の学生と日米文化センターのプロジェクトを企画。3、4年次のゼミでは「阿久津ゼミ」に所属し、学生時代から企業とのコラボレーションでプロジェクトを行うなど、ゼミ幹事として活躍した。こうした経験は、社会に出てから猪股がキャリアを形成する上で大きな強みとなった。

新しいカルチャーや人との出会いで世界が広がる楽しさを満喫

もう一つ、猪股が学生時代にのめり込んだのは、バックパッカーとして世界を回ることだった。3年次から4年次にかけて、長期の休みに入るたびに北米、アジア、ヨーロッパを旅行していたという。

「お金は親に頼み込んで貸してもらいました。学生時代は時間はありますが、アルバイトをしている時間がもったいないと感じたのです。海外に留学している友人の家に泊まったり、ユースホステルで知り合った人と次の目的地まで一緒に行ったり...。好奇心の赴くままに旅して回ることが楽しくて仕方なかったですね」

地元の中学から会津若松市内の進学校へ、そして東京の一橋大学から海外へ。猪股は環境が変わるたびに新しいカルチャーと出会い、新しい人と出会い、世界が広がっていく楽しさを満喫していた。

就職活動では、入社10年後の肩書きより、3年後に活躍できる会社を重視

画像:インタビュー中の猪股 可奈子氏2

就職活動という節目を迎え、猪股は自分がどのように働きたいかを分析した。

「私は、経済新聞を毎日読み込んでいるわけでも、サークルを通して卒業生と強力なコネクションを持っているわけでもありません。聞いたこともない職業の情報が一気に入ってくる中で、走りながら考える毎日でした」

そして自分の志望を三つに絞り込む。真っ先に考えたのは、入社後すぐに女性が活躍できる環境であることだった。

「女性には結婚、出産などのライフイベントがあります。10年後にこういう仕事ができるようになる、20年後にこういうポジションに就ける...と言われても、その時自分がどうなっているか分かりません。ですから最初の3〜5年でキャリアデザインがイメージできるように、職種別の採用を行っている会社を探しました」

次に、自分の世界が広がる楽しみをさらに突きつめるため、日本に限らずグローバルに働ける環境であること。そして最後に考えたのは、自身の強みと分析した「適材適所で人を配置し、プロジェクトを動かす」能力を活かせる仕事であることだった。そこで出会ったのが日本リーバ(現 ユニリーバ・ ジャパン)である。面接官は、猪股の性格がマーケティングに向いていると判断。別の職種を志望して面接を受けた猪股を説得し、同社のマーケティング部門の社員に引き合わせた。かつて高校の先生が、猪股の性格から一橋大学の商学部を薦めたプロセスと、どこか重なるものがある。マーケティングの話を聞いた猪股は志望を変更し、日本リーバのマーケターとして社会に出るという決断を下す。

男性用ブランドで、消費者目線で物事を考えるトレーニングを積む

マーケティング部門に配属後、最初に参加したのは新ブランド『AXE』(アックス)を日本にローンチさせるプロジェクトだった。『AXE』は男性向けのフレグランスやボディソープなどを手がけるブランドで、猪股にはまったく縁がない。他の女性向けブランドとは、最初の市場調査からアプローチが異なってくる。しかしその縁のなさを、新人の猪股は好機ととらえた。

「自分がターゲットではないからこそ、メソッドとしてマーケティングを学ぶ絶好のチャンスです。純粋な消費者目線で物事を考えていくトレーニングを、(ローンチまで)2年間かけて積めたことは良い勉強になりました」

南アフリカで、現地の優秀な仲間とともに消費者の生命に向き合う

入社4年目、転機が訪れる。就職活動時にグローバルな活躍を志望し、入社後ずっと海外赴任のチャンスを窺っていた猪股は、カナダもしくは南アフリカへの赴任を持ちかけられたのだ。カナダにはいつでも行けると考えた猪股は、迷わず南アフリカを選択する。

日本では『LUX』や『Dove』などの製品が有名だが、ユニリーバ南アフリカでは『ドメスト』など消費財カテゴリ全般を展開している。猪股の携わったプロジェクトの一つに、トイレや風呂などの設備が整った住宅を政府が国民に提供し、その住環境に必要なさまざまな製品をユニリーバ南アフリカが供給する、というものがあった。ただし、単に製品を供給するわけではない。製品の必要性を啓発し、使い方をアドバイスすることで、現地の人々の健康、生活、そして生命を守るという使命を帯びているのだ。

「私たちの仕事の一つひとつが、消費者の生活や生命に直結する。先進国では味わえないやりがいです。日本とはまったく異なるマーケットでチャレンジできたことは、貴重な経験になりました」

南アフリカでの赴任中に、猪股を鼓舞したもう一つの因子が、現地法人の優秀な社員たちである。社会制度などのバックアップを受けて能力をぐんぐん伸ばす黒人女性社員。一方で、彼女らほどにはサポートが得られないことをバネに、仕事を通して自らを成長させようと頑張る白人男性社員。ともに「自分たちの力で国を変える!」というポジティブなメンタリティに溢れていたという。

「ただ、彼ら・彼女らにはプロジェクトを回す力がまだ備わっていなかったことも事実です。そこで私が、大きな目的に向かって適材適所でミッションを割り振り、プロジェクトを進めていきました。南アフリカで消費者に向き合う仕事をして、改めて自分の強みを認識できたと感じています」

社内を向いて働くメンタリティは、マーケターとしてヘルシーではない

画像:インタビュー中の猪股 可奈子氏3

さまざまな意味で高揚感を味わった南アフリカから帰国後、待っていたのは中間管理職への昇格と、膨大な社内調整業務だった。南アフリカで消費者とその生命に直接向き合ってきた猪股が、その仕事に物足りなさを感じたことは想像に難くない。

「はじめは日本のチームメンバーのために自分が頑張ればというモチベーションで取り組んでいました。でも次第に、『消費者ではなく社内を向いて働くメンタリティは、マーケターとしてヘルシーではない』と考えるようになったのです」

前後して1人目の子どもの育児がスタートする。残念ながら保育園に入れないことが決まり、すぐにベビーシッターを探しかけたところで、猪股はいったん仕事に区切りをつける覚悟を決めた。

「いまが退職の好機かもと考え、決心しました。新卒で入った会社で非常に恩義がありましたし、とにかく人が最高だったので居心地はいい。だけど、この機会は自分のスキルや経験を試せるいい経験にできると考え、向こう1年間は子育てを楽しみながら、じっくり次の転職先を探すことにしたのです」

周囲にはかなり驚かれたが、猪股は2014年3月に職を辞した。その後私立の保育園に1日数時間だけ預け、転職活動をしながら子育てに専念。翌2015年2月にゼスプリに入社するまでのおよそ1年間は、「自分史上、最大のリフレッシュ期間になった」と猪股は振り返る。

「あちこち旅行に連れていったり家族で海外で生活をしたり、子どもとの時間を大いに楽しみました。蓄えは減っていきましたが、『人生の中の投資の時間』と考えて過ごしました。あの1年があったから、今3人も子どもを育てられているのでしょうね」

転職先のゼスプリで過去最高の実績を出し、コロナ禍の東京を離れる

育児と同時に進めていた転職活動でゼスプリと出会い、何よりキウイという商品が素晴らしいと猪股は感じた。自然の食べ物で、人の健康のためになる商品は、まだまだ伸びる余地がある。ただし社内の関心は、いかに出荷先を確保し、安定した利益を本国(ニュージーランド)に還元するかに集中していた。日本法人の仕組みを土台から変え、消費者の方を向くようにしなければならない。グローバルの社長からも「あなたはきっと向いている。伸びしろが大きい今こそ、日本法人をどんどん引っぱっていってほしい」と口説かれた。

マーケティング部長として入社した猪股は、徹底した消費者調査を行う。有名人を起用していたCMも見直し、2016年にキウイブラザーズを生み出したことは冒頭でも触れたとおりだ。2021年には過去最高の3,100万トレー(1トレーは約3.5kg)を記録し、入社時から売上は1.6倍に成長、販売量を大きく伸ばす。消費者目線で仕事をすることが、猪股というマーケターにとっていかにヘルシーなことか、自らがつくった実績によって証明した形だ。

販売量が右肩上がりを続ける中で、3人目の子どもの育休から復職した猪股は、コロナ禍の東京で育児を続けることにためらいを感じ始めていた。

「一番上の子の小学校は、緊急事態宣言の発令で入学時から休校で...。このままコミュニティとの関係が希薄な生活を続けるよりは田舎で学業以外の経験も積めるような環境のほうが望ましいと考えるようになりました。私の仕事も、復職して以降はアジア市場がメインで、リモートワークが中心です。もともと海外のメンバーとは離れてコミュニケーションしていましたから、東京でなくても仕事内容に変わりはありません。夫も幸い場所にはこだわらない仕事です。もともと上司にはいつか移住したいという話もしていたので、『後継者を必ず育てる』と約束し、雇用形態も処遇も変わらない形で、実家がある会津に移住したのです」

会社側は、なぜ了承したのだろうか。そう質問した時、猪股は「この人に投資すれば必ずリターンがあると考えたからではないでしょうか」と答えた。そしてこう付け加えた。「そう考えてもらえるだけの成果は出してきたつもりです」

好きなこと、得意なことを仕事に結びつければ、幸せな社会人生活が送れる

画像:インタビュー中の猪股 可奈子氏4

週末は子供たちを相手にスキーインストラクターをしている

猪股は今、一橋大学で過ごした4年間をどうとらえているだろうか。

「学校側のイベントとして『これをやりなさい』という形ではなく、『PBL型授業』や『ゼミ』を通して学生が自ら課題を見つけ、仲間と議論して一つの方向性を見出すトレーニングを積めたこと。そしてそのプロセスの中で自分の強みに気づけたことが、その後の人生の選択に大いに活かされていると感じています」

学生時代に知り合い、別々の世界に進んだ仲間とは、刺激しサポートし合える関係が今も続いている、と猪股は語る。そんな猪股から一橋大学の後輩へ、最後にメッセージを贈ってもらった。

「社会に出て働き始めると、時間の自由が利かなくなります。学生時代であっても、きっと忙しい毎日を送っていることと思います。ですから勉強はもちろん、サークルも遊びも全部ひっくるめて、時間を有効に使ってほしいと思います。そして『自分は最高の過ごし方をした、後悔はない』と思える学生時代にしてください。その中で、自分が好きだと思えること、これが人よりも得意だと思えることを見出し、仕事に結びつけることができれば、きっと幸せな社会人生活が送れます」