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"女性CFO(最高財務責任者)のパイオニアになる"ビジョンを体現

  • ランサーズ株式会社 執行役員CFO小沼 志緒

2021年9月28日 掲載

「高校時代から、女性としてパイオニアになることをライフミッションとした」と話す小沼志緒。「CFOの輩出」を目指していた一橋大学商学部の加賀谷哲之教授(当時は助教授)のゼミに属したことを機に"女性CFOのパイオニア"を目標に掲げ、36歳でランサーズ株式会社の執行役員CFOに就任し実現させる。部活で出会った同期生の夫の力も大きいという、小沼のキャリアストーリーを追う。(文中敬称略)

小沼 志緒氏 プロフィール写真

小沼 志緒(こぬま・しお)

2005年、商学部卒業。投資銀行本部で、アナリスト/アソシエイトとして主に金融業界の大手クライアントの資本政策・財務戦略を提案し、案件の実行を支援するプロジェクトに従事。2010年株式会社リクルートに転職、財務部において、IPOを始めとした資本政策関連のプロジェクトや財務戦略立案、M&Aなどのグローバル展開支援などに関わる。2018年4月、株式会社ランサーズ執行役員CFOに就任。2021年4月よりグループのランサーズエージェンシー株式会社の代表取締役社長も務める。

"パイオニアになる"をライフミッションに

12月16日は"フリーランスの日"である。2008年12月16日に日本初のクラウドソーシングサービスをスタートさせたランサーズ株式会社が、一般社団法人日本記念日協会にこの日を"フリーランスの日"とすることを申請し認定されたことによる。そのスタートから11年後のこの日に、同社は東京証券取引所マザーズ市場に上場した。晴れて上場した企業の経営者らは、東証でのセレモニーで"五穀豊穣"を願い5回鐘を打ち鳴らすことになっているが、その打鐘役の中に執行役員CFOとして上場に貢献した小沼志緒の晴れ姿もあった。
「今は、『この人がいたから事業が成功した』と言われるような実力のある女性CFOもたくさんいるので、私も続きたいと思っています。そして、後に続く女性たちを勇気づけるような実績を残したい。この職種に就いたばかりの自分は、やっと挑戦権を得たところという感じです。これから会社をさらに成長させるとともに、自分も成長していきたいですね」と抱負を語る。
1982年、兵庫県で双子の姉として生まれた小沼は、中学、高校と女子校に通い、ずっと女性に囲まれる環境で過ごしてきた。「優秀でも控え目な女性をたくさん見てきた。自分は先生に頼まれれば学級委員も引き受けたが、人前で目立つのは好きではなかった」と述懐する。しかし、受験のためにやりたい部活を辞めていく先輩や同級生たちを見て残念な思いがしたという。
「中高はバスケットボール部に所属していたのですが、大学の受験勉強を理由に部活との両立を諦めて退部してしまう部員の姿を見て、せっかくここまでやってきたのにもったいないと思ったのです。優秀なのだから、やりたいことは努力すればできるのに、と」
しかし、口下手を自認していた小沼は、そんな思いを相手に伝えられないでいた。ならば、自分がやって見せ、誰もが納得できる結果を出すしかない。
「それが『パイオニアになる』ことだと考えたのです。そして、優秀でも謙虚だったり、何かを諦めさせられたりする女性の考え方を少しでも変えられたらと、自らのライフミッションにしました。今思えば、おこがましいことではありますが」

"女性CFOのパイオニア"を目指そうと決めた瞬間

そんなミッションを自分に課した小沼は、部活と受験勉強を両立させ、見事に現役で一橋大学商学部に合格する。一橋大学を選んだ理由について、小沼は次のように説明する。
「当時、将来就く職業のイメージが明確ではなかったのです。そこで、幅が広そうな経営学部か商学部にしよう、と。その最高レベルが一橋大学だったので、志願することにしました。商学部を選んだのは、より実践的なことが学ベると思ったからです」
ゼミは、加賀谷哲之教授の企業価値評価・財務会計を選択する。「一番厳しいという評判で選びました。そういった環境に身を置き、ハードルをクリアすることにやりがいを感じていました」と選んだ理由を話す。英語の文献をゼミ生全員で読み込んで基礎体力をつけたうえで、ケーススタディについてディスカッションし、合意形成のうえで提案書を作成してプレゼンテーションを行うといった内容であった。
「1人の学生のジャストアイディアでは通用しない、経営や財務の理論に基づいた深い考察が求められました。話がまとまらず徹夜状態になったこともあります。非常に鍛えられましたね」
ゼミだけでなく、商学部にはグローバルコンサルティングファーム出身の客員教授によるケーススタディを中心とした授業や、プロジェクトチームを組んで、実践的に学ぶ「Act」と呼ばれる授業もあり、小沼は「その活動そのものがとても楽しく感じた」と話す。
そして加賀谷教授の「このゼミからCFOを輩出していきたい」との言葉が決定打となり、小沼は高校時代からのキャリアビジョンを鮮明なものにした。当時、その存在を知らなかった"女性CFOのパイオニア"を目指そうと決めた瞬間である。

部活で出会った配偶者からの影響

画像:インタビュー中の小沼 志緒氏 1

このキャリアビジョンを具体的なものにしていったのは、部活で出会った現在の夫からの影響であった。
スポーツで体を動かすことが好きだった小沼は、入学時から女子ラクロス同好会(当時)に入部する。中高通じてやったバスケットボールは、当時の一橋大学では男女合同の部であり、女子だけで活動できるのはラクロスぐらいしかなかった。「大学に入ってから始める人が圧倒的に多いところにもフェアさを感じた」とラクロスを選んだ理由を話す。1年後に同好会から体育会の部に昇格したが「4年間は弱小チームでした」と言う。それでも小沼は学業同様、部活も休まず真剣に取り組み、3年次では副将を務めた。小沼は一橋大学海外派遣留学制度に応募したがかなわず、挫折感を味わったが、「それがバネになって卒業まで部活をやり通しました」と言う。
そんな部活の中で、男子ラクロス部に所属していた現在の夫(小沼大地氏、2005年社会学部卒)と出会う。何度か話すうちに意気投合し、1年次の終わり頃から交際を始めた。
「当時の印象は、"暑苦しい人"(笑)。エネルギッシュで部活に燃えていました。彼には自分にはない周囲を巻き込む力があって、そこに魅かれました。その時から対等な関係で信頼できる相談相手になってくれましたね」と打ち明ける。
夫は、自らのキャリアプランを構想し、企画書にまとめて関係者と共有するタイプ。
「これまでそんなことを考えたこともなかった私は、いつも彼から将来について尋ねられ自分と真剣に向き合うようになりました。そこに大きく影響されたと思います」

厳しい"筋トレ"が必要と投資銀行へ

そのようにして、CFOを目指し始めた小沼が就職先に選んだのは、投資銀行業務を行う日興シティグループ証券株式会社(現・シティグループ証券株式会社)。
「スポーツで言えば、まずは厳しい筋トレが必要。CFOを目指すうえでハードに鍛えられそうな業界として投資銀行を選び、カルチャーが自分に合いそうに感じた日興シティグループ証券を選びました」
就職活動中の学生にあえて高圧的な質問をしたり、必要以上に褒め上げたりする面接に疑問を持った小沼は、就職活動でそういったシーンでうまく対抗できる人だけが評価されるような風土の会社を見て自分には不向きと感じた。そんな中で出合った同社は、「地道に深く考えるような人ばかり。ここなら自分らしくいられそう」と感じたという。
入社後3年間は特定のクライアントを担当するチームのアナリストとして、必要なデータを調査したり、基礎的な財務分析を行うといった業務を担当した。また、先輩であるアソシエイトと組んで小さい案件の提案書を作成するといった業務も経験した。
そのアナリスト業の最後、アソシエイトに昇格するタイミングで小沼は人生2度目の挫折を味わう。同じチームの上司が海外に赴任し、その後を自分が引き継ぐと思っていたところ、新たに採用された人が就任してしまったのだ。
「凄く悔しかったです。受け身でいたらチャンスはつかめないと痛感しました」
次の1年強は、アソシエイトとなってクライアントのM&Aや、株や債券を活用したファイナンスに関わるようになる。「マーケットを相手に常にディールを行っていた」と振り返る。

結婚・退職・海外生活・転職

こうした仕事において、一橋大学時代の学びは大いに役に立ったと小沼は次のように話す。
「どんな職種でも同じだと思いますが、考える力が常に求められます。そして、自らの考えを整理し人に伝えて説得する。そういった一連の基礎力について、ゼミでは大いに鍛えられました」
土日も仕事に没頭し、プライベートの時間がほとんどつくれない日々を過ごす。そんな小沼を、グローバルコンサルティングファーム界で働いていた交際中の夫は半ば無理やり外に連れ出し、いろいろな業界の人に会わせた。「何かにチャレンジしている人ばかりで、『あなたは何がやりたいの?』と訊かれた。自分のやりたいことを見失わずに言語化する時間がつくれたおかげで、その後の転職の決断にもつながりました」と言う。
4年強の"筋トレ"の後、26歳で小沼は結婚を決める。夫が企画したパーティーに友人と参加し、サプライズでのプロポーズに「イエス」と返事をした。「実は、結婚も出産もしなくてもいいと考えていた」と言う小沼は、結婚を決めた理由についてこう話す。
「夫とは性格が正反対ですが、私の一番の理解者で、恋人というより親友みたいな存在。そんな関係のまま夫婦になれたらいいかな、と」
そして、結婚を機に退社した小沼はアメリカで語学研修に入る夫に帯同する。サンフランシスコとニューヨークで半年を過ごす間、ジャマイカ人の起業家とルームシェアをするといった貴重な経験も。しかし、「働いていないのは性に合わないと気づいた」と、半ば焦って転職活動を行う。とはいえ、リーマン・ショックからようやく落ち着きを取り戻したばかりの当時、転職者を受け容れる企業は少なかった。そんな中でたまたま財務スタッフを募集していた株式会社リクルートに応募する。「面接に対応してくれた人がとても話しやすく、カルチャーも合いそうな感じがあった」ことが入社の決め手となった。

IPO(新規上場株式)の経験や育児との両立が自信に

画像:インタビュー中の小沼 志緒氏 2

入社3年目に第一子を出産した小沼は、半年間の育休を経て復帰する。そして、入社した株式会社リクルートは2014年に東証一部に上場することに。財務部門に配属された小沼は、期せずして大型上場のど真ん中を経験できることになった。
「狙ったところでそうそう叶えられないポジションだと思います。とてもラッキーでしたね」
IPOを通じて、投資銀行でクライアントに提案を行う業務では見えなかった事業会社の内情をつぶさに知ることができ、「10%程度だった財務業務の理解度が100%になった感じ」と小沼は話す。外部の専門家とディスカッションしながら物事の本質を見出し、財務のスペシャリストとして経営陣を説得するといった局面を多々経験したという。
「そういったスキルも試行錯誤しながら磨くことができました。ここでも、大学のゼミで実践的なプロジェクトを経験したことが生きました。育児と両立できたことも自信につながりました」
リクルートでは、上司から「あなたはどうしたいのか?」と、常に意志を問われるカルチャーがあることが知られている。
「当初は上司が手を抜くためにそう言っているのではないかと疑いましたが、すぐにこれは"社員皆経営者主義"として意思決定をし、決断を下す姿勢立場を鍛える文化だと理解しました」

失敗体験と、意に添わない異動

2016年に第二子を出産した小沼は、次のステップとして管理職昇格を目指す行動を起こす。前職時代の挫折経験と、リクルートの社是である「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」という言葉に背中を押され、上司に「マネージャーにチャレンジしたい」と直訴した。業績を上げていたこともあり、財務グループのマネージャー職への昇格を果たす。
しかし、思ったようにはいかなかった。「自分ははっきりものを言うタイプで、会社では『顔が怖い。笑顔を見せろ』と言われていた」と苦笑する小沼は、昇進によって部下となったかつての同僚にストレートな物言いをしてしまい、うまく人間関係が築けなかった。そんな失敗体験をベースに、管理職研修で相手に合わせたコミュニケーションの重要性を学んでからは、上から指示するのではなく相手の気づきを引き出すような丁寧なコミュニケーションを心がけるようになったという。
こうして管理職として安定感が出始めたタイミングで、小沼は事業そのものを手がけるという次のチャレンジを志す。「事業を理解していなければ、いい経営者にはなれない」と上司などから言われていたからだ。B to C(一般消費者向けビジネス)を手がける会社にいて、エンドユーザーと直に接する手応えも感じてみたかった。そこで、財務部から事業部門への転出を直訴する。すぐに話は決まったが、配属先は、希望とは異なるものだった。
「一事業部の管理会計を行うという立場でした。これまでやってきた全社の財務というスケールから一回りも二回りも小さな業務です。正直、ワクワクできませんでした。もちろん、異動を決めた上司には、初めての事業部門につき、まずはそこからスタートして徐々にポジションを上げていけ、という親身な思いがあったのだろうと思います。しかし、可愛い盛りの2人の子どもを預けてまで働くからにはすぐに手応えが欲しかったし、自分にはそんな時間はないという思いがありました」

家族の一言でCFOにアプローチ

どうすればCFOのパイオニアになるというミッションにアプローチできるのか。悩んでいた小沼を救ったのは、夫の一言だった。
「IPOを目指すベンチャーが増えているから、そんなベンチャーに行ってCFOになればいいんじゃないか、と。目から鱗が落ちる感じがしましたね」
そして、CFOを求めていたランサーズ株式会社から正式にオファーをもらい、入社直後から資金調達に従事し、5か月後の2018年4月に晴れて執行役員CFOへの就任を果たす。
「けれども、いきなりのIPOの準備で精神的にも肉体的にも追い詰められました。ある時仕事しすぎてバーンアウトしかかった私を心配して、会社や夫が『3日間の休養』を言い渡してくれたのです(笑)。その時一番気にかかっていた育児にひたすら専念することで、リフレッシュできました」

全力を尽くせば、どんな結果も糧に

画像:インタビュー中の小沼 志緒氏 3

このように、昔から学業と部活の両立、仕事と育児の両立に努めてきた小沼。「高校時代はロールモデルにならなければという義務感があったが、大学時代はどっちも好きでやっていた。仕事や育児もそう。やるからには、目の前のことの一つひとつを丁寧に真剣にやるということを続けてきた」と話す。全力を尽くしてやれば、結果はどうあれ自分の糧になることを経験してきたからだ。
「結婚や出産はしなくてもいいと思っていましたが、結果的にどちらもして人生が豊かになったと思いますし、1人のままだったらこんなにチャレンジしていなかったと思います」
小沼のチャレンジ精神を傍らで常に掻き立ててきた夫の存在も大きい。社会科教師志望だった夫の大地は、一橋大学社会学部を卒業後、経験の幅を広げるために青年海外協力隊に参加しシリアに派遣される。そこで、自分たちの国や地域を良くしようと情熱的に働くシリア人と共に活動し、「途上国は援助の対象でしかない」という既存のイメージを完全に覆される。そして、ビジネスの世界とNGOの世界をつなげる社会起業家を志し、勉強会を立ち上げる。その後短期間でビジネスを学ぶために、外資系コンサルティングファームであるマッキンゼー・アンド・カンパニーへの入社を経て、国際協力とリーダー育成を手がけるNPO法人クロスフィールズを今から10年前に立ち上げた。
「夫は常にチャレンジしている人で、私にもどうチャレンジしているのか問いかけてきます。子どもにもチャレンジ精神を持ってほしいと思っていますが、人に言って自分ではやらないというのは性に合いません。なので、これからも上を目指していこうと思っています」
最後に、一橋大学の後輩たちにメッセージを贈ってもらった。
「一橋大学のカリキュラムはよく練られていると思いますし、アカデミアやビジネスの世界で著名な先生方も数多くおられます。そんな一橋大学でしか得られない授業を真剣に受講すれば、将来につながる果実が得られると思います。学業は疎かにするよりも真面目に取り組んだほうが自分のためになるのは明らかですよね。一方で、学生時代ほど自由な時間もないと思います。社会人になってから後悔しないためにも、目一杯"有意義に遊ぶ"ことをしてほしいと思います」