ウガンダ発のバッグブランドを立ち上げ、母親とビジネスにチャレンジ 軽やかに行動し続け、チャンスをつかむ
- 株式会社RICCI EVERYDAY代表取締役COO仲本千津
2019年10月1日 掲載
仲本千津(なかもと・ちづ)
早稲田大学法学部卒業後、2009年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。大学院では平和構築やアフリカ紛争問題を研究し、TABLE FOR TWO Internationalや沖縄平和協力センターでインターンを務めた。大学院修了後は、三菱東京UFJ銀行(現三菱UFJ銀行)入行。2011年同行退社し、笹川アフリカ協会(現ササカワ・アフリカ財団)に入り、2014年からウガンダ事務所駐在として農業支援にあたった。2015年ウガンダの首都カンパラでシングルマザーなどの女性が働けるバッグ工房を立ち上げ、母仲本律枝と出身地である静岡葵区にRICCI EVERYDAYを設立。アフリカ布を使ったトラベルバックブランドを日本で展開する。また2016年ウガンダでレベッカアケロリミテッドを設立し、マネージングディレクターに就任。2016年第1回日本AFRICA起業支援イニシアチブ最優秀賞受賞、2017年日経BP社主催日本イノベーター大賞2017にて特別賞、第6回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション女性起業事業奨励賞、第5回グローバル大賞国際アントレプレナー賞最優秀賞を受賞。
お洒落なブティックやカフェ、雑貨店が軒を連ねる東京・代官山。その一角に、極彩色のアフリカンプリントでつくられたバッグを並べる店がある。RICCI EVERYDAYの日本初の直営店舗「RICCI EVERYDAY The Hill」だ。創業者の仲本千津は、緒方貞子氏に憧れて国際関係について学び、国際NGOに加わりアフリカで活動、逞しく生活するシングルマザーやアフリカンプリントと運命的に出合う。そこで、彼女たちの生活を支援すべくバッグづくりを始め、母親を巻き込み創業する。こうして注目を集める存在となった一連のプロセスには、母娘ともども思ったことをすぐに行動に移す軽やかさがあった(文中敬称略)。
5坪ほどの店内に所狭しと並ぶ、大小さまざまな四角い布製のバッグや、ポーチ、トラベルアイテム、カードケース。いずれも、赤や青、黄色、緑といった鮮やかな色使いによる大胆なデザインのアフリカン・プリントの布を材料として、ウガンダの工房で一つひとつ手づくりされている。このRICCI EVERYDAYの直営店舗は、ファッションの中心地でブランドの魅力を発信するベースにするとともに、商品を一堂に集めて消費者に「選ぶ楽しさ」を感じてもらうことを目的に、2019年5月11日にオープンした。主な販路は、自社のECサイトと、全国の約40カ所の百貨店におけるポップアップストア(期間限定出店)。「まだまだ投資フェーズ。これからどう広げていくかが当面の課題」と仲本は言う。
生まれて初めて既定路線から外れ、自ら大学院進学を選択
「中学生の頃から『人はなぜ争うのか』ということに興味を抱いていた」と、仲本は自らのキャリアの出発点を話す。世の中に、人の命ほど大切なものはない。何があっても守られなければならないはずの人命は、しかし時に争いや貧困によって無下にされてしまう現実がある。こうした疑問を抱えたまま高校に進学した仲本は、教科書だけに頼らない授業をする世界史の教師から、国連難民高等弁務官を務めていた緒方貞子氏を取り上げたドキュメンタリー番組の録画を見せられた。
「日本人の女性が国際機関の責任者として難民の支援に立ち向かっている姿を見て、すっかり魅せられてしまったのです。その瞬間から、緒方さんが自分の理想の存在となりました」
仲本は早稲田大学法学部に進学し、国際関係コースを専攻。国際法から国際問題にアプローチする研究を行う。国際連合で働くことを志望し、学びを深めるために大学院への進学を考えた。
「いろいろな大学院を検討すると、一橋大学大学院は国際政治史を専門とされる田中孝彦先生や、国際紛争を専門とされる納家政嗣先生など、多士済々であることが分かりました。こういう環境で学びたいと、一橋大学を志望したのです。けれども、入学した2007年、田中先生と納家先生はそれぞれほかの大学に移られてしまい、大芝亮先生の研究室に拾っていただけました」
大学院に進学した瞬間、「生まれて初めて既定路線から外れたと感じた」と仲本は振り返る。それまで、中高一貫校や早稲田大学に進学したのは、親や周囲の期待に応えようと唯々諾々と選択してきたとの自覚があった。そのまま卒業し、大企業に就職することが既定路線であったところから、あえて外れるという選択をしたのだ。
「自分の人生は自ら拓かなければならないという責任感を覚えながら、一橋大学大学院に入ったように思います。この選択は正解でした」
じっくり研究に取り組める環境があると感じた一橋大学では、メディアの情報を鵜呑みにするのではなく批判的に受け止める姿勢の重要さや、社会問題をどうとらえ、評価すべきかという視点やアプローチ法について深く学べたという。「その後、国際NGOでウガンダと関わるようになった時、いろいろな問題に直面するたびに、その問題をどうとらえ、どう解決に導けばいいかを考える際の役に立った」と仲本は述懐する。
国際NGOでのインターンを通じ、社会起業に目覚める
一方、就職先については、いろいろな人から「国際連合などの機関は官僚色が強く、アメリカや中国、ロシアといった常任理事国の思惑の中で物事が決まることに当初の理想を見失う職員も多い」といった話を聞かされる。ならば、研究者となって、将来を背負う若者に未来の世界を変えてもらうことを託す道もあると考えたが、よりダイレクトな社会的インパクトを出すには遠すぎると感じた。こうしていろいろと模索していた2007年10月、途上国に学校給食を提供するTABLE FOR TWOという国際NPO-NGOが立ち上がった。
「進路を探るためにも社会との接点を持とうと、ちょうどインターンをやりたいと思っていたのです。さっそく応募しました」
TABLE FOR TWOを立ち上げた小暮真久氏は、以前、外資系コンサルティングファームで戦略コンサルティングを手がけていた人物。スマートかつ納得性の高いビジネスモデルで社会課題にアプローチする小暮氏に間近で接した仲本氏は、「自分がやりたかったのは、こんな社会起業だ」と思い至ったという。
「24歳の当時、30歳までにアフリカで起業したいという漠然とした目標ができました」
アフリカを意識し始めたのは、学生時代に以前から関心があった民族紛争を研究した際、1994年に発生したルワンダの大虐殺など、サブサハラ・アフリカで内戦が発生したケースが多かったことによる。冷戦終了後も大国の代理戦争的な紛争や、旧宗主国との関係に関わる民族紛争が頻発していたアフリカに必然的に傾注した経緯があった。
東日本大震災を機に、やりたいことを求めて転身へ
そんな仲本が大学院修了後、選んだ就職先はメガバンク。しかし、大学院進学で一旦外れた"レール"に戻ったわけではない。その理由を、仲本は次のように説明する。
「世の中はこうあるべきだ、という理想を追求するのは良いとしても、現実的にどうアプローチし、理想を実現していけばいいのかを考えるに当たり、実社会のことを知らな過ぎると感じたのです。世の中はどう動いているのか、人や組織はどう関わっているのかをしっかり見ておきたいと。ならば、お金の流れから見るのが勉強になるのではないかと思いました。ビジネスをどう回し、どう価値を生み出しているのかを見るのは銀行が一番ではないかと考えたわけです。そこで、せっかくなら海外に出るチャンスも積極的に狙いたいと考え、行員を若いうちから海外に出すといわれていたメガバンクを志望しました」
東京・大手町の法人営業部に配属された新人の仲本は、周囲のエース級の人材に遅れを感じながらも、フォローしてもらいながら仕事をこなしていった。しかし、組織文化や仕事内容とのアンマッチ感は拭えない状況が続き、「このままでいいのか」と思い悩む日が多かった。
そんな時に、東日本大震災が発生。これが大きな転機となった。
「いつ何が起こるか分からない、いつ命を落とすか分からないという事態を目のあたりにして、もたもたしていられないと感じました。元々銀行に長く勤めるつもりはありませんでしたが、何もしないうちに死ぬようなことになったら、後悔で死んでも死にきれないと。そこで、当初から希望していたアフリカでの起業に繋がる道を模索すべく、NGOへの転職活動を始めたり、大使館の派遣制度に応募したり、俄かに動き始めたのです」
国際NGOに入り、ウガンダに駐在
しかし、仲本はすぐに壁にぶつかることになる。どのNGOも途上国での活動経験を採用条件にしていたからだ。「自分がこれまでやってきたことに何の意味があったのか、と一時は悲観的な心持になった」と仲本は打ち明ける。そんな仲本に救いの手を差し伸べるのが、ササカワ・アフリカ財団だ。アフリカで農業の生産性向上や農産物加工、市場アクセスなどの支援を手がける、日本財団系の国際NGOである。2011年10月、その東京オフィスに仲本は採用され、ようやく本来取り組みたかった国際協力活動をスタートさせることができた。
「生活が一変しました。何せ、毎月のようにアフリカに出張するんですから、すごく楽しくて仕方ありませんでした。ようやくスタートラインに立てたという喜びにあふれていましたね」
ところが、転職前にそんな仲本の思惑を察知した父親は猛反対。せっかくメガバンクに就職したのに、わずか2年半で辞めてしまうことを父親は咎めた。
「なかなか納得してもらえなかったので、辞表を出してから事後報告しました。父親は相変わらず納得いかないようでしたが、あまりにも充実感を振りまいて仕事をする私を見るうちに、いつの間にか一番の応援者になってくれました(笑)」
2年半ほど東京オフィスで経営企画業務に従事した後、2014年6月からのウガンダ駐在が決まる。「それまでの間、ずっと『駐在したい』と言い続けていたのを聞き入れてもらえた」と仲本は微笑む。ウガンダを選んだのは仲本。10か国ほど出張した中で、一番過ごしやすかったからだ。アフリカ最大の湖、ビクトリア湖の北西に位置する国で、イギリス連邦に加盟し、公用語は英語。気候は一年中温暖で緑が多く、食べ物もおいしい。人々は穏やかな性格の人が多く、治安も比較的良い。「周囲のケニアやタンザニア、コンゴ民主共和国、南スーダンなどに比べれば影は薄いが、基本的に平和なのがいいところ」と仲本は話す。
シングルマザーとアフリカン・プリントに出会う
そのウガンダで、仲本は政府職員と組み、農家に対して栽培の生産性向上や生産物の正しい保管方法などを指導するプロジェクト管理業務に携わる。そのうえで、興味関心の赴くまま、同国内のさまざまなところを歩き、いろいろな人と会うことを楽しんだ。そうした中で、RICCI EVERYDAYの創業につながる、2つの運命的な出会いをする。
一つは、ナカウチ・グレース(Nakawuki Grace)という女性との出会いだった。4人の子どもを持つシングルマザーで、自らの土地で作物を育てる自給自足の生活を送りながら、外国人の家の掃除を週1回して月10ドルもらうといった仕事をしていた。しかしその収入では子どもを学校に通わせることはできず、豚を買って育てて高く売るというスモールビジネスをしていた。
「豚は繁殖率が高く、1匹が一度に10匹ぐらい子豚を産みます。エサは残飯で済むので、そこまでランニングコストは掛かりません。成長すれば1匹で子ども1人の1学期分の授業料くらいで売れます。私は『豚貯金』と呼びましたが、そんなグレースにビジネスのセンスを感じるとともに、この人となら一緒に何かできるかも、と思えたのです。」
もう一つの出会いは、アフリカンプリントの布だ。ある時、友人と地元のマーケットに行くと、天井から床まで積み上げられたカラフルな布と出くわした。
「その瞬間、ワクワク感が溢れ、友人とこれがいい、あれがいいとはしゃいでしまいましたね。宝探しのような楽しさに時を忘れ、結局その場に数時間はいたでしょうか。しまいには、店のおばさんに呆れられてしまいましたが(笑)」
気がつけば、自分たちだけでなく、布屋街に連れて行った誰もが楽しそうな顔をして布選びを楽しんでいた。こんなにいいモノもそうそうないと感じたが、調べると日本ではほとんど売られていないことが分かった。「単純に、ならば日本で出せば売れると確信した」と仲本は創業の経緯を話す。
縫製を学び、バッグの生産体制をつくる
この2つの出会いを結び付け、仲本はグレースとアフリカンプリントを用いたバッグをつくる事業を思い付いた。とはいえ、ササカワ・アフリカ財団に属しその業務があったので、当初は個人の趣味の延長として空き時間を充てる形を取った。まずは、仲本が洋服の仕立てを依頼していたテーラーに金を渡し、グレースに縫製の指導を依頼した。「しかし、お金だけ取られてろくに教えてはもらえなかった」。どうしたものかと頭を抱えていたところ、服飾系の学校を出てアパレル業界で働いた後、当地の職業訓練施設で縫製を教えていた日本の青年海外協力隊のメンバーを知る。その人に指導を請うことができた。
「グレースはメキメキ腕を上げましたが、日本で売れるだけのレベルにはなかなか到達できませんでした。そんな時に、同じ職業訓練施設で働いていたスーザンという女性が『私も入れて』と言ってきたのです。彼女の技術力は高く、縫製も完璧で、とても素晴らしいバッグができました。さらにもう一人、革を縫うことが得意なナジュマという女性も雇うことができ、まずはこの3人のシングルマザーと私の4人でスタートすることにしました」
2015年2月、スーザンの知人が部屋を無償で貸してくれることになり、そこを工房にしてミシンを置き、商品づくりをスタート。
次に、日本での販路開拓が課題となった。自分はウガンダから離れられないし、日本で人を雇う余裕や時間もない。
「そこで思い浮かんだのが、母だったのです。私は4人きょうだいですが、ちょうど一番下の妹が高校を卒業するタイミングで、母親は第二の人生をどう過ごすかを考えていました。そこで、私のビジネスに巻き込んでしまおうと考えたのです」
販売を任せた母親が百貨店の催事を獲得
母親の律枝は二つ返事で合意。さっそく、ウガンダからサンプルを送った。律枝は早速サンプルを持って活動を開始。友人とのお茶会で披露しPRに努めた。そして、地元の静岡市の中心街にある静岡伊勢丹にサンプルのバッグを下げて買い物に行った時のこと。たまたま入口付近で催事が行われているのを見た律枝は、あろうことかインフォメーションセンターに行き、「私も催事でバッグを売りたい。担当と繋いでほしい」とかけあった。すると、バイヤーにつないでもらうことができ、商談の約束を取り付けてしまったのである。
「母とはLINEでやり取りしていましたが、その報告を見た時『本当に!?』と(笑)。あわてて商談用の資料をつくり、メールで送ったのです。それとともに、百貨店と取り引きを始めるなら信用力を高めるために、株式会社にする必要があると感じて、2015年8月に法人登記しました。母親に代表として名を連ねてもらいました」
社名のRICCI EVERYDAYの"RICCI "は、"RICH"の語感と、"律枝"と"千津"のそれぞれの一文字目を重ねて考案した。
静岡伊勢丹のバイヤーは「一か八かやってみなければ分かりませんが、やってみましょう」と返事。同年9月中旬の初催事が決まった。それとともに、仲本はプレスリリースを作成し、マスコミ各社に流す。すると、あるテレビ局が夕方の情報番組の10分間の特集枠で取り上げた。
「この番組が、何と催事の2日前に放送されたのです。バイヤーさんから『在庫は少しあればいいでしょう』と言われて本当に少ししか送っていなかったのですが、催事の初日、母から『大変なことになってる』と報告が入りました。お客様がたくさん来られて、午前中に完売してしまったんです。お客様から『これしか商品はないの?』と言われ、あわててウガンダから商品を送ったりしながら、何とか1週間の会期を乗り切りました」
"Follow your heart"の精神でアクションを
このヒットぶりがさまざまなところに伝わり、仲本母娘はあちこちのメディアに取り上げられるようになる。そして、仲本は日経BP社が主催する「日本イノベーター大賞」の2017年度特別賞を受賞する。「仕事を得ることが極めて難しいウガンダのシングルマザーなどに仕事と誇りを与える。国境を越えて社会課題の解決に取り組む母娘のスタートアップは、女性のみならず、多くの人々に勇気と希望を与える。」という点が受賞理由となった。
「とはいえ、現在雇用できているのはまだ20人。仮に5年後に100人に増えても、社会的インパクトはまだまだ大きくないと思うんです。社会起業家の集まりに行くと、皆壮大なビジョンを描いてチャレンジしています。私も、もっとインパクトを生み出せる事業を模索していきます」
そう目を輝かせる仲本は、一橋大学の後輩たちに次のようなメッセージを送る。
「私が大切にしている言葉に"Follow your heart"というものがあります。せっかく自由な時間がたくさんあるのだから、学生のうちに、自分がやりたいと思うことを思う存分やってほしいなと。それがたとえ親などの意にそぐわないものであっても、"やらずの後悔"が最ももったいないことだと思います。自らが動くことで、軸も定まっていきます。まずは"Follow your heart"で、動いてみてください!」