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経済学部卒業後、医学部に転進。「医療経済学」の道で社会貢献できる人材を目指す

  • 東京医科歯科大学陸祥児(りく・しょうじ)

2019年6月5日 掲載

People企画では、受験生向けウェブサイトの開設に伴い、受験生とより年齢の近い卒業生も積極的に取り上げていきたいと思います。今回は第一弾として、経済学部を卒業したのち、東京医科歯科大学2年次に編入し(現5年次)、医師を目指す陸祥児氏をご紹介します。

2016年3月18日に挙行された一橋大学2015年度学位記授与式において、学士学位記受領者総代を務めた、陸祥児。同年に経済学部卒業とともに、東京医科歯科大学医学部医学科2年次に編入し、2019年4月から5年次のスチューデント・ドクターとして臨床実習に入る段階にある。一橋大学で研究した厚生経済学と医学とのブリッジによる多様な領域で社会貢献できる人材となることを目指している陸に、これまでの足跡やキャリアビジョンを聞いた。(文中敬称略)

陸祥児

陸祥児(りく・しょうじ)

1993年北海道札幌市生まれ。北海道立札幌開成高校(現:北海道立開成中等教育学校)出身。2015年度総代として経済学部を卒業後、東京医科歯科大学2年次に編入。現在は同大学医学部5年に在籍する。

世論が大きく動いたことが、一橋大学を目指すきっかけになる

陸は1993年に北海道札幌市で生まれ、札幌市立北海道札幌開成高等学校(現:札幌開成中等教育学校)に進学する。当時、日本では民主党への政権交代が起こり、政治が大きく動いた時期。東日本大震災も発生した。こうした出来事を通じて世の中の情勢に関心を持った陸は、インターネットでさまざまな情報に接するようになる。「いろいろな人たちがいろいろな考えを表明していて、不正確な言説や情報もたくさんありました。そんな中で、経済学や政治学、社会学を学んでみたいと考えるようになったのです」と述懐する。

アローの『不可能性定理』で厚生経済学に惹かれる

一橋大学で、陸は厚生経済学と運命的に出合うことになる。自身の境遇として、また周囲にも経済的にぎりぎりの状況で生活している人が少なくなかった。そうした中で、経済学や政治学への関心とともに、「人間の幸せとは?」「社会的にどういう状況が望ましいのか?」といったベーシックなテーマに関心を深め、たまたま当時立命館大学大学院教授で現・一橋大学経済研究所の後藤玲子教授のアマルティア・センに関する著書を手に取った。1年次の冬、その後藤教授が一橋大学で講義を行うことになり、陸は受講して大いに魅了された。その理由を次のように話す。
「社会的にどういう状況が望ましいのか、といったテーマにおいて、いろいろな人がいろいろな言説を展開していましたが、どれもしっくりこなかったのです。どれもこれも正しいとしても、世の中はうまくいっていないじゃないかと。そんな疑問を抱いているときに、後藤先生の講義でアローの『一般不可能性定理』に始まる厚生経済学にまつわる様々なトピックや、アジア人初のノーベル経済学賞受賞者であり厚生主義に真っ向から挑み様々な複合領域で活動してきたアマルティア・センの理論に触れました。社会的な合意形成の難しさやパレート原理の危うさが美しい数式でクリアに描出される様と、その帰結にまつわる大学者達のダイナミックな議論に惚れ惚れとしたものです。その議論を追っていく中で、自分が高校時代に抱いていた色々な疑問が氷解していくのを感じました」そういった経緯を経て、この分野で陸は研究職を一旦は志しはじめた。

留学先で出会った医学部生との交流で医学への道に

そんな陸に、またも運命的な出会いが訪れる。2年の終わり頃、全学生に対する留学プログラム計画が持ち上がり、そのフィージビリティスタディとしてモニター留学生の募集が行われ、オーストラリアのアデレード大学に行くことになる。「留学先で、多くの岡山大学医学部の学生がいて、彼らと仲よくなったのです。お互いの生い立ちや学生生活、研究のこと、そして仕事観やキャリアビジョンについて語り合いました。それまで医学は全く意識もせず視野にも入っていなかったのですが、彼らとの交流を通し、これまで全く縁がなかった医療に携わろうとする人達の生き様、世界観を初めて垣間見たのです。そして、当たり前ながら自分が学んでいた経済学が医学という分野と人間の厚生を主な関心とする点で思いの外多くを共有する領域であるということを認識するようになりました。折しも当時は経済学部のコースワークに加え関心のあった厚生経済学や社会選択理論の学習を続けていく中で、些か壁を感じはじめていた頃だという。それに加え、学部と大学院での共通科目である400番代科目を履修した際に院生の先輩方から彼らの生活や研究の様相を伺うにつれ、この分野で身を立てて行く進路に対し一抹の不安が生じ始めた時期でもありました」
3年になってからも岡山大学の学生との交流を続ける中、次第に医学へシフトしたいという思いが募っていった。一方で厚生経済学もまだまだ学び足りないと感じる。就職や進学を意識せざるを得なくなる中、自分の関心を満たしながら社会貢献でき、かつ職業として発展させていくためにどうすべきかを深く考えた陸は、医学部への転進を決意。東京医科歯科大学を受験し合格、2年次への編入を決めた。同大学を選択した理由を、次のように話す。
「東京医科歯科大学は一橋大学、東京工業大学、東京外国語大学とともに四大学連合を構成しています。一橋大学と東京医科歯科大学はどちらも都内にあり、医療経済学についての大学間のプログラムが存在していることからも研究や教育に関してスムーズに連携が図られるだろうと考えました。そういった意味でも、将来的に経済学と医学の背景を利用し色々な進路や研究を模索する上で、東京医科歯科大学はこの上なく最適な進学先と考えました」

社会科学とは全く異なる医学部の学びに苦労

インタビューの様子

医学への道に転進を決めた要因には、上述の職業観や関心に加え、将来的なキャリア選択に自由と猶予が存在することがあるという。多くの医師は、しばしば臨床と研究を行き来するような生活をしている。医師の資格を持って臨床で活躍することも、医療や経済の研究に戻ることも可能であろうと、陸は考えた。しかし、医学部での学びはそれまでの一橋大学の4年間とは全く異なるもので、陸は大いに苦しむことになる。「一橋での学びは、極めて数学的な、つまり公理系を丁寧になぞり推論を繰り返して定理を導出するような、そんな学習が中心でしたが、東京医科歯科大学ででの学びはとにかく知識を詰め込まなければならないのです。まずはひたすらに限界まで知識を頭に詰め込んで、それからやっと臨床推論の土台に立てる、といった形でしょうか。例えて言うなら、それまでビリヤードをやっていた人がいきなりバスケットボールをやらされるようなカルチャーショックを受けました。それまでの学習法が通用しない危機感を覚えましたね」
2年次では、生理学や解剖学といった基礎的な医学を学び、人体を理解する。3年次は、内科学や外科学といった臨床医学を学ぶ。来る日も来る日も朝から晩まで、これらの授業に陸は必死で食らいつき、頭に叩き込んでいった。「人には得意不得意があると思いますが、どうやら私は暗記が苦手なようです(笑)。しかも、多くの学部では得意な科目や好きな科目を選んで受講すればいいわけですが、医学部ではそういうわけにはいかず、不得意なことも興味がないことも学ばなければなりません。選択の自由はなく、かつすべてを頭に叩き込まないといけないのです。科目数も多く、毎日フルタイムの過密スケジュール。学習成果がなかなか出せないことは苦しかったですね」

チュラロンコン大学への留学で得た数々の成果

4年になると、東京医科歯科大学独自の制度でもある約5か月間の「プロジェクトセメスター」がある。その期間、学生は海外協定校を含めた選択肢の中から希望する研究室で希望するテーマについて研究できる、というプログラムだ。これに陸はタイのチュラロンコン大学を留学先として選んだ。その選択にもいくつかの理由がある。まず、東京医科歯科大学に入学以降、面倒を見てくれているある教授の人脈がチュラロンコン大学にあったことと、一橋大学時代にカリフォルニア州立大学サンタバーバラ校(UCSB)に留学した経験による。「UCSBでは自分の想定とは異なる事態が続出しました。交換留学生に対する対応・待遇に違和感を感じましたし、学習に関して渡航前の期待にそぐわないことがあったことも事実です。更には、金銭的な面でひどく追い詰められたこともあって、最終的に10か月の予定を6か月で切り上げざるを得なくなりました。その経験で、留学するうえで日々かかる生活費は重要なファクターでした」
チュラロンコン大学は「タイの東大」ともいわれる同国トップの大学で、国際的なレベルも高いことで知られる。「留学中は穏やかな環境で順調に研究生活が送れました」と振り返る。チュラロンコン大学では、末梢血液中の白血球の遺伝子発現に着目した肝細胞癌のマーカーの探索を行った。5か月の期間を通し、新しいめぼしいマーカーの候補をいくつか見つけることができ、現地の研究室の人々とも交流を深めることができた。また、引き継がれたプロジェクトでの解析・論文作成にも引き続き関わっている。この留学で、陸は論文以外にもさまざまなものを得ることができた。「タイはいろいろな面で発展中であり、医学も急速に近代化しています。普通は知り合うことも難しいだろうタイの研究者と知り合う機会に恵まれ、貴重な人脈も構築できました。東南アジアの大学のレベルの高さも実感できましたね」
この陸の感想は、大きな示唆を含んでいる。日本の学生が留学先に選ぶのは、まずは欧米の大学だ。確かに国際的なランキングも高い欧米の一流大学への留学経験は、キャリアに"箔"を付けることもできるだろう。しかし、陸は次のように指摘する。
「サンタバーバラ校も難関校として知られ、それなりの学習はましたが、上述のように学業やコミュニケーションなどとは異なる、対応・待遇によるトラブルやストレス、金銭的不安などとの戦いの日々でした。一方でチュラロンコン大学ではそういった苦悩をすることなく、非常に恵まれた人間的・設備的な環境のもとのびのびと研究に励むことができました。すべての人々が両国両大学に同様の感想を抱くとは思いませんが、そういう点で、欧米大学一辺倒ではなく、東南アジアなど他地域の大学も選択肢として考慮に入れるといいのではないかと思います」
要は、自分主体にどんな環境や条件で実質的に何を学び取りたいのかで留学先は選ぶべきであり、大学名などの表面的なブランドだけで選ぶのは避けるべきということだ。

ストレス社会と向き合う精神科領域への関心

「プロジェクトセメスター」を終えた陸は、医師にとっての"仮免許"といえる医学CBT及び医学OSCEに臨んだ。これに合格しないと、医学部や歯学部、薬学部、獣医学部の学生は臨床実習に入ることができず、ひいては国家試験も受験できない関門だ。
CBTはComputer Based Testingの略で、パソコン画面で受験する320問の学力試験。これまで詰め込んできた知識のほどが試される。OSCEはObjective Structured Clinical Examinationの略で、医療面接、胸部診察、腹部診察、神経診察、救急、頭頸部診察といった実技試験。「試験会場で内容が知らされるOSCEに焦った瞬間もありました」と言うが、無事に通過。いよいよスチューデント・ドクターとして臨床実習に入る。
「臨床実習を終えずに選択することは難しい」と前置きして、陸は現状で目指す医師の姿について次のように話す。
「現段階で他の領域に比べ取り分け関心があるのは産業医や精神科医、産婦人科医です。産業医は、一橋大学を卒業して産業界に入った同期の友人と飲んだりする機会に、精神的に疲弊している人が職場に少なくないといった話を聞くにつけ、そういった人の味方として支援したいという思いや、産業医として自分が一橋大学経済学部出身というキャリアも奏功するのではないか思います。精神科医はその延長であり、ストレス社会といわれる日本において、人文学・社会学的な視点や感性がある程度重要とされ、ややもすると成り手を欠いてしまいがちなこの領域に立ちたいという思いがあります。産婦人科は、新しい生命の誕生を支援をする仕事はやりがいを感じやすいのでは、という考えがあります。訴訟リスクが高く、なり手が少ないという状況への問題意識もあります」

医学へ転進した3つのメリット

医師の写真

厚生経済学に惹かれた陸には、このようにいかに自分の興味や能力を最大化させ、社会が必要としている領域にマッチングさせるかといった発想がある。そして、医学生となった今でも、経済学全般への興味関心は高く持ち続けている。
「これまで、必要な折にいろいろと方向修正して動いてきました。今後、医療現場に入るとしても、いつかは経済学と医学をブリッジした医療経済学を研究する道に入り、最適な医療の在り方を追究してみたいと考えています」
あらためて、医学へ転進したメリットを尋ねた。「大きく3つあります」と陸は言う。1つめは、キャリア選択の幅が大きく広がったこと。2つめは、新しい人と出会え人脈ができたこと。「一橋大学時代の先生や仲間に加え、東京医科歯科大学やチュラロンコン大学のそれらが増えました。合わせた人数では同期の誰にも負けない自信があります(笑)。今後、困った時などに頼ったり頼られたりするでしょうし、仕事仲間探しもうまくいくのではと思っています」そして3つめは、新しいことを学ぶ楽しさ。「医学部の勉強はとても苦しいことも多いですが、純粋に新たな学びは楽しいと思えるのです。特に今、世の中には学び足りないと感じている人が多いことを思うと、思う存分学べるという貴重な経験ができていると感じます」

一橋大学と東京医科歯科大学で最強の医療経済学を

そんな陸は、四大学連合のメリットについて、次のように話す。 「通常では他分野の学問領域の人たちとの交流機会はそうそう得られるものではないと思います。その点、四大学連合はそれぞれでは小規模の大学であっても互いの授業を履修し合え、学生や先生方とも交流できる素晴らしい機会を与えてくれます。自分のケースでいえば、医療と経済学を結びつけることができました。日本の社会保障関係費は約33兆円(2018年度)と国家予算の3分の1を占める巨大な分野であることから、医療経済学には大きな活躍の舞台があると感じられます。一橋大学と東京医科歯科大学の学際交流が更に深まり、両領域に関して関心と知識を身に着けた人材が増えていくことでより医療経済学分野の議論や研究が深化していくのではないでしょうか。東京医科歯科大学の医学科生の中にも、僕とは逆に医学を学んだ上で一橋大学などで経済学など社会科学を学んでみたいという学生もいます。互いにこういった学生をもっと増やし、この領域を盛り上げていけるといいと思います。一橋大学と東京医科歯科大学の学際交流が更に深まり、両領域に関して関心と知識を身に着けた人材が増えていくことでより医療経済学分野の議論や研究が深化していくのではないでしょうか。東京医科歯科大学の医学科生の中にも、僕とは逆に医学を学んだ上で一橋大学などで経済学など社会科学を学んでみたいという学生もいます。互いにこういった学生をもっと増やし、この領域を盛り上げていけるといいと思います」 最後に、陸は「まだ何も成し遂げていない自分が言うのはおこがましいですが」と断った上で、一橋大学の学生に次のようなメッセージを送ってくれた。
「一般的に大学生活は4年間で、卒業して社会人となると勉強したくてもできなくなる人がたくさんいると思います。人生において、好きなことを好きなだけ勉強できるのは、学生の間だけ。ですから、その間は関心あるテーマの本をたくさん読み、いろいろな人に会って意見交換してほしいと思います。そうする中で、私のように見えていなかったキャリアに気づける機会もあるでしょう。ぜひそんな有意な時間を過ごしてください」