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"うな丼の未来"を問題提起する異色の農学博士

  • 中央大学法学部助教海部 健三氏

2015年冬号vol.45 掲載

「土用の丑の日」にウナギを食べる習慣は江戸時代に始まり、現在のように大量に消費されるようになったのは、1990年代以降と言われている。今や「土用のウナギ」は、日本の夏の風物詩として定着している。しかし、ニホンウナギは2013年2月に環境省より、2014年6月にIUCN(International Union for Conservation of Nature and Natural Resources)より、相次いで絶滅危惧種の指定を受けている。この日本の食文化と深い関係を持つ野生生物をいつまでも持続させるためには、謎が多いウナギの生態を解明し、有効な保全策を講じる必要がある。そして、日本はウナギの生態に関する研究において、世界の最先端を行っているのだ。その研究者の1人であり、シンポジウムや書籍出版を通じてウナギの持続的利用に関する情報共有と合意形成に取り組んでいるのが、海部健三氏。一橋大学社会学部を卒業後、農学博士に転じた異色のキャリアの持ち主の実像に迫る。(文中敬称略)

海部 健三氏

海部 健三

1998年社会学部卒。就職はせずに公務員予備校の講師のアルバイトなどに従事。東京水産大学(現・東京海洋大学)にて科目等履修生として復学の後、同大学大学院修士課程に合格、研究者を目指す。2005年東京海洋大学海洋科学技術研究科海洋環境保全学専攻修士課程修了。2011年東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻博士課程修了。2011年東京大学農学生命科学研究科特任助教、2014年中央大学法学部助教。農学博士(東京大学)。著書に『わたしのウナギ研究』(さ・え・ら書房刊、2013年4月)などがある。

うな丼の未来─ウナギの持続的利用は可能か

海部氏1

10年後に、我々は果たしてうな丼を口にすることができるのだろうか──。そんな問題意識を底流に持ちながら、ニホンウナギが絶滅危惧種に指定されるに至った経緯や問題点、資源回復の試み、これからの人間はウナギとどう向き合うべきかとの考察などをまとめた『うな丼の未来─ウナギの持続的利用は可能か』(青土社)という書籍が、2013年10月に刊行された。編者は「東アジア鰻資源協議会日本支部」。同年7月22日、まさに「土用の丑の日」に東京・本郷の東京大学のホールで行われた同名の公開シンポジウムの内容をまとめたものである。
東アジア鰻資源協議会日本支部の会長を務めるのは、日本大学生物資源科学部の塚本勝巳教授。40年間にわたる研究で、2009年に世界で初めて天然ウナギの卵を北太平洋・西マリアナ海嶺南端部の海山域で採取することに成功し、産卵場所を突き止めた研究チームを牽引したことで一躍名を馳せたウナギの生態研究の世界的権威である。シンポジウムでは基調講演を行った。そして、このシンポジウムを企画・プロデュースし、同書の刊行にも取り組んだのが一橋大学社会学部卒業後、農学博士に転じたという異例のプロフィールを持つウナギ生態の研究者、海部健三である。

アルバイトに精を出した学生時代

高校時代に将来は弁護士になることを意識した海部は、当初、一橋大学法学部を志望する。しかし、現役時の入試では前後期とも不合格で、1浪のときも前期は不合格であった。
「後期試験を法学部で受ければ、点数が合格ラインに満たないことが明らかになったので、受験する学部を変更しました」と打ち明ける。そして1993年、社会学部に入学。しかし「学生時代は、なかなか学業に打ち込めなかった」と明かす。
「授業の問題ではなく、単純に向き・不向きの問題です。印象に残っている授業は、中国の蛇頭という密入国を斡旋する犯罪組織に関するものです。お茶の器を置く位置で部屋の中に裏切り者がいるということを暗号にして知らせる、といった話は単純に面白かった。このほかにも各論には面白いと思えるものもありましたが、総論には全く興味を持てなかった」
そんな海部であったが、以前から「教員をやってみたい」との思いもあり、教育実習に出たり、学習塾で講師のアルバイトに精を出したりした。
「教員になるとすれば高校の世界史だったのですが、当時の都立高校の世界史教員の競争率は100倍以上だったと記憶しています。とてもなれる気がしませんでした。真面目に勉強していなかったのですから、しょうがないですよね(笑)」
その後は将来について何も考えず、就職活動をしないまま、海部は卒業する。
「就職活動の理由が見つからなかったのです。卒業できるかどうかもよくわかりませんでした。だから何もしなかった、というのが正直なところです」

生物の教員を志し東京水産大学に入学

卒業後、さまざまなアルバイトと無職を繰り返す日々。あるとき、友人の紹介で公務員試験の予備校の講師になる。ここで海部は理系の科目を担当することになった。理系科目を教える講師が人手不足で、「一橋大学の学生なら数学が強いはずだから、理系も教えられるのではないか」と、文系出身の海部に白羽の矢が立ったのだ。
「嫌いではなかったので応じることにしました。一橋大学には、高校時代は理系だったという学生が意外に多かった印象がありますので、予備校側の思惑もあながちはずれではなかったようです」
そして、予備校で主に大学生に理系の科目を教え、「あまりにも科学のことを知らない学生が多いことに驚いた。このような学生が公務員になって大丈夫だろうか?」という強い問題意識を持ったのである。このことが、海部自身が新たな進路を考えるきっかけとなった。また生活の不安こそないものの「将来が思い描けない」アルバイト講師の仕事にも限界を感じていたという。そこで海部は、「高校の生物の教員になろう」と考えた。理系科目のなかでは生物が好きだったからだ。
そして、理系の学部で学び直そうと2002年春に東京水産大学(現・東京海洋大学)に、単位が取得できる聴講生の「科目等履修生」の立場で入学する。一橋大学で取得した単位をベースに、不足している単位の取得を目指し、資格を得ようと思ったのである。
「大学で生物などの勉強を始めると、意外な面白さに夢中になっていきました。教員免許の取得には実習科目を履修しなければならず、面白そうだった無脊椎動物学を学ぶことにしました。その科目で、貝やゴカイ、カイメンといった無脊椎動物の体の構造をひたすらスケッチしたのですが、スケッチすることで、見えなかったものが見えてくるんですね。たとえば、ハマグリの口ってこんな形をしているのか、消化管はこんなふうに通っているのか、と。二枚貝に2本ついている管は、一方は吐く、もう一方は吸うためにあるのですが、その内部には弁があってちゃんと逆流しないようになっているんですね。知ることによって構造が見えてくるプロセスが、あまりにも面白かったのです」

"科学リテラシー教育"に携わろうと決意

福井県での生態調査のようす

福井県での生態調査のようす

それとともに、海部は「高校生ではなく、大学生が科学リテラシーを学べるようにしたい」と思うようになった。高校生は受験があるため知識を詰め込むことが優先され、しかも生活指導もしなければならない。それより、科学の本当の面白さを伝えたい。そこで、「これから社会に出る大学生に科学の本質を理解してもらう科学リテラシー教育に携わろう」と考えたのである。
大学で科学リテラシーを教えるには、まず自分が一人前の研究者になり、科学とは何かについて理解しなければならないという判断で、海部は2003年10月、博士号取得を目指して東京水産大学が東京海洋大学に変わった年に大学院修士課程に進む。そして、無脊椎動物学の研究室でタコの聴覚の研究を始めた。動機は、世界でもタコの聴覚研究はほとんど行われていなかったからだ。このテーマに意欲的に取り組んで、これまでに複数の論文を執筆。うち1本が学会で受賞するなど、学術界からも評価を得ている。博士課程でもそのままタコの聴覚の研究を続けたかったが、日本の大学院には実現できるところがなかった。研究室に残って留学先を1年半にわたって探したが、それも見つからなかった。仕方なく、タコの聴覚の研究を断念する。ちなみに、ウナギの生態研究にフィールドを移した今でも、海部は「タコの聴覚の研究は細々と続けている」という。
そして、「バリバリ研究し、世界で闘える研究者になろう」と考え、ウナギの生態研究で世界最先端を行っていた東京大学の大気海洋研究所に着目したのである。塚本研究室を選んだのは、その先に世界がイメージできたからである。

岡山の漁師に弟子入りしウナギの生態調査を開始

海部氏2

2007年4月、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程に合格し、大気海洋研究所に入る。すると、海部は塚本教授から「岡山でのウナギの生態調査が面白いと思うが、やってみるか?」と勧められた。ウナギについては全くの無知であった海部は、一も二もなくその言葉に従うことにした。
ウナギは、海で産卵し、稚魚は海流に乗って沿岸に近づき、川を遡上して成長する。その後また海に還り、産卵するという一生を送る。よってウナギの生態研究は、大きく海で行うものと川で行うものに分かれている。塚本教授をリーダーとする日本の学術界は、海におけるウナギの研究で世界を圧倒している。一方、川における研究には、まだ手つかずの分野が多く残されていた。
「塚本先生も川での研究を行う必要性を感じておられたところに新入りの私が現れたので、やらせてみようということになったのだと思います」
海部の研究の舞台となった場所は、岡山県の児島湾に注ぐ旭川。天然もののウナギの一大産地である。ここで、海から川に遡上していく沿岸域のニホンウナギの生態を研究することが、海部に課せられたテーマとなった。海のほとりにあった小さな家屋を借り、寝泊まりする場所と解剖などの実験を行うスペースを確保する。2010年までの3年間は東京─岡山間を行き来する生活が続いた。
生物の生態を調べるには、まずは捕獲をしなければならない。ということで、海部はウナギ漁師に"弟子入り"し、漁船のペンキ塗りなどの補修や漁具づくりの手伝いから始めた。その合間に、自分の研究のためにニホンウナギを捕獲する漁具を自作する。現地の漁師の間で「すっぽん」と呼ばれる、1メートルほどの長さに切った塩化ビニールのパイプを3本束ねた構造のものだ。この仕掛けを川底に沈め、中で休んでいるウナギを引き上げて捕まえるのだ。

ウナギ漁用の道具「すっぽん」

「すっぽん」と呼ばれるウナギ漁用の漁具

研究用ウナギ捕獲の様子

研究用ウナギの捕獲ももちろん自ら行う

木の年輪のような耳石の"輪紋"を調べる

ウナギの頭の内部にある耳石を取り出し、生息環境を調査する

ウナギの頭の内部にある耳石を取り出し、生息環境を調査する

染色した耳石

薄く研磨した耳石を染色することで輪紋が浮かび上がってくる

耳石分析の様子

青い部分はストロンチウムが少なく、黄色と赤の部分は多い。このウナギは、海で生まれ川に遡上したあと、再度沿岸へ戻ったことがわかる

こうして捕獲したニホンウナギを解剖するのだが、その目的の一つは頭の内部にある"耳石じせき"と呼ばれる炭酸カルシウムの塊を取ることにある。
「耳石は成長とともに外側に新しい組織が形成され、大きくなります。成長速度の変化に伴って輪紋が形成されるため、木の年輪と同じように、輪紋数から魚の年齢を知ることができます。骨は時間の経過とともに成分が入れ替わるのですが、耳石には昔取り込まれた成分がそのまま残っているんですね。ですから、生まれてから捕獲されるまでに経験した生息環境を調べることに大いに役立つのです」
取り出した耳石を、輪紋が見える厚さ0.2ミリ程度まで研磨し、輪紋を読むために酸で表面を粗くして染色する。さらに、耳石に含まれるストロンチウム量とカルシウム量の比率を調べることによって、過去の生息環境を知ることができる。ストロンチウムとカルシウムは非常に似た物理化学的性質を持っているため、ともに耳石の材料として利用されるが、海にはストロンチウムが多く、川には少ないため、海と川の間を回遊する魚の耳石は、生息環境によってストロンチウムとカルシウムの比率が異なることになる。この原理を利用すれば、そのウナギはいつ海から川に入ったのか、その間にどれぐらい汽水域にいたのかがわかるのである。
「3年間の岡山での研究でわかったことは、沿岸に生息するニホンウナギは旭川の汽水域(海水と淡水が混じりあっている水域)の最上流のところに集まり、しばらく滞在した後に成長しつつ児島湾に戻っていく、ということです。それまでは、一生を海で過ごすウナギもいると考えられてきました。しかし、やはりウナギは、河川に依存した生活史を持つ魚だということが見えてきたのです」
また、汽水域にはアナゴもいることから、海部は「エサを巡って争っているのではないか」と予測し、ニホンウナギ380匹とマアナゴ221匹の体の大きさと胃の内容物を調べた。どちらも海底に棲むアナジャコを食べていたが、平均体長55センチのニホンウナギは、同じく35センチのマアナゴの倍近い大きさのアナジャコを食べていた。つまり、大小を食べ分ける形で争いを避けていたことがわかったのだ。
「児島湾ではアナゴは幼少期を過ごし、ウナギは大きくなってから戻ってくるようになったため、エサを巡って直接争わずに済んでいるようです」
さらに、エサを調べるために胃の内容物を調べてみると、旭川では75%をアメリカザリガニが占めていることもわかった。
「侵略的外来生物であるはずのアメリカザリガニが、絶滅危惧種であるニホンウナギの主要な餌生物になっているという、皮肉な現実がありました(笑)」

科学的知見に基づくウナギ保全方策の立案を

海部氏3

2011年に東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻博士課程を修了すると、そのまま同研究科特任助教に就く。東京大学では保全生態学研究室に所属し、日本の保全生態学研究の第一人者である、鷲谷いづみ教授のもとで、ウナギの研究を続けた。「保全における合意形成とそのための情報共有の重要性など、この研究室で保全のイロハを教えてもらった。塚本教授のもとでウナギの生物学を、鷲谷教授のもとで保全生態学を学んだことで、現在の自分がある」と振り返る。
任期終了後の2014年4月に、現職の中央大学法学部助教に就任する。同大学では、一般教養科目の生物学や環境科学、科学論のほか、新入生を対象にした"似非科学と科学の間"というゼミを持っている。
「ゼミでは、新入生に『科学とは何か』を考えてもらうことを目的にしています。そういう意味では、私がやりたかった科学リテラシー教育が実践できているので、とてもやりがいを感じていますね」と海部は満足げに言う。
研究面では、保全生態学的視点に基づいて、河川におけるニホンウナギの生態研究を続けている。なぜウナギはこれほどまで減少してしまったのか、どうすれば持続的に利用することができるのか、この二つが最大のテーマだという。
「現在は、人為的な河川環境の変化がニホンウナギに与えた影響を明らかにするとともに、その解決方法を模索しています」
環境省が今年度から開始した「ニホンウナギ保全方策検討委託業務」の研究代表者として、東京大学、北里大学、九州大学、長崎大学とチームを組んで、保全のためのガイドラインの作成を目指した調査研究を行っている。今年度の目標は、ニホンウナギの自然分布を明確にすることだ。
「全国で広くウナギの放流が行われているため、海からウナギが遡上していないはずの水域までウナギが生息しており、どこからどこまでが本当の分布域なのか、わからなくなっています。自然分布を正確に押さえることは、保全を行ううえで最も基本的な情報の一つとなるのです」
たとえば福井県の三方五湖は天然ウナギの漁獲で知られているが、海部らの研究によって、この水域へは近年、ほとんどウナギが遡上していないことが明らかにされた。地理的な分布だけでなく、ある河川をどこまで遡上できるのかという、地形的な分布も同様に調査していく予定だ。日本の河川には、河口堰やダムなど多くの河川横断構造物が存在する。これらの構造物によって、ウナギが本来の成育場である河川に遡上できなくなっている可能性があると指摘する。
「河川の環境問題というと、護岸や水質など質に関する問題に議論が集中しがちですが、河川横断構造物によって海と川の連結性が断ち切られ、利用できる棲み場所が減少しているという、量の問題を軽視してはなりません」
天然遡上個体の地理的、地形的分布を明らかにするため、ウナギ放流個体と天然遡上個体の識別法の開発を、独立行政法人水産総合研究センターや東京大学などとともに進めている。この手法を使えば、ニホンウナギの自然分布だけでなく、ウナギ放流の効果と影響の評価も可能になるという。
ウナギの放流は、主に河川や湖沼の漁業協同組合(漁協)によって行われている。しかし、ウナギの放流にはさまざまな影響があり、なかでも外来種の混在に伴う、新たな病原体や寄生虫の侵入の危険性は深刻な問題だ。
「寄生虫は、長い時間の間に宿主との間で生物的な共存関係を築いてきた。つまり、寄生虫は本来の宿主に対して生命の維持にかかわるような深刻な害を与えないのですが、種の異なる宿主に寄生すると、宿主に大きな害を及ぼす可能性があります。たとえばヨーロッパウナギでは、もともとニホンウナギに寄生していたトガリウキブクロ線虫による甚大な被害が報告されています。同様の現象が日本でも生じる心配があるのです」
また、養鰻業者が食用として高く売れるウナギを販売し、成育の悪いウナギのみ放流に回す事例も多く見られるという。放流は漁協単位で行うことになるが、養鰻業者からなるべく安く調達したい漁協と、売れないウナギを手離したい養鰻業者の利害は一致する。つまり、成育の悪いウナギばかりを放流することになり、それが種に与える影響が懸念されている。
「このように、ウナギを放流する害は数々考えられるのですが、それでも放流するというのなら、デメリットが致命的ではないうえに、メリットがデメリットを上回らなければなりません。それを調査研究する必要がある、ということです」
ウナギの放流によってウナギの数が増えるのか、実は全くわかっていない。放流されたウナギが生き残って成長できるのか、正常に成熟し、外洋の産卵場までたどり着いて子孫を残すことができるのか、数十年放流が続けられているにもかかわらず、現在のところほとんど情報はないという。
「放流の問題に限らず、これまで専門的な知見があまりにも軽視されていた。科学的なデータに基づいて問題を解決しようとする姿勢が必要とされている今、人文系から自然科学系へ進んだ自分は、社会と専門知を結ぶインタープリターとしての責務を果たしたい」

"一橋的"能力を発揮しステークホルダー間の合意形成に挑む

こうして海部の研究は、しだいに社会学的な色彩も帯びることになる。
「目下の最重要マターは、ニホンウナギの持続的利用に関するステークホルダー間の合意形成です。IUCNによる絶滅危惧種指定のアセスメントに参加したときから、議長と東アジアにおける合意形成とそのための情報共有をどのように進めていくのか、意見交換を続けてきました。その際に、議長から情報共有のためのステークホルダーの会合を行おうと提案を受け、2014年の7月に日本でワークショップを開催したのです。養鰻業者や蒲焼商、流通業者、研究者、行政の担当者、NPOなどが一堂に会し、意見を交換するとともに、今後議論する必要がある項目を整理しました。まだはじめの一歩に過ぎませんが、実のある議論を行うための枠組みができたと考えています。これからさらに議論を深め、持続的利用のためのロードマップをつくりたいと考えています」と海部は力を込める。この一連の仕事は、保全生態学にかかわる研究者の責務であり、使命であると感じているという。
「義務感に駆られて動いていますが、時間的にも能力的にも無理を強いられることは多い。でも、つねにストレッチを続けることで、自分も成長させてもらっています」
こうした取り組みを企画・運営するには、プロデューサーとしての能力が問われる。専門的研究成果を一般の人にもわかるようにかみ砕いて伝えるコミュニケーション能力も必要だ。そして何より、多くの人をコーディネートし意見を調整していくモデレーターの力量が試される。こうした能力は、まさに"一橋的"と言えるのではないか。「ウナギを研究する理系の人間が一橋大学を卒業しているというキャリアは、こうした仕事を手がけるうえで非常に強い説得力を有していると思いますね(笑)」
海部は「一流の教員に触れる機会がありながら、一橋大学での学生生活は学業に打ち込めなかった」と悔やむが、知らず知らずこうした能力を養っていたのだろう。さらに、今でも旧交を温め、率直に批判し合える貴重な友人たちを得られたことも、人生の糧となっている。そして最後に、海部は次のように問題提起してこのインタビューを結んだ。
「大学は、学びたいことがある者のみが進学すれば良いと思います。明確な目標がなければ、大学に入るよりも働くべきでしょう。一度社会で働いて、自分に何らかの専門性が必要と感じたら、大学に入れば良い。目的意識を持って学ぶことができるし、異なる視点を持った学生が集まることで、議論も活性化するでしょう。ですから、高校を卒業したら数年間は社会に出て働き、必要があればその後で大学で学ぶという制度に改めるべきだと真剣に思いますね」

(2015年1月 掲載)