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「今までの文脈」にないことに、あえて挑戦する。自分だからこそ生みだせる価値を、その時々で創っていく

  • freee株式会社CEO佐々木大輔氏

2018年8月29日 掲載

アイデンティティ・クライシスに陥っていた中学・高校時代。ビジネスに興味を持って一橋大学商学部に入学後、データサイエンスを学び、スウェーデンへの留学や、インターンでのデータ分析実務をもとに、「今までの文脈にないこと」へ取り組むことに自らの特徴・可能性を見いだした。博報堂、投資ファンド、Googleでの実務を通して自分が進むべき道を徐々に絞りこむ。そして2012年、クラウド会計ソフトを提供するfreee株式会社を創業。約450名の社員、100万のユーザー(2018年4月時点)を擁する企業の代表となった佐々木大輔に、一橋大学とはどういう存在だったかを改めて振り返ってもらった。(文中敬称略)

佐々木大輔

佐々木 大輔

2004年商学部卒。専攻はデータサイエンス。2008年よりGoogleに参画、アジア・パシフィック地域での中小企業向けマーケティングチームを統括。2012年7月、「スモールビジネスに携わるすべての人が創造的な活動にフォーカスできるよう」な社会を目指してfreeeを創業。Google以前は、博報堂、未公開株式投資ファームでの投資アナリストを経て、レコメンドエンジンのスタートアップであるALBERTでCFOと新規レコメンドエンジンの開発を兼任。

人材、技術、感性を振り向ければ、会計ソフトは「カッコ良く」なる

佐々木さん1

個人事業主や中小企業を中心に、経理・労務等のバックオフィス効率化ツールを提供するfreee株式会社(以下:freee)。代表的サービスである「クラウド会計ソフトfreee」は、銀行口座との連携によって利用明細を自動で取得。データからAIを使って勘定科目を推測して帳簿を作成するなどさまざまな自動化を行い、経理業務を1/50に軽減する。「中小企業」「会計」というワードから、「忙しい」「堅い」などのイメージを持たれがちだが、五反田のオフィスを見ればそんなステレオタイプなイメージは瞬時に吹き飛ぶ。白で統一されたエントランス。タブレット端末にアポイントの内容を入力すると、広報担当が現れ、広いフリースペースを通ってガラス張りのミーティングルームへと案内してくれた。今回の主人公であるfreeeの創業者・CEOである佐々木大輔を待つ間、ガラス越しに改めてフリースペースを眺めてみる。カフェやレストランに置かれるようなテーブルと椅子。卓球台に、畳スペース。奥にはパントリーとカウンター......。社員は全員私服で、ノートPCで個人作業に没頭する人もいれば、ドリンクを片手に数人で集まり、打ち合わせをしている人たちもいる。どう見ても「オフィス」には見えない。
「このオフィスは、freeeが『今までの会計ソフトの文脈にないこと』の象徴なんです。中小企業は忙しくて大変で、会計ソフトは堅い。そんなイメージが定着していて、まさかテクノロジーの最先端がある場所だとは思われていない。でも実は、PCが最初に入ってきたのは経理の領域です。その後30年間、社会が新しい投資をしてこなかったからそういうイメージが浸透しているだけ。投資はもちろん、人材、技術、そして感性をきちんと振り向ければ、会計ソフトは「カッコ良く」なります。実際、freeeのユーザーさんは、大企業で働いている人よりも自由にスマートに働いている人が多いんですよ。ですから私たちがこういう働き方を広める存在になって、既成の概念を壊したいと考えています」freeeは、2012年に創業。創業の翌年には会計ソフトでは初となる「グッドデザイン賞」を獲得。その4年後には税務申告ソフトで同賞を受賞した。また、「PRIDE指標 2017」(work with Pride主催)では、LGBTなど性的マイノリティが働きやすい職場として最高ランクを獲得している。さまざまな点で「今までの文脈にない」と言えるだろう。そしてこの「今までの文脈にない」ことは、佐々木自身の生き方を象徴してもいるのだ。

勉強やスポーツでは太刀打ちできない。既定の路線にない生き方で勝負する

1980年東京生まれの佐々木は、開成中学校・高等学校を経て一橋大学商学部に入学。在学中にスウェーデン・ストックホルム経済大学に留学している。2003年に卒業後、博報堂のマーケティングプランナー、CLSAキャピタルパートナーズの投資アナリスト、ALBERTの執行役員など数々の経験を積み、2008年にGoogleに転職。日本・アジアにおける中小企業向けマーケティング統括を担当した。そして前述のとおり、2012年にfreeeを創業している。一橋大学卒業後のキャリアからは想像できないが、中学校・高校時代の佐々木は、「美容師になるつもりだった」そうだ。
「祖父母の代から我が家はみんな美容師でした。親戚が集まれば、芸能人の髪型の話ばかり。そんな環境でしたから、自分もそうなるだろうと自然に受けとめていたんです。ただ、開成中学校に入ったばかりの頃は、アイデンティティ・クライシスに陥りました。周りがすごい同級生ばかりで、勉強、スポーツ、部活、ピアノ、喧嘩まで(苦笑)何をやっても全部かなわない。自分の特徴というものが分からなくなっていました」しかし高校2年の時、そんな佐々木に転機が訪れる。
「当時高校のロゴ入りカバンが流行したんです。開成には指定のカバンがなかったので、じゃあ自分でつくってみたら面白いんじゃないか?と。業者に依頼してオリジナルのカバンをつくったら友だちに大好評で、『俺にもつくってくれ!』という話をたくさんもらいました。この時気づいたんです。世の中にないものをつくって人に喜んでもらうことは面白い。そして、誰も挑戦したことがないことに挑戦するのが、自分の最大の特徴なのだと」
既定のルールの中で勝負するのではなく、「今までの文脈にないこと」に挑戦し、自分の居場所を築いていくという佐々木の生き方は、開成中学校・高等学校時代に芽を出した。
「既定の路線に乗らない生き方を志向した私にとって、『ビジネス』は面白いテーマだと感じました。そこで進学の軸を二つに絞ったんです。一つは、エッジの効いたビジネスが学べること。もう一つは留学ができること。まだ当時は美容師も選択肢として残っていました。家族がよく『これからの美容師はグローバルに活躍しなければ』と話しているのを聞き、いつか留学をしたいと考えていたんです。その二つの軸に符合したのが、一橋大学でした」

スウェーデンへの留学で国際感覚と金融の将来を肌で学ぶ

佐々木さん2

一橋大学商学部に入学した佐々木は、1年次にいきなり「エッジの効いた学問」と出合うことになる。「1年次の講義で先生方がたくさんのことを教えてくれるわけです。『インターネット』『ビジネスモデル』『金融工学』......いきなりこれか、と(笑)。強く印象に残りましたね。入学してしばらくラクロス部の活動に専念していたんですが、2年次の後半で、改めて将来を見つめ直した時、1年次の授業の数々を思い出しまして。というのも、当時『Beautiful Life』というドラマが大ヒットして、美容師が一躍人気になりました。昔から目指していた人間としては『一緒にされたくない』と思うわけです。同時に、まともに美容師を目指しても、厳しい競争になるだけでは......という不安もあった。そこで、入学当初の目的でもあった留学を実現させようと思い立ちました」ラクロス部をやめて勉強に専念することを決めた佐々木。もともと統計など数学が好きだった彼は、大上慎吾准教授のゼミに入り、データサイエンスを専攻した。
「将来何になりたいかまでは分かりませんでしたが、そのほうが自分の特徴を出しやすいと思えたのです」
交換留学制度を活用した留学は4年次のことだが、留学先の選び方も佐々木らしい。まず、ペンシルベニア、オーストラリア、香港など当時人気の高い留学先は、最初から志望しなかった。「英語で行けるヨーロッパ」という軸でスウェーデン、オランダ、フランスなどを選択肢に挙げ、その中から「最も倍率が低く、ほかの人が行かない国」でスウェーデンのストックホルム経済大学を選んだ。この選択は結果的に正解だったと語る。
「スウェーデンでは国際感覚が身についたと思います。もともと地場のカルチャーが強い国ではないこと、当時EU統合でヨーロッパ中の学生がたくさん集まっていたことなどから、英語を母国語としない人間同士のコミュニケーションを通して、ダイバーシティを学びました。最初のオリエンテーションで、お互いの国や民族に対して持っているステレオタイプなイメージを吐き出すんですよ。面白いですよね。もう一つ、金融サービスの将来についても自分なりのイメージが持てました。スウェーデンはクレジットカードの先進国で、サイフを持って歩くのはダサいわけです。ポケットにカード1枚持って歩く生活がどのようなものか、肌で学ぶことができたのは大きいですね」

学んだことがすぐに活かせる。企業や社会に貢献できる。それがデータサイエンスの世界

佐々木は留学の前後の1年間で、インターンにも参加。インターネットリサーチ会社のインタースコープ(現・マクロミル)で、リサーチ集計システムや新しいマーケティングリサーチ手法を開発した。契約社員としてリサーチを手伝った当時は、日本でのデータサイエンスはまだまだこれからという時期だった。
「ですから大学で使えるような学習用のデータセットは限られていました。やはり企業が持っている生のデータを使わないと、分析は面白いものにならない。とすれば企業に入らなければならないし、自分でデータを分析する必要があったんです。そのツールを開発するために一生懸命勉強して、企業に泊まり込んで作業しました。プログラミングなどは(ゼミの)大上先生に基礎から教えていただきました。おかげでとても重宝されましたよ。学んだことがすぐに活かせる、そして企業や社会に貢献できる。この手応えが大きかったので、データサイエンスの研究には進まず、自然と就職の道を選びました」そしてこのインターン時代、佐々木はデータ分析のための作業の煩雑さに辟易していた。下準備のためにデータをコピー&ペーストし、そのプロセスでミスをすると上司から叱責を受ける。そんな社員の様子を目撃していたことが、freeeの創業、及び「クラウド会計ソフトfreee」開発の原点となるのだ。しかしその実現には10年近い時間が必要だった。

日本・アジアの中小企業を経営レベルで自動化することが世界にインパクトを与える

2003年に新卒入社した博報堂で、佐々木はマーケティングプランナーとしてクライアントのマーケティング戦略立案を手がける。データサイエンスへの関わりが希薄で、佐々木自身も広告代理店業というビジネスにそれほど愛着がわかなかったため、勤務は2年半にとどまった。しかし消費者金融会社向けに、投資手法を定量的に解明するためのデータ分析・提案を行うプロジェクトに参加。自らの得意分野を活かしつつ、投資という新しい領域を学んだ経験が、次の転職先である未公開株式投資ファーム・CLSAキャピタルパートナーズでの投資アナリスト業務へと活かされていく。投資の意思決定には参加できるものの、自ら投資先を開拓するポジションになるまでには時間がかかること、そもそも日本には投資ニーズが少ないというマクロ構造に気づいたことなどから、今度は投資を受ける側であるベンチャー企業・ALBERTに執行役員(CFO)として移る。CFO時代の1年間、佐々木は経理・財務のマニュアル作業がいかに多いかを目の当たりにした。手作業で入力する社員の姿には、インターン時代のデータ入力作業に追われる社員の姿がオーバーラップしたという。2008年、本人曰く「まぐれで入った」Googleで、佐々木はデータサイエンティストチームに所属。リーマンショック後、日本及びアジア地域の広告収入を向上させるために、同地域における「中小企業向け」のマーケティング統括を担当した。
「博士号を持ったメンバーばかりが集まったチームで、日本及びアジア地域の責任者として、いかにマーケティング予算をとってくるかが課題でした。ほうっておけば、本国は『日本やアジアの企業はもうマーケティングには予算を割かない』と言いかねない時期です。私たちは中小企業のテクノロジー化に注目しました。すると、単にGoogleに広告を出してもらえばどうにかなる問題ではないことが分かったのです。もっと経営レベルに近い領域で自動化を促進しないと、日本やアジアは世界に置いていかれてしまう。つまり、経理・財務部門ですね。この問題に気づいた時、freeeの構想が生まれたのです。そういえば、前職のベンチャー企業での経理・財務は手作業に追われていた。インターン時代の煩雑なデータ分析を自動化すれば、企業が本業に打ち込むチャンスも、経営がクリエイティブな判断を下す環境も、提供できるのではないか。そう考えたわけです」

最大公約数の意見ではなく、「価値がある」と自信を持って言えること

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そんな佐々木の問題意識が起爆剤となり、2012年に誕生した企業が、freee株式会社だ。
「データサイエンスに対する知見をベースに会計ソフトをクラウド化。インターネット上で見積・発注・請求などの業務をワンクリックで可能にし、さらにAIで自動的にCFOサービスを提供することで、中小企業及び個人事業主に対して会計ソフトの枠を超えた面白いビジネスができる。自分が世の中に価値を提供する道が、ようやく見つかった思いです。投資ファンドにいた経験を活かして、海外のベンチャーキャピタルから資金を集めました。我ながら、相当アグレッシブな経営をしていると思います」
設立6年間で96億円余りの資金を調達できた背景について、「つねに人と違う道を歩んできたからこそ」だと佐々木は認識している。英語を母国語にしない人間同士のコミュニケーション。その能力を培った留学経験もさることながら、「今までの文脈にないこと」に好んで取り組む佐々木自身の生き方が、投資家マインドを動かした、というのは言い過ぎだろうか。仮に言い過ぎだとしても、これだけは言える。佐々木は、自分の価値基準にまっすぐ向き合い、納得したうえで、次のアクションを起こしてきたのだ、と。
「freeeでは五つの価値基準を掲げています。その中のトップに、『本質的(マジ)で価値ある』=『ユーザーにとって本質的な価値があると自信を持って言えることをする』という価値基準を据えました。みんなの意見を集めるのではなく、自らが納得して、『こういうものをつくろう、こういうものが必要なのだから』と言えるものをつくる。その点を最重視しています。ジャパンネット銀行と提携して、クラウド会計データを利用した日本初のビジネスローンを始めたり、NTT東日本のグループ企業との提携で働き方改革に貢献する『freee Wi-Fi』を提供したり...金融サービスをより簡単に利用できる環境を整えて、中小企業や個人事業主をネットワーク化・活性化させていきたいですよね。そこに当社の価値があると考えていますから」

グローバルに活躍する。そのために必要な知見が一橋大学には揃っている

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インタビューの最後に、佐々木から一橋大学の在校生、及びこれから一橋大学を目指す多くの高校生に向けてメッセージを依頼した。佐々木は10秒間黙考したあと、次のようなメッセージを残してくれた。
「一橋大学には、授業にしてもゼミにしても、国際的なビジネスパーソンとわたり合うために学ぶべきものが揃っていると思います。最先端のデータサイエンスを学ぶ機会だけではなく、経済学の古典を読み解く力、本当の意味でのWin-Winとは何か?を理解する力...こういった力を身につけるチャンスを、私は商学部で得ることができました。実はその知見はグローバルに活躍する者同士の『暗黙の前提』であり『共通の話題』だったのです。
そのことを痛感したのがGoogleに転職した時です。私の効率的な仕事ぶりを見たデータサイエンティストチームのメンバーから、『もしかして君はMBAを持っているのか?』と聞かれました。日本人は大学でそれほど深くビジネスを学んでいない。ビジネスに対してこんなに深い洞察力を持っているとすれば、ビジネススクールなどでMBAコースを選択して補っているはずだ――と。しかし違うんです。私はあくまで一橋大学で学んだことをベースに、それまでのキャリアを築いている。だとすれば、一橋大学には、グローバルに活躍するビジネスパーソンに必要な学びが、すべて揃っていると考えるのが自然です。
在校生、そしてこれから一橋大学を目指す皆さんには、ぜひそのことを知り、学生時代にしか吸収できない領域の学問に向き合ってほしい。そのうえで『今までの文脈にないこと』を模索してもらえたら、嬉しいですね」