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法を絶対視せず、働きかける余地を見出すための「法と倫理」

2022年12月27日 掲載

規制によるのジレンマが浮き彫りになるのが行政法の世界

画像:寺田 麻佑氏

寺田 麻佑教授

法律は、社会経済環境や歴史の上に成り立っており、それぞれの国において相互に影響をうけつつも、その国固有のものとして展開することを原則としています(域外適用が問題になることもあります)。「その国」が日本であれば、日本が日本として守るべきと考える価値や、社会全体で大事にしなければと考えている価値を色濃く反映しているものと言うこともできます。分けても行政法は、行政と市民の生活に深く関わっている法律です。市民は何を訴え、行政は何を提供すべきか。規制があることが問題か、規制がないことが問題か。日本の社会経済環境や歴史、価値観、倫理観と密接に関わっている領域と言えます。

日本の産業振興においても、規制が強過ぎると企業発展の妨げになりかねませんし、逆に規制が利かなければ社会問題化する可能性もあります。人工知能など最先端の技術に対して、先回りして規制するような法律ができてしまうことを危惧する企業は少なくないでしょう。他国では開発も社会実装も問題なくできるのに日本では厳しい......ということになるとビジネスチャンスを逃してしまいます。このようなジレンマが浮き彫りになりやすいのが行政法の特徴の一つと言うことができると思います。

EUほか海外との比較の中で捉える日本の行政法

逆のケースもあります。たとえば、顔認識技術を搭載したデバイスの様々な場面における利用について、EUにおいては、GDPRの解釈指針として欧州データ保護会議(EDPB)が出した「ビデオ機器を通じた個人データ処理に関するガイドライン」に加えて、さらにAI法案の中でも顔認識技術の利活用についての規制を行う方向になっています。しかし、日本では顔認識データについて取得時に本人同意が不要としたうえ、利用目的の公表義務はありますが、ガイドラインでさらに利用目的や問合せ先の明示が推奨されている状況であり、厳しい規制が課されてはいません。そのため、人物の顔写真から年齢層などをカテゴライズし、さまざまな商品・サービスを勧めるようなビジネスを、日本では問題なく展開することができています。しかしEUではプライバシー保護の観点と生体認証の利用につながるという観点から、顔認識技術の利活用は非常に問題視されており、その利用や、利用の前提となる技術の在り方についての詳細な法規制が整備されようとしています。このように顔認識技術一つとっても、規制の方向性が異なることがあるということは、国境を越えて製品を展開するグローバル企業にとっては対応が難しい課題となります。規制に対応するためには、各国独自の行政法を把握し、法整備について訴えていくなど地道な取組が必要になります。

なお、日本の個人情報保護法は、EUの個人情報保護法であるGDPR(EU一般データ保護規則)の影響を受けています。立法の過程や国会での議論を見ても、明らかです。そこで「法と倫理」の授業では、具体的な事例も踏まえつつ、EUではどうなっているか、その影響を受けて日本はどうかという点などについても、学生の皆さんとしっかり考えていく予定です。

また、近隣諸国では韓国の行政法も非常に参考になる部分が多くあります。法学分野のネットワークで日韓交流も進めたいと考えています。もちろん、韓国に限らず、近隣諸国以外からの留学生が来ている場合には、その留学生から母国の行政法についてヒアリングし、話し合う機会を設けることも検討しています。

国や行政が何を行おうとしているかを理解するツール

他国の法律や国際的なガイドラインを学ぶことは非常に重要なことです。一方で、日本における行政法の規制のあり方やそのバックグラウンドについても学ぶことが欠かせません。それは行政法をはじめとする法律を「すでにあるもの」として受け入れるためではなく、むしろその反対で、「法律は絶対ではなく、常に働きかける余地があるもの」ということを知るためです。データサイエンスを使ってこれからの社会のあり方を考えるうえでも、官庁など公的機関で立法に関わるうえでも、その認識は必要不可欠なものです。

国や行政は法律によって動いています。行政法を学ぶということは、国や行政がどのようなことを行おうとしているかを理解することです。もし規制が強すぎる、もしくは規制がなされていないなど問題のある分野があるのであれば、それに対して何ができるのかを考える必要があります。社会問題に関心を持って、国会や行政、司法の対応を注視しなければなりません。

法学以外の分野の方と話をしていると、よく「法律に問題があれば、法律を改正して変えれば(修正すれば)いいでしょう」と言われることがあります。しかし日本に限らず、法の改正は、議会を通す必要があり、政治的課題となって議論が止まることもあり、とても難しくなる場合があります。まして、判決の確定までに時間がかかる最高裁判所の判断を待って、司法による解決を目指すことはさらに難しい。最高裁判所によって違憲と判断がされても、法律そのものは変わらないこともあります。このように、一度できてしまった法律がそう簡単には変わらないのであれば、まず目を向けるべきは立法過程の段階です。立法過程においてどのような議論がされているのか、またされるべきなのかということを考える必要があります。社会においてどのような法律が作られようとしているのか、もしくはどのように法律が改正されようとしているのかというように、立法段階に目を向けるためにはある程度のトレーニングが必要であり、本授業はそのトレーニングになると思います。

立法のプロセスに目を向けるための様々なトレーニング

法律学の授業においては、結論が一つに限られるわけではない法的な問題を論理的に説明するトレーニングを行います。そして、ソーシャル・データサイエンス学部の行政法では立法過程、つまり法律を形作るプロセスについても学べるように工夫を行うつもりです。法学は数字を使わずに自然言語で論理的に説明する学問であるということもできますが、言葉の使い方には厳密さが要求され、法律を執行する力となります。立法過程の問題も含めて法律の課題に気づいた場合には、その問題点や構造をきちんと説明し、改正案を提示する力を、法の現状や判例の蓄積なども含めて学ぶことが必要となります。ソーシャル・データサイエンス学部の学生は、データの活用を学んでいる環境を活かして、法律の課題について説得力を増す形で説明ができるようなることを期待しています。

また、法律的な文章の読解力を鍛えるトレーニングも必要となります。法律の条文は専門家であっても非常に読みにくく、すぐには理解できないというケースも珍しくありません。しかし行政法の場合、その条文の一言一句が人々の生活はもちろん、企業活動にも大きな影響を及ぼします。憲法的な価値をどのように実現するかを念頭に、条文をドラフトするプロセス、そして、さらにその条文を国会で議論するプロセスなどについても学んでいきます。データサイエンスの知見を社会で活かしていきたい人にこそ、法律の影響力を認識し、粘り強く、法律についても深く学んでもらいたいと思っています。

行政法を学びながら、規制に問題があった場合、国や行政に対して何をどのように伝えることができるのか、そして、伝えたうえで状況をどのように変えていくことができるのか、についても学ぶ必要もあります。たとえば、かつて非嫡出子(法律上の婚姻関係にない男女の間に生まれた子)相続は嫡出子の2分の1でした。現在ではそれが「憲法14条違反だ」ということは社会的な共通認識になっていますが、2013年に民法の当該規定が憲法違反だという最高裁判決が出るまで不平等な状況は続いていたのです。法規定そのものや法の解釈の現代の価値観に基づくアップデートは、「問題がある」と声を上げ続けることで継続的に行われ、憲法価値を実現する法律へと変わっていくのです。一度決まってしまった法律はそう簡単には変わりませんが、問題があると感じる人々の声によって修正されることはしばしばあります。

このように、法の規定はは絶対的なものではないということを学ぶ必要があります。本学部では、私以外の先生からも入門編の授業が提供されるので、ぜひトレーニングを重ね、法の基礎を身に付けてほしいと考えています。

行政法の面白さを伝え、ソーシャル・データサイエンスの分野で日本一の大学に

私自身が行政法の分野に進んだのは、社会に根差す行政法の身近さに魅力を感じたからです。市民の苦情をどういうふうに行政が扱うかなど、身近なテーマについて一橋大学での学部生時代に授業で学び、興味を持ちました。はじめにも触れましたが、行政法は規制が強すぎても、また、弱すぎても問題になりやすいのです。行政が行ったことは何か。また、あえて行わなかったことは何か。たとえば水俣病などの公害問題は、規制がなされなかったために、市民に甚大な被害を及ぼした典型的な事案です。そういった課題を、最先端の科学技術の話題などを取り入れながら分かりやすく教えていただいたことで、行政法をより深く学びたいと思うようになりました。

私にとっては、法学のさまざまな授業の中で、法律というものを最も身近に感じられたのが行政法でした。ぜひ、本学部の「法と倫理」においては、私自身が魅力を感じた、行政法の身近さを活かした授業を展開し、行政法の面白さを学生の皆様に伝えていきたいと思っています。そして、ソーシャル・データサイエンスの分野で、一橋大学は日本で一番素晴らしいとして学生の皆さんから選んでいただけるような大学にしたいと考えています。データサイエンスを学んだうえで、さらに法律も学び、公務員試験や司法試験に合格できるような実力を備える学生さんたちが、今後の社会で大きく活躍することを信じています。(談)