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沼上幹教授が紫綬褒章を受章

  • 一橋大学大学院経営管理研究科 教授沼上 幹

2022年3月25日 掲載

2021年11月、一橋大学大学院経営管理研究科の沼上幹(つよし)教授が紫綬褒章を受章した。
紫綬褒章は「科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方」(内閣府)に対して授与される褒章。沼上教授は、1999年に発表した『液晶ディスプレイの技術革新史:行為連鎖システムとしての技術』(白桃書房)が数々の賞を受賞したほか、2000年に発表した『行為の経営学:経営学における意図せざる結果の探究』(白桃書房)において確立した新たな研究方法論が国際的な一流査読誌でも高く評価されている。近年も、2018年に発表した『小倉昌男:成長と進化を続けた論理的ストラテジスト』(PHP研究所)が企業家研究フォーラム賞を受賞するなど、長きにわたって経営学の発展に大きく貢献し続けており、その功績が認められた形だ。そこで、『HQ』の編集長を務める経営管理研究科の鷲田祐一教授が話を伺った。

沼上 幹氏 プロフィール写真

沼上 幹(ぬまがみ・つよし)

博士(商学)一橋大学社会学部を1983年3月に卒業。同4月から一橋大学大学院商学研究科に進学。1988年4月から成城大学経済学部専任講師。1991年には一橋大学商学部に移籍し、2000年4月から教授。1995年~96年にかけて英国Warwick Business Schoolに客員研究員として赴任。2014年一橋大学理事・副学長。2021年東京工業大学エネルギー・情報卓越教育院教授を兼任。2021年紫綬褒章受章。

ある授業で視野の狭さを痛感

画像:インタビュー中の沼上 幹氏

鷲田:このたびは、紫綬褒章の受章、おめでとうございます。

沼上:ありがとうございます。

鷲田:本学の商学系教員としては何人目ですか?

沼上:藻利重隆先生、今井賢一先生、野中郁次郎先生、伊丹敬之先生に次いで5人目です。経営学が学問の領域として認められてきた中での受章で、大変ありがたく思っています。

鷲田:沼上先生は学部生時代は、社会学部に入られて大学院から商学研究科に進まれたわけですね。

沼上:商学などという金儲けの学問は進学先としてあり得ないと思っていました。ところが、入学早々周りの評判を聞いて商学部の田内幸一先生の「商業通論第二」という授業を受けてみたところ、驚くほど知的で教養豊かな先生がビジネスについて楽しく語っているのを目の当たりにし、面白くて感動しました。その時初めて、金儲けの学問だと決めつけていた自分の視野の狭さを痛感したわけです。その後、2年生の時には榊原清則先生の前期ゼミで神戸大学の加護野忠男先生の『経営組織の環境適応』(白桃書房)という名著を読み、自分が学びたかったことはここにあるのだと気づきました。

研究の方法論に悩む

鷲田:沼上先生が学者の道に進むことを決めたのは、どういった経緯からでしたか?

沼上:前期ゼミの教授だった榊原先生は親身になって相談に乗ってくれる先生だったので、よく研究室にお邪魔していました。その榊原先生に就職の相談をした時「お前みたいな理屈っぽい奴は、企業では使えないから大学院に行け」と。それで大学院に進んで榊原先生のゼミに入ろうと思ったら、先生がMIT(マサチューセッツ工科大学)に行くことになって、野中郁次郎先生が引き取ってくれることになったのです。

鷲田:榊原先生の組織論や経営戦略論、野中先生の組織論やマーケティング論が沼上先生のベースにあるわけですね。

沼上:野中先生はバークレーのスティンチコム先生の授業以来、方法論に強いこだわりをお持ちで,それが先生の知識創造論の基盤になっていったと思います。また、大学院時代に本の読み方を教えてくださった田島壯幸先生も方法論にお詳しい方でした。大学院以来お世話になっている伊丹敬之先生も、論理性・体系性が傑出していて多様な研究方法にも精通されていました。伊丹先生からも深く思考する頭の使い方を大いに学ばせていただきました。

鷲田:修了後に成城大学に出られて、講師として一歩を踏み出されました。

沼上:3年ほど勤めた成城大学ではいろいろ学ばせてもらいました。研究に理解の深い学校で、特に欧米の液晶ディスプレイ(LCD)の研究者を訪ねた調査旅行を許容してくれたことが大きかったです。この時の調査研究が後の『液晶ディスプレイの技術革新史:行為連鎖システムとしての技術』につながっています。

その後、一橋大学に戻ったわけですが、実はそれよりも前、まだ大学院生だった1987年に、国際カンファレンスでLCD産業に関する研究内容を発表したところ、あるコメンテーターから「単一事例の研究で何が言えるのか?」と指摘されたのです。その時から研究の方法論に悩み始め、社会学者や哲学者の著作を丁寧に読み進め、因果関係についての考え方を大きく変えることができました。

方法論について深く遡った研究はまれ

画像:インタビュー中の鷲田祐一教授

鷲田:どのようなことでしたか?

沼上:それまでの経営学はパターンの規則性を重視していたのですが、そうではなく、深層のメカニズムを考えるようになったということです。目に見えるものの背後に、目に見えない深層の構造があり、それによって観察可能な表層の現象が起きるという存在論的な考え方をベースに人と人との相互作用も考えないと、社会現象は読み解けません。こうして複雑な事象を解明する視点を提供することが経営学者の大きな役割だと思います。『行為の経営学:経営学における意図せざる結果の探究』は、こうした研究の成果をまとめたものです。今となっては当たり前のことなのですが、当時の経営学研究の実践の場面では、それが十分には意識されておらず、多くの実証系経営学者は方法論の議論の深層まで探究することなく、表層のパターンを表層のまま追究していて、リアリティが重層的な構造をもつという考え方を強く意識はしていなかったと思います。

鷲田:経営学者としては珍しい研究ですね。

沼上:そうですね。経営学の実証研究者が自分の研究方法論についてそこまで遡って問い続けた例はそうそうないと思います。

旧態依然は従業員にとっても不幸

鷲田:そうした点が、紫綬褒章という形で評価されたのだろうと拝察します。では、現在の日本企業の経営に関してのお考えをお聞かせください。

沼上:率直に言って、日本企業はもう何年も前に大転換期を迎えているのですが、それにまだ対応できていない企業があると思います。

鷲田:厳しい見方ですが、そのとおりですね。

沼上:かつて工場や営業の現場で競争力を磨いていた企業は生活共同体(共同生活体)として運営され、メンバー同士が厳しい議論を闘わせつつも、内向きの和を大切にしてうまく運営されていたわけですね。それで成功した会社がその雰囲気を残したまま今に至っているわけです。

鷲田:今でもそういう現場は多いですよね。

沼上:ところが、本社やホールディングスでは「このM&A案件はどうするべきか」「株主に新たな経営戦略をどう説明すべきか」といった議論をしているわけです。

鷲田:工場とは全く別の空気や動きがある。

沼上:古き良き日本的経営を行って和を保ち、業績を上げた工場長がホールディングスの役員に昇進すると、一転してモノ言う株主と対話したり、社外取締役からの厳しい質問に対応しなければならなくなります。そして、M&Aで他社という異質な共同体をそのまま買ってくる決断をしなければならないわけです。

鷲田:従来の日本的経営には馴染まないことですね。

沼上:現在の日本のような成熟経済では、事業や経営資源の組み換えや再編が必要になるわけです。ノンコアの事業をA社に譲渡する一方、コアの事業をB社から買収するといったように。とるべき戦略的アクションはドラスティックであり、内向きなコミュニティでリーダーシップを発揮していた感覚とは全く別のものです。

鷲田:そのとおりですね。

沼上:グローバルな資本主義においては、M&Aは事業を成長させていく非常に重要な手段です。そのほかにも、カーブアウト等、さまざまな手法を経営者が駆使して企業変革をすることで、日本経済全体を再活性化しなければなりません。旧来型のマネジャーの育成や評価で内部から昇進してきた人が自分の経験に縛られた経営手法に留まっていては、企業はもちろん従業員にとっても幸せなことにはなりません。既に大きな変革に成功している企業もありますが、まだ形だけの変革で十分に腹落ちしていない企業も多いように思います。

鷲田:こういった課題に対して、大学は何ができるのでしょうか?

沼上:大学の出来ることは限られていて、研究知見を公表することと、教育を徹底的に行なうことしかできません。しかし、若い人の教育が効果を生むには時間がかかります。大学教育であれば、20代で大学を卒業して、50前後で事業部長になるとして30年程度かかります。したがって、学士課程教育では、卒業後30年かけて成長していける知的基盤を提供することにこだわり続けると共に、30代半ばの層をMBAで徹底的に再教育していく必要もあります。また、今から役員になる直前のエグゼクティブにも、自分の経営を振り返ってもらう機会を提供していく教育も重要だと思っています。

高度な知識を身につける

画像:インタビュー中の両氏

鷲田:今の学部生はどうすべきでしょうか?

沼上:学部教育も大切ですが、学部卒業後に修士課程に進んで、理論構築の基礎体力を身につけてほしいと思います。戦略とは一つの仮説であり、理論ですから、企業経営の現場で、表層に見えている現象の背後に存在するメカニズムについて理論構築できる経営者や起業家が出てくれば、日本経済はかなり良くなっていくと思います。私はそういう人をハイエクのマン・オン・ザ・スポットにならって、オン・ザ・スポット・ストラテジストと呼んでいます。数理的な解析能力や英語による発信力に加えて、その場その場での理論構築の力を付けるには、やはり修士課程くらいまで行って、修士論文を書くなどの試練を経ないと難しいのではないかと思います。そういった高度な能力を持つ人材を適切に処遇する人事制度も企業は設けるべきでしょう。

鷲田:それができないから旧態依然としたままであるということですね。その点、歴史のある大企業は難しいのかもしれません。

沼上:スタートアップなど新しい企業のほうがやりやすいでしょうし、そんなスタートアップがたくさん出てきています。一橋大学のMBAを出ている起業家も少なくありません。ある人が、「ベンチャーのほうがはるかに教科書どおりにやっている」と言っていましたが、そんな気がしますね。もう、昔のように「中小企業に行くと給料が下がる」という時代ではなく、少数精鋭で高度なマネジメントゆえに高付加価値の会社がたくさんあるわけです。

鷲田:そんな新鋭に期待したいところですね。では、最後に一言お願いします。

沼上:章をいただいてありがたいのは、このような場をお借りしてお礼が言えることです。これまでお世話になった方々が数々おられても、お礼を言う機会というものはなかなかありません。恩師だけでなく、同僚の協力や優秀な学生の皆さんからの刺激のおかげで、今の私があるわけです。同世代でも、たとえば三隅隆司さんや山下裕子さんなど、非常に良い同僚たちに恵まれたと改めて感じているところです。また、今後優れた経営学者が出てくることを期待したいと思います。と言っても私はまだ終わったわけではありませんが(笑)、もう少し理論構築に貢献し、これまで受けた恩をお返ししていきたいと考えています。

鷲田:ありがとうございました。