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西洋古典資料の保存に関する全国的拠点の構築 ─社会科学古典資料センターの取り組み

2017年秋号vol.56 掲載

社会科学古典資料センターを拠点とした「西洋古典資料の保存に関する拠点およびネットワーク形成事業」の推進

2016年度(平成28年度)から3か年度にわたり、「西洋古典資料の保存に関する拠点およびネットワーク形成事業」が進んでいます。これは文部科学省共通政策課題「文化的・学術的な資料等の保存等」の採択を受け、一橋大学社会科学古典資料センター(以下センター)を拠点とし、日本全国の関係機関と連携しながら、西洋古典資料の保存水準の全体的な底上げを目指す事業です。
センターでは、20年以上にわたる所蔵資料の保存対策や、各種講座や研修会の開催、各大学や研究機関との意見交換を通じて、古典資料の取り扱いに関する知識・ノウハウを蓄積してきました。今後は、国内の大学及び図書館等の機関から実務研修生を受け入れ、西洋古典資料の保存修復作業に携わるOJTを実施することなどを通じて、保存に関する国内ネットワークの「ハブ」として、重要なポジションを担っていく予定です。今回『HQ』では、センターへの取材及び研修生の方へのヒアリングを行い、保存修復に関して関係機関が抱える課題や研修の内容・成果などについてリポートします。

西洋古典資料の長期保存には《適切な保存措置》と《専門人材の育成》が喫緊の課題となっている

明治以降、日本では西洋の学問や思想を積極的に取り入れる過程で、各大学等で多くの西洋古典資料を収集してきました。これらの資料は、長年にわたってわが国の研究・教育の発展に寄与し、大学の図書館等で「貴重書」として保存されています。一橋大学も、1875(明治8)年に商法講習所として開学して以来、「メンガー文庫」「ギールケ文庫」等約8万冊に及ぶ世界的にも価値ある古典資料を収集してきました。
しかし資料の経年劣化が確実に進む一方、保存対策は進んでいません。特に近年、各大学では、長く貴重書を担当しコレクションに精通する職員が定年退職を迎えるケースが多く、保存に関する専門知識や技術の断絶や人材の欠如が危惧されています。つまり、学術文化遺産とも言える西洋古典資料の今後の長期保存を図るうえで、《適切な保存措置》とそのための《専門人材の育成》が喫緊の課題となっていたのです。
そこで、さまざまな知識・ノウハウが蓄積されたセンターを拠点として、「西洋古典資料の保存に関する拠点およびネットワーク形成事業」を推進することになりました。具体的な取り組みとしては、以下の4つの事業が挙げられます。

  1. 西洋古典資料の保存についての中核的な役割を果たす人材を育成する実務研修
  2. センター所蔵資料の保存修復
  3. 全国の大学等研究機関における西洋古典資料の所蔵・保存状況の実態調査
  4. シンポジウム等の開催を通じた資料保存に関する知識の共有及びネットワークの形成

多くの独創的な研究成果を生み出すための独立した機構と目的を持つ拠点

事業の中核を担うセンターは、西洋の古典資料を集中的に管理し、研究と教育に資することを目的として、1978(昭和53)年に附属図書館より分離、設立されました。
現在の蔵書数は約8万点。この中にはカール・メンガー、オットー・フォン・ギールケ、左右田喜一郎の三教授の旧蔵書、フランクリン文庫、ベルンシュタイン=スヴァーリン文庫という世界的に著名かつ重要なコレクションが含まれています。さらに、文部省(現・文部科学省)から特別に予算措置を受けて収集した大型コレクションや一橋大学の百年記念募金の基金等で購入したいくつかのコレクションを含め、1850(嘉永3)年以前に刊行された欧語刊行物をすべて貴重書として収蔵、その数は毎年増加しています。 書誌・所蔵情報を一橋大学蔵書検索(HERMES)等さまざまなオンラインデータベースに登録する作業が進行中で、学内はもちろん学外に対しても利用の便の向上が図られています。2007(平成19)年度からはHERMES-IR(一橋大学機関リポジトリ)を通じて、一部の所蔵資料については電子画像を閲覧できる環境を整えました。多くの独創的な研究成果を生み出すための、独立した機構と目的を持つ拠点として注目を浴びています。

貴重書の保存には、処置方法の検討よりもまず大学としての方針を打ち立てることが重要

センターでは、1993(平成5)年の「メンガー文庫」のマイクロ化事業をきっかけに、資料原本の保存対策にも力を入れてきました。「メンガー文庫」はオーストリアの経済学者カール・メンガーの旧蔵書で約2万点に及び、センター蔵書の中核を成すコレクションの一つです。

床井啓太郎氏プロフィール写真

床井啓太郎氏

「『メンガー文庫』のマイクロ化にあたり、撮影時に資料が傷む──場合によっては破損する──可能性があることが分かりました。本学では古典資料の原本を、その装丁や製本構造、素材も含めて重要な歴史的資料と位置付けており、できる限りオリジナルの状態を損なわないよう維持することに力を注いできました。そこでマイクロ化による原資料劣化の問題にも真正面から取り組みました。それが、現在の資料保存活動の原点になっています」(センター専門助手・床井啓太郎氏)

床井氏によれば、当時の議論の出発点は撮影作業にどのように対処するかという問題ではなかったそうです。
「そういった技術的な話よりも前に、資料をどのような形で後世に残していくべきか、というグランドデザインを描くことを優先しました。そのうえで、ではどのように処置をすればそれが実現するかを、外部の専門家や委託業者の方々とともに考えていったのです。貴重書の保存には、まず大学としての資料へのポリシーを明確にすることが不可欠です」(床井氏)
そして、「メンガー文庫」の劣化状態を1点ずつ確認し、必要な場合には予防措置を施したうえでマイクロ化の撮影に臨んだということです。その流れで、1995(平成7)年にはセンター内に保存修復工房を設置。以来、一橋大学後援会や文部科学省のバックアップも得ながら、20年以上にわたって所蔵資料全点を対象に状態調査や保存処置を進めてきました。
また、この間に蓄積された西洋古典資料の修復に関する知識と経験を、他大学・機関と積極的に共有することを目的として、主に図書館員を対象とした複数の講習会を継続的に開催しています。

カリキュラムをきめ細かくカスタマイズ
研修後の人的ネットワーク構築にも注力

こうした実績を背景に、センターが中心となって「西洋古典資料の保存に関する拠点およびネットワーク形成事業」を進めています。
具体的には、他大学・機関から実務研修生を年間2~4人受け入れ、センター所蔵資料の保存修復作業や保存環境整備に携わるOJTを実施しています。これにより、西洋古典資料の保存について、各地区の人材育成を先導するような中核的な専門人材の育成を図ります。

作業風景の写真1

実習内容は、資料群の状態調査、個別資料の劣化調査、修理、保革、保存容器の作成、サンプルを用いた製本実習、保存計画のシミュレーション、保存環境整備など多岐にわたります。実際の研修は、研修生の所属機関の実情に応じてカリキュラムをきめ細かくカスタマイズしながら、西洋古典資料の保存について総合的な実習を行います。
西洋古典資料を所蔵する主要な大学・機関に対してセンターがアプローチを行ったところ、初年度には国立国会図書館、北海道大学、慶應義塾大学、大阪大学の4機関から研修生を派遣してもらうことができました。二年目にあたる今年度は、国立国会図書館からの希望で再度研修生を受け入れるほか、大規模な図書館移転が進行中の九州大学、及び東北大学からの研修生を受け入れ、実務研修を実施する予定です。

作業風景の写真2

また、全国の大学等研究機関における西洋古典資料の所蔵状況、保存体制等についての調査も行うことにしています。調査票を用いて行う全国規模のアンケート調査のほか、必要に応じて、現地調査を行います。調査票を用いて行う全国規模のアンケート調査のほか、必要に応じて、現地調査を行います。これまで必ずしも詳つまびらかになっていなかった各機関における西洋古典資料の所蔵、保存状況を全国的に調査し、今後、関係機関が保存対策を進めるうえでの基礎データを得ることが最大の目的です。
そして、これらの取り組みの成果を公開講座等によって発信するほか、地域での研修会等についても計画し、各大学等研究機関の資料保存担当者との情報共有や意見交換を行うためのネットワーク構築も進める予定です。
今年2月には[文化的・学術的資料の保存シンポジウム「書物の構成要素としての紙について~本の分析学~」]も主催。大学図書館関係者や研究者、製本・出版に関わる多くの方々が来場したことは、『HQ』第55号にて既報の通りです。予想以上に事前申し込みがあり、急遽席数の多い一橋大学西キャンパスの如水会百周年記念インテリジェントホールに会場を移して開催。古典資料の保存について、関係者の関心の高さをうかがわせるシンポジウムとなりました。

全国の大学・機関から求められているのは保存対策全体をマネジメントできる人材の育成

メンバー集合写真

研修生の派遣を前提とした聞き取り調査では、各大学・機関によって事情は異なるものの、共通の課題も浮かび上がってきた、と床井氏は語ります。
「貴重書の保存というと、手を動かして修復する技術者のイメージがあると思います。たしかに実作業を行うことができる人材は必要です。しかし、そうした人材と並んで求められているのが、保存対策全体をマネジメントできる人材です。保存体制全般の問題点の洗い出し、それを踏まえたうえでの改善計画、あるいは新たな保存計画の策定、資料群全体を把握したうえでの保存の優先順位付け、保存計画の管理・運営等が、ヒアリングした多くの大学・機関で大きな課題として認識されていました。本事業は2018年度末でいったん区切りを迎えますが、それまでに随時カリキュラムをアップデートして求められる人材の育成を続けることはもちろん、その後も研修生が各地域で中心的役割を担えるように、私たちが『窓口』となって相談や意見交換を行える体制を整備していきたいですね。そんなネットワークが構築できれば、今後全国の関係機関が協働し、西洋古典資料の保存に臨むための基盤が築けると考えています」(床井氏)

原賀可奈子氏写真

貴重書原本の利用と
保存の関係を考える
良い機会になりました

九州大学附属図書館 eリソースサービス室 eリソースマネジメント係 係員
原賀 可奈子氏

センターで8週間のカリキュラムを受講させていただいているのですが、3週間が経過した現在、センターに配架されている貴重書を用いて、本の構造や使用されている材料、劣化状態などを把握する方法を学んでいます。「(表紙や背など)この部分が弱いとこのような壊れ方をしやすい」など、きめ細かく教えていただけるので、自館に戻ってから、大いに役立てられそうです。
私の現在の業務は貴重書とは直接関わりがありませんが、一橋大学と同じように九州大学の図書館にも研究開発室があり、所属係と関係なく、自らの関心と合致する事項について調査・研究を行うことができます。私はそこで「資料保存に関する調査研究」班に所属しているのですが、このような研修で集中的に専門知識を得られることはとても得難い機会です。
こちらのセンターで西洋古典籍、国文学研究資料館と国立国会図書館で日本古典籍に関する講習会を受講したことがあるのですが、その際にも原本とデジタル化は切っても切れない関係として考えられており、資料の劣化の進行を防ぐためにもデジタル化を始めとした代替資料を作成し、広く利用に供することは重要なことだと学びました。内容を知りたい方には代替資料を利用してもらい、装丁など原本を見る必要がある方には原本を提供する。デジタル化されれば来館せずに内容を確認することもできます。そうすることで利便性も向上しますし、開閉や環境の変化による原本の劣化を抑制することもできるのです。
九州大学はキャンパス移転の真っ只中にあり、図書館も2018年10月の新図書館グランドオープンに向けた準備を進めています。新図書館への移転対象資料だけでも約260万冊あり、数年かけて計画・移動を行っているところです。8週間の研修が終わって自館に戻ったら、センターで学んだことを活かして、まずは貴重書の保存状態を調査したいと思っています。移転に向けて処置が必要なものには対策を考えて、関係する係に提案を行う予定です。

(2017年10月 掲載)