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2018年度 一橋大学中国交流センター「中国を知ろう、中国へ行こう!」体験ツアー開催

2019年2月15日 掲載

2018年9月6日(木)~9日(日)、一橋大学中国交流センター主催による「中国を知ろう、中国へ行こう!」体験ツアーが開催され、1年生17人が北京を訪問した。同センター代表である法学研究科・青木人志教授に、その趣旨や成果を聞いた。また、一橋大学基金への寄付を通じて本ツアーを御支援くださった方々の代表として中山光雄氏、そして、ツアーに参加した学生2名にも、それぞれ話を聞いた。

一橋大学中国交流センターは、中国との交流窓口として2004年に開設された旧北京事務所が2010年に名称変更した組織である。日中でのシンポジウム開催などの学術交流や、中国の協定大学との学生の交流の支援などを手がけている。

積年の課題の一つは、中国語圏から来る学生数に比べ中国語圏に留学する一橋生の数が少ないことである。2018年11月1日現在、一橋大学に在学している留学生数(正規の学部生・大学院生、交流学生、研究生の合計)は904人で、全学生数の約14%を占める。この比率は国立大学ではトップレベルの高さである。とりわけ中国からの留学生が445人と多く、全留学生の約半分を占める。

一方、一橋大学から中国の協定校に留学する交流学生は年間数名程度にとどまる。その理由について、青木教授は次のように説明する。「理由は、大きく二つあるでしょう。一つはマスコミを通じた中国に関する情報は政治、外交、環境等に関するネガティブなものが多く、中国に行こうという気持ちが起こりにくいことです。もう一つは、言葉の問題。英語は話せても中国語は話せないという学生が大半を占めています」。

しかし、実は、中国語を学んでいる一橋生の数はかなり多い。2018年度の新入生で初修外国語(第2外国語)を履修した者が441人おり、うち中国語履修者が124人いた。ドイツ語(102人)、スペイン語(99人)、フランス語(75人)を抑えてトップの数字である。「中国語や中国社会に関心を持つ学生が増えつつあるといえます」と青木教授は語る。中国の国際社会における存在感は今後ますます高まることは間違いなく、隣国である中国との交流は、日本の国益を考えるうえでも重要である。中国をよく知り、中国との関係を強化することは、米中両大国にはさまれている日本にとって、喫緊の課題である。

たとえば法学の分野では、日中間の学術交流はすでに相当深まっているという。「文化大革命終了後、中国のトップクラスの学生が日本の大学に多数留学してくるようになり、相当数の元留学生が、帰国後、中国の一流大学の教授になったり、実務の世界で活躍したりしています。親子2代にわたり一橋大学法学研究科に留学してきたケースも複数知っています。そういった方々は日本語が達者なので、中国法学界と交流する貴重なチャネルとなっています」と青木教授は語る。

ちなみに青木教授は体育会卓球部の部長でもあり、2016年4月に中国交流センター代表に就任する以前から、一橋生を中国に連れてゆく活動に力を入れてきた。部員を北京の中国人民大学に連れて行き、"卓球交流"を行うのである。卓球部OB会(一卓会)の発案で10年前に始まったこの活動は、同会と如水会からの財政支援をえて現在も続いている。

「卓球はきっかけにすぎません。OB会の真の狙いは、若い部員を中国に連れて行き、自分の目で中国を見せ、刺激を与えたい、ということなのです。実際、ほとんどの部員が発奮して帰国します」と青木教授は話す。「日中の学生の共通語は英語ですが、中国人学生の英語力と積極性に圧倒されることが多いのです。一橋生としての自負がありますから、自分の不甲斐なさを悔しがり、もっと勉強しなければならないと痛感するのです。もし英語圏の大学に連れて行ったらどうでしょう。先方の英語が達者なのは当たり前です。同じアジアの学生から受ける刺激のほうが大きいのです。また、街に出れば、中国社会の活気や、競争社会を必死で生きている人々の姿を垣間見ます。日本の安心・安全のありがたさも分かります。そして、中国の人々は日本から来た学生たちを温かく迎えてくれます。自分の目でみてこそ先入観を反省し、日本を相対化する視点を得るわけです。"卓球交流"を通じて、そうした成果を積み上げてきました」と青木教授は強調する。

中国交流センターでも「中国を知ろう、中国へ行こう」という連続企画を開始し、教務課・留学生担当チームと協力して、交流協定校から来ている中国人留学生に出身大学の"母校自慢"をしてもらう会を開催するなど、さまざまな機会をとらえて、中国や中国留学への関心を喚起する活動を行っている。

そんな折、中国との関わりが深い卒業生や教職員等の有志から、中国交流センター支援のための寄付が一橋大学基金に寄せられた。今回の「中国を知ろう、中国へ行こう!」体験ツアーが実現したのは、その支援の賜物である。 幸い、中国交流センターのスタッフには、北京在住の代表助理である賈申(カシン)さん、豊富な中国経験があり中国語堪能な中山リカさん(研究・社会連携課)がいる。さらには中国語担当の南裕子准教授(経済学研究科)と教務課・留学生派遣担当の伊藤いづみさんにも同行してもらえることになった。そのような万全の引率体制のもと、低廉な参加費用(学生自己負担額は4万円弱)で、中国人民大学・清華大学という北京にある交流協定大学を訪問して同世代の大学生と交流したり、中国の起業家と会ったり、北京の街や名所を見学したりする今回のツアーが実現したのである。

ツアー参加者は、1年生から募った。その狙いを青木教授は次のように説明する。「参加者の中から、将来海外の交流協定大学、特に中国の大学に留学に出かける学生が多く出てくることを期待しています。欧米圏の大学へ交換留学に行く一橋生の場合も、いったん短期研修に参加したのちに行くケースが少なくないことから、現地を体験することの意義の大きさは分かっていました。ただ、3・4年生の場合は、中国語学習歴が長くても、学部在学中に中国に長期留学することは現実には困難です。そこで、1年生を早い段階で中国に連れて行くという判断にいたったわけです。今回のツアーに参加した何名かの学生からは、すでに将来の海外長期留学についての問い合わせが来ていますので、期待しています」。

今回のツアー内容は別表のとおりで、参加した17人の学生が帰国後にそれぞれ書いた体験レポートが、後日冊子にまとめられている。
「世界遺産や大学キャンパスのスケールの大きさに驚いたり、学生が起業に熱心に取り組んでいる姿に刺激を受けたり、自分の語学力のなさを反省したり、その一方で日本の良さを再認識したりするなど、それぞれが大きな成果を得られた4日間だったことが伝わってきます。こうしたツアーに前向きに参加しようという意欲がある時点でグローバル志向の高い学生といえますが、今後ますます自分の目で世界を見に行きたいと強く感じたのではないでしょうか。17人のうちの何人かは在学中に中国に留学してくれるのではないかと、期待しています」と青木教授は力を込める。

中国交流センターでは、2019年3月に2回目の北京体験ツアーを予定しており、今後、中国への関心を高め、中国の大学に留学する一橋生を増やすための取り組みを、ますます加速させる構えである。

中国ツアー(3泊4日)の内容

大学訪問

中国人民大学、清華大学

世界遺産見学

故宮、万里の長城

市内視察

天安門広場、景山公園、スーパーマーケット 等

中関村エリア(中国版シリコンバレー)訪問

創業ストリートinno way散策
車庫カフェ視察、創業者との対話 等

左から賈申氏、青木教授、中山リカ氏

左から賈申氏、青木教授、中山リカ氏

一橋大学と中国の交流を支援したい
ささやかながら協力させていただきました

中山光雄氏プロフィール写真

1955年商学部卒

中山光雄氏

昨年、青木教授のお招きで母校に行き、一橋大学中国交流センター主催の「中国を知ろう、中国へ行こう!」体験ツア-に参加された学生たちの報告会に参加いたしました。学生の映像を利用しての活発な感想や意見を拝聴し大変楽しい時間を過ごすことができました。「HQ」や「如水会々報」の記事で、中国交流センターが大事な仕事をしているものの財政的に苦労していることを知り、同センターの支援のために寄付をした者の代表としてのご招待でした。寄付金の具体的成果が分かり嬉しく感じました。

私は、1955年に商学部を卒業し、富士紡績株式会社に就職しました。繊維産業は、新興国が経済発展するために最初に始める産業で、終戦間もない日本にとっても最大の輸出産業でした。その後、小売業者の長崎屋へ転職し、小売業初の直接輸入の仕事につきました。輸入の仕事に大いに興味を持った私は、人事異動を契機に会社を辞め、独立し繊維製品輸入の会社を設立しました。幸い従来の取引先も取り引きしてくれました。中国人は会社の規模や有名度だけで取り引きするのでなく、相手の人物が信用できれば小さくても取り引きしてくれるようです。そのお陰でどうにか経営する事ができました。

私が最初に中国を訪れたのは、1974年、広州交易会参加の時です。中国の輸出入の商談は、すべてこの商談会で行われ、商談相手は、国営の各地方の貿易公司でした。文化大革命の末期でしたので、見学会で見た広州の人々の生活は貧しく、農民は裸足の人が多かったと思います。しかし、家には毛沢東の大きな肖像画がきちんと飾ってありました。その後、規制が緩くなり、上海や北京でも品目別に商談会が開かれるようになり、さらには、個別企業でも、何時でも担当者と商談ができるようになり便利になりました。

子供服の注文が増え、子供服の得意な北京服装公司に注文が増えました。平成の初め頃に日中関係が悪化し、多くの企業が引き上げ商談を中断した時も、私は注文を出し続けました。これが中国側の信用を得たようです。注文を河北省保定市にある工場に集中しました。この工場から合弁契約の話を持ち掛けられ15年の合弁契約を結びました。品質の向上を第一の目標とし、工場幹部の意識改革が第一と考え工場幹部を4回にわたり日本に招待しました。その頃、中国人を日本に呼ぶには外務省の許可証が無ければ、ビザが取れず手続きが大変でした。最近の中国人観光客の増加ぶりを見ると今昔の感に堪えません。合弁企業の経営は比較的順調に行き、最盛期には1000人工員が働き、年間100万本の子供服を生産し、日本に輸出しました。いささか中国経済の発展に寄与できたのではないかと自負しております。合弁期間は、工場側の希望で、20年に延期されました。合弁期間終了後、華南のほうが生産性も高く品質も良いとの事で、仕入れ工場を移しました。しかしながら、中国経済の発展とともに、諸物価が上がり工賃も高くなり、安い商品の生産が徐々に難しくなりました。さらに円安も採算を苦しくしました。中国からの輸入の業務をやめ、3年前に私もリタイアしました。

ここ40年間の中国経済の成長は、まさしく昇竜のようです。世界最大の消費市場、留学生数、世界特許申請数、新技術開発の開発環境等々から見ても間もなく世界最大の経済大国になる事でしょう。

こうした国が、隣にある訳ですから、この国の現状を若いうちから理解し、交流して行く事は極めて大事な事と思います。中国交流センターの果たしている役割の重要性を再認識して、今後ともできる限り支援を続けたいと思っております。(談)

写真:客員教授の称号

研究資金の貢献に対し、河北大学日本研究所より客員教授の称号が与えられた

中国の学生から刺激を受け、学ぶモチベーションが高まりました

江原 駿さんプロフィール写真

法学部 1年

江原 駿

私は必修の語学で中国語を選択しました。中国語は初学者です。英語はある程度話せるうえ、中国語を話す人口は英語に次いで多いと言われており、これから役に立つだろうと考えました。今回、ツアーに参加したのは、中国に行ったことがなかったことと、学んでいる中国語を実際に使う機会が得られると考えたからです。

実際に買い物の時などに会話を試みてみましたが、自分の言いたいことは伝えることができても、相手の言っていることは早すぎて聞き取れませんでした。あまりヒアリングの勉強はしていなかったので、もっと勉強しなければというモチベーションが高まりました。

今回、中国人民大学や清華大学のキャンパスツアーで中国の学生と英語でコミュニケーションする機会を持てましたが、日本人の学生よりも英語力ははるかに上だったと思います。そのうえ、将来のビジョンをしっかり持っている学生も多くいました。それには、大きな刺激を受けました。 そして、一番驚いたのはスマホでの決済がとてつもなく進んでいること。話に聞いていましたが、実際に何でもスマホで決済しているシーンを見て、想像以上の発展ぶりだと感じました。たとえば中国人民大学の学生たちと大学近くの繁華街に行き、非常に人気のあるジュースの専門店に案内してもらった時のこと。大人気なら行列必至と思いきや、全く並ぶ必要はありませんでした。学生たちは店頭に掲げられた二次元バーコードにスマホをかざして早々と注文と決済を済ませ、好きな場所で商品引き渡しの呼び出しを待つだけだったのです。日本の人気店も、こんなサービスを導入してほしいものだと思いました。

ツアーに参加して感じたのは、世界は広くまだまだ知らないことや人に出会える機会がたくさんあるんだということ。日本にいると、つい大学の狭いコミュニティの中に閉じこもりがちになりますが、こうして海外の学生と交流することでもっと世界に目を向けていかなければと考えさせられました。今後は海外留学も積極的に検討したいと思っているところです。

人間のことは実際に会って、触れてみないと分からない

田中茉凛さんプロフィール写真

社会学部 1年

田中茉凛

ツアーに参加したのは、高校時代に韓国や台湾に行ったことはありましたが、中国には行ったことがなく、しかも参加費用が破格の安さだったからです。もともと興味を持っていたので、これを機に中国を見てみたいと思いました。

今回のツアーでさまざまな中国の学生と交流し、政府や政党に疑問を感じている人も少なくないことを認識しました。また、私はツアー中に1人で早起きをして、公園や街を散歩したのですが、公園では朝早くから大勢の人が体操や太極拳をしており、中には社交ダンスを踊っている人もいました。道ゆく人に片言の中国語で声をかけてみたところ、中国語が分かると誤解され、普通に会話を続けられてしまいました。何を言っているのか、ほとんど聞き取れませんでしたが、親しみは感じました。実際に現地に行かない限り、人間のことは分からない。テレビや報道を通して知る外国は、国家に対するイメージが強く、そこに住む"人"を感じることはできません。

私がいつも思うのは、物事を一まとめにして考えてしまうと個々が見えなくなるということです。だからこそ、視野を広げることが大事。これからも、なるべく現地に行って、そこで生活する人たちと実際に話をして親交を深めていきたいと思っています。今一番行きたいのは、中国の奥地。一口に中国と言っても先進国的な北京と未開の奥地では、全く表情が違うと思います。だからこそ、中国の多様さを見るために、次は奥地に行きたいと思っています。幸い、1年生の私には時間がたくさんありますから。