一橋大学の留学生がベルギーで開催した《MATSURI GENT -Japan Festival-》
2018年12月1日 掲載
2017年秋、ベルギー・ゲント大学に留学した渡邉大雅(経済学部)と夏井陸(社会学部)。2人は1年間の留学期間中に、現地で《MATSURI GENT -Japan Festival-》というフェスティバルを開催。さらにそこで得た収益を、日本への留学を希望する学生に、補助金として寄付したのだ。2人はなぜベルギーに向かい、そこで何を感じたのか。なぜ、知り合いが1人もいない土地で、運営経験もないままフェスティバルを立ち上げたのか。今回HQでは2人にインタビューを行い、2人の行動の背景にあった思いについて語ってもらった。
価値観の異なる人たちとふれ合いを通して、
幅広い視野を獲得したい
まず、2人はどのような経緯でベルギーのゲント大学に留学したのか。
2人とも、留学を決意したのは中学時代にさかのぼる。渡邉は中学の頃に真山仁や落合信彦などの著作を読み、グローバルに活躍する人に憧れていた。そして自分も同じような人になりたいと強く思い、いつか留学すると決めていたという。留学の目的は、まったく異なる価値観の人たちとふれ合うことで、日本では得られない幅広い視野を獲得したい、というものだった。一橋大学に入学後、さっそく1年次にオーストラリアへ留学。しかし、1か月という短期の留学では、日本人やアジア系の留学生との交流が中心となり、当初の目的は果たせなかった。
「次は1年間の長期留学に行くしかないと思いました。ただし留学先から(日本人が集まりがちな)英語圏は外す。そこでヨーロッパという選択が浮かび上がってきました。中でもベルギーはヨーロッパの地理的中心にあって、実際にヨーロッパ中の学生が集まる。そこでベルギーのゲント大学を選んだのです」(渡邉)
一方の夏井は、生まれ育った三重県四日市を離れ、もっと広い世界を見てみたいと考えていた。そこで浪人中にアルバイトをして資金を貯め、一橋大学への入学という形でまず上京を果たす。一橋大学を選んだのは、社会学を高いレベルで学べることに加え、留学制度及び英語による講義が充実していることが理由だった。
夏井は入学後、すべての講義を英語で行うHGP(Hitotsubashi University Global Education Program)に参加。英語によるコミュニケーション能力を磨き、次のステップである留学の準備を着実に進めていった。その甲斐あって、英語でのコミュニケーションについては、留学先で困ったことはなかったという。「学内にいる時とほとんど同じだった」そうだ。
「初めての海外では、できるだけ刺激的な生活を送りたいと考えていました。そこで選んだのがベルギーです。英語はできましたが、オランダ語はさっぱり。シャンプーとリンス、キッチンペーパーとトイレットペーパーの違いも分からない。留学後、オランダ語だらけのスーパーでよく買い間違えました(笑)。でも、それがまた楽しいんですよ」(夏井)
そして出発前、留学資金をバックアップした如水会によるパーティーが開かれた時、2人は初めて出会う。その場ではSNSのアカウントを教えあっただけで解散。留学の地で自分たちだけでフェスティバルを企画するとは、もちろん予想していなかった。
自分たちが成長するために
あえて大きな課題を設定する
2017年10月から、2人のゲント大学での留学生活が始まる。
2人はガイダンスの場で再会。寝起きする寮はもちろんフロアも同じで、しかも部屋は隣同士であることが分かった。
ゲント大学では、渡邉はFaculty of Economics and Business Administration、夏井はFaculty of Social Sciencesと所属は別々であるが、共に日本語学科に所属する学生たちと親交を深めていった。日本語学科には、当然のことながら日本に興味を持った学生が集まってきている。もっとも、その興味の対象はマンガ、アニメ、ゲームなどが中心。「食」の話題についても、日本食といえば「スシ」に限定されてしまう。「日本はまだ一部の側面しか認識されていないと痛感する場面もあった」(渡邉)という。
とはいえ、学生たちはみんなフレンドリーで、いろいろと力になってくれた。
「街を案内してくれたり、教科書を一緒に買ってくれたり、履修方法を教えてくれたり、グループワークを手伝ってくれたり......。留学してひと月も経たないうちに『何か恩返ししなくては』という気持ちになりました」(夏井)
そんな恵まれた環境だからこそ、問題意識を抱えるようにもなった。講義には、ついていけている。母国語や生活習慣の違いはあっても、友人は増えていった。想定以上に順調だったのだ。しかしこのまま1年を過ごして、自分たちは成長できるのだろうか。自らにもっと大きな課題を設定する必要があるのではないか?
それが2人の問題意識である。お互いに部屋を行き来しながら、「2人でゼロから何かやろう」と何度も話し合ったという。
日本で学ぶ機会を提供するために
留学費用を補助しよう
何をすべきかをつかむため、2人は日本語学科のベルギー人学生にアンケートを実施。すると、退学率が高いこと、つまり2~3年次で大学を辞めてしまう学生が多いことがわかってきた。 これはベルギーの大学全体の構造的な問題でもある。ベルギーの大学は無試験かつ無償で入学できる。「これを学びたい」と思えば、希望の大学・学科にストレートに入れるのだ。しかし単位認定の高いハードルが立ちはだかる。大学側が要求する学力に、学生の学力が及ばない場合、学生は退学せざるを得ない。 ゲント大学の日本語学科においても、それは同様だ。単位を取るという高いハードルを、「日本に興味がある」だけで飛び越えることは難しい。日本について限定的な知識しか持たずに入学した学生は、講義やゼミでかなりの苦戦を強いられる。留学などを通して日本をより深く知るチャンスがあれば、状況は違うのかもしれない。が、留学は狭き門だ――。
「みんな、金銭的な理由で日本への留学を諦めています。大学の奨学金プログラムは不十分。如水会のように、留学するためのバックアップをしてくれる存在もない。第3セクターで留学支援を行っている団体もありますが、値段の面で厳しい。これでは日本について学ぶモチベーションは上がりにくいですよね。そこで私たちは、金銭的な支援を通して恩返しをしようと考えたのです」(夏井)
「日本への留学について調べていくうちに、WCI(World Campus International)というNPO法人の存在を知りました。WCIは日本のホストファミリーと連携し、日本について学ぶヨーロッパの学生の短期留学を支援している団体です。学業だけではなく地域の文化を体験できるプログラムも行っているので、『WCIと共同で新たな奨学金プログラムを作ろう』と考えました」(渡邉)
そして2人は、「イベントを開催し、そこで得た収益を寄付することで恩返ししよう」との結論に至る。その大きな方向性が固まったのが、留学して1か月後の11月初旬。ここから2人の苦闘が始まる。
見切り発車で企画した
「人と人をつなげる」フェスティバル
テーマ、そして会場はすぐに決まった。
「人と人をつなげるフェスティバル《MATSURI GENT -Japan Festival-》です。ベルギー人と日本人。ベルギー人同士。ゲント大学の学生と、現地の企業。そして、ベルギーという国と、日本という国。さまざまなフェーズで人をつなげることがテーマになりました」(夏井)
「日本語学科の学生だけではなく、できるだけ多くの人に集まってもらえるオープンなフェスティバルにしたい。そう考えて、会場はゲント市中心部のスタッドシャルという場所を選びました。その場所は頻繁にフェスが行われていて、押さえるのはそれほど難しくなかったんです。備品などを貸与する段取りもしっかりしていましたから」(渡邉)
開催日は2018年4月28日とした。日中に野外でフェスティバルが開ける季節で、ほかのイベントと日程がかぶらず、6月の学内試験よりも前のタイミングを模索した結果、その日程に決まった。しかし、それだけではまだ「2人の日本人留学生による見切り発車」に過ぎない。フェスティバルを実現させるためには、運営、出店、出演、協賛などの各方面で多くの協力者が欠かせないからだ。
「海外でイベントの運営経験なんてありませんから、何も分からない中でのスタートでした。やりながら勉強し、毎週末ベルギー中を走り回って人脈を稼いでいったんです」(夏井)
まず、日本語学科から有志を募り、渉外、広報・マーケティング、経理・財務、デザインなどの幹部に任命。そして、会場使用にあたって必要な市当局・警察・消防などとの交渉にも通訳として入ってもらった。さらに日本に関するイベントを開催している団体「Tomo No Kai」にもサポートを依頼。運営体制を整えていった。
協賛金を募るため、在ベルギーの日本企業にもアプローチをかけた。まずメールでアプローチをして、反応が鈍い場合は、ベルギーで知り合った人々とのネットワークを通じて企業に再アプローチをしたという。意外にも、多くの企業が話を聞いてくれたという。
「日本にいたら、果たして会っていただけたかどうか分からないような方々ばかりです。でも、私たちの話を快く聞いてくださいました」(夏井)
クールジャパン・アンバサダーや
「ゲントの母」との出会いがブレイクスルーとなった
奮闘中の2人に、2度にわたるブレイクスルーが訪れる。ともに「人」との出会いだった。
最初のブレイクスルーは、ブリュッセルで40年以上も和食店「のんべえ大学」を営んでいる末次庸介氏との出会いである。2016年春には日本政府から「クールジャパン・アンバサダー」に任命され、ベルギー政府からレオポルド2世勲章シュバリエ(騎士)章を授与された、ジャパニーズフード界の至宝である。そうとは知らず店に飛び込み、自分たちの企画について熱弁する2人に、末次氏はそれ以上の熱量で向き合ってくれたという。
「レシピの指導から、食材の仕入れ先や器具のレンタル先についてのアドバイス、調理の指導まで、文字どおり全面協力。ほんとうにありがたかったです。そして、弟子で和食店のシェフをしている賀茂友康さん(同じくレオポルド2世勲章シュバリエ章を受章)も紹介してくれたんです」(夏井)
「異国の地で頑張る学生を応援したい、と思ってくれたのではないでしょうか。懐が深くて、心から尊敬できる方です。」(渡邉)
次のブレイクスルーは、現地で「ゲントの母」と呼ばれていた鍛治智子氏との出会いだ。ふだんは会社勤めをしながら、ゲント大学内で日本映画祭など日本関連のイベントを主催。ゲント市内の日本人の新年会なども企画している関係で、60名近い市内在住の日本人をほとんど知っているという人物だ。 「鍛治さんと知り合って、新年会に参加させてもらったおかげで、ゲントに住む多くの日本人とつながることができました。当時日本から留学していたどの学生よりも、人脈をつくれたのではないかと思います」(夏井)
数々の出会いによって人脈を広げた2人は、2~3月にかけて多方面に交渉を行い、出店者・出演者を少しずつ増やしていく。如水会本部にも支援をお願いしたという。その結果、如水会をはじめ多くの企業から協賛金が集まり、フェス開催の目処がついてきた。
残る課題は当日の集客だ。前売りは禁止されていたため、事前の情報発信でいかに関心を持ってもらうかがカギとなる。
「準備期間中こまめにSNSで発信し続けたことで、開催日が近づくにつれ手応えを感じるようになりました。SNS上で『興味がある』とボタンを押してくれた人は約2万2,000人。当時ヨーロッパで開かれる予定の日本文化系フェスでは、屈指の数字です。1位はデュッセルドルフのフェスですが、これは数十年も続いている伝統あるフェスで、毎年100万人も集まり、花火も上がる大きなイベントですので比較にはなりませんが、注目度は、決して悪くない『これはいけるんじゃないか?』と思いました」(夏井)
来場者数は約5,000人。
大盛況のうちに幕を閉じる
大盛況のうちに幕を閉じたフェスティバルは、収益を生みだした。2人は、当初の目的である「収益を奨学金として寄付すること」を実現させる。
「協賛金や物販などの売上から支出を差し引き、残った収益はすべてWCIに寄付しました。日本への留学の費用に充ててもらうようにしています。ただ、収益の全額を1人の留学生に......という形ではなく、10人の留学生にそれぞれ補助金という形で渡してもらうことにしました。できるだけ多くの人に、日本について学んでもらう機会を提供したいですから」(渡邉)
「ちょうど今(注・2018年10月中旬)、WCIで留学生の選考会をしているはずです」(夏井)
「選ばれた留学生たちが、日本でどれだけのことを得られるか。それによって、私たちの活動も評価されるのではないかと思っています」(渡邉)
「今後の自分の課題は、チームビルディング」(夏井)
「先に行動してからリスクを解決することが大事」(渡邉)
夏井陸 社会学部3年
渡邉大雅 経済学部3年
最後に、今回の留学、そして《MATSURI GENT -Japan Festival-》の企画・準備・運営を通して、彼ら自身が得たものを教えてもらった。
「フェスというビジネスモデルのあり方、人脈のつくり方、ヒューマンリソースの活かし方、マーケティングの方法......知り合いがいない海外で、一つひとつ学びながら身につけていけたことが大きな収穫です。一方で、運営にフォーカスしていた分、フェスを次に引き継ぐチームビルディングまではできなかった。それが自分の課題だということが分かったので、今度は日本での活動で解決し、乗り越えていくつもりです」(夏井)
「とにかくやってみることが大事だと思いました。日本にいたままだったら、アイデアは浮かんでも実行はできなかったでしょう。自分の中で『場所は?』『人は?』と条件を並べて、やる前から諦めていたはずです。でもゲントという環境ではその制約が分からない。だから実行できた。やってみれば、案外何とかなるものだということを学びましたね。先に行動してからリスクを解決するほうが、いろいろなことができるんです。逆にもしフェスをやっていなかったら、とても後悔していたでしょうね」(渡邉)(談)