「日本語の壁」を取り払い、外国人留学生に学びやすい環境を提供 グローバル化推進の原動力となるプログラム"HGP"
2016年秋号vol.52掲載
一橋大学の交換留学生受け入れ数を再び増加させたのは、外国人留学生にとっての"壁"となっていた日本語能力の入学要件を見直し、国際教育の変革をもたらしたプログラムであった。本稿では、交換留学生の受け入れ数増加、日本人派遣留学生数の増加に寄与しつつ、学内全体のグローバル化推進にも大きな役割を果たしている"HGP"の取り組みについて紹介する。
現在、日本国内の各大学では、グローバル化に向けた取り組みが盛んに行われている。海外からの留学生受け入れ促進は、その取り組みの一つである。2008年に政府が発表した"2020年を目途に30万人の留学生受け入れを目指す"という「留学生30万人計画」の政策の一環として、各大学は国際的に魅力あるキャンパスづくりの努力を続けている。
より多くの外国人留学生を迎えるためには、単に受け入れの姿勢を示すだけではなく、教育のインフラを充実させると同時に、教育の国際化を図ることが不可欠となる。一橋大学は独自の国際教育プログラムを創設し、留学生の受け入れ数を飛躍的に伸ばしてきた。そのプログラムが"HitotsubashiUniversity Global Education Program"(以下、HGP)である。
語学能力の入学要件を緩和し交換留学制度を改善
留学生を受け入れる場合、日本の大学の課題となるのが、入学を希望する外国人の日本語能力要件である。かつて一橋大学でも交換留学生に対し、中級(日本語能力試験N2)以上の日本語能力を求めていた。つまり、一橋大学が協定校から受け入れる留学生は継続的に日本語を学んでいることが前提であり、日本語習得に対する一定の実績と高いモチベーションを持たない学生は、いかに学力的に優秀であっても受け入れの対象外となっていた。加えて、グローバル化による英語の国際共通語化や中国語台頭の影響を受けて、海外協定校で日本語教育の縮小が見られるようになると、交換留学生数は次第に減少していった。いくつかの協定校では、日本語学科や専攻が廃止となり、一橋大学との学生交流事業停止といった問題も起きていた。このような状況を改善するために2010年に発足したのがHGPである。
英語で学べる科目と初級日本語科目の充実をHGPの柱とし、協定校の学生は、日本語学習経験がなくとも、一定の英語力があれば入学可能と改め、学力の高い交換留学生の獲得と学生交流協定校の拡大を目指した。初年度となった2010年度の開講科目は58科目であったが、その後増加を続け、2016年度は全136科目(英語で学ぶ日本事情関係科目と社会科学分野の専門教育科目とを合わせて106科目、初級日本語科目が19科目、スタディスキル科目等が11科目)に達している。協定校からの交換留学生の数も2009年度の47人から、2016年度は130人を超える規模にまで拡大している。元来、教育機関として高いレベルにある一橋大学は、意欲的な協定校の学生にとって魅力的な留学先であった。そこへ、障壁となっていた語学能力の入学要件を緩和(英語能力で代替可)し、英語による科目を充実させたことが功を奏し、優秀な交換留学生を受け入れる間口の拡大へとつながった。
HGP導入による国際教育の充実がさまざまな副次的効果を生み出す
英語による科目の増加と初級日本語科目の向上によって交換留学生の受け入れ数増加を目指したHGPは、過去6年間で目覚ましい成果を挙げてきただけでなく、さまざまな副次的効果も生み出すこととなった。
一つ目の効果は、学生の多様性が拡大したことだ。入学の語学要件を緩和した結果、海外協定校から一橋大学へ交換留学を希望する学生たちの志向の多様化が進んだ。中・上級レベルの日本語能力習得を目指す日本語専攻の学生、日本の文化や社会に対する興味、関心をベースとした日本学やアジア学専攻の学生、経済学、経営学など社会科学を専攻しながら日本を研究対象とする学生など、動機や背景はさまざまだが、いわゆる「日本を学ぶ(日本について専門的に学ぶ)」留学生だけでなく、「日本で学ぶ(社会科学を専攻し、日本を対象領域として学ぶ)」留学生が、一橋大学に世界各国から集まるようになったのである。また、HGPは全学生を対象としていることから、日本人学生・学位取得留学生、学部生・大学院生、所属学部・研究科といった区分を超えて、共に学び合い、教え合い、交流を深めることができるようになった。つまり、HGPの英語による科目の受講を通して、多様な学生たちが一橋大学の中で出会い、グローバルな環境を体感できるようになった。
二つ目の効果は、多様化する日本語学習ニーズへの対応力が強化されたことだ。HGP発足以来、日常生活で困らない程度の日本語能力を身につけたい、短期間で徹底して日本語を学びたい、来日までの学習で中級程度には達しているので上級を目指して学びたいなど、交換留学生の日本語学習に対するニーズが多様化している。そうした幅広いニーズに応えるべく、目的別、技能別、レベル別に日本語教育科目を提供できるのが国際教育センターの強みである。HGPで英語による科目が増強されたことにより、初級日本語教育の需要が高まり、そのことが国際教育センターの日本語教育力をいっそう高めることになった。
三つ目の効果が、学生交流協定校の増加(2009年は大学間協定の20校のみだったものが、2016年には大学間協定が66校、学部間協定が10校に増加)と一橋大学から協定校への派遣学生数の増加だ。大学間で学生交流協定を締結すると、毎年度、同数の学生を交換(派遣・受け入れ)することになり、学生は本来の所属大学に学費を納めることで、協定校でも学ぶことができる(授業料相互不徴収)ようになる。言いかえると、一橋大学から協定校に一定数の学生を派遣するためには、その協定校から一橋大学へ留学する同数の学生が必要なのである。HGPを通して英語による科目と初級日本語科目の充実を図ったことが、海外の著名大学のニーズに応えるものとなり、協定校の増加へとつながり、増加した協定校から交換留学生が一橋大学へ継続的に派遣されるようになった結果として、一橋大学が協定校へ派遣する学生数も増加してきたのである(国際学生交流拡大の連鎖)。
四つ目の効果として挙げられるのが、より勤勉で優秀な交換留学生を協定校から獲得できるようになったことである。前述の通り、以前は、中級程度の日本語能力のみが受け入れの要件として課せられていたが、HGP開設後は英語か日本語どちらかの語学力が一定レベルであれば良いと緩和した一方で、4・0スケールのGPA(GradePoint Average)で累積2・7以上という学業成績基準、指導教員による推薦状の提出など、新たな出願要件を課した。この改定により、学力の高さと勤勉性を重視して、質の高い交換留学生を受け入れられるようになったのだ。実際、いくつもの海外協定校から、一橋大学は日本の交換留学先で最も人気が高く、最も競争率が高いと言われている。
HGPの創設と発展は、このようなさまざまな効果とインパクトを生み出しながら、一橋大学全体のグローバル化を推し進めるキーファクターとなっている。
交換留学生等年度別受け入れ数
- 2011年度は、東日本大震災のため一時的に減少
HGP開講科目数と履修者数(延べ人数)の推移
HGP設置前:交換留学生(受け入れ)の日本語レベルと履修形態
HGP設置後:交換留学生(受け入れ)の日本語レベルと履修形態
- 実線は主な履修形態、点線は履修の可能性を示す。
- Jは教授言語が日本語、Eは教授言語が英語を示す。
グローバル化に対応した国際教育を目指すマインドの変化
一橋大学は、高い日本語能力を備えた外国人を学位取得留学生として迎え、日本語による教育を通して世界に貢献できる人材を養成するという従来の方法は堅持しつつ、HGPの創設によって幅広い交換留学生の獲得、そしてグローバル化への取り組みを進めてきた。その際に重要なポイントとなったのは、教育システムの量的整備と質的充実に加え、大学としてのマインドを変化させることだった。その一例として挙げられるのが、初級日本語科目の正規授業化(単位化)である。HGP創設以前、上級の日本語能力は一橋大学で学位取得を目指す留学生が最低限習得していなければならないものと捉えられていた。そのため初級日本語教育は、研究生を対象とした準備教育プログラムとして位置づけられ、正規科目ではないために単位化されていなかった。よって、交換留学生が履修した場合、単位が取得できず、帰国後、所属大学で単位編入の対象外とされていた。一方、英語以外の初修外国語(第二外国語)科目は、当初から単位化されていた。外国語としての日本語と捉えた場合、留学生が初級日本語科目の授業で単位を取得できなかったことは、実質的に不公平な状態にあったと言えるだろう。初級日本語科目を正規科目として位置づけ、単位化したことが、多くの交換留学生にとって一橋大学を選ぶ理由の一つになっているようだ。
また、大学は自国民のためだけでなく、グローバルな観点から世界の多様な人々に対しても教育を行う機関であるという、マインドの変化も必要である。従来の日本的な"型"に捉われることなく、多様な留学生の目線から教育の質的向上を図る意識が求められるということだ。「グローバル化した世界に対応する国際教育を推進するためには、まず大学の『開放性』を高め、多様な学生を受け入れるべく『融通性』を高める。そして、教育の国際的な『通用性』を高めることで、世界の大学とつながる『接続性』が高まり、世界の多様な大学とのネットワークの下、学生や教職員の『流動性』を高める。その結果、大学の『多様性』が高まる。この連鎖を起こすことで、本質的な大学の国際化が実現できる」と太田浩国際教育センター教授(HGPディレクター)は語る。
英語による科目の増加と学内全体のグローバル化
2010年の開設から7年目になるHGP。その間、英語で行われる科目の数は増加を続けてきたが、背景には2012年に文部科学省の「グローバル人材育成推進事業」に採択された商学部の「渋沢スカラープログラム」と経済学部の「グローバル・リーダーズ・プログラム」の存在がある。事業採択を機に、商学部、経済学部の英語による科目が増え、HGP全体として多くの専門教育科目を英語で学ぶ環境を整備する方向性に拍車がかかったのである。また法学部は、政治学や国際関係論を中心に英語による科目数を増やしており、社会学部も2015年から英語による科目が増加するなど、各学部が英語による専門科目を増やす動きを見せている。
HGPが今後目指すべきこととして挙げているのが、日本人学生の履修者数増加である。HGPの開講科目は、一橋大学で学ぶすべての学生を対象としており、留学生と日本人学生、学部生と大学院生の間に垣根がないという特徴がある。日本人学生は、英語力に不安があると、GPAが下がることを懸念してHGP科目の履修をためらう傾向があるという。しかし、HGPは、英語による授業を受けるために必要な英語力とスキルを身につけられる科目"AcademicSkills in English"も提供している。また、外部講師を招聘して開催する「HGPセミナー」は、誰もが参加でき、"英語による授業"を体験できる機会として提供されている。英語による科目の充実に加え、留学生に対してはニーズに合わせた日本語教育科目を提供し、日本人学生に対しては英語による授業への不安を払拭するための科目群を用意する。そうした幅広い取り組みによって、学内全体のグローバル化をけん引しているのがHGPなのである。
グローバル化の進展に伴い、大学にも国際的な視点による変革が求められている。HGPは、一橋大学の国際教育における中核として、更なる変革を推進するうえで重要な役割を今後も果たしていくことになるだろう。
(2016年10月 掲載)