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法律が、自由な経済活動を行うためのツールとなるように

  • 国際企業戦略研究科教授小川 宏幸

2017年夏号vol.55 掲載

小川宏幸

小川宏幸

東京大学法学部卒、一橋大学大学院法学研究科修士、同研究科博士課程修了。博士(法学)。WashingtonUniversity in St. Louis School ofLawに留学。米国の契約法や不法行為法等を広く学ぶ。LL.M.取得。帰国後、亜細亜大学法学部において商法(有価証券法/総則・商行為法)や英米法等を講じ、現在は一橋大学大学院国際企業戦略研究科経営法務専攻(夜間)にて、社会人学生向けの講義を担当している。主な著書に、『金融規制改革』(日本評論社、2014年)、『法学叢書 金融商品取引法』(新世社、2012年)等がある。

法律の実務家やプロフェッショナルとインタラクティブな学びの場を形成

私は経営法務を専門領域に持ち、現在、一橋大学大学院国際企業戦略研究科(ICS)の経営法務コース(夜間)でさまざまな講義やゼミナールを行っています。
経営法務コースは、高度で実務的な法学教育を行うという目的のもと、会社法、経済法、知的財産法、金融法、労働法、租税法など、"ビジネス・ロー"に特化した多様な科目が用意された社会人向け大学院です。私はその中で、主に日本人学生を対象とした「金融取引と法」「アメリカ証券取引法」、外国人学生を対象とした「JapaneseSecurities Law」「Legal Practice in Japan」などの講義を担当しています。
ゼミナールには、銀行法、金融商品取引法、信託法などを研究する社会人学生が参加。後ほど詳しく触れますが、学生の皆さんは、企業の実務家から法律のプロフェッショナルまで、非常に問題意識が強い方々が集まっています。教員として私が教えられることを伝えつつ、法律の現場での"生きたケーススタディ"を皆さんから教えてもらい、私自身の研究に活かす──そんなインタラクティブな学びの場となっており、とても刺激的な毎日を送っています。

論理の一貫性を重視する法律学の美しさに惹かれて、経営法務の世界に入った

私が経営法務の世界に入ったのは、川村正幸教授(当時。現・一橋大学名誉教授)の著作物に触れたことがきっかけです。当時は学生ですから、教科書に出てくるような約束手形や小切手を振り出す場面は当然ありません。だからこそ、川村教授が展開する抽象的かつ緻密な論理の積み上げにはとても魅了されました。
法律とはいわば「そもそも論」の世界です。たとえば私が自分の名前で約束手形を振り出すとしましょう。「小川という人間が、◯月◯日に100万円をお支払いします」という約束手形。これは一方的な提案なのか、それとも受ける側との合意において振り出されるものなのか。あるいは、振り出した本人は10万円のつもりだったのに間違って100万円と書いた場合はどうなるか。盗まれてしまったらどうするのか。さまざまな議論や問題が出てきた場合を想定し、拠りどころとなるような論理が必要です。この法律はそもそもこういう主旨でつくられた、だからこの問題はこう解釈すべきである。そんな指針となる論理の一貫性を示し、法律学の美しさを感じさせてくれた「川村説」に、私は惹かれたのです。そのモチベーションは今でも変わりません。

"生きたケース"をもとに、自らの研究をアップデートする機会にも恵まれたICS

冒頭で触れたように、ICSでの講義やゼミナールに参加している学生は、社会人の皆さんです。属性は大きく二つに分かれており、一つは企業の法務担当として日々実務を行っている方々。もう一つは、弁護士や税理士、公認会計士など、いわゆる法律のプロフェッショナルの方々です。とても問題意識が強く、「このケースにはどういう法律的アプローチが可能か」「自分はこう考えるが、小川先生の解釈を教えてほしい」とストレートに質問してきてくれる方がほとんどです。
先日も、証券会社から来ている学生さんから「受託者責任(フィデューシャリー・デューティー)」に関する質問を受けました。貯蓄から投資による資産形成へ......という政策が進められる中、証券会社が高齢者の方々への商品提案を行う機会が増えています。高齢者の方々は金融商品になじみが薄いうえに、健康を害しているケースも少なくありません。それでも自分を信じて預けてくれるお客様の利益のために、受託者である証券会社がクリアすべき法律的問題は何か? こういった現在進行形の"生きたケース"をもとに議論が進められます。
私は法律の専門家として体系的な知識を伝えていますが、同時に自分の研究をアップデートする機会にも恵まれており、とても刺激的な環境です。

金融商品の先進国アメリカでは法律の専門家が商品開発から参加

金融商品開発の先進国は、アメリカやイギリスです。特にアメリカでは、金融商品を開発する段階から、弁護士など法律のプロフェッショナルが参加しているケースが多いようです。
たとえばデリバティブ(金融派生商品)などは、NASA(アメリカ航空宇宙局)で活躍していた数学者や物理学者らが金融取引を駆使することによって誕生した商品です。彼らは自分たちが生み出そうとしている金融商品について、法律的なジャッジはできませんでした。そこで法律の専門家が商品開発の川上の段階で参加。法律面への対応が整備されたのです。
大切なのは、こういった経済活動と、法律による規制のバランスなのだろうと思います。誰がどのような意図で開発したのか、まったくのブラックボックス状態では、何か問題が起こった際に法律による規制がかけられず、消費者に不利益を与えるでしょう。しかし一方で、金融取引は何よりも自由度を尊ぶ世界です。あまりに規制でがんじがらめにしてしまうと、その後の経済活動を阻害しかねません。このバランスを最適化するためにも、法律の専門家が商品開発の段階から参加することは、一定の意義があると私は考えています。

法律のリテラシーを持った人材の育成に携われることにやりがいを感じる

日本の金融商品取引法はアメリカの証券法がベースになっています。その意味では、金融商品の開発においても参考にすべき点は多いでしょう。先ほども触れたように、日本政府は「貯蓄から投資へ」という路線を推し進め、金融立国を目指しています。しかし金融取引全般について、法律の専門家はまだ「問題が起こってから......」という"後追い"感が否めません。企業内の実務家についても、法律のリテラシーを装備する余地はまだまだあります。
法律のリテラシーとは、法律の「そもそも論」にさかのぼって主旨をつかみ、何がハードルかを見極める力のことです。このリテラシーを装備した人材が増え、理論武装をし、確信を持って金融商品を世の中に送り出すことができれば、金融立国実現の可能性が見えてきます。つまり法律は、自由な経済活動を行うための一つのツールなのです。
金融はとても裾野が広く社会的な影響が大きい分野です。金融業界に直接携わってはいなくても、個人として資産形成を行う人はたくさんいます。誰もが切実な問題として興味・関心を持っていますから、金融業界が盛り上がることによる社会的な影響の大きさは計り知れません。このような時代に、法律のリテラシーを持った人材の育成に携われることは大きなやりがいです。

特定のビジネスの事情通になるよりも大局観を示せる研究者を目指している

私はフィデューシャリー(受託者責任)の研究会に参加していますが、そこで「そもそも有価証券とは何か?」という面白いテーマをいただき、最近報告書にまとめたところです。かなり専門的な話になってしまいますので詳述は避けますが、有価証券の定義次第で適用される法律が異なる点は重要です。
ある金融商品が、有価証券であれば金融商品取引法が、保険契約であれば保険法が、為替取引であれば銀行法が、信託であれば信託法が、それぞれ適用される......という具合です。しかし実際ははっきり色分けできるわけではなく、どの法律を適用すべきか判断が難しいケースが増えてきています。
法律の理論はこのような現実のビジネスや、裁判所が示した判例とつねにキャッチボールをし、私たち研究者の間でも意見をすり合わせながら更新され続けています。だからこそ、面白いんですね。私は特定の業界の事情通になるよりも、むしろ現場から一定の距離を置き、大局観を指し示せるようになりたいと考えています。それはおそらく、理論の美しさに惹かれて法律の世界に入ったからでしょうね。物理学でいうところの「E=MC2」のようなシンプルな理論を、法律の領域で見出せたら最高です。(談)

(2017年7月 掲載)