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文学の面白さは、作家が意図しないことを書けてしまうところにある

  • 言語社会研究科教授鈴木 将久

2017年秋号vol.56 掲載

鈴木 将久

鈴木 将久

言語社会研究科教授、博士(文学)(東京大学)。東京大学文学部中国語中国文学専攻、同大学院人文科学研究科中国語中国文学専攻修士課程、博士課程修了。博士課程在学中に北京大学中文系留学。1997年東京大学大学院人文社会系研究科アジア文化研究専攻博士課程修了。同年4月明治大学政治経済学部専任講師に就任、同大学助教授、准教授、教授を経て2013年一橋大学言語社会研究科教授に就任。現在に至る。近著に『新聞で見る戦時上海の文化総覧-「大陸新報」文芸文化記事細目』(共編著、ゆまに書房、2012年)、『上海モダニズム』(中国文庫、2012年)などがある。

中国の近代は西洋化一辺倒ではなかったことに気づき都市上海で活動した中国人作家たちの動向に注目

私の研究の中心的テーマは、「中国にとって『近代』とはどのような体験だったか」を文学の側面から考えるというものです。はじめは、中国における西洋文化の窓口であった都市上海の文学が研究対象でした。1930年代の上海は開港都市として、西洋との貿易によって発達し、享楽的な商業文化が栄えていました。中国人作家にとっても、西洋の先進文化はあこがれの的だったのです。また商業文化を背景に、出版社が中国でもっとも集中的に存在し、併せて多くの文学者が集っていたという状況もありました。そんな上海を研究対象に、中国での西洋文化の受容の様子を考えようとしたのです。
ところがすぐに、中国の近代は西洋化一辺倒ではなかったことに気づきました。上海の西洋文化は、イギリスをはじめとする西洋列強が行政権を握る「租界」というエリアにおいて栄えたものです。つまり中国人作家から見ると、あこがれの西洋文化は、自らが行政に参与できない植民地状況を同時に意味していました。上海の中国人作家がモダニズム文学を試みることは、単に西洋の優れた文学活動を学ぶ・受容するという意味ではなく、自らが置かれたコロニアルな状況に対する問いをつねに喚起するものだったわけです。そのことに気づいた時、都市上海の文化がなぜ変形・挫折したのかという大きな問題に直面しました。そこで、都市上海で活躍した中国人作家たちが、中国近代における結節点ともいうべき日中戦争中に、どのような文学活動を行ったのか?という点に研究の軸足を移したのです。

高校時代に中島敦の作品にふれて中国に興味を持ち中国人作家が上海を描いた作品を卒論のテーマに

私が中国の文学にふれるきっかけとなったのは、高校時代に教科書で読んだ中島敦の作品です。同世代にはそういう人がけっこう多いですね(笑)。彼の作品を読み、そこから中国の政治や歴史などに関心を持ちました。
そして卒論で初めて、いわゆる中国文学を読んだことから、研究対象を文学に絞っていったのです。その作品は茅盾(ぼうじゅん)の『子夜(しや)』(1933年)で、1930年代の上海をさまざまな角度から描くことが目標とされた作品でした。当時の私にもとても読みやすく、また理解しやすい内容でした。近代中国における政治体制の変化とリンクする形でメディア状況も大きく変化し、一部の人たちの間で交わされていた「言葉」が国全体に流通していく。その中で、対応できる部分と対応できない部分が描かれていると感じました。茅盾からすれば《遠い時代の》《外国人学生》である私にも、まさに変革期が訪れていることが如実に伝わってくる内容でしたし、卒論でもそのように結論づけました。

外国文学に見受けられる「上手くない文学」には作家のチャレンジの跡を追いかける面白さがある

読みやすい・理解しやすいと感じる一方で、不思議なシーンに出会ったことも事実です。なぜここで、茅盾は急に熱く語り出すのか。なぜ前後の文脈から逸脱したシーンを描くのか。そんな疑問を感じた部分も多々ありました。しかし日本人学生の私には不可解でも必ず意味があるはず、茅盾にその部分を書かせた「何か」が存在するはずです。その意味や必然性が何なのかを掘り下げるために、私は本格的に中国文学の研究を始めました。
文学の面白さは、作家が意図しないことを書けてしまうところにあります。それまで俯瞰して書いていた文章に、急に主観が入ってきたり、その逆が起こったり......ということは文学においては頻繁に見受けられます。フィールドワークをベースにした社会学や文化人類学、古書・史料をベースにした歴史学では、書き手が意図しないことを書いてしまったら失敗です(笑)。しかし、人間の息遣いに寄り添った文学では起こり得ることですし、私個人の嗜好を言えば、そんな「上手くない文学」のほうがむしろ好きです。
上手くない文学、引っかかりの多い文学には、必ず作家のチャレンジの跡があり、そのチャレンジの跡を追いかけることがとても楽しいと感じています。日本人の私にとっては、外国語で書かれた外国文学のほうが、一字一句細かく読み込むぶん、引っかかりもチャレンジの跡も見えやすいのでしょう。
日本人作家の優れた作品は読んでいて楽しいですが、研究をしたいとは思いません。「なぜこんなことを考えるのだろう?」「どんな背景があるのだろう?」と問わずにはいられない、そして答えを自分の外側に求めるほかない点にこそ、外国文学を学ぶ意味があると考えています。

中国の「農村的なメンタリティ」とは何か。
答えを見つけるのではなく、文学を通して感じ取る

現在は、中国近代にとって避けて通れないもう一つの大きな問題である中国革命について、都市上海における初期の社会主義受容と、毛沢東時代の実践の両方を視野に入れつつ、文学の側面から新たな位置づけができないか試みています。
冒頭でもふれましたが、中国近代、正確に言えば1930年代に花開いた「上海的なるもの」は長続きせず、中国全土に広がっていくことはありませんでした。それを戦後の共産党によるガバナンスと言ってしまえばそれまでですが、当時の中国にとっての社会主義とは何なのかは簡単に語れることではありません。また、それは毛沢東時代以降に中国人が選択した生活様式を説明してもくれません。
現段階で一つ挙げられるのは、上海に象徴されるような都市の生活者が原風景として持っていた「農村的なメンタリティ」の問題です。さまざまな文学作品を読み、中国の農村が持つ美しさに目を向けたいという欲求が、中国革命の理念と結びつき、昔からあった中国人の生活様式をもう一度見つめ直そうという方向につながったのでは?と考えています。しかし私は、日本の農村のことですらよく理解していません。ましてや、広大な中国大陸に無数に存在する農村にはどういうものがあるのか、農村的なメンタリティとはどういうものか、などについてはまだまだ理解が足りないと自覚しています。だからといって「理解できない」と放り出すのではなく、一方で情報だけを集めるのではなく、文学を通してそのメンタリティにアプローチする。答えを見つけるのではなく、人々の息遣いを感じ取りたい。そこに私の研究の目的があります。

「爆買い」の精神構造は、当の中国人にも説明しにくい。
焦らず中国文学の研究を進め、人々の息遣いに肉薄したい

私は2013年から一橋大学で研究を行うようになりました。元々ここでの研究には、三つの点で魅力を感じていました。
一つ目は学術性の高さです。学術性とは、一つひとつの文献を正確に読み、成果につなげる研究のことですが、一橋大学では学術性に優れた研究者がたくさん活躍しています。しかし一橋大学が面白いのは、文献を読み込みながらも研究対象を狭めない点です。特に中国研究は、中国の政治体制に共感するかアンチで臨むか、あるいは西洋と中国を二項対立で比べる、という硬直したものになりがちです。一橋大学はそのような比較にこだわらず、あらゆる側面を視野に入れた研究をしていると感じられます。これが二つ目の魅力です。そして三つ目は、政治体制そのものよりも、中国の人々の息遣いに注目した研究を、伝統的に行っている点です。それこそが、私の取り組みたいテーマだったので、喜んで一橋大学に着任しました。
中国文学を通して中国の人々の息遣いを感じ取る。それは決して簡単なことではありません。ただ、たとえば少し前に話題になった「爆買い」について、現象についてではなく、どんな精神構造がそうさせているのか、実は当の中国人でも明確な説明はできていないのです。日本人の私がどこまでその息遣いに肉薄できるかはまだ分かりませんが、焦ることなく、試行錯誤を重ねていくつもりです。(談)

(2017年10月 掲載)