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国境を越える人と社会を見つめる――移民研究から広がる社会学の想像力

  • 社会学研究科講師飯尾 真貴子

2025年10月2日 掲載

画像:飯尾 真貴子氏

飯尾 真貴子(いいお・まきこ)

2020年、一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程修了。成蹊大学アジア太平洋研究センターの博士研究員 を経て、2021年より一橋大学大学院社会学研究科専任講師に着任、現在に至る。専門は、国際社会学を中心とする、人種・エスニシティ論、国際移動論、移民政策論など。米国とメキシコを主なフィールドとしながら、国家による境界管理が越境的な人の移動にもたらす影響について研究を進めている。

国境を越える社会関係やさまざまなプロセスを捉える国際社会学

私の専門である国際社会学は「トランスナショナル(グローバル)・ソシオロジー」とも呼ばれ、国境を越えて生じる社会関係や、それに関連するさまざまなプロセスを捉える研究領域です。いわゆる国家間の関係だけではなく、人、モノ、情報、金融といった多様な要素が国境を越えて移動し、社会が変動していくプロセスを包括的に捉える視点を持っています。その中でも私は、移民政策を含めた国家の境界管理の実践が個々の移民とその家族に及ぼす影響というものに、強い関心を持って研究を続けてきました。現在は、二つの主要なテーマに取り組んでいます。

一つ目はアメリカの「移民1.5世代」の社会移動に関する研究です。移民1.5世代とは、幼少期から思春期にかけ、親に連れられてアメリカに移住した若年層を指します。アメリカで教育を受け、社会化されてきた彼らは、本来であれば社会で活躍できる力を持ちながら、法的には非正規滞在であるために、社会的に周縁化されてきた経緯があります。こうした状況を背景に、オバマ政権下では彼らを対象とした救済プログラム「DACA(Deferred Action for Childhood Arrivals)」が導入されました。しかし、これは恒久的な制度ではなかったため、彼らの法的地位は政権交代や司法判断によって不安定になりがちです。私は彼らの声を丁寧に聞き取り、アメリカの移民政策が個々の人生に与える影響を多角的に分析しています。

二つ目の研究テーマは、中南米諸国からメキシコを経由してアメリカへ向かう「トランジット移民」についてです。特に2000年代以降、メキシコは経由国として複雑な役割を担っています。アメリカでの国境管理の厳格化といった圧力を受けながら、メキシコは移民を管理・排除しつつ、もう一方では独自の難民庇護制度を根拠とした保護も進めようとしています。メキシコの難民庇護制度自体は、保護を求める人々にとって重要なものですが、一方で、これはアメリカの国境管理がメキシコに「外部化」されている状況と捉えることもできます。アメリカにたどり着くはずだった人々が、メキシコで難民申請をせざるを得なくなったり、あえて申請しない判断をするケースもあります。私は、メキシコで難民認定を受けて保護される人と、そうではない人々の困難や課題、そしてその背景にある制度的なメカニズムを明らかにしていきたいと考えています。

長距離バスの窓から見た光景が社会学への扉を開いた

インタビュー中の様子

私が現在の研究分野に出会ったきっかけは、リベラルアーツを特色とするアメリカの大学に進学したことと、そこでの生活経験です。また、当時興味を持っていたスペイン語を学び始めたところ、メキシコからの移民の人々と交流する機会に恵まれました。ご自宅に招かれ、スペイン語で交流する日々はとても刺激的で楽しかったですね。

大学卒業後の1年間、私はワシントンD.C.の大学や民間シンクタンクでインターンを経験しました。同時期に、勤務していた大学近くの韓国系のレストランで働く多くのラティーノ移民、特にグアテマラやエルサルバドル出身の人々と知り合いました。とりわけ、グアテマラ出身の女性と親しくなり、彼女と一緒に故郷の料理をつくるなどして交流を深めました。故郷に残した家族のことや、帰国したらチャレンジしてみたい商売の話を聞くうちに、私は彼らの背景や人生に一層強い関心を抱くようになったのです。

諸事情でワシントンD.C.での生活に区切りをつけ、日本に戻ることになった私は、帰国前の2か月間、バックパッカーとしてラテンアメリカの国々を回りました。長距離バスの窓から、過ぎ去る街並みや人々の生活を眺めているうちに、「世界はどこまでも地続きで、自分は人間と、その人間がつくる社会に興味がある」という思いが確信に変わったのです。当時大学で中心的に学んだ国際関係学では、国家自体を主要なアクターとして捉え、その振る舞いを俎上に載せて論じますが、どうしてそのような振る舞いになったのかという部分は「ブラックボックス」として扱っていました。そのことに物足りなさを感じていた私にとって、アメリカでの生活経験やラティーノ移民との出会い、そしてこの旅は社会学という新たな扉を開くきっかけとなりました。

アメリカの移民政策がメキシコ人社会にもたらした明暗

一橋大学の修士課程に進学後は、「移民先から戻ってきた人々が、出身社会にどのような影響を及ぼし、出身社会の発展とどのように関連しているのか」というテーマで研究を進めました。その時点では「故郷に錦を飾ったであろう人々」への調査を前提としていました。

主なフィールド調査先は、メキシコシティ付近でも特にアメリカへの出稼ぎ者が多かったネサワルコヨトルという町です。お世話になった家族からの紹介をたどり、「アメリカに行って帰ってきた人」を数珠つなぎで訪ね歩き、計69人の方々からお話を聞くことができました。すると、実は調査協力者の約3割がアメリカから強制送還された人々だったのです。着の身着のまま国境沿いに放り出され、家族とのつながりを失っていたために、故郷に長い間戻れなかったという人にも出会いました。アメリカで築いてきた生活を失い経済的に困窮するだけでなく、子どもと離ればなれになった苦しみを涙ながらに吐露する帰国者の姿に、強い衝撃を受けました。他方で真逆の経験をしている人もいました。70〜80代の高齢の方々の中には、国境管理が比較的緩やかだった過去の時代に頻繁にアメリカとメキシコを行き来し、十分な資本を蓄積して故郷に戻り、安定した生活を送っている人もいたのです。

強制送還された人々の苦難と、往還的に移動できた人々の安定した生活。この鮮明なコントラストを目の当たりにし、私はアメリカの移民政策が人々の人生に与える甚大な影響に気づかされました。この「衝撃」と「発見」が研究者として歩み始める決定的な契機となりました。

博士課程に進んでからは、都市部と村落コミュニティを比べ、人々のつながりが相対的に強い村落コミュニティでは、強制送還による負の影響が相互扶助のもとで緩和されるのではないかと予測し、メキシコ南部の先住民村落でフィールド調査を開始しました。ところが、調査を進めるうちに、帰国者を村の治安悪化と結びつける言説が広く流布するなど、強いスティグマが存在することが明らかになりました。大規模な強制送還を正当化するために米国で展開されてきた、移民を「犯罪者」として描く言説が、国境を越えて出身社会にも伝播・受容されている実態も浮かび上がってきたのです。

サボテンと書籍の写真

好奇心が源になるインプットと丁寧なアウトプット。研究室は知識の冒険の足跡に溢れている。

私にとってフィールド調査は、自分の中の前提や思い込みが何度も覆される、そんな経験の連続です。調査協力者との関係を重ねる中で、彼らの人生から本当にたくさんのことを教わり、学んできました。今年3月には、長年の調査をまとめた著書『強制送還の国際社会学』(名古屋大学出版会)をようやく刊行することができました。トランプ第二期政権の発足により、日本でも米国の移民政策への注目が高まっています。これまで私が取り組んできた研究が、そうした国家の政策のもとで移民やその家族に何が起きているのかを理解するための手がかりとなれば、こんなに嬉しいことはありません。

学生には「社会学的想像力」を育んでほしい

現在、日本社会も移民・外国人に関するさまざまな課題に直面しています。クルドの人々に対するヘイトスピーチなど、排外主義的な言説が広がりを見せています。また、アジアから来た技能実習生が過酷な労働環境から逃れて「失踪者」となり、非正規滞在の状態に陥るケースも後を絶ちません。

こうした現状の中で、私は学生たちに「社会学的想像力」を持つことの大切さを伝えたいと考えています。これは、社会の現状を批判的に捉えると同時に、自分とは異なる状況にある他者への共感(エンパシー)を持ち、個人の経験を社会構造や歴史的なプロセスと結びつけて考える力のことです。たとえば、ある逸脱行為について考える際にも、それを単に個人の自己責任に帰するのではなく、なぜそのような状況に陥ったのかについて、社会的・構造的な背景と関連づけて問い直す視点が不可欠です。

また、「社会学的想像力」を持つことは、私たちが無意識のうちに前提としてきた、日本は単一民族であるという神話や、それに基づく排他的な価値観を改めて問い直す機会をもたらします。私たちが暮らす社会の成り立ちを見つめ直すことで、遠い世界のことのように思えていた問題に対しても、きっと想像の範囲が広がるようになるはずです。そのきっかけになればとの思いから、私のゼミでは、NPOでのボランティア活動や入管施設での面会活動への参加、移動経験のある人へのインタビューなど、学生が「現場」に触れる機会を積極的に設けています。

学術研究は、しばしば感情を切り離して行われるものと見なされがちです。しかし、私は人々の痛みや喜びといった、生身の人間としての経験や営みに目を向け、それを大切にすることが、社会学的な移民研究の重要な意義の一つであると信じています。多様なバックグラウンドを持つ学生たちが、自身の原体験を糧に研究に向き合う姿に触れるたび、私自身も多くを学び、刺激を受けています。これからも、学生の皆さんの探究心と行動力に期待しています。(談)