地域固有のデータを駆使し、歴史的事象に経済学からアプローチする
- 経済研究所准教授山岸 敦
2025年7月30日 掲載
山岸 敦(やまぎし・あつし)
2016年東京大学経済学部卒業、2018年東京大学大学院経済学研究科修士課程修了、2019年米国プリンストン大学に留学、2024年同大学にて経済学博士課程修了。同年より一橋大学経済研究所准教授、現在に至る。専門は都市・地域経済学、労働経済学、公共経済学。日本の社会問題をミクロ経済・計量経済学的手法を組み合わせて分析している。
最低賃金、部落差別、戦災からの復興などの社会問題を実証分析
私は応用ミクロ経済学の中でも特に、都市・空間経済学という分野に軸足を置いて研究を行っています。「最低賃金は労働者の厚生を改善したのか」「部落差別の厳しさの歴史的推移を定量的に把握するにはどうすればよいか」など、日本のさまざまな社会問題にこの分野の視点からアプローチし、実証分析を試みてきました。
最近、一番力を入れているのは「広島の中心市街地が原爆による破壊から復興できたのはなぜか」という研究テーマです。1945年8月、広島は原爆が投下されたことで中心市街地が完全に破壊されてしまいます。しかし、現地に残されたデータを集めて経済活動の分布の変遷を分析したところ、驚くべきことが分かりました。被災後は郊外に闇市が生まれ一時的に街の形が逆転しますが、わずか4〜5年で、なくなってしまったはずの中心市街地に人々が戻ってきていたのです。その分析から見えてくるのは、広島という都市が持つポテンシャルです。人類史上例のないダメージを負ってもなお失われない回復力とは何か。さまざまなデータや経済理論を組み合わせ、さらに研究を深めています。
ローカルを突き詰めるとグローバルへとつながる
広島の経済復興に関する研究に対して、学会で知り合ったウクライナ人の研究者が興味を持ってくれました。彼は、「キーウ・スクール・オブ・エコノミクス(ウクライナの大学)のオンライン授業で広島について話してほしい」と依頼してくれました。現在ウクライナは、ロシアとの戦争によってオデーサなどの都市が大きく破壊されています。戦争が終結する日がきたとしても、復興をどのように進めるべきかは必ずしも自明ではない。その観点から、実は広島の戦後の経済復興は世界的に注目されているケースであることが分かりました。
戦争だけではありません。地震や洪水などの自然災害によって都市がダメージを受けてしまうケースも年々増えています。復旧・復興に向けてすべきことを考えるうえでも広島での経験は重要であり、決して無駄にしてはならないのです。
日本のデータを使って日本の社会問題に対する実証分析を行うことは、ある種非常にローカルな取組です。広島の図書館に足を運び、手に臭いが移ってしまうような古い資料のページをめくる。こんなことをやっている経済学者は世界でも私ぐらいでしょう。しかしその結果、私の研究とウクライナの戦後復興という大きな世界的問題との間に接点が生まれました。ローカルを突き詰めると「世界にただ一つの研究」となり、グローバルにつながっていくのです。
私はこのつながりを、ほかの研究テーマでも見出していきたいと考えています。初めに触れた部落差別の問題では、京都にある被差別部落の内と外で生じる地価の差に着目。40年以上のスパンで推移を定量的に把握して、都市経済学の理論に基づくと地価の差が部落差別の厳しさを示していると論じました。その結果を、たとえばアメリカの黒人差別の研究とつなげるにはどうすればいいか。同じ人種間で生じる部落差別と、異人種間で生じる黒人差別との間にどのような研究上の共通言語を見出せるか。グローバルな場でアイデアを交換し、また日本というローカルな場に持ち帰る......というように、ローカルとグローバルを行き来できたら、それは社会科学の研究を進めるうえでもとても良い歩み方ではないでしょうか。
留学先で感じた、「劣化コピー」になる危機感
私が日本の社会問題の研究に軸足を置こうと決めたのは、博士課程で米国のプリンストン大学に留学したときでした。
学部でゲーム理論を学んだもののついていけず、修士課程では応用理論を使った分析に取り組みましたが、自分の進むべき方向としてはまだ完全にはしっくりきていませんでした。その後、留学先で盛んに行われていたデータ分析にチャレンジしてみましたが、授業などでアメリカの事象の分析を行う際、周囲の学生との大きな差を感じたのです。そもそも語学の才能に恵まれていたわけではありませんし、歴代の大統領と政策の関連について即答できるほど、アメリカの歴史に詳しいわけでもない。経済学の手法の理解度ではひけを取らないにせよ、トータルでの能力の差は明らかでした。
さらには「日本で生まれ、育ち、学んだ自分がなぜ外国の研究をしなければならないのか?」という違和感を拭い去れなかった。周囲の学生はアメリカの事象について英語で研究することに積極的でしたし、そこに心から関心を抱いているように見えましたし、彼ら自身の将来を見出しているようにも見えました。しかし私はどうしても彼らのような熱意、モチベーションを持てなかった。このまま一緒に研究し続けても、彼らや彼らの研究に追従する「劣化コピー」になるだけだという危機感さえありました。
では自分のモチベーションはどこに見出せるのか。それこそが日本人である自分が日本のデータを扱う研究でした。日本人なら誰もが習っている歴史の事象で、未だ経済学が向き合っていない社会問題がある。ここに軸足を置けば、私は彼らと同じ、あるいはそれ以上の熱意で研究に取り組めると気づきました。
不遇な層に対するシンパシーがモチベーションに
さらに「ではなぜ日本にこだわるのか」と自問を重ねたときに出てくる答えの一部は、「日本社会でビハインドを被った存在には、まだあまり経済学の光が当たっていないように思えるから」なのかもしれません。留学先で得た気づきをもとに取り掛かった研究テーマは先述したとおりです。原爆が投下された広島、被差別部落、最低賃金の労働者......。特に意識したわけではありませんが、いずれも何らかの理由で苦境に置かれてしまった人や地域を研究テーマに選んでいます。
私は中高生の頃、日本でも有数の進学校で学んでいました。友人たちの実家は、多くの場合がいわゆる富裕層でした。ごく一般的な会社員の家庭で育った自分では得られない経験を、友人たちはごく自然に享受していました。あくまで特殊な環境下で相対的にという意味ではありますが、何かしらのビハインドを感じたことで、恵まれない環境で苦しんでいる人々へのシンパシーが芽生えたのかもしれません。
研究アプローチのツールは応用ミクロ経済学であり、都市空間経済学ですが、私自身は経済学者である以上に「社会科学者」として社会問題に向き合いたいと考えています。
本棚には専門書に交じって古い資料も多い。「資料の貸し出しに制限がないので、教員になって良かったなと感じました(笑)」
一人ひとりが個性を打ち出せるのが応用ミクロ経済学
今後、私は二つの軸で研究を進めていきます。一つは日本の歴史的なイベントが現代社会に与える影響の実証分析です。具体例の一つが沖縄の米軍基地問題です。基地の存在が沖縄の産業、特にサービス業主導の経済をどう発展させたかを応用ミクロ経済のツールで研究します。そこで得られた結果は、たとえば大学が設置された地方都市の経済発展などの分析にも活かせると考えています。
もう一つは現代の社会問題に対する研究です。たとえば原爆の被災後に経済復興を果たした広島と、大震災後の復興が道半ばである東北地方や能登地方との比較検証。高齢化による空き家問題から見えてくる税制の歪み。こういった社会問題にアプローチすることが当面のテーマです。
教育面では、学生に対しては自分が得た経験や知見は惜しむことなく伝えていきます。修士論文をまとめるうえで有効な、汎用的な経済学のツールも教えます。しかし学生たちには、必ずしも私と同じような"都市空間経済学の研究者"になってほしいとは考えていません。私がずっと自分の中にあったものを捨象せず研究に昇華させたように、その人ならではのテーマを掘り下げ、自分の人生を歩んでほしいと思います。
その点、応用ミクロ経済学は一人ひとりが個性を打ち出しやすい分野です。先述したように、私は自分の関心の赴くままに研究を深めています。経済学のツールという、ある意味使い勝手の良い"包丁"を手に入れ、しっかり研いでおけば、あとは食材選びも切り方も、その自由度は大幅に上がります。掘り下げたいテーマを見つけられずくすぶっている人も、自分の研究スタイルさえ見出せれば一気に飛躍のチャンスをつかめる学問です。(談)