経済学はあらゆる事象を捉え説明できるポテンシャルを持っている
- 経済学研究科准教授中澤 伸彦
2024年12月26日 掲載
中澤 伸彦(なかざわ・のぶひこ)
2010年東京大学経済学部卒業。大学卒業後に財務省に入省、2015年米国カリフォルニア大学サンディエゴ校博士課程に留学、留学中に休職・退職。2017年同大学にて経済学修士課程修了。2020年同大学にて経済学博士課程修了。経済学博士(カリフォルニア大学サンディエゴ校)。2020年一橋大学大学院経済学研究科講師、2023年同大学大学院准教授に就任、現在に至る。専門は公共経済学、労働経済学、応用ミクロ経済学。
ミクロデータと質の高い分析手法を用いた実証研究
私は社会保障、教育政策、退職制度、人事制度、Peer effect(ピア効果)、政治経済、環境政策など、公共政策や労働市場に関わる分野について、ミクロデータと質の高い分析手法を用いて政策効果を推定するなどの実証研究を行っています。ミクロデータとは、一言で言えば人や企業レベルなどのサンプルサイズが多いデータのことです。質の高い分析手法はいくつかありますが、私がよく用いるのは、自然実験や準実験デザインと呼ばれる手法です。具体的には、実際の実験は行わないが「あたかも実験したかのようにランダムにトリートメントグループとコントロールグループが分かれているように見える」設定を利用し、因果効果を識別する手法で、回帰不連続デザインや差の差分法などの手法が含まれます。こうした質の高い分析手法を用いると、いくつかの条件の下で、バイアスがかからない政策効果を推定できることが知られています。
「公的年金の支給開始年齢引き上げが就労行動等に与える影響」というテーマを例に説明しましょう。年金制度の改正により、厚生年金の定額部分の支給開始年齢が60歳から段階的に65歳に引き上げられました。具体的には、ある生年月日までに生まれた人は60歳になった瞬間に年金が支給されますが、ある生年月日以降に生まれた人は60歳になっても年金が支給されないことになってしまいました。この政策は、前者のグループと比較して、後者のグループにどのような影響を与えるでしょうか。前者のグループは60歳になった瞬間に年金が支給されるので、60歳時点で引退して働かなくても生きていけます。一方、後者のグループは、たまたま生まれるのがほんの数日遅かっただけなのに、当該政策の変更により年間で数十万円もの年金を受け取れなくなってしまいました。そのため、後者のグループは理論的には60歳になっても労働市場にとどまり働き続ける割合が高まります。
こういった理論的予測は、何らかの理由で現実では成り立たないことがあるため、理論と現実は同じなのか異なるのか、実際にデータを用いて検証することが大切なのです。このように、ミクロデータを用いて検証する分野のことを、応用ミクロ経済学と言います。データを用いて実証分析をする際、冒頭で紹介した自然実験や準実験デザインは有用な手法です。なぜなら、両グループは生まれたタイミングが少し違うだけであたかもランダムに分けられたように「見える」ので、彼らを比較する限りにおいて、他の要因(能力や教育水準や家庭環境等)からの影響を受けることなく真の政策効果を推定できる可能性が高まるためです。
また、最近特に興味を持って研究しているのがPeer effect(ピア効果)です。日本語に直訳するなら同僚効果が近い表現になるかと思いますが、ある共通の目的を持った仲間や同僚が、その中の他人の生産性や行動等に影響を与える効果を指します。たとえば、「男子校(女子校)に入学することが将来の所得等へ与える影響」「優秀な上司と一緒に働くことが、若手の将来の昇進や生産性等に与える影響」といったテーマを研究してきましたが、これらはまさにPeer effectに着目した研究です。Nature vs Nurture(生まれか環境か)という議論がよくありますが、遺伝的な要因だけでなく、環境的な要因が生産性等に影響を与えるエビデンスを提供しています。
何より重要なのは、経済学はこれらすべてを包括する学問であるということです。前述のPeer effectは一見すると経済学には思えないカジュアルなトピックに映るかもしれません。しかし、たとえば「チームメイトに大谷翔平やリオネル・メッシなどのスーパースターがいたら、他のチームメイトの成績・パフォーマンスはどうなるか」という研究も、経済主体の行動や影響を分析する立派な経済学です。経済学は、人・企業・政府など幅広い経済主体の行動を分析する学問で、ありとあらゆる事象を捉え、説明するポテンシャルがあると考えています。
「なんとなく」選んだ経済学部でマクロ経済学に出会う
しかし、実を言うと私が経済学を学ぶきっかけは「なんとなく」でした。高校時代も、大学の学部選びについて深い考えはなく、父も兄も経済学部を卒業したから自分も......という程度の動機でした。実際に大学に合格したあと大学1年目は、一浪して1年間余分に勉強した反動で思い切り遊ぼうと、勉強は単位が取れて進級できるくらいにとどめて、もっぱらテニスサークルに打ち込んでいました。
しかし、2年生になった時にサークルの先輩から「専門科目はしっかりやっておいたほうがいい」というアドバイスをもらい、後期から始まった専門科目は全て出席して試験勉強もまじめに取り組みました。その中で、神取道宏先生(東京大学経済学研究科教授)のミクロ経済学の授業や、岩井克人先生(東京大学名誉教授)のマクロ経済学の授業等を履修し、次第に経済学の面白さに気づき始めたのです。特に岩井先生の授業を通じて、日本経済新聞などで普段目にするような経済事象について経済学の理論を用いて説明できることがわかり、感動しました。3年次から始まるゼミ選びでは、悩んだ末に、岩井先生の人柄と授業に惹かれてゼミに入り、卒業論文では岩井先生の研究テーマの一つである貨幣をもとに、基軸通貨による均衡の安定性を吟味する内容にまとめました。岩井先生はマクロ経済学者ですが、マクロ経済学にとどまらない教養を学びました。例えば、Robert Axelrodという人のThe Evolution of Cooperationというゲーム理論の本を読んで、単純な二項対立にとどまらない均衡やアリストテレスの中庸について学んだり、E.H.Gombrichという人のStory of Artという本を読んで絵画についての教養を教わったりしました。(しかし、美術について私は不得手で先生には申し訳ないですがあまり理解できませんでした。)
財務省を経て、カリフォルニア大学の経済学博士課程へ
マクロ経済学を専門とするゼミでは、GDP、為替、国際貿易といったより大きな経済単位を扱います。そのため、日本で民間企業に就職した場合、学んだマクロ経済学の知識を活かすことは難しく、就職活動をしながら大学院に進もうかどうしようかとぼんやり悩んでいました。そんな折、大学の3年生の冬に、経済産業省の官僚が大学に業務説明をしに来てくれました。自分にとって官公庁というものは未知の世界だったのですが、その説明会で感じた圧倒的なエネルギーに、官僚というのも面白そうだ、と単純に思いました。特に、財務省であれば、財政政策を通して、学んだマクロ経済学や財政政策の知識が活かせます。しかし、その説明会のタイミングが3年生の冬で、国家試験まで半年もない状況でした。そのため、年末から公務員試験予備校に通い集中して勉強して何とか合格し、最終的にはご縁があった財務省に入ることになりました。経済学も面白かったので、大学院も捨てがたかったのですが、親の理解を得るのが難しそうでしたし、財務省には留学制度があったので、大学院に直接進むのも社会人になってから海外の大学院に留学するのもそんなに違いはないのではないかと考えました。入省後は国債の発行や入札事務に携わったり、地方の国税局で税務調査をしたり、財務総合政策研究所でちょっとした研究に参画したりもしました。忙しい仕事の合間を縫って留学予備校に通うなどして留学準備をすすめ、2015年9月にカリフォルニア大学サンディエゴ校の経済学博士課程に留学しました。修士課程というステップを踏んでいないにもかかわらず有名な大学の博士課程に留学できた理由は、少なくとも三つあると思います。一つ目は、サークルの先輩のアドバイスで学部の専門科目をしっかり学んだのでGPAが良かったこと。二つ目は、ゼミに真面目に取り組んでいたこともあり、おそらく推薦状の内容がよかったのではないかと思われること。三つ目は、東京大学医学部卒で経済の戸田アレクシ哲先生(米国・エモリー大学教授)がカリフォルニア大学サンディエゴ校に赴任された直後で、私の応募書類が彼の目に留まったことでした。偶然がいくつも重なって留学を実現できたと感じています。
博士課程で悪戦苦闘した末に、応用ミクロ経済学の手法を学ぶ
経済学の博士課程は過酷な場所です。マクロ経済学・ミクロ経済学・計量経済学について、猛スピードで授業が進んでいき、膨大な量の宿題がでます。私は、この1年目のコースワークで大変苦労しました。その理由は主に三つあり、学部卒だったので修士レベルの深い経済学の理解が不足していたこと、社会人を経ていたので数学等にブランクがあったこと、英語が苦手だったことです。特に英語は本当に不得手で海外に行ったこともほとんどなかったため、授業の理解はおろか、クラスメイトとのコミュニケーションにも苦労しました。そのため、博士課程からドロップアウトしないよう、食事・入浴・就寝以外の時間のほぼ全てを勉強に費やさざるを得ない日々でした。それでも授業が進むスピードは速く、いくつかの部分で消化不良になっていたと思います。幸運にも、親切な同級生や先輩に勉強を教えてもらったりして何とか生き残りました。
1年目の終わりの試験に全て合格して何とかコースワークを乗り切ると、2年目からは専門的な科目を履修して専門性を高めることが期待されます。私の場合、公共経済学が専門のジュリー・カレンという先生の授業を取ったことが、自分の専門を決めるきっかけとなりました。私自身公的部門の勤務経験があったので、政府歳出などに関する彼女の授業を興味深く聞くようになりました。彼女の主な研究対象は、公共政策がどのように経済や人や企業等の経済主体に影響を与えるか、ミクロデータを用いて検証する、実証ミクロ経済学や応用ミクロ経済学と呼ばれる分野でした。私の学部時代の専門は前述したようにマクロ経済学だったのですが、彼女の授業を通じ、本格的に公共経済学や労働経済学などの応用ミクロ経済学の研究に進もうと決意しました。彼女に指導教官になってもらうと同時に、関連する専門科目を履修して、さらに専門性を深めることにしました。その際、博士課程2年目の労働経済学の授業で、はじめに紹介した「年金の支給開始年齢引き上げが人々の就労行動にどう影響を与えるか」というアイデアを思いつき、プロポーザルを書き上げ発表して意外にも高評価を得ました。それで少しずつ自信がつき、もしかしたら研究者としてもやっていけるかもしれないと思うようになりました。その後、研究に専念するために、財務省は休職・退職することになりました。上述したアイデアは、その後フィードバックを重ねて私のメインのジョブマーケットペーパー(世界中の大学に応募するための就職活動用論文)になりました。
一見意味がないことでも、後々意味をもつことがある
最後に、この文章を読んでいるであろう学生に、僭越ですがアドバイスを送ろうと思います。これまで述べてきたように、私は直観にしたがって生きてきましたし、私の人生は多大なる偶然や幸運に左右されています。そのため、あまり有用と言えるアドバイスはないかもしれません。ただ、その中でも一貫していたことは、自分が本当に面白いと思ったことや、自分の軸については、本気で一生懸命取り組んだということです。一見意味がないと思われることも、後々意味がでてきたり、全く別の場面で偶然つながってくることがあるのです。したがって、学生諸君には、自信をもって回り道をしてほしい、ただし、その間も何かを本気でやってほしいと思います。私の場合は、大学を通じて面白いと思って真摯に勉強した専門科目の経済学は、その後私の職業になりました。大学1年生のときに時間を忘れるほどサークルで思い切り遊んだことは、今では2度とできない貴重な経験です。大学2年生のときに政治学の授業で偶然面白いと思い勉強した経路依存性という概念は、その後ゲーム理論や貨幣論で形を変えて出てきました。大学3年生の時に読んだ本の中にでてきたreciprocity(互酬性)という概念は、何年も後に留学先のアメリカで再会しました。大学3~4年生で取り組んだゼミでは、岩井先生からかけがえのない多くのことを学び、それらの知識や教養は今も私の血肉となり、私の大切な部分を構成しています。また、ゼミを通じ生涯の友人とも出会えましたし、当時の先生や一部のゼミ生とはいまだに交流があります。社会に出た後も、それらの知識や教養、繋がりといった財産に助けられたことが何度もありました。そして、博士課程で泣きそうになりながら毎日勉強したことは、私の礎となっています。このように、その時々で自分が一番大事だと思うことに対して、本気で一生懸命に取り組めば、それは後々大きな意味を持ったり、自分の軸になりうるということです。極論すれば、もし自分が本気で取り組みたい何かが今存在し、それが大学で提供できないことであったり、もう大学で学ぶことがないと思うようであれば、一時的に大学に来なくてもいいと個人的には思っています。ただし、その場合は、その何かに一生懸命取り組んでほしいと思います。私の場合は、その一つが経済学だったということです。学生の間しか、有り余るような時間を手にすることはできません。何をするにしても、本気で一生懸命取り組む、ということが一番大事だと思います。(談)