歴史を学んだ人は、内面で小さな革命を起こす
- 社会学研究科講師牧田 義也
2024年12月26日 掲載
牧田 義也(まきた・よしや)
2004年上智大学文学部史学科卒業。2007年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻修士課程修了、2012年一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士課程単位取得退学。博士(一橋大学)。日本学術振興会特別研究員DC1、日本学術振興会特別研究員PD、立命館大学政策科学部助教、上武大学ビジネス情報学部講師を経て、2023年一橋大学大学院社会学研究科専任講師に就任、現在に至る。専門は、グローバル・ヒストリー、アメリカ史、国際赤十字運動と人道主義の歴史、歴史理論。
人道主義=普遍的な価値?
現在の私の研究テーマは大きく分けて三つあります。国際人道支援事業の歴史、ニューヨーク社会史、そしてパブリック・ヒストリー等の歴史理論です。まず、国際人道支援事業の歴史についてですが、主に国際赤十字運動の歴史を研究しています。人道支援事業の歴史のなかで、私が興味をもっているのは支援者と被支援者の関係性です。人道支援の現場では「与える者」と「与えられる者」との不均衡な権力関係が生まれがちです。そこには単純な善意や同情を超えた、複合的な政治力学が含まれているのです。
近代的な人道主義(humanitarianism)の考え方は、18世紀末の西洋社会に由来します。人間の尊厳を擁護し、人類の福祉を増進するという人道主義の思想は、国や民族、宗教、性別などを超えて多くの人々が共有する普遍的な価値として捉えられがちです。しかし、この思想が生まれた歴史的背景を考えると、話はそれほど単純ではないことがわかります。
支援をする側とされる側の間の不均衡なパワーバランス
たとえば、人道支援事業は苦難に直面する人々に支援の手を差し伸べようとしますが、そもそも人道支援の対象となる苦難とは何かという認識は、国や地域、宗教等によって大きく異なります。また、紛争地のような緊急性の高い人道支援の現場では、誰にどのような支援の手を差し伸べるのか、難しい選択を迫られることになります。国際的な支援事業では、人間の尊厳をめぐる多様な価値観がせめぎ合うなかで、複雑な政治力学が働くことになるのです。
人道支援の現場では、支援をする側とされる側の間に決定的な力関係が発生します。考えてみれば当然のことですが、支援する側は、他者の支援にまわせるだけの余力があるから支援ができるわけです。その一方で、支援される側は、他者からの支援を必要とする何らかの不足があるから支援を求めることになります。こうした支援者と被支援者との関係は、「持てる者」と「持たざる者」との間に構造的に不均衡なパワーバランスをはらんでいるのです。
近現代の世界史を振り返ると、人道支援事業における支援者と被支援者との非対称な権力関係は、植民地主義と密接に結びつくかたちで展開してきたことがわかります。宗主国の統治者は、植民地の現地住民に対して、社会インフラの整備や伝染病対策、災害救護等のさまざまな人道支援を提供しました。しかし、これらの人道支援は、あくまで宗主国統治者からの「恩恵」として与えられ、現地住民の「権利」として位置づけられることはほとんどありませんでした。その結果、人道支援を提供することは植民地支配を正当化するロジックに使われ、植民地社会の不均衡な権力関係を裏書きし、下支えするツールとなったのです。
こうした人道支援事業における支援する側の「上から目線」は、支援される側もよくよくわかっています。わかったうえで、人道支援を自らの生存戦略に結びつけていくために、支援する側の欲望を何とか操ろうとします。支援される側の人々も、単なる受け身の存在ではないのです。人道主義という名のもとで行われる支援の現場では、支援者と被支援者の思惑がせめぎ合い、場合によっては生々しい闘争が起きます。ですから人道主義は扱いが難しく、普遍的価値と一括りにできるほど単純なものではないのです。
ドイツ史からアメリカ史へ、文化史から社会史へ
私が20世紀初頭の近現代史に興味を持ったのは、大学でドイツ近現代史を研究している教員の授業を受けたことがきっかけで、当初はドイツ史を専攻していました。しかし、1920年代のドイツの文化史を学ぶなかで、当時のヨーロッパに数多くのアメリカ人、特に文化人が滞在していたことに興味をもつようになり、私の関心はドイツ史からアメリカ史へと移っていきました。
学部の卒業論文では、19世紀後半のニューヨークで活躍したデンマーク出身のジャーナリストであるジェイコブ・リイスの思想と実践を考察しました。デンマークからアメリカに移住してきたリイスは、日雇い労働から始めて徐々にジャーナリストとしての地位を確立していき、ニューヨークの社会改良家としても名を馳せた人物です。卒業論文では、リイスの著述のなかで、貧しい移民たちの生活がどのように描かれていたのかを分析しました。
その後、大学院修士課程では、20世紀初頭のニューヨークにおける失業問題について研究しました。当時のニューヨークは、社会福祉システムが未整備で混沌とした状態でした。そのなかで、失業という問題を失業者の自己責任として放置するのではなく、そこに一定の社会的責任を認めようとする機運が少しずつ醸成されていきました。修士論文では、失業者たちが社会的権利を求めて繰り広げた抗議運動について分析しました。
私は歴史を考えるときに、政治家や官僚等の指導者たちではなく、路上生活者、孤児、売春婦、障がい者等、当時、社会の底辺に位置づけられていた人々に注目します。こうした「社会史」とよばれる視点に立つと、彼らが単に受け身の「社会的弱者」というわけではなく、法律を逆手にとって自分たちの生存戦略に活かし、たくましく生きていた様子も見えてきます。ニューヨークの社会史は、現在まで続く私の二つ目の研究テーマとなっています。
過去を知ると現在の認識も未来の見え方も変わる
歴史学とは、過去の事象を探究する学問です。「かつてそこで何があったのか」という歴史学の問いはとてもシンプルですが、この問いに答えを出すことは案外難しいものです。タイムマシーンに乗って過去を見に行くわけにはいかないので、歴史研究者は残された過去の痕跡、つまり史料を手がかりになんとか過去の実相に迫ろうと努力を重ねます。では、このように苦労して過去の事象を探究する歴史学には、どのような意義があるのでしょうか。
歴史学の社会的意義は、過去の出来事の検証を通じて、現代社会の成り立ちやその問題点を理解し、よりよい未来をつくり上げる構想力を養うことにある、といえるかもしれません。しかし、「過去の出来事を学び、現代社会で活かせる教訓を見つけよう」「過去を反面教師にして良い社会をつくっていこう」というように、歴史を学ぶことに実利的な効用を求め過ぎることは、私は好きではありません。
歴史を学ぶことにはもっと根源的な意義がある、と私は考えています。過去の出来事や事象について知るということは、否応なく私たちの現在に対する認識に影響を及ぼします。すると未来もまた違って見えてきます。
たとえば、あなたが暮らしている町の歴史を調べてみるとしましょう。調べていくなかで、過去に起きたさまざまな出来事や事件等について知ることになります。自分が暮らしている町の歴史というのは、灯台下暗しで、案外よく知らないものです。さて、こうして町の過去について情報が蓄積されていくと、それは翻って現在の町に対する認識にも影響を及ぼすことになります。ふだん何気なく歩いている通勤・通学路が、実は千年以上前につくられた街道だった、なんてことを知ると、それまで気にもとめなかった道の景色が、なんだか大事なものに思えてきたりするから不思議です。
これをちょっと大げさに言えば、過去に関する知識が、現在に対する認識に変化をもたらしたということになります。歴史を知ると世界がちがって見えてくる。それは世界認識をめぐる小さな革命といえます。歴史を学ぶということは、学んだ人間がそれぞれの内面で、こうした小さな革命を起こすことに等しいのです。ひとつひとつは些細な、小さな変化かもしれません。しかし、その積み重ねが大きな変革につながっていく。このようにして、この世界を捉える視点を更新していくことにこそ、歴史学の意義があると私は思うのです。
こうした問題関心から、私は三つ目の研究テーマとして、歴史を探究することの意味を問い直す歴史理論について考察を進めています。また、その一環として、大学や学会等の研究機関の外側で歴史を学んでいる郷土史家や、国内外のアーティストと「コラボ」して歴史について考えるパブリック・ヒストリーと呼ばれる分野にも研究を広げています。ただし、こうした「コラボ」は、歴史を考究するための手段であって目的ではありません。飽くなき歴史探究の先にどのような世界が見えてくるのか。私にとって歴史学とは、世界の「見え方」を解体し、更新し、再構築する試みといえるかもしれません。(談)