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話者の意識や価値観を見つめ、言語にとっての「自然」を問い直す

  • 一橋大学大学院言語社会研究科 講師吉田 真悟

2024年10月2日 掲載

画像:吉田 真悟氏

吉田 真悟(よしだ・しんご)

2008年東京外国語大学外国語学部中国語専攻卒。東京船舶株式会社に入社、日本郵船グループ各社での勤務を経て、2015年一橋大学大学院言語社会研究科へ進学。2021年同研究科博士後期課程修了。博士(学術)(一橋大学)。独立行政法人日本学術振興会特別研究員、上智大学言語研究教育センター非常勤講師などを経て、2022年一橋大学大学院言語社会研究科専任講師に就任。現在に至る。

日本語の方言以上に違う「台湾語」と「台湾華語」

私の専門は社会言語学で、特に台湾(閩南:びんなん)語の研究を行っています。関心を持っているテーマは少数言語の言語復興や文字使用に関する諸問題で、最近は、対面またはZoomを活用したインタビューやアンケートを使った質的調査を主に採用しています。事象の背後にある人々の言語意識を探る研究が中心です。

わざわざ閩南語と注釈を入れていることには理由があります。日本では混同されがちですが、台湾語はもともと中国・福建省南部から渡ってきた漢族の閩南語に由来した言葉です。台湾で広く話されているもう一つのことばが台湾華語ですが、こちらは「台湾における中国語(北京語)」を指しています。2つのことばの違いは意思疎通ができないレベルなので、日本語の方言よりもかなり離れています。むしろ英語とドイツ語の関係に近いと捉えるのが適切でしょう。

私の主な研究対象は前者の「台湾語」ですが、現在の台湾で日常的に話すのは大体50代以上の年代が中心です。それより若い人たちにも通じることは多いのですが、普段は台湾華語を話していて台湾語は実家に帰ったときにしか話さない、あるいは聴き取ることはできても話すのは得意でないという人が増えてきているのです。このような言語の継承の断絶はなぜ起こり、それは話者当人や台湾の社会にとって何を意味するかを研究することが、現在の私のテーマです。最近ではそのために、比較的若い世代の台湾語話者に対する調査を行っています。

標準語への違和感から、独学で第二外国語を学んだ高校時代

台湾語の前に、私が中国語に興味を持ったのは高校生の頃です。中学時代からずっと外国語として英語ばかりを学ぶことに疑問を感じていました。もともと共通言語や標準語とされるものに違和感を持ちながら育ったことが影響していると思います。

私は首都圏で生まれ育ったのですが、父の実家が青森県八戸市で、夏休みなどにはよく帰省していました。父が祖母や親戚と方言で話す姿を見ているうちに、私もなんとなく方言に近い言葉で話していたようです。それは後で両親から指摘されて気づいたことで、私自身は方言を意識したつもりはなかったのですが...今思うと、八戸で標準語を話す自分を心のどこかでネガティブに捉えていたのでしょう。

そんな性分でしたので、「世界の標準語」として、英語だけを学ばされることに疑問を感じていたのだと思います。少なくとも自分は別のことばも学んでみたい。そこで日本語と同じ漢字を使う中国語に興味を持ちました。地図帳に載っている中国の地名や旅行ガイドブックなどの中国語に振られているカタカナの発音を書き出すことから始めて...漢字という共通項がありながら日本語とは全く構造が異なること、その背後に東アジアの文化と交流の歴史が感じられることが、とても面白いと感じたのです。その興味・関心を追求するために東京外国語大学に進学し、中国語を専攻しました。

先細る台湾語への関心は、記述言語学では収まらなかった

大学で主に学んだのは、文法や音韻などの規則性を見出し記述していく記述言語学です。一方で、台湾についても学ぶ機会を得ました。国民党支配下では中国語(最初に触れた台湾華語)が使われていた社会が1990年代に民主化され、台湾語をはじめ土着の言語が復権し始めている。授業でそんな話を聞いたり本で読んだりしているうちに、「中国語だけではなく台湾語も勉強したい」と考えるようになりました。そこで卒論用のデータを集めるために、交換留学で台湾へ。しかし、現地では自分の親以上の世代は台湾語を話すものの、自分と同年代の人たちは普段あまり話さないという実態を知りました。

卒論では台湾語における文法と発音の関係についてまとめた一方で、私は記述言語学的なアプローチより、台湾語がだんだん先細っているという現実のほうが気になっていました。なぜそうなってしまうのか、どうにかできないものか。しかしそれは記述言語学が直接的に関与するテーマではありません。だとすればそれを仕事にするよりも、言語への興味は自分の中で趣味にとどめておくのがよいと考えて、日本の海運会社に就職する道を選んだのです。

シンガポール駐在をきっかけに、台湾語を研究する道を志す

そんな私に転機が訪れたのは、就職して3年目。親会社の本社機能が置かれていたシンガポールに赴任した時です。シンガポールは華人が多いので、私の語学力にも期待をされての辞令だったのでしょう。実際、現地の共通語は英語ですが、中国語も交えながらコミュニケーションを取れたことは大きかったですね。

仕事には直接関係はありませんが、自分にとってもう一つ大きかったのは台湾語(閩南語)を使えたことです。シンガポールにいる華人には福建から来た人々の子孫が多くおり、現地で「福建語」と呼ばれることばは台湾語との意思疎通が可能なので、私がその人たちと台湾語で話したらとても喜んでもらえました。日本から遠く離れたシンガポールで、日本人の私と現地の華人が台湾語で話すという経験は、なんだか感慨深かったです。シンガポールでは福建語は公用語である英語と中国語の下で継承が途絶えつつあり、中国語ですら共通語としての英語に押されて、若者の中には話すのが苦手な人が現れ始めています。その状況を知ったときに「台湾と同じだ」と。そして「何故こうなってしまうんだろう」という思いが再び湧いてきました。年齢も30に差し掛かるタイミングでこの先の人生について改めて考えたときに、この思いと無縁ではいられないと考え、研究者の道に進むことを決断。一橋大学大学院の言語社会研究科の修士課程に進学しました。

人間の意識、価値判断をノイズとして排除しない社会言語学

研究者の道に進むうえで私が考えたのは、社会言語学で研究テーマにアプローチするということ。社会言語学は、ことばは人間が使っているものである以上、人間の意識、イデオロギー、政策などを抜きにしては語れないという立場を取ります。それらを捨象してしまうと、現実に言語に起きている多くの現象が説明できません。「自然な発話」とされるものが、どのような歴史で「自然」になってきたかを問い直す。人間の意識、価値判断をノイズとして排除するのではなく、意識、価値判断そのものをことばに影響を与えるものとして捉え直す。私が関心を持っているのはそんなアプローチです。

台湾語をはじめとする少数言語が廃れていって大きな言語に取り込まれていくことは、私にとって自然なことではありません。「本当に自然なことか?」、「自然という表現で片付けてしまっていいのか?」という疑問を持ち、研究を深められる。それが私にとっての社会言語学です。
私のゼミに来てくれている学生の研究テーマは非常に多様なので、関心を持っている領域も研究手法も私と同じとは限らず、台湾語を研究対象にしている学生は極僅かです。ですから私の方が学生から学ぶことも少なくありませんが、唯一共通して言えるのは、「言語のことが気になっているけれども言語そのものを見ているだけでは飽き足らない」という点ではないかと思っています。

ことばに対する意識や行動が変わっていく

現在、台湾では台湾語の復興運動が盛んです。その一環として「台湾語キャンプ」というイベントがあります。休日の数日間集まり、なるべく台湾語を使いながら過ごしましょう、というものですね。私は修士課程の研究の中でその活動に参加し、そこで起こっていたことを参与観察という手法で記述・分析しました。

また、現在行っているインタビュー調査の中でも、印象に残った回答がありました。その方は、子どもの頃はあまり台湾語に関心がなかったけれど、大人になってから「やはり自分にとっては大事なものだった」と考え直すようになった、と言っていました。そのきっかけを尋ねたところ、今住んでいる台北から比較的台湾語の話者が多い南部に息子さんを連れていき、自分が現地の人と台湾語で話していたら、息子さんから「今、何て言ったの?日本語?」と聞かれて、継承が途絶えつつあることにショックを受けた、と話してくれました。その後、少しずつ子供に台湾語で話し掛けるようにしたり、ご自身の両親に「孫に台湾語で話してほしい」とお願いしたりしているそうです。

こんなふうに、ことばに対する意識が変わったり、そこからさらに行動が変わったり...と、人によってそれぞれの事象が見えてくる。これこそが社会言語学を研究する醍醐味であり、人や社会に少しずつでも変容を促す、アクチュアルな学問に携わることがやりがいだと感じています。(談)