541_main.jpg

研究開発と社会科学のブリッジングを目指して

  • 経営管理研究科/イノベーション研究センター准教授姜 秉祐

2023年12月27日 掲載

画像:姜 秉祐氏

姜 秉祐(カン・ビョンウ)

2006年東北大学工学部卒。2008年東北大学工学研究科修士(工学)、2014年東京大学大学院工学系研究科博士(学術)。2008年-2011年 韓国LG エレクトロニクス研究員、2014年-2016年日本貿易振興機構・アジア経済研究所研究員。2016年一橋大学大学院商学研究科講師、2018年一橋大学大学院経営管理研究科講師を経て2019年一橋大学イノベーション研究センター准教授、一橋大学商学部准教授、一橋大学大学院経営管理研究科准教授に就任、現在に至る。専門は経営学及び経済政策。

並行発明とK-POPの成功要因を、あえて同時進行で研究する

私は主にイノベーション研究センターにおいて、研究開発活動に関する実証研究を行っています。たとえば並行発明(Parallel Invention)に関する研究では、アメリカでは年間50万件以上の発明が特許出願される中、多くの発明が類似している可能性があることに着目。類似発明の決定要因と同一発明の決定要因、それぞれを分析し、発明に用いた情報インプットと発明者間の交流が決定要因として正の有意な効果を持つことを突き止めました。特に、発明者同士が直接会ってアイデアを議論した場合、同様の発明が生まれる可能性は最大で約5倍上昇することが分かっています。この発見が、発明にリソースを投入したいと考える企業にとって、どのような意味を持つか。昨年(2022年)論文にまとめました。

その一方で私は韓国大衆音楽、いわゆるK-POPのグローバル市場における成功にも注目しました。これまでK-POPのグローバルな成功の要因は、政府の助成、デジタル流通チャネルといった観点から語られてきたように思います。K-POPが海外に適応するプロダクトを生み出すために払った努力と、音楽サプライチェーンの上流の貢献を実証するため、1990年代から現在までにK-POPが練り上げた公式と、グローバル市場での成功をモデル化するための大手芸能事務所の創設者の努力について、分析を行いました。

もちろんほかにもさまざまな研究を進めてきましたが、まったく毛色が異なる2つの研究を同時進行させることが、博士課程以来の私の研究スタイルです。なぜ2つの流れがあるのか、それがどんな相乗効果を生むのか、後ほど改めて説明しましょう。

韓日両方の社会を経験し、「会話のチャネル」をつくりたい

私は、父が仕事の関係で日本に長期滞在することになったため、一緒に日本に移り小学4年生の途中までは宮城県仙台市で暮らしました。そこから韓国に戻り、大邱(テグ)高校を卒業。その後東北大学工学部に進学し、修士課程を終えるまで仙台市で暮らしていました。その点、仙台市は私のふるさとと言ってもいいですね。

言葉に関しては、韓国語と日本語のバイリンガルというより、どちらの言語もあまり得意ではないという自覚があります。私の話し方はどちらの国の人にとっても少し違和感があるようで、私はいつの間にかコミュニケーションに苦手意識を持つようになっていました。でも、2つの国を行き来し、いいことも悪いことも全部経験した私は、次第に「会話のチャネル」をつくりたいと考えるようになりました。

そこで通信工学の分野で世界的に有名な東北大学工学部に進学。その後修士課程に進み、通信工学を学びました。ここまでの私は、いわゆる理系の人間だったと言えます。

研究開発を社会科学の観点から見つめるために博士課程へ

韓国では兵役がありますが、修士課程・博士課程を修めた学生対象の「兵役特例制度」(有事の際には徴兵される)を活用し、LGエレクトロニクス社に入社。3年間、無線通信エンジニアとして研究開発をし、その成果を特許出願しました。

その過程で、特許に関する裁判のニュースをいくつも目にして、ある疑問が湧いてきました。特許の出願にかかる費用も、特許権を管理する金額も微々たるものです。しかし特許権侵害訴訟が始まるとそこにかかるコストはゼロが3つ、4つ増える。しかもそのコストをエンドユーザーに転嫁するケースが見受けられる。そこで私の中に湧いてきたのは「特許は、社会的に余計なコストを増やしていないだろうか?」という疑問です。他にも、研究開発の現場をエコノミストが評価することなど、研究開発を見る社会科学のレンズに様々な疑問や好奇心を持っていました。そこで"文転"を決意します。慣れ親しんだ通信工学やエンジニアの仕事から離れることになるのですが、もとを辿れば私の中にあったのは「会話のチャネル」をつくる、つまり両者をブリッジングしたいという思いです。橋の両側にいるのは、何も韓日だけではありません。研究開発と社会科学もまた、橋渡しを必要としている。そう考えて、あえて未知の領域である社会科学への"文転"を決意し、博士課程に進みました。

「研究の2つの流れ」を作った理由とその相乗効果

そして、東京大学大学院工学系研究科で私が確立したのが、はじめにお伝えした「研究の2つの流れ」です。現在イノベーション研究センターに在籍しているからこそ強く感じるのですが、イノベーションはまったくのゼロからではなく、異なる分野のアイデアを組み合わせることで生まれます。あるいは組み合わせる過程でまったく違う発想が出てくるものです。だからこそ、異なる2つの研究は欠かせません。そこには2つの狙いがあります。1つは、自分がきちんとしたデータ分析をしているかどうかを検証できること。同じデータを使って2軸で研究を行っている場合、どちらかでエラーが発生していないか、すぐに把握できます。同じデータを異なる観点で分析することで、データへの理解も深まるだけでなく、新しいアイデアを得やすくなります。もう1つは、アイデアや理論の汎用性や拡張性を確認できることです。社会科学では数式ではなくロジックを理論として用いますが、それが他分野にも応用できる大きな理論になり得るか、そこまでのものではないのか、2軸で研究を進めると見えやすくなります。汎用性や拡張性が確認できれば、それは自分が研究者として一歩成長した証にもなる。そう考えて、博士課程以降ずっと「研究の2つの流れ」をキープしているのです。

自分なりの考えを持つことが、社会科学における唯一の解

一橋大学イノベーション研究センターには公募で入りました。社会科学の研究を始めてからずっと憧れ続けていた環境です。授業やゼミに参加する学生に対しては、「常識にとらわれないでほしい」というメッセージを根底に持ちながら接しています。今社会にどんな変化が起きているのか。その変化に対して、最先端の企業はどう向き合いながらビジネスをしているか。そして、その影響が社会や私たちの生活にもたらすメリット・デメリットは何か。その人なりの観点で見つめて結論を出してもらうことを目指しています。学生に事例を提示する以外、基本的に私はノータッチです。その人なりの観点や結論にこだわっているのは、社会科学は人間の社会、あるいは人間そのものを扱っているため、唯一の答えというものがないからです。その環境においては「自分なりの考え」を持つことがおそらく唯一の解でしょう。ですから常識にとらわれないでほしいのです。学生は大変でしょうが、そのような学生を育成することが学生と実社会をブリッジングするために私ができる役割だという認識で授業を行っています。

知らない世界とつながろうとする学生を、社会が受け入れる時代が来た

学生全般へのメッセージは、「皆さんが知らない世界とつながってみましょう」ということになります。

今は不確かさ(uncertainty)が増し、確約できるものが見当たらない時代と言われます。変化の速度は速くなり、変化の規模は大きくなっています。今の成功法則が次の瞬間に失敗法則になりかねない時代です。それは同時に、新しいアイデアや経験が思いもよらないきっかけで新しい社会で価値を発揮する機会を与えてくれます。

知らない世界は、空間的、時間的、分野的などの軸でとらえることができます。今いる場所から大胆に踏み出して知らない世界を経験できるのが大学生活の特権ですし、そういう経験が許容される時代になってきた、私はそう感じています。(談)